リオンを追って
もしレインフォードが言わんとしていることがスカーレットの性別だとして、その真実を伝えたらレインフォードはあの冷ややかな目を向けるのか。
軽蔑の眼差しでスカーレットを一瞥し、そして遠ざけるのか。
そう考えた瞬間、先ほどまでのふわふわした気持ちが一瞬にして無くなる。
いや、まだ確証はない。
どう躱せばいい? どう誤魔化す?
頭の中ではそんな考えが高速で巡っているが、実際何を言えばいいのか、言葉が思い浮かばない。
少しの嘘も見逃さないかのように、真っ直ぐに見つめて来るレインフォードの瞳から何とか逃れるように、無理矢理に視線を外そうとした時だった。
スカーレットの視界の隅にキラリと光るものが目に入った。
「!」
それは刹那の時間。
だが、レインフォードは瞬時に反応し、襲ってきた男の剣を弾いた。
カキンという金属の鳴る音がして、火花が散る。
(刺客!?)
「スカー、後ろに下がれ」
驚くスカーレットを庇うように前に出たレインフォードは、素早く剣を構える。
先ほどの攻撃を合図とばかりに現れたのは4人。
いずれも黒ずくめの服装で、殺気をみなぎらせて剣を構えている。
「ハッ!」
一人が攻撃を仕掛けた。
だが、レインフォードはすぐさまそれを剣で受け、数度の打ち合いで切り伏せた。
「ぐああ」
男の断末魔の叫びが収まらぬ間に、次の敵が襲ってきた。
「たあああ!」
「フッ!」
すぐさま次の敵が斬りかかって来るが、レインフォードはその攻撃を軽くいなして敵を躱すと、バランスを崩した敵の背を一太刀浴びせる。
そして、後ろから斬りかかってきた敵を、振り向きざまに切り伏せると、瞬時に前から襲ってくる敵を袈裟懸けに切った。
「ぐぉっ……」
男が倒れ、傷口から溢れた血が石畳の路に流れて広がった。
「くそぉ!」
最後に残った大柄な男は、ブンという音と共に剣を振るう。
「っ!」
その攻撃をレインフォードが受けるが、一つの攻撃が重いようで、グッと歯を食いしばった。
二度、三度と剣が振られるたびに、レインフォードは後ろに下がって剣を受けた。
繰り返される攻撃になかなか反撃するタイミングが無く、レインフォードは防戦一方だった。
単調に繰り返される攻撃。
そのタイミングを見計らったレインフォードは、相手の打ち下ろしてくる剣の反動を活かして大きく間合いを開けた。
そして一瞬できた隙を突くと、今度はレインフォードから攻撃を仕掛ける。すると今度は敵の男が防戦一方になり、レインフォードは一気に男を追い詰めていった。
「はぁあああっ!」
一際大きく振りかぶったレインフォードの剣を受け止められず、男は少しだけバランスを崩した。
そこにレインフォードは、男の腹に回し蹴りを入れると、男は大きな音と共に地面に倒れ込んだ。
レインフォードが男の顔を剣の柄を使って数度殴ると、男は呻き声をあげて意識を失い、沈黙した。
スカーレットが気がつくと、襲ってきた男たちは皆地面に伏している状態で、先ほどまでの戦闘が嘘のように静寂が戻っていた。
(知っていたけど、さすがレインフォード様。強いわ)
レインフォード一人で刺客たちを倒してしまった。
旅の時には傷を負っていたことから思うように戦えず、スカーレットに守られる形となっていたレインフォードだが、実際にはかなり強い。
少なくともアルベルトとは互角なのは確実だ。
「スカー、大丈夫だったか?」
「はい。私は大丈夫です。レインフォード様こそ、お怪我はありませんか?」
「問題ない」
駆け寄ったスカーレットに対し、レインフォードは小さく頷いたあと、最後に倒した男の手首をベルトで縛り上げて拘束した。
「確実に俺を狙ったものだな」
「誰の差し金でしょうか……」
「分からないな。まぁ、この男から色々聞くことにしよう」
(この男の格好……)
意識を失っている男の姿を見たスカーレットは、何か既視感を覚えた。
服装を見たことがあるような気がする。
そう考えて記憶を辿ろうとした時だった。スカーレットが視線を感じてそちらを見ると、一人の少年の姿があった。
一瞬だけ視線が絡んだが、少年はすぐにその場から駆け出した。
「リオン!」
スカーレットは少年の名を呼ぶと、反射的に走り出していた。
リオンの背を追いかけながら走っていると、スカーレットはようやく先ほどの既視感の正体に思い至った。
あの黒ずくめの男はシャロルクでレインフォードを襲った刺客たちと同じ格好だ。
つまり、リオンが以前手引した刺客と同じ格好なのだ。
ならば、この襲撃もリオンの手引によるものだろうか? だとしたら誰の指示なのか?
