ティータイムを共に
レインフォードに腰に手を添えられたまましばらく歩いていたスカーレットだったが、ふと自分の置かれた状況を認識して盛大に慌てた。
アルベルトと話していて突然連れ出されたことに驚いていたため、レインフォードと肩が触れるほどに密着していることに気づかなかったからだ。
(ち、近い!)
いくら近衛騎士だとしてもここまで密着するのはおかしいだろう。そもそも、王太子とその家臣が並んで歩くこと自体ありえないことだ。
「レ、レインフォード様、あの、手を離していただけると……さすがに不敬かと」
「ああ、すまなかった。お前たちの仲が良いからつい、な」
「はぁ」
スカーレットとアルベルトの仲が良いことと、レインフォードがこのような行動を取ったことの関連性が分からない。
スカーレットは首を傾げながら曖昧に返事をしつつ、ようやく解放されたスカーレットはほっと一息ついた。
「それで、ボクに用事とはなんでしょうか? この間ご命令された防衛費の件でしょうか?」
「ああ、その報告は執務室で聞こう」
「承知しました」
レインフォードは執務室に向かうかと思ったのだが、なぜか彼は庭園へと足を向けた。
「えっと、レインフォード様、執務室に行かれるのではないですか?」
「まぁ、せっかくだ。休憩しよう。お茶に付き合ってくれ」
そう言って連れてこられた庭園には、既にアフタヌーンティーセットが用意されていた。
それを見て、スカーレットはレインフォードの予定について思い出した。
「そういえば、今日のスケジュールでは婚約者候補の令嬢とお茶をするのではなかったのですか?」
「あぁ、断った。あんなのは時間の無駄だ」
「えっ!? で、ですが、今日のお相手はファルドル侯爵家のご令嬢ではありませんでしたか?」
ファルドル侯爵家は侯爵家の中でも筆頭侯爵家であり、レインフォード派の筆頭でもある。
第一王子派閥の牽制のためにも、レインフォードはファルドル侯爵令嬢と婚姻関係を結んで、彼の政権を盤石にする必要があるはずだが、その令嬢とのお茶会を断ったというのか。
「あぁ。俺はあいつと婚姻を結ぶつもりはないからな。それよりお茶をしよう」
「……あの、もしかしてですが、このティーセットはファルドル侯爵令嬢とのお茶会のために用意されたもの……とかだったりしませんか?」
「まぁ、建前上はな。でもちゃんとスカーと休憩するために用意させたんだ」
「えっ!?」
またしても変なところから声が出てしまう。
なぜ一介の近衛騎士のために用意してくれたのだろうか。
というか、恐れ多すぎる。
「さ、座ってくれ。スカーの好きな菓子を用意したんだ」
「でも……ボクはただの近衛騎士ですので、レインフォード様とご一緒にお茶を飲むわけにはいきません」
「旅の時には同じテーブルで食事をしたじゃないか。今更だよ」
確かにそうなのだが、あの時とは状況は異なっている。
丁重にお断りしようと思うのだが、レインフォードの表情からはそれは許さないという意思が感じられ、スカーレットはおずおずと席についた。
同時に、侍女が紅茶を淹れてくれた。
「さぁ、食べてくれ」
「ありがとうございます。では、いただきますね」
用意された菓子類はどれもスカーレットの好きなものばかりだった。
シャロルクから王都までの旅の中で、スカーレットの好みはすっかり把握されたようだ。
(あ、チュロスもあるわ)
チュロスはアルベルトとの思い出の味であり、スカーレットの大好物でもある。
口にすると上品な甘さと、風味のいいシナモンの味が口いっぱいに広がる。
さすが宮廷料理人が作る菓子だ。屋台で食べるものとは全く違う。
(屋台のも美味しいけど、これはこれで美味しいわ!)
思わず満面の笑みを浮かべてそれを頬張っていると、ふと視線を感じて顔を上げた。
そこには頬杖をつきながら柔らかく微笑むレインフォードの顔があった。
あまりにも優しい表情に、スカーレットの心臓がトクンと小さく音をたてた気がした。
それが何故なのかを考える前に、スカーレットの頭をよぎったのは羞恥だった。
(やばい! がっつきすぎた? 口元になにかついてる?!)
慌てて口元を拭いながら、レインフォードに尋ねる。
「な、なにか変でしょうか?」
「いや、美味しそうに食べてくれるなと思って」
「それは当たり前です、すごく美味しいですから。宮廷料理人が作ったのお菓子を食べる機会なんて、なかなかありませんからね」
「スカーが望むなら毎日でも用意するよ」
「えっ!? い、いえいえ、先ほども言いましたが、一介の近衛騎士に過分な配慮です」
「それは、お前を侍らせていると思われるからか?」
その言葉に、スカーレットは思わず飲んでいたお茶を吹き出しそうになった。
まさか先ほどのアルベルトとの会話を聞かれているとは思わなかった。
「ええと、ボクはそういうのは気にしませんが、レインフォード様の名誉が傷つくかなぁとは思います」
「なるほどね。確かに俺が婚約者を決めれば男好きなんていう噂もなくなるな」
レインフォードはそこで言葉を切ったあと、スカーレットを真っ直ぐに見て問いかけた。
「スカーは俺に婚約者を決めてほしいのか?」
「それはそうですよ。王太子殿下という立場上、婚約者は早々に決めた方がいいかと思います」
「……スカーは俺が誰かと婚約しても、なんとも思わないのか?」
「え? ボクですか?」
スカーレットとしてはレインフォードが「女嫌いなのは男が好きだからじゃないか」と言われていることが気がかりだし、推しには幸せになって欲しい。
「何ともというか……できたらレインフォード様が好きな方と結婚して幸せになって欲しいとは思いますけど」
そう答えたスカーレットの言葉を聞いたレインフォードは、何故か眉間に皺を寄せた。
(なんか不機嫌になった気がするんだけど……なんで?)
自分の答えが何か間違えていただろうか?
女嫌いなのに無理に婚約を勧めたのが不愉快だったのか。
首を捻りながら不機嫌な理由をあれこれ考えている間も、レインフォードは無言でスカーレットを見つめている。
(な、何? 沈黙が怖い!)
ドキドキと鼓動が鳴る。
先ほどとは違う意味で心臓が早鐘を打ち、緊張からごくりと唾を飲み込む。
だが、レインフォードは今度は一度だけ深いため息をつくと、がっくりと肩を落とした。
「まぁいいさ。今日はお前の気持ちがよく分かったよ」
苦笑交じりにそう言って、レインフォードは再びティーカップに口をつけた。
その所作は美しく洗練されており、思わず魅入ってしまう。
(我が推しながらカッコいいわぁ。こんなにイケメンなんだから女性なんてよりどりみどりなはずなのに女嫌いかぁ。うーん、この国の未来のためにもなんとかならないものかしらね……)
レインフォードの立場上、このままずっと婚約者を作らないわけにはいかないだろう。
王太子としての立場上難しいかもしれないが、婚約者はレインフォードの好きな人であればいいと思うし、そうじゃなくてもせめて嫌いな女性ではないといい。
(私にできることならなんでもするんだけどなぁ……)
どうやったら推しが幸せになるのかを考えつつ、スカーレットは宮廷料理人の作ったお菓子の数々に舌鼓を打つのだった。
※ ※
スカーレットは書き上げた報告書を再度読み直すと、それをトントンと机でまとめてから伸びをした。
「んーーー」
今日一日中書類作成をして、デスクワークで体が凝り固まってしまった。体は疲労しているものの仕事が一つ片付いた解放感と達成感で気持ちは軽い。
(まぁ、前世での仕事を考えたらこんなの楽なものよね)
前世SEの仕事では少数精鋭(とは名ばかりの人員不足)のため案件をいくつも掛け持っていたので、徹夜で書類作成をしていた。それを考えれば定時で帰れる今の仕事はまだ楽である。
「さて、これをタデウス様に確認してもらって、レインフォード様の承認をもらえれば終わりね!」
そう思ってレインフォードの執務室のドアをノックしようとした時だった。中からタデウスの慌てた声が聞こえてきた。
「そんな、いつの間に予定を変更されたんですか? 私は聞いておりません!」
「今言ったからな」
「シエイラ様とのお茶をキャンセルしたのが何度目か分かってるのですか? 今回こそちゃんとお会いくださいと頼みましたよね」
「頼まれたが承諾はしてない」
どうやらタデウスