証言者
レインフォードとスカーレットが執務室に戻ると、そこには細身の男性の姿があった。
黒地に赤い刺繍の入ったスーツに、真紅のクラバットを身に着けた立ち姿は、背筋がまっすぐに伸びて威厳を醸し出している。
整えられた髭を蓄え、少し細面の壮年のその男性は、纏う雰囲気と同じ鋭い目つきをしていた。
一見して只者ではない。
さすがはこの宮廷内で絶大な権力を持つ貴族の一人だ。
スカーレットの父バスティアンとはまた違った意味で威厳のある人物だった。
シエイラとあまり似ていないことから、彼女は母親似なのかもしれない。
そんなファルドル侯爵の空気に劣らない、王族ならではの威厳を持ってレインフォードは侯爵に言葉をかけた。
「今日はよく来てくれた」
「いえ、こちらこそなかなか時間が取れずに申し訳ありませんでした」
一礼して答える侯爵に、レインフォードはさっそく本題を切り出した。
「貴殿も忙しいだろうから、早速本題に移りたい。以前、侯が後ろ盾になって従者に推薦したリオン・ドリオールについて聞きたい」
「リオンについて、ですか?」
ファルドル侯爵にとっては突然の話題に、少々意表を突かれたようだ。
怪訝そうに小さく眉を顰めて首を傾げた。
従者であるリオンがレインフォードの命を狙ったという話は、一旦伏せられている。
本来ならば「リオンがレインフォードの命を狙っているから、後見人のファルドル侯爵が暗殺の首謀者なのではないか?」と直球で尋ねる方法もある。
だが、それだともしファルドル侯爵が無実だった時に、レインフォード支持派閥の有力貴族である侯爵の支持を失ってしまう可能性もある。
だから、ここは一つ一つ事実とそれに伴う疑問を突きつけて、慎重に話を聞き出すのがベストだ。
レインフォードもそれを分かっているようで、まずは一番無難な質問を尋ねた。
「リオンは貴殿が推薦し、後見人になった従者だ。俺の従者に推薦する際、侯爵はリオンは遠縁の子供で、身元は確かだと言っていたな」
「左様です」
「だが、調べたところ、ドリオール家という名前の貴族は存在していない。これはどういうことだ?」
「嘘ではございません。ドリオール家は貴族ではなく商家です。かなり遠縁にはなりますが、侯爵家と繋がりがございます」
この問いに関してはファルドル侯爵も想定していたのだろう。レインフォードの問いに淡々と答えた。
だが、こちらもその答えは想定済みだ。
レインフォードはさらに言葉を重ねた。
「確かにドリオールという商家はいくつかあった。だが、貴殿はリオンがドリオール家の人間ではないことを知っていた筈だ」
「と、申しますと?」
「先ほどシエイラから聞いた。リオンは孤児院から引き取られ、侯爵家に来たのだと」
「なるほど、シエイラがそんなことを。いやいや、当時はシエイラもまだ13歳やそこらの子供です。きっと勘違いしたのでしょう」
白々しい嘘を、まるで本当のように語る姿にスカーレットは感服を覚えた。
(さすが、海千山千越えてきた貴族ね。顔色一つ変えないなんてね)
レインフォードは追及の手を緩めず、侯爵に質問を続けた。
「シエイラはリオンを引き取った時、侯爵が夫人に『リオンはサン・クライレン子爵の子供だ』と説明していたというが、それもシエイラの聞き間違いということか? 夫人はリオンを侯爵の隠し子だと思って引き取るのを渋ったようだが、この言葉で納得したとシエイラから聞いているが?」
この質問に対して、ファルドル侯爵は沈黙して答えなかった。
先ほどと同様にシエイラの聞き間違いと答えれば「では、リオンは侯爵の隠し子か?」と問われ、不貞を疑われることを察したからだろう。
そしてシエイラの証言を認めればリオンがクライレン子爵の子供であることをも認めることになる。
それ故の沈黙だろう。
だが、その機会をレインフォードは見逃すことはなかった。
「シエイラはさらにこうも証言している。リオンを引き取ることは『サンの頼みだから』と言っていたと。侯爵はサン・クライレン子爵と親友だったそうだな。その親友の頼みでリオンを引き取ったということではないのか?」
「そ、それは……」
侯爵は口を開きかけ、そして引き結ぶと目を閉じた。
何をどう伝えれば最善なのかを思案しているようにも見えた。
だが、このままファルドル侯爵に言い逃れされては、レインフォード暗殺の容疑者が不明のままだ。
スカーレットは自分が発言する場ではないことは承知しつつ、侯爵に尋ねることにした。
「レインフォード様、発言をよろしいでしょうか?」
「ああ、言ってみろ」
「ファルドル侯爵が、リオンを引き取った時、既にクライレン子爵は火事で亡くなっています。ということは、侯爵は親友のクライレン子爵から生前にリオンの保護を依頼されていたということになります。もしかして、クライレン子爵は何者かに命を狙われていたのではありませんか?」
まだ確証はないが、シエイラの証言から導き出した可能性をスカーレットは提示することにした。
近衛騎士からの突然の問いであることと、かなり核心を突いた質問だったこともあったのだろう。
侯爵は少しの間を置いた。
「……なぜ、そう思うのだ?」
「この間、クライレン子爵家火災の調査報告書を読んだのですが、あの火災にはいくつかの疑問点がありました。一つは火災発生時刻と場所です。夜半ということは、屋敷は寝静まっていたはずです。それに出火場所が子爵の書斎だったことも不自然だと思うのです」
それは、調査報告書を読んでスカーレットが覚えた違和感だった。
スカーレットの言葉に、レインフォードは少し考え、首を傾げながら疑問を呈した。
「子爵が夜遅くまで起きていて、書斎のランプを倒してしまったとは考えられないか?」
「いいえ、その可能性は低いと思います。子爵の遺体が発見されたのは夫妻の寝室ですから、子爵以外の誰かが倒したというのではれば説明がつきます。
それにもう一つ気になったのは消火に要した時間です。生存者の証言から火元が書斎だと分かっていたということは、その時点では消火が可能だったはずです。
ですが、調査報告書には『火は勢いよく燃え上がったため、消火活動はできず』とあり、かつ消火までに5時間を要したと記載がありました。つまり、何らかの燃焼促進剤が使われたと思うのです」
「つまり、スカーはあの火災事故が事故に見せかけた殺人だったと言いたいのか?」
レインフォードの言葉に、スカーレットは大きく頷いた。
「ええ。クライレン子爵は自分の身に何かが起こるかもしれないと予期し、自分に何かあったら子供を頼むと侯爵に頼んだのではないでしょうか?」
目を閉じたままスカーの話を聞いていたファルドル侯爵だったが、小さく息を漏らしたのち、ゆっくりと目を開けた。
「そこまで分かっているのか。ならば、もう隠す必要もないでしょう。」
そして一呼吸を置くと、ゆっくりと語り始めた。
「リオンは我が親友のサン・クライレン子爵の子供です。私とサンは学生時代からの親友でした。気遣いも出来て細かいことにもよく気が付く男で、少し世話焼きな面もある。ですがおおらかで穏やかな男でした。夫人と子供達を溺愛して、口を開けば家族自慢をしていたものです」
気遣いが出来て世話焼きというのは、リオンにも通じるところがある。
きっとあの性格は父親譲りなのだろう。
「奴とは定期的に酒を飲み、私の相談や愚痴なんかも嫌な顔せず聞いてくれていました。だが、ある夜、いつものように酒を飲んでいると、奴が神妙な顔をして言ったのです。『ジルベスター侯爵がカゼンと通じている可能性がある。証拠を掴んだ』と」
「!」
スカーレットもレインフォードも、予想外の事実を聞いて同時に息を呑んだ。
レインフォードの命を狙う人物はサジニア派筆頭のジルベスター侯爵か、もしくは隣国カゼンのどちらかではないかと予想していたが、まさかジルベスター侯爵が隣国カゼンと通じているとは思わなかった。
(容疑者同士が繋がっていたなんて、想定外だったわ)
侯爵は説明を続けた。
「そして『もし、私の身に何かあったら家族を頼む』と言ってきました」
「証拠だと? そんなものがあるのか? 今はどうなっているんだ?」
驚きと共にレインフォードは矢継ぎ早に質問するが、侯爵は緩く首を振った。
「証拠を出してほしいと言ったのですが、『君を巻き込みたくない』と言って断られました。ただ『私の大切な者とその証と共にある』とだけ言って、その後は何を尋ねても答えてくれませんでした。
それからしばらくして、あの火災が起こったのです。不審に思った私も火災について調べ、そこの近衛騎士が言う通りの疑念を抱きました。それで、この火災は事故ではなく、サンは殺されたのだと確信したのです」
侯爵の痛ましい思いがこちらに伝わってくるほど、ファルドル侯爵は沈痛な表情となった。
「残念なことにサンと夫人、娘のミスティの遺体は発見されたが、リオンは生死不明でしたが、私は一縷の望みをかけ、あらゆる手段を使ってリオンの行方を追いました」
「それで、孤児院でリオンを見つけたのですね」
「ああ、そうだ」
「疑問なのですが、何故リオンはクライレンの姓を名乗らずにドリオールという偽名を使っていたのですか?」
スカーレットは、以前から疑問に思っていたことを尋ねた。
普通に考えれば、リオンは自分がクライレン子爵家の嫡男であることを主張すれば、子爵家は爵位停止は解除されたはずだ。
「リオンは自分がクライレン子爵家の人間であることを知らない」
「知らない?」
「リオンは、あの火事以前の記憶が無くなっているのだ。いや、正確には曖昧になっていると言うべきか」
「記憶が混濁しているということですか?」
「そうだ。きっと幼いリオンにとっては衝撃的なことだったのだろう。医者にも心の防御反応だから無理に思い出させるのは止めた方がいいと言われ、リオンには真実を告げないことにした」
「それで、ドリオールを名乗らせることにしたのですね」
スカーレットの言葉に侯爵は頷いた。
なるほど。
記憶を失っているのであれば自分がクライレン子爵の息子だとは名乗れないわけだし、爵位停止の解除を求めることもしないわけだ。
「ああ。それにサンはジルベスター侯爵によって殺された可能性がある。下手にクライレン子爵の子供だと名乗れば、殺されるかもしれないと考えたのだ。ただ、リオンがサンの息子であることを思い出した場合、リオンの意志によっては子爵家を継ぐべきだとも考えた。だから、廃爵ではなく爵位停止にするように陛下にお願いした」
(だから不自然に爵位停止としたのね)
今までの疑問が一つ解消され、その理由にスカーレットは納得した。
だが、まだ疑問は残っている。
「もう一つよろしいでしょうか? 何故侯爵はリオンを従者として推薦したのですか?」
スカーレットが尋ねると、ファルドル侯爵はスカーレットに顔を向けた。
「しばらく侯爵邸で暮らしていたのだが、リオンは理由もなく侯爵家で暮らすことを申し訳ないと思っていたようだ。15歳になった時に国家試験を受けて自立したいと申し出てきたのだ。もしジルベスター侯爵にリオンがサンの遺児であることが知られたら、身の危険がある。だから王城でも安全な職に就いてもらおうと考えていた時、殿下が従者を探していると聞いたのだ」
「サジニア派であるジルベスター侯爵はレインフォード様との接点はほとんどない。それに加えてレインフォード様のおそばにいれば、命を狙われることも少ないと思ったのですね」
「まったく、君の言う通りだよ」
木を隠すなら森という言葉がある。
下手に侯爵邸で匿うより、その方がいいと判断したのだろう。
一しきり話した侯爵は、全てを話終えたとばかりに小さく嘆息を漏らした。
その姿は、長年胸に秘めていたものを全て吐き出し、固い鎧を脱いだ時のような虚脱感のようなものが伝わってきた。
「それで、リオンのことを聞いて、どうなさりたいのですか?」
「実は、リオンは殿下の暗殺に関与しているのです」
「リオンが……ですか?」
タデウスの言葉が予想外だったのだろう。
さすがの侯爵も驚きを隠せないようだった。
だがすぐに自分の中で納得したような表情を浮かべた。
「そういうことでしたか。私がリオンを使って殿下を殺害しようとしたとお考えなのですね」
その言葉に、レインフォードは緩く頭を振って答えた。
「いいや、違う。まず貴殿はシエイラと俺の婚姻を望んでいるくらいだ。俺を殺すメリットはないだろう。そう考えたからこそ、私たちはリオンの行動が分からず、こうして事情を尋ねたのだ」
「なるほど、そうでしたか。失礼いたしました」
こうしてリオンに関する疑問は解消できた。
だが、リオンが誰の指示で動いているのかは不明のままだ。
レインフォード暗殺を企てているのが、ジルベスター侯爵だとするならば、リオンはジルベスター侯爵の指示で動いていることになる。
だが、リオンにとってジルベスター侯爵は両親と妹の敵になるはずだ。
なのに、彼らに協力をしている理由が分からない。
そう思案しているスカーレットの耳に、突然けたたましいノックの音がしたかと思うと、飛び込んできたのはランセルだった。
その姿は傷だらけで、いたるところから血が流れていた。
一見して異常事態が発生したことが分かった。
室内が一気に緊迫した空気となった。
「そんなに慌ててどうした? 何かあったのか?」
固く鋭い声で尋ねたレインフォードに対し、ランセルは息を切らせながら、だが切羽詰まった声で告げた。
「シエイラ嬢が誘拐されました!」