カヴィンからの情報
スカーレットのいる執務補佐官の執務室と、ドア一つ隔てたレインフォードの執務室からは、タデウスのくぐもった声が聞こえてきている。
ドアを隔てているにも関わらず、語気が強いことが分かり、彼が怒っていることが伝わってきた。
(まぁ、タデウス様が怒る気持ちも分かるけど……)
スカーレットが擬似恋人として街に連れ出された日、どうやらレインフォードは街に行くことをタデウスには告げずに行ったらしかった。
まともな供も付けずにお忍びで街に行った上、刺客に襲われたことは、タデウスにとっては由々しき事態のようで、現在、レインフォードは執務室でタデウスからお小言を食らっているという状況だ。
『お供は近衛騎士のスカーが来ていたわけだし、刺客だってちゃんと倒して俺は怪我なんてしていない。何も問題ないじゃないか』
というのはレインフォードの弁である。
(お小言はしばらく続くかしら)
スカーレットはドアを見ながら苦笑し、自分の仕事に取り掛かることにした。
だが、頭の中ではどうしても街で襲ってきた刺客の事が気がかりで、その事をつい考えてしまう。
ゲーム内ではレインフォードは死亡フラグが満載のキャラだ。
スカーレットが知っているマジプリの内容とは既に大きく変わっているが、それでも推しが健やかに過ごすためにも、暗殺を指示した者を掴み、早々に対処したい。
今回の刺客はリオンの手引によるものだと考えられ、今回の襲撃と旅の時の襲撃は同一人物が黒幕にいるのは明白である。
(捕らえた刺客から、何か情報が引き出せればいいんだけど)
レインフォードが捕らえた刺客は、現在取り調べを受けている。
刺客から有力な証言を得られるのを願うしかない。
そう考えていると、執務室のドアが開き、騎士団長のカヴィンが爽やかな笑顔と共に颯爽と入ってきた。
「やぁ、スカー君。今日は君一人? タデウス様は?」
「カヴィン様、こんにちは。タデウス様はレインフォード様とお話し中です」
「あぁ、なるほど」
ドア越しに聞こえてくるタデウスの口調から、中の状況を察したらしいカヴィンは苦笑しながら頷いた。
「少し時間がかかるかと思いますが、お待ちになりますか?」
「そうだね。少し待たせてもらおうかな」
「じゃあ、紅茶でも淹れましょうか」
「ありがとう。いただこうかな」
スカーレットが淹れた紅茶を、カヴィンは味わうように飲んだ後、ゆっくりと息を吐いた。
そして、小さく目を瞠ったのでスカーレットは思わず首を傾げた。
「どうされたんですか?」
「いや、リオンが淹れた紅茶とはまた違うなって思ってね。淹れ方一つでこんなにも違うんだ」
「そうですね。蒸らす時間や茶葉の量なんかでも全然違いますし。まずかったですか?」
「いや、スカー君の方が美味しいかな。リオンのは少し渋かったから」
そう言って苦笑した。そしてカヴィンは一拍置いた後、ティーカップを見つめながら、まるで言葉が零れるようにぽつりと呟いた。
「まさか、リオンが裏切っていたなんてね」
執務室を出入りし、レインフォードとも関わることの多い騎士団長であるカヴィンは、リオンの事をよく知っていたのだろう。
その横顔から、裏切られたことへの悲しみが、滲み出ているように見えた。
スカーレットがリオンと過ごした時間は旅の間の僅かな時間だった。
そんなスカーレットでさえリオンに裏切られたことに対する衝撃が心の中でまだ残っているのだから、付き合いの長いカヴィンなら、裏切ったという事実を信じられないでいる気持ちも分かる。
カヴィンに何と声を掛ければいいのか分からず、スカーレットが黙っていると、しんみりした空気を変えるようにカヴィンが顔を上げ、明るい笑顔を向けた。
「実は、今日ここに来たのは、先日殿下が捕らえた刺客について分かったことを報告するためなんだ」
「何か分かったんですか?」
「捕らえた刺客の名前はディグス。違法賭博と違法薬物、20件の強盗と分かっているだけで15名を殺害した罪で指名手配されている凶悪犯だよ。賭博で負けて、腹いせに酒場で飲んでいる時に、人を殺して欲しいと話を持ちかけられたらしい。前金を積まれて、引き受けたようだね」
「誰からの依頼なのかは分かったんですか?」
カヴィンはその問いに首を振った。
「いいや。指示書には案内人についていくようにということしか書いてなかった。かなり厳しい取り調べをしたけど吐かなかったし、本当に知らないんだと思う」
「でも、お金を積まれたとして、誰からの依頼かも分からないのに、王太子暗殺をしようとするなんて、そんな恐ろしい計画をよく引き受けましたね」
「それが、奴は王太子を狙ったつもりはなかった。知っていたら手を出さなかったと後悔してたよ」
「知らなかった?」
「ああ、案内人の少年について行って指示された男を殺せと言われただけだったし、相手は騎士見習いだから簡単に殺せると思ったようだね」
確かにあの時、レインフォードは騎士見習いの格好をしていた。よもや一国の王太子だとは思わなかっただろう。
「それと、前金はかなりの額だ。一般市民が用意できる額じゃない」
「それは……貴族が絡んでいるということですね」
カヴィンは静かに頷き、スカーレットの問いに肯定を示した。
(やはりというべきか、暗殺の指示は貴族ってことは、第一王子派の可能性は高くなったわね)
それだけでもこの暗殺を計画した人物はかなり絞れるだろう。
「奴は案内人の名前は知らないと言っていたけど、僕の推測では少年っていうのはリオンのことじゃないかな?」
「……はい。現場でリオンの後ろ姿を見ましたので、たぶん、そうかと」
「やっぱりそうか」
スカーレットがリオンを見たことは、カヴィンには伝えていなかった。
だが推測通り、案内人の少年がリオンであったことに、カヴィンは少なからず落胆している様子であった。
「カヴィン様はリオンがレインフォード様の命を狙う理由が分かりますか?」
「残念ながら分からない。殿下を慕っていたし、殿下の命を狙っているとは未だに信じられないんだ」
その時、スカーレットの中で素朴な疑問が浮かんだ。
リオンはどういう経緯でレインフォードの従者になったのだろうか?
リオンの生家であるドリオール家を調べれば、第一王子派との繋がりが見えるのではないか?
「あの、リオンの生家であるドリオール家は第一王子派なのですか?」
「えっ? それはないと思うよ。僕も詳細は分からないけど、リオンはファルドル侯爵に遠縁の人間だって聞いたけどね」
「ファルドル侯爵の?」
「うん。それにリオンが従者になったのはファルドル侯爵の推薦によるものだしね」
ファルドル侯爵家の遠縁なら身元がしっかりしているし、侯爵はレインフォード派の重鎮だ。だからファルドル侯爵が、第一王子派の人間をレインフォードの従者に推薦するとは思えない。
(何か他に個人的な理由があるのかしら?)
そう考えつつ、スカーレットはカヴィンに更に尋ねた。
「他にリオンについてご存知の事はありませんか?」
「うーん、そうだな。そう考えるとリオンとは個人的な話はあまりしたことがなかったな」
しばらく逡巡したカヴィンが、ふと思い出したように口を開いた。
「そう言えば、妹がいたという話は聞いたことがあるな。確か、名前はミスティ……だったかな? 僕が妹の誕生日プレゼントを悩んでるって話したら、『分かります。僕もよくプレゼント選びには苦労しました』って言っていたのを覚えてるよ」
スカーレットも旅の途中でリオンから妹がいると聞いたことがある。
だが、同時にミスティという名前に聞き覚えがあることに気づいた。
(いつ聞いたのかしら?)
リオンとの会話でミスティという名前が出た記憶はない。
スカーレットはリオンとの出会いから遡って記憶を掘り起こすことにした。
初めて会った時はリオンは意識を失っていた。
あの時、寝ているリオンを夜通しで看護したのだ。
(そうか、あの時……)
意識を失ったリオンはあの夜ひどくうなされていた。
その時に口にした名前がミスティという名前だった。
『待って……燃えちゃう……ミスティどこ……助け……』
あの時には気にならなかったが、このセリフから察するに、火事やそれに類似する出来事にでも遭ったのだろうか。
(リオンに関して、もう少し調べてみましょう)
そう考えていると、突然沈黙したスカーレットにカヴィンが不思議そうに声をかけた。
「スカー君、どうかしたかい?」
「あ、すみません。お話、ありがとうございました」
「僕の方でももう少しディグスを尋問してみるよ。っと、タデウス様のお小言はまだ終わらなそうだね。僕もそろそろ戻らないと。正式な報告はまた僕からするけど、スカー君の方でもさっきの話を殿下たちにしていてくれるかな?」
「はい、分かりました」
「じゃあ、紅茶美味しかったよ」
「いえ、お仕事頑張ってください」
カヴィンは爽やかな笑顔でそう告げると、颯爽と執務室を出て行った。
その後ろ姿を見送ったスカーレットは、ティーカップを片付けながら、先ほど考えていたことを思い返していた。
何故リオンはレインフォードの命を狙うのか。
リオンを調べれば、この暗殺事件に関わる人間が明らかになるかもしれない。
リオンを従者に推薦したファルドル侯爵からリオンについて聞くのが早いだろうが、スカーレットの身分で忙しい侯爵に会うのは難しいだろう。
ならば、まずはリオンの生家であるドリオール家について調べてみることにしよう。
そう決めたスカーレットは、まずは王立図書館に向かうことにした。
一日掲載お休みしてしまいすみませんでした
物語も佳境に入ります。引き続きよろしくお願いいたします!