いざ、街へ!
うららかな午後の日差しを浴びながらスカーレットは街並みに目を向けながら歩いていた。
ちょうど王都のメイン通りを歩いているため、大小さまざまな店が軒を連ねている。
通りを時折吹き抜ける風は涼を運び、心地よい。
文句なしに穏やかで平和である。
そんな中をスカーレットは、濃紺のワンピースを身に纏って歩いていた。その半歩先にはレインフォードが、騎士見習いの格好をして歩いている。
(なんでこんなことに……)
これまでの流れを考えても、どうして疑似恋人としてデートすることになるのか……
考えても答えが出ないので、スカーレットは思考を放棄した。とりあえず一緒に買い物をすればいいのだろう。
「レインフォード様、どちらに行かれますか?」
まずは目的地を尋ねたスカーレットの言葉に足を止めたレインフォードは、くるりと振り返った。
その表情は少しだけ不満そうだ。
「なぁ、スカー。どうして俺の後ろを歩くんだ?」
「え? どうしてといわれましても……。いつも通りですが」
「それは近衛騎士だからだろう? 今は恋人同士なんだ。もっとこっちに寄ってくれ」
「こ!?」
確かに今日は擬似恋人としてデートの下見をするためにこうしてお忍びで町に来ているわけだが……
恋人同士という言葉の破壊力に、スカーレットは言葉を詰まらせてしまった。
そんなスカーレットの腕を、レインフォードはグイと掴むと、自分の横に立たせる。そして自分の腕にスカーレットの腕を絡ませた。
「さぁ、行こう!」
「ま、待ってください」
満面の笑みを浮かべて歩き出したレインフォードに引っ張られるように、スカーレットも歩き出した。
「さて、どこに行きたい?」
「ボクがですか?」
「もちろんだ。今日の目的は女性が好きなものについてのアドバイスをもらうことだ。まずはスカーの行きたいところに行こう」
そう言ってからレインフォードは言葉を一旦区切ってから、スカーレットの顔を覗くようにして見た。
「それから、今は女物の服を着ているのだし、『ボク』というのは違和感があるな。今日は『私』と言ってくれないか?」
「分かりました。ではそう言うようにします」
正直、普段の一人称は「私」なのだ。
ワンピースを着ていることもあり、気持ちが「スカーレット」になりがちなので、一人称を変えられるのは好都合だった。
「それじゃあ、さっそく店に入ろうか。どこにするか?」
「私の好きなところでいいんですか?」
「もちろん」
「では、そうですね……じゃあ、あの雑貨屋が見たいです」
学生時代に一度だけ行ったことのある雑貨屋が、ちょうど近くにあった。
スカーレットの好みの雑貨が揃っているので久しぶりに覗きたい気分だ。
店に向かうと、レインフォードがそっとドアを開けてくれた。
「さぁ、どうぞ」
「あ、ありがとうございます」
女性をエスコートするように、あまりにも自然で流れるようにドアを開けられたので、一瞬驚いて目を瞬かせた。
同時に、女性としてエスコートされることに、なんとなく気持ちがソワソワしてしまう。
落ちつかない気持ちになりながらも、スカーレットは店内へと足を踏み入れた。
中は学生時代に訪れた時と変わらずで、可愛らしいギンガムチェックのクッションが並んでいたり、ティースプーンや小皿、香水の瓶など様々なものが所狭しと並んでいる。
「へぇ、雑貨屋なんて初めて入ったな」
レインフォードはきょろきょろと珍し気に店内を見回しながらそう言った。
まぁ、そうだろう。
女性向けの雑貨屋なんて男性は入らないだろうし、ましてや王太子が来るような店ではない。
店内に置いてある商品を興味深そうに見ているレインフォードが、なんとなくミスマッチで思わず小さく笑ってしまった。
スカーレットも店内を見回して、いくつかの商品を手に取った。
(あ、可愛い)
目に留まったのはジュエリーボックスだった。
さほど大きなものでは無く、大きさは文庫本サイズ。
ピンク色のベルベット生地で覆われていて、そこに百合の刺繍がしてある。アクセントに、大ぶりのビーズがあしらわれており、そこがキラキラと光るのが素敵だ。
「スカーはこういうのが好きなのか?」
「はい。実は百合の花が好きなんです」
「そうなのか」
小声で復唱するように「百合か……」と呟いたレインフォードは、今度は首を傾げながら尋ねてきた。
「でもこれじゃあ小さすぎないか? 俺ならこの倍はプレゼントしたいと思うが」
「……まぁ、確かに普通のご令嬢なら、たくさんの宝飾品をお持ちでしょうから、これより大きなジュエリーボックスが必要かもしれませんね」
「スカーはこんな小さいので満足なのか」
「はい、私は別につけていく場所なんてないですから」
スカーレットは苦笑しながら答えた。
婚約破棄されたことは学園のものであれば皆知っていることである。
婚約者に捨てられた令嬢だと周囲も見るだろし、面白ろおかしく言われていることも、ちらりと聞いたことがある。
結婚も諦めているので積極的に社交界に出るつもりはないし、その時間があれば剣の修練でもしている方が、よほど有意義である。
(だから私には無用の長物よね)
「スカー?」
黙り込んだスカーレットを不思議に思ったレインフォードの声に、ハッと我に返った。
「あ、すみません。ちょっと考えごとをしていました」
「そうか? じゃあ次は、このジュエリーケースに入れるような宝飾品を見に行こう」
「うわっ」
再びグイと腕を引かれて、2人は雑貨屋を後にした。
※
ショーケースの中には、金色に輝く様々な種類の宝飾品が並べられている。
指輪にイヤリング、ネックレス、ブレスレット……
どれも繊細でお洒落な意匠が施され、嵌められた宝石もエメラルドやルビー、サファイア、ダイヤなど色とりどりのものである。
その中の一つである指輪のショーケースを覗き込みながら、スカーレットは唸っていた。
レインフォードに好みのものを選ぶように言われたからだ。
「うーん、そうですね。私ならこういうデザインが好きですね」
「他には?」
「こっちのも、シンプルだけどデザインが好きです」
レインフォードに促されて選んだ指輪は、ピンクダイヤモンドがあしらわれた可愛い系やデザインがシンプル系、デザインが特的的ながら、ダイヤやアクアマリンといった宝石のついた清楚系などタイプの違うデザインのものであった。
「なるほど」
「お相手の方がどういう方か分からないので、色々なタイプのものを選んでみました」
「じゃあ、着けてくれ」
「えっ!?」
「ほら、実際つけてみると雰囲気が変わるかもしれない。身に着けたイメージが欲しい」
「分かりました。では着けてみますね」
レインフォードは店員を呼ぶと、試着させてほしいと伝えると、店員はスカーレットの指輪のサイズを測り、ぴったりのものを差し出してきた。
だが、それを受け取ったのはレインフォードだった。
(え? なんで?)
「手を出してくれ」
「は?」
良く分からないままスカーレットが手を出すと、レインフォードはその手に柔らかく触れ、ゆっくりと指輪を差し込んだ。
ルビーとダイヤの指輪がスカーレットのほっそりとした指にはめられていく。
さながら結婚式の指輪の交換のようだった。
「うん、似合うな」
レインフォードが満足げに頷くと、それを見ていた店員が二人の様子を見て、微笑ましいものを見るように柔らかな表情を向けた。
「本当、お似合いですね。婚約指輪ですか?」
「まぁ、そんなところだ」
(え!?)
レインフォードの言葉に、スカーレットはぎょっとした。
それに気づかない店員は、レインフォードに向かって更に尋ねた。
「結婚は決まっているのですか?」
「まだ恋人になったばかりだからそこまでは決まってない。でも彼女が頷いてくれたらすぐにでも挙げたいと思ってるんだ」
(えええっ!?)
「なんと、そうでしたか。お嬢様、あまり焦らしてはお可哀想ですよ。早くお答えしてあげてくださいませ。そして結婚指輪も当店でご用命いただけると嬉しいですね」
店員は完全にスカーレットとレインフォードが恋人だと思っているようだ。
レインフォードの返答を鑑みると、どう考えてそう取れるから仕方のない話なのだが。
(なんで否定してくれないの!?)
いや、確かに今は(疑似)恋人なので、前半部分は間違っていないのだろうが、だからと言って、最後は脚色が過ぎるのではないか?
だが、店員に生暖かい視線を向けられて、何とも居心地が悪い。
とりあえず、スカーレットは店員に対して曖昧に頷いた。
冷静に考えるとこの指輪はレインフォードの本命の女性に贈るためのものなのだ。
そう考えると、レインフォードの一連の行動に、他意があるわけではないのだろう。
頭では分かっているものの、隣に立っているレインフォードをなんとなく意識してしまい、スカーレットは落ち着かない気持ちになった。
「じゃあ、今度はイヤリングだ。どういうのがいい?」
「あの、先ほどから私が好きなものになってしまうのですが、本当に問題ないでしょうか?」
先ほどからレインフォードはスカーレットの気に入ったものばかりチェックしているが、本当に良いのだろうか?
「大丈夫だ。スカーの意見が欲しいんだ。いや、むしろスカーの好みが知りたいというか……」
「はぁ」
言葉の最後が良く聞こえないが、とりあえずは問題ないようだ。
「今までの話から察するに、スカーはこういうのは好きじゃないか?」
「あ、よくわかりましたね。確かにこういうデザインは好きです」
頷いて答えると、レインフォードがさらりとイヤリングを取った。そして、そっとスカーレットの耳元に持っていく。
気づけばレインフォードの顔が近づき、吐息が頬に触れる。
(な、なに?)
思わず息を呑んで、固まってしまう。口づけができるほど近くにレインフォードの顔が迫る。
その距離5㎝。
心臓が大きな音を立て、血が全身に駆け巡った。
そんなスカーレットの耳に微かな温度が掠めたと思うと、シャラリという音と共に、レインフォードが身を離し、満足そうに頷いた。
「うん、やはりお前の赤い髪に似合うな」
気づけば耳にはルビーとダイヤがあしらわれたイヤリングが揺れていた。
「ありがとうございます」
「本当はこれを買ってやりたいが……貰っても困るだろうな」
「ふふふ、私は男ですから。いただいたところで付けることなんてできませんよ」
「そうだな」
レインフォードは苦笑して、肩をすくめた。
すると何かを見つけたようで、不意に一つの商品に目を留めた。
「どうしましたか?」
「この商品を出してくれないか?」
スカーレットの問いには答えず、レインフォードは店員にそう指示する。店員がショーケースから取り出したのは、シルバーに黄色のトパーズがあしらわれたイヤーカフだった。
「イヤリングなんかは無理だが、イヤーカフなら戦闘時でも邪魔にならないだろう」
「と、いいますと?」
「今日、付き合ってくれたお礼だ」
「そんな! もらえません!」
「どうして?」
「どうしてって、貰う理由が見当たらないのですが」
恐縮して固辞するスカーレットに対し、レインフォードは少しだけ逡巡したあと、にっこりと微笑んだ。
「何を言っているんだ。お前は恋人じゃないか。恋人にプレゼントを贈るのは当然だろう?」
「恋人と言っても〝疑似〟ですよ」
「仕方ないな。じゃあ、こうしよう。お前の忠誠心に敬意を表して、というのはどうかな?」
にこやかに、でも無言の圧力を感じる。
これ以上断るのも逆に悪い気がする。
それに騎士としてならば、主君にここまでしてもらうのは最大の名誉でもある。
「ありがとうございます。大切にしますね!」
そっとイヤーカフを身に着けて鏡を見る。
シルバーなので特段目立つわけではないが、あしらわれたトパーズが金色に煌めいているようにも見え、それが目を引くデザインでもある。
(銀色と金色……)
どこかで既視感のある色の組み合わせだった。
ふと隣を見ると、満足そうにこちらを見るレインフォードの顔がある。
銀髪に、金色の瞳。
既視感の正体が判明した。が、自分の色の宝飾品やドレスを贈るというのは普通は恋人同士や婚約者同士である。
(まぁ、偶然よね)
ただの近衛騎士にそのような意図をもってプレゼントするわけはないだろう。
しかも、「スカー」は男なのだ。
気のせいだと納得しつつもスカーレットはもう一度、自分の耳を飾っている鏡に映ったイヤーカフを見つめて微笑んだ。
※
その後、靴や帽子、ドレスの店を回った後は、レインフォードの発案で最近流行のカフェでお茶をした。
レインフォードとは城で度々お茶をしているが、また違った雰囲気で新鮮な気持ちにもなった。
(というか、一国の王太子がまさかカフェにいるとは思わないわよね)
少しだけ王太子としての気品と優雅さが漏れていたため、周囲から浮いていた気もするがそこは気づかないふりをしておこう。
他にもデートらしく色々な店をめぐり、最後は久しぶりに気兼ねなく食事をしたいというレインフォードのリクエストから、レストランではなく大衆酒場に行って夕食を摂った。
酒場を出た時には、高い位置にあった太陽も、もうすっかり姿を消し、夜空には星が煌めいている時間になっていた。
夜風に当たり、酔いを醒ましつつ城へと歩く。
「はぁ……美味しかったです」
「久しぶりにああいう店で飲んだな。旅の時を思い出したよ。騒がしい双子がいないだけであんなに普通に飲めるとは思わなかったが」
冗談めかして言うレインフォードの言葉を聞いて、スカーレットも思わずくすっと笑ってしまった。
確かにランとルイがいると、もっと騒がしく、ゆっくり飲むという状況ではなかったものだ。
「まだ二ヶ月前の話なのに、すごく昔の事みたいに思います」
「そうだな」
ガス灯のオレンジ色の明かりの下を、二人並んでゆっくりと歩く。
風が吹き抜けて、少し火照った顔を撫でるのが心地いい。
「今日は楽しかったか?」
「はい! って、すみません。本当は下見なのに、普通に楽しんでしまいました」
「いや、お前が楽しんでくれたのならそれでいい」
最初は仕事としてデートの下見に付き添ったつもりだったが、後半は普通に楽しんでしまった。
(これは、もしや死亡フラグなんじゃない?)
推しと二人で街歩きなど。ご褒美以外の何物でもない。
こんな機会は二度とないだろう。今日の事を振り返りながら、幸福を噛みしめて歩いていたスカーレットは、不意に、以前レインフォードが言っていた言葉を思い出した。
『お人好しで過保護な面もあるが優しい女性がいいな。でも自分の意見を持っていて、実現するために努力する。あと、剣が強いのがいい』
レインフォードの理想を尋ねた時に、彼はそう答えた。
今日はレインフォードが〝好きな女性〟とのデートの下見に来たわけだが、その女性はこの間言っていたような女性なのだろうか?
(ちょっと気になるわ。特に剣の腕が立つのかがすっごい気になる)
もし、かなりの手練れなのであれば、是非手合わせをしたい。
そんなことを考えていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
顔を上げてみると、そこにはひどく優しい表情を浮かべたレインフォードの顔が、スカーレットに向けられていた。
「どうなさったのですか? ……あっ! 私の顔に何かついていますか?」
「そうじゃない。そのイヤーカフ、似合うなと思って。良ければこれからも付けてくれると嬉しい」
「もちろんです。大切につけさせていただきますね」
スカーレットの言葉に、レインフォードはもう一度ふっと柔らかく微笑んだ。
しかし、次の瞬間。レインフォードは足を止めると、今度は真剣な目でスカーレットを真っ直ぐに見つめた。
それに合わせてスカーレットの足も止まる。
レインフォードの金色の瞳が、スカーレットの目を捕える。見つめ合う形になり、スカーレットは困惑の表情を浮かべた。
急にどうしたのだろうか?
「あの……?」
「なぁスカー、お前に聞きたいことがある。いや、お前が俺に言うことはないか?」
「え?」
「聞き方を変えよう。スカー、何か俺に隠していることはないか?」
その言葉にスカーレットの胸がギュッとして冷たくなった。息が止まったように、上手く吸うことができない。
女であることがバレたのではないか。
今日一日、女物の服を身に纏い、女性として振る舞っていたせいで、そう思われたのではないか。
心臓が高速に動く。
全てを見透かすような目を向けられ、スカーレットは掠れた声で答えるしかなかった。
「何か、ですか? どういう意味か分かりません」
「お前にまつわる、〝何か〟についてだ」
目が逸らせない。
なるべく声が震えないように声を出すのが精一杯だった。
だが、レインフォードはそんなスカーレットとは対照的に、ひどく静かな空気を纏っている。
「わ、私は……」