用意された着替えは…
連れて行かれたファルドル侯爵家の屋敷はさすがは侯爵家というほど豪奢な作りだった。
エントランスは白い大理石で作られ、ピカピカに磨かれている。
入ってすぐには見上げるほど大きな生け花があり、エントランスに華やかな色を添えている。
シャンデリアは煌めいて、柱に施された金の装飾を輝かせていた。
「さぁ、こっちの部屋に来て」
「ええと、やっぱり帰ります。まだ業務も残っているので……」
馬車の中で何度も言った言葉をもう一度口にしたが、案の定シエイラは頑として聞いてはくれなかった。
「ああ、それなら城に使いを出しておくから平気よ。それより部屋に着替えを用意しているから早くそれに着替えてね。本当はレインのために用意したものだけど、きっとスカーにも合うはずだから」
「分かりました。ご迷惑をおかけします」
スカーレットは仕方なくメイドの肩を借りて、部屋へと向かった。
客室に連れていかれると、客室に設置された風呂にはお湯が用意されていた。
「お召し物はこちらの籠にお入れくださいませ。お風呂から上がりましたら、こちらのバスローブをお使いください。着替えは準備しておりますので、そちらにお着換えください」
メイドはそう言って一礼すると、部屋から出て行った。
(体を洗うのを手伝います、と言われなくてよかったわ)
メイドの後ろ姿を見送ったスカーレットはそう思ってホッと息をついた。
スカーレットは安堵すると、手早く髪を洗うことにした。
ワインでしっとりと濡れてしまった髪を浴室で洗うと、ようやくアルコールの匂いが無くなり、代わりにシャボンの良い香りで身が包まれる。
そうして浴室の湯舟に浸かった後、ホカホカの体となったスカーレットは、バスタオルで髪を拭いながら浴室を出た。
(ふーいいお風呂だったわ)
用意されていたバスローブを身に着けたスカーレットは、浴室から出た。
入口に籠に入れておいた騎士服は、既にメイドが回収してくれたようで、籠から無くなっていた。
きっと洗濯してくれているのだろう。
先ほどのメイドは、替えの服を用意しておくと言っていたが、果たしてどこにあるのだろうか?
スカーレットはバスローブ姿でしばらく室内を探して歩くが、それらしいものは見当たらなかった。
(用意するのを忘れたのかしら? それともバスローブで過ごせということ?)
首を捻りながら再度室内を見回すと、ベッドに一着の服が用意されているのを見つけた。
だが、ここでまさかの事態が起こった。
「な、なんでドレスが用意されてるの……?」
部屋に用意されていた着替えは何故か水色のドレスだったのだ。
(ええええ!? な、なんで? 女だってバレたの!?)
どこでバレたのか?
だが、もしばれていたら、シエイラの性格から察するにもっと直接的に「スカーは女だったのね」と言ってきそうなものだ。
ではバレていないのか?
ならなぜドレスが用意されているのか?
半ばテンパった頭の中では様々な考えが巡った。
ドレスを見て固まっていると、部屋の外からメイドの声がして、スカーレットは我に返った。
「スカー様はドレスをお召しになるのは初めてで、着方がお分かりにならないでしょう。ドレスのお着換えをお手伝いいたしましょうか?」
纏っているのはバスローブのみ。
この状態で部屋に入ってこられては確実に女だとバレてしまう。
「え?! えっと……だ、大丈夫です……何とか一人で着てみます」
「そうでございますか? では外に出ておりますので、着るのが難しければお声がけください」
とりあえず裸を見られることは回避できた。
スカーレットは手にしたドレスを再び見つめた。
(どうすればいいの? これ、着たら女だってバレる……わよね?)
その時、ふとメイドの言葉に違和感を覚えた。
『ドレスをお召しになるのは初めてで、着方がお分からりにならないでしょう』
女性ならばドレスを着るのは当たり前で、着方が分からないわけがない。
と言うことは、やはり男の「スカー」にドレスを着せようと考えているということか?
そのことに気づいたスカーレットは、更にここに来た時のシエイラの言葉が思い出された。
『本当はレインのために用意したものだけど』
(えっ?! それってこのドレスをレインフォード様のために用意したってこと? なんで?)
状況が意味不明すぎてドレスを持ったまま混乱してしまう。
シエイラはスカーレットが女であることに気づいていないと仮定しても、ドレスを着ることでバレてしまうかもしれない。
だが、着替えはこれ以外ない。
(どうしたらいいの……)
途方に暮れていると、そんなスカーレットに追い打ちをかけるように、今度は部屋の外からシエイラが声をかけてくる。
「スカー、もういいかしら? 着れないなら着せてあげるわ」
「え、えーと」
「スカー? 入ってもいい?」
「い、今着替えてますのでもうちょっとお待ちください!」
このまま押し入られて下着姿を見られるわけにはいかない。
スカーレットは意を決してドレスに袖を通した。
「どうぞ、着ました」
スカーレットがそう言うと、シエイラがガチャっと勢いよくドアを開けて、勢いよく部屋に入ってきた。そして、スカーレットの姿を見るなり驚きの声を上げた。
「まぁ! まあまあまあ!! 素敵だわー! やっぱりスカーは綺麗な顔だからこのドレスが合うと思ったのよ! レインよりも似合うかもしれないわ!!」
「え、えっと?」
「次はお化粧しましょう! そうだわ、ヘアアレンジもしましょう。このドレスに合う髪飾りもあるのよ」
テンションを高くして捲し立てるシエイラの様子は、スカーレットが女であることをまるで無視しているかのようだった。
普通なら男だと思っていた相手が女であることが分かったのなら、まずそれを指摘するだろう。
この反応を見る限り、スカーレットが女であることはバレていないようだ。
だが、やはりレインフォードのためにドレスを用意したという発言も気になる。
「あ、あの! レインフォード様がこのドレスを着るんですか?」
「ええ、そうよ」
「あの……レインフォード様は……男性、ですよね?」
「ええ、王太子ですもの。男性なのは当たり前でしょ」
「では、なんでドレスを?」
「男も女も関係ないわ。綺麗な人には綺麗なものを着せたいじゃない。スカーも綺麗だからドレスを着て欲しいって思ったのよ」
(ということは、やっぱりシエイラ様は、私をまだ男だと思っていること?)
そう考えて黙っていると、シエイラはいつの間にやら化粧道具を取り出すと、満面の笑みでにじりよってきた。
それを見たスカーレットは、思わず後退った。
(なんか、嫌な予感がする)
「さぁ! スカー、化粧をしましょう」
「いや、そ、それは……待ってください」
「ふふふ、覚悟しなさい!」
「うわぁ!」
そう言ってあれよあれよと言うまにスカーレットは化粧を施され、髪型までセットされてしまった。
着飾ったスカーレットを見たシエイラは、満足そうに頷いた。
「素敵! 綺麗! まるで女の人みたい!」
うっとりとした表情で見つめられ、スカーレットは複雑な気持ちになっていると、俄に廊下が慌ただしくなった。
何が起こったのかとドアを見ると、突然ドアが開いた。
「スカー! 大丈夫か!!」
血相を変えて入ってきたのはレインフォードだった。息を切らして駆け込んできたレインフォードだったが、スカーレットを認めた瞬間息を呑み、絶句した。
「な、その格好は……」
「レインフォード様!? え、えっとこれは……その……」
突然現れたレインフォードにそう問われても、スカーレット自身何がどうなっているのか分からず、なんと説明すればいいのか言葉が思い浮かばない。
そもそもこんなドレス姿を見たら、絶対女だと気づくだろう。
そんな焦りからすぐに答えられず、しどろもどろになっていると、レインフォードは無言でつかつかとスカーレットのそばまでやってくる。
そして、何を思ったのかスカーレットを横抱きにした。
「えっ!?」
「スカーを返してもらうぞ」
「ちょっと、レイン! 待って!」
後ろからシエイラの慌てた声がするが、レインフォードはそれを無視して屋敷を出た。
その間、スカーレットはお姫様抱っこされた状態だ。
「レ、レインフォード様!? あ、あの!」
「掴まっていないと落ちるぞ」
冷静に言われてしまい、スカーレットは慌ててレインフォードに身を寄せた。
シエイラの言葉を振り切って、レインフォードはスカーレットを抱えたまま馬車に乗り込むと、そのままファルドル侯爵邸を後にした。
馬車の中では何故かスカーレットはレインフォードに抱かれたまま、彼の膝に座らせられた。
(こ、これはどんな状況!? ってか、絶対重いよね!!)
自分の体重でレインフォードの足が潰れてしまうのではないか。
お姫様だっこの時には驚きのあまり頭が回らなかったが、冷静に考えると自身の体重がバレてしまっている気がする。
ここ最近の食生活を鑑みるとだいぶ食べ過ぎな気がしてくる。
(ううう……ダイエットしておけばよかった……)
後悔してもあとの祭りではあるのだが、やはり後悔はしてしまう。
せめてもの悪あがきで、体を硬くし、なるべくレインフォードに体重をかけないように……と、効果があるのかないのか分からないが無駄な抵抗をする。
「どこを怪我したんだ?」
「え?」
声をかけられて気づくと、いつのまにかレインフォードがスカーレットの顔を覗き込むようにしており、その美しい顔が間近に迫っていた。
視界いっぱいに推しの顔があり、驚いたスカーレットの胸がドクンと跳ねた。
(顔、近い!)
だが、ここで変に動揺しては性別がバレる可能性もある。
スカーレットは動揺を隠すように、なるべく平静を装って答えた。
とはいうものの、緊張から声が少し震えてしまったが。
「あ、足を少し捻っただけです」
「他には? 傷はないか? 痛むところは?」
「だ、大丈夫ですよ」
「本当か? 隠してるんじゃないか?」
(だから顔近い!!)
矢継ぎ早に言われるが、その間にもレインフォードがすずずいっと迫るので思わず仰け反りそうになる。
「本当です! 少し捻っただけで痛みはほとんどないですから」
レインフォードの胸を押しやりながらそう力強く答えると、レインフォードはようやくホッと安堵のため息を漏らした。
同時にレインフォードは背もたれに体を預けたため、物理的に距離ができたことでスカーレットもまたほっと緊張から解放された。
ようやくこれまでのバタバタが落ち着いて、スカーレットの思考もまともに動き始めると、色々と疑問が浮かんだ。
何故レインフォードはファルドル侯爵家に来たのか? 何故スカーレットは馬車に乗っているのか。というか、何故レインフォードの上に座らせられているのか。
そして……この馬車はどこに向かっているのか。
一番最後の疑問はすぐに解決した。
というのも、スカーレットが疑問を口にする前に緩やかに馬車が止まったからだ。
(なぜ城に?)
普通に考えたらスカーレットの屋敷に向かうのが普通だろう。
首を傾げていると、レインフォードは馬車の扉を開ける。
かと思うと、再びスカーレットを横抱きにして城に入った。
「えええっ!? レ、レインフォード様! どういうことですか? ってか、何故城に?」
レインフォードはその問いには答えず足早に廊下を進むと、気づけば王族のプライベートエリアに入っていた。
「殿下、お帰りなさいませ」
「急いで医者を呼べ」
出迎えた侍女に対し、レインフォードは足を止めることなく端的に命じる。
「どこかお悪いのですか?」
「いいから、早く呼べ」
「は、はい! かしこまりました」
普通の侍女とは異なるドレスから察するに彼女は侍女頭だろう。
その侍女頭はレインフォードの強い口調に弾かれたように慌てて医者を呼びに行った。
その後姿をレインフォードの肩越しに見つつ、己が行く末を考えて恐る恐る尋ねた。
スカーレットは近衛騎士なので何度となく王族プライベートエリアに足を踏み入れたことがある。だから分かるのだ。
この廊下の先にある部屋が誰の部屋なのかを。
それでも尋ねずにはいられなかった。
「あ、あのレインフォード様、一応尋ねますが、どちらに向かってるのですか?」
「俺の自室だ」
(ええええ!?)