再会
カヴィンの執務室を出たスカーレットは、次の会議に向かうレインフォードの護衛をして、廊下を歩いていた。
結局のところ、今の段階ではリオンが何故レインフォード暗殺に加担しているのかは分からずじまいだ。
(まずはファルドル侯爵と話してみるしかないわね。待ち状態かぁ……)
現時点では、もうスカーレットが動くことはない。少しだけもどかしさを感じながら、王宮の廊下を歩いていると、前を歩くレインフォードがポツリと言葉を漏らしたのが聞こえた。
「俺は甘すぎなのかもしれないな」
「え?」
歩調がゆっくりになったレインフォードはそのまま足を止めると、廊下の見上げるほど大きな窓から覗く空を見つめた。
だがその瞳は空を映しておらず、ここではないどこか、まるで自分の中の後悔を見つめているようにも見えた。
スカーレットもまた足を止め、レインフォードの言葉を待った。
「ファルドル侯爵の話を鵜呑みにせず、裏を取るべきだったんだ。そうすればもっと早くにこの事実が明らかになったはずだ。然るべき対応を事前に行うこともできたんだ。上に立つものとして、本当にそれが事実なのかを疑って、見極める必要がある。でなければ、俺はただのお飾りの愚鈍な王になってしまう」
自分を嘲るように、そして自分を戒めるように、レインフォードは言った。
だがそれを聞いたスカーレットは首を振った。
「レインフォード様、それは半分は正しいですが、半分は間違っているんじゃないかと思います」
「どういうことだ?」
「確かに事情はあれど、侯爵を全面的に信頼して、確認をしなかったのはミスかもしれません」
タデウスの言う通り、侯爵の手前、表立っては調査できなかったのは事実だ。
だが、秘密裏に確認する方法はいくらでもあったはずだ。
「ですから、そこを反省するのは良い事だと思います。でも、部下を信用することも必要だと思います。自分を信じてくれない上司についていこうという部下はいませんから。
問題はこの件について誰も気づかなかったということです。それと、レインフォード様の指示がなかったからといって、自発的に調べなかった部下の……今回の場合はタデウス様の落ち度です。
ですから、上司としてその責任を負う必要はあるかと思いますが、過度に自分を責めないでください。それよりも、この教訓を次に活かすことを考えましょう」
スカーレットは前世ではチームリーダーを任されていた。
自分で仕事をしながらチームメンバーに指示を与え、仕事を進めなくてはならない。
スカーレット《葉子》の性格上、人に指示することができず、ついつい自分で仕事をしていたのだが、ある日、葉子一人ではどうしても回らなくなった。
当たり前だ。10人の仕事を葉子一人でこなそうとしていたのだから。そして葉子は上司に言われたのだ。
「お前はメンバーを信じていない」と。
だから葉子一人で仕事を抱えても、誰一人としてそれに対して何も言わなかった。
葉子が部下を信じてないように、部下もまた葉子を信じていなかった。
葉子がやるべきは、多面的に事象を捉え、懸念事項をあらかじめ考え、それを払拭すべく指示を出す事だった。
同時に、部下と共に問題や抜けがないかを考えることだったのだ。
そうすれば、部下は自発的に考え、足りない部分は自ら提案し、改善する。そうするように、部下を育てるのもリーダーの役割なのだ。
過去の苦い思い出を思い出しながら、スカーレットがそれを伝えると、レインフォードは目を見張った。
そして、苦笑しながら言った。
「本当、スカーには驚かされる。まったく正論だな」
「あ! も、申し訳ありません。王太子殿下に向かって出過ぎた真似をしました!」
「いや、いい。……スカーを補佐官に任命して良かった」
そう言ったレインフォードの顔には、先ほどまでの自嘲の表情はもうなく、清々しい表情に変わっていた。そして、スカーレットに優しく微笑んだ。
「ありがとう。じゃあ、スカーは俺の元にずっといてくれるってことだよな」
「そうですね。可能な限りお側にいたいと思います」
ここ数ヶ月、レインフォードの側にいて、命の危険やら裏切りの現場やらを目撃し、いかにレインフォードが過酷な立場にあるのかが分かった。
元々レインフォードの命を守るために男装してここまできたのだ。できる限りはそばにいて守りたいと思っている。
(でもさすがに女だってバレそうになったら逃げるつもりだけど……)
そんなことを考えていると、レインフォードがスカーレットをじっと見つめた。
「……信じているからな」
その言葉にスカーレットの心臓がドクンと大きく音を立てた。
同時に、胸がギュッとなる。
レインフォードはスカーレットを信じてくれている。
だが、スカーレットは性別を偽り、レインフォードを裏切っている。
もし、そのことを知ったらレインフォードはどんな反応をするのだろうか。
(裏切り者って罵られるのかしら。ううん、ただ冷たく軽蔑の目を向けられるのかもしれない……)
そう考えると、心が重く沈んでいくようだった。
だが、レインフォードはスカーレットの心に反して明るく微笑むと、手を伸ばした。
細く、長い指が、すっとスカーレットの頬に触れた。
「たとえどんなお前でも、俺はスカーを信じているし、そばにいて欲しいと思ってる」
「レインフォード様……」
視線を逸らすことができずに、互いに見つめ合う。
すると、レインフォードの指がスカーレットの耳朶に触れ、それがくすぐったくて思わず体がびくりと震えた。
「イヤーカフ、つけてくれているんだな」
「はい。レインフォード様からいただいたものですし」
「俺の色を纏ってくれるというのは、存外嬉しいものだな」
(えっ!?)
イヤーカフを贈られた時、シルバーに金色に近いトパーズのあしらわれたイヤーカフの色合いが、レインフォードを彷彿とするとは思った。
だが、自分の色を相手に贈るというのは、相手に好意を抱いていることを意味する。
だからスカーレットはこの色合いに意味はないと思っていたのだが、今の言葉の意味を考えると、まるでレインフォードがスカーレットに好意を寄せているように聞こえる。
(で、でもレインフォード様の中で私は男よね? えっ? 噂通り実は男色家なの?!)
動揺して二の句が告げないでいると、突然低く落ち着いたハスキーボイスが廊下に響いた。
「これはこれは義弟君。いや、王太子殿下」
そういながら、声の主がゆっくりと近づいてくる。だが、その姿を見たスカーレットは驚きのあまり、息を呑んで固まってしまった。
浅黒い肌と漆黒の闇夜のような長い黒髪をゆるく編んでいる男の瞳はルビーのような鮮やかな赤い色。
その容姿から、一見して隣国カゼンの血が入っていることが分かる。
そして、この切れ長の目の端正な顔立ちの美丈夫の顔には見覚えがあった。
(リオンを追って路地に入った時に会った男性だわ!)
予想外の再会にも驚いたが、スカーレットが驚くのはそれだけではなかった。
今、この美丈夫はレインフォードを「義弟」と呼んだ。
レインフォードを「義弟」と呼べる人間など一人しかいない。
ディアスブロン王国第一王子サジニア・ディアスブロン
レインフォードの腹違いの兄にして、この国の第一王子である。そして、彼の派閥とレインフォードの派閥は王位継承権を巡って対立関係にあるのだ。
「義兄上、お久しぶりですね。このようなところでお会いするなど珍しい」
「陛下に呼ばれて仕方なく、な」
(嘘でしょ……あの時の男性だわ!)
サジニアと街で会った時のことを思い出してみると、スカーレットはワンピースを着ていて、立ち振る舞いも口調もスカーレット本来のものであった。
対して、今スカーレットは男装して騎士の格好をしてる。
もし、サジニアがスカーレットに気づいたら、スカーレットが女であるとバレてしまうかもしれない。
そのことに思い至ったスカーレットはさりげなくサジニアの視界に入らないように一歩下がり、レインフォードの陰に隠れようとした。だが、それは一歩遅かった。
不意にサジニアがスカーレットに目を止めると、目を見張った。
(しまった!)
サジニアの鋭い目と目がばっちりあってしまった。
そして、サジニアはニヤリと笑うと、スカーレットに歩み寄ってきた。
「初めて見る顔だな」
(あれ? 気づいていない?)
今、サジニアは『初めて見る顔』だと言った。ということは、スカーレットが街で出会った女だとは気づいていないのだろう。
そもそもちょっと話しただけの女など、記憶にも残っていないだけかもしれない。
サジニアはスカーレットのことは忘れているようで、そのことにほっと胸を撫で下した。
「女嫌いのお前が女を傍に置くなど珍しい。ようやく女嫌いが治ったか?」
「残念ながら、彼は男ですよ」
「こいつが、男?」
サジニアは怪訝な表情を浮かべると、頭一つ半高い位置からスカーレットを見下ろした。
その探るような赤い瞳から逃れるように、スカーレットは僅かに下を向いて顔を隠したが、突き刺さるような視線が痛い。
「ずいぶん仲がよさそうに見えたが、何者だ?」
「彼は俺の近衛騎士ですから」
「近衛騎士……こいつが? ははは随分可愛らしい近衛騎士だな」
「彼は立派な近衛騎士です。俺の近衛騎士を侮辱しないでいただきたい」
レインフォードはスカーレットを隠すようにしてサジニアとの間に立ちはだかった。
その行動を見たサジニアは、一瞬目を見張ったかと思うと、小さく口の端を上げるだけの笑みを漏らした。
目は笑っていない。
だが、なにか新しいおもちゃを見つけたような、僅かな好奇心と暗い愉悦が滲み出ているように見えた。
「ああ、気分を害したならすまないな。……では、俺はもう行く」
サジニアはそう言うとそのまま歩き出し、スカーレットの脇を通り過ぎた。
そのすれ違う瞬間の事だった。
「!」
僅かな殺気を感じると共に、スカーレットの視界にキラリと光るものが見え、反射的に剣を抜いていた。
カキンという金属音が廊下に鳴り響き、一拍置いてカランという音を立てて短剣が床に転がった。
突然サジニアが懐から短剣を取り出し、スカーレットに斬りかかってきたのだとその音を聞いてから分かった。
(あっぶない……反応できてよかったわ)
僅かでも反応が遅れたら、スカーレットは大怪我を負っていただろう。
反応できたことを自分でも褒めたい。
サジニアは口の端を持ち上げて薄く笑いながら、転がった短刀を拾い上げた。
「腕は本物のようだな」
「なっ! 義兄上、何をなさるのですか!?」
「王太子殿下を守れる実力があるのか試してみただけだ。なにせお前は王太子というこの国の大事な人間だ。刺客に襲われた時、護衛が役立たずで何かあっては困るからな。義弟を思う兄心だと思って許してくれ」
口ではそう言っているサジニアだったが、まったくそう思っていないのはその不遜な態度から見て明らかだった。
サジニアは、スカーレットを真っ直ぐに見つめて尋ねた。
「お前、名前は?」
「スカー・バルサーと申します」
「スカーか。覚えておこう」
そう言ってサジニアは踵を返し歩き出したが、数歩進んだところで足を止め、チラリとスカーレットに視線をやった。
「確かに『こう見えても強い』な」
「!」
それだけを言って、サジニアは再び歩き出した。
『それに、私、こう見えても強いんですよ』
先日、スカーレットが街でサジニアに言った言葉を示していることは明白だった。
つまり、サジニアはスカーレットの正体に気づいているということになる。
「スカー、大丈夫か?」
「えっ? あ、はい。大丈夫ですよ!」
サジニアの後ろ姿を固い表情で見送っていると、レインフォードが気遣わし気に声を掛けてきた。
それに対し、何とか笑顔で答えたつもりであるが、強張ったものになっているのが自分でも分かった。
(でも私の正体に気づいたなら、普通はあの場でそれを指摘するはずよね?)
しかしサジニアはそれをしなかった。
何か意図があるのか。
サジニアという男の性格をまだ掴みきれない、これから何が起こるのか予想ができない。
スカーレットは、ただただサジニアの消えた廊下を見つめるしかできなかった。
いよいよ最終章と言った感じになります。
ちょっとシリアスモードに移行しつつありますが、引き続き読んでいただけると嬉しいです
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