それを知るためにもリオンと話すことが必要だ。
スカーレットはそう考えながら必死にリオンの後を追った。
リオンもこちらの存在には気づいているようで、すぐに路地裏へと逃げ込んで行く。
「リオン、待って!」
スカーレットもリオンの背を追って、路地裏に入る。街灯の明かりの届かない路地裏は暗く、右へ左へと曲がりながら逃げるリオンとの距離が縮まらない。
「リオン!」
暗い裏路地から、街灯が煌々と光る明るい路地に出たが、そこにはリオンの姿はなかった。
(見失った?)
スカーレットは諦めきれず勘を頼りに右に曲がろうとしたのだが、突然何かとぶつかった。
「わっ!」
驚いて見上げると、そこには男性の端正な顔があった。
褐色の肌にルビーのような赤い瞳。切れ長の目は涼やかで、高く形の良い鼻、鼻梁はすっと通っている。
夜空の如き黒髪は艶やかで、長い髪を三つ編みに結んでいる。その毛先が少しだけ癖毛なのが印象に残る。
生成り色のシャツは緩いもので、前のボタンを大きく開けているため、鍛えられた胸板がチラリと見える。だっぷりとした服装なので体のラインは分からないが、それだけで引き締まった体をしていることが分かった。
(この人、カゼンの人だわ)
この美丈夫の外見は隣国カゼンの人間の特徴が現れていた。
カゼンの人間とは滅多に会う機会はない。
ぶつかった驚きと、珍しい外国人に会ったことの二重の意味で驚きつつ、スカーレットは慌てて頭を下げた。
「すみません! 前方不注意でした」
スカーレットの謝罪に対し、男は特段返事をするわけでもなく、無表情にこちらを見下ろしてきた。
怒っているのだろうか?
男は黙ったまま無遠慮な視線でスカーレットを見下ろしたままだ。
「ええと、では」
戸惑いつつ、いつまでも立ち尽くすわけにもいかず、スカーレットは軽く会釈をしてその場を去ろうとしたのだが、男の突然の言葉に足を止めることになった。
「女。こんなところで何をしている? 良家の令嬢が来るような場所ではない」
「えっ? あ、ちょっと人を探していて」
「夜にこんな路地裏で人探しか。珍しい人間でも探しているのか。それともよほど訳ありの人間か」
訳ありと言えば訳ありだが、それをいうこともできず……というか、いきなりあった人間に事情など言えるはずもなく、スカーレットは控えめに笑って誤魔化した。
(で、どうしよう)
目の前の美丈夫はなんとなく雰囲気が独特で、あまり関わらない方がいいような気がするのだが、男は無言でこちらを見つめたままである。
その視線の意味が分からない。
相手から何か話があるかと思ったのだが、男は何かを言うわけではないので、さらに戸惑ってしまう。
「ええと、では失礼しますね」
そう言ってスカーレットは再び歩き出した。……のだが、すぐに足が止まってしまった。
(ここ、どこ?)
リオンを追ってひたすら走ったので、現在位置が分からない。
引き返そうにも、自分がどこにいるか分からない以上戻り方も分からないことに気づいた。
(……GPSが欲しい)
こういう時に地図アプリがあればと思わずにはいられない。
足を止めたまま動かないスカーレットの背中に、先ほどの美丈夫が声を掛けてきた。
「なんだ、帰り道が分からないのか?」
「はい……」
「ついて来い。大通りまで連れて行ってやる。それとも、このようなカゼンの男は信用ないか?」
「え? そんなことありません。よろしくお願いいたします」
お言葉に甘えることにしてそう答えると、先ほどまで無表情だった美丈夫は少しだけ眉を顰めた。
「ご令嬢。怪しい男について行くのは感心しない。特に、異国の人間ならばなおさらだ」
「ふふふ」
「何がおかしい」
「だって、本当に悪い人は自分のことをそんな風に言わないですよ」
スカーレットの言葉に、今まで無表情だった美丈夫は、その美しい目を瞠って驚いた表情を浮かべた。
「それに、私、こう見えても強いんですよ」
「ふっ」
「あ、信じてないですね」
「本当に強い人間は自分のことをそんな風に言わん」
「……確かに」
同じように返されてしまい、スカーレットもキョトンとした表情となってしまった。
そして思わず吹き出してしまった。
その後、男に特にこれと言った話はすることなく、大通りまでは案外すぐにたどり着いた。
「ありがとうございました」
スカーレットが礼をすると、男はひらりと手を振りながら街の中心地へと消えて行った。
カゼンの人間のせいか、掴みどころがなく、なんとなく得体の知れない雰囲気もあったので、妙に印象に残る男性だった。
「あ! そうだ、レインフォード様!」
反射的にリオンの後を追いかけてしまったため、レインフォードとはぐれてしまったことに今更ながらに気づき、スカーレットは青ざめた。
(どどど、どうしよう……)
「スカー!」
突然名前を呼ばれたので、振り返った瞬間、突然柔らかいものに包まれた。
柑橘系の香りがふわりと香る。
「レインフォード様!?」
「スカー、無事で良かった。探した」
レインフォードはそう言って、スカーレットを抱きしめる力を強めた。
余りにも強く抱きしめられてしまい、動揺や恥ずかしさよりも申し訳ない気持ちの方が勝る。
「勝手をして申し訳ありませんでした」
「全くだ。また、お前に何かあったらと思ったら気が気じゃなかった」
“また”というのは、以前スカーレットがリオンに殺されそうになった時のことを言っているのだろう。
確かに、何も考えずにリオンを追ったのは軽率だった。
「大変申し訳ありません」
「本当にそう思ってるのか?」
「はい」
「反省しているのか?」
「はい」
「じゃあ、お詫びしてもらおうか?」
「えっ?」
それまで殊勝に頷いていたスカーレットだったが、レインフォードからの突然の提案に驚きの声を上げてしまう。
だが、彼の様子から相当心配したであろうことが伝わってきたので、スカーレットはおずおずと頷いて、承諾することにした。
「分かりました」
「じゃあ、また一緒に出掛けてくれ」
「出かける? はい、そのくらいなら全然お受けしますよ」
「もちろん、その格好でだぞ」
「ええっ!?」
街に繰り出すくらいはお安い御用とばかりに頷いたスカーレットだったが、その格好——すなわちワンピースで出かけるとは思わなかった。
慌ててそれは辞退しようと口を開きかけた時、レインフォードがその腕の力を緩めて少しだけ体を離すと、スカーレットの顔を覗き込んで笑った。
「断らないよな? お詫び、してくれるんだろう?」
(確信犯!!)
推しににっこりと微笑まれてしまっては否とは言えず、結果、スカーレットは頷くしかなかった。
こうして、なんやかんやあったものの、疑似恋人として過ごした一日が終わったのだった。
だが、この穏やかな日々は、突然終わりを迎えることになる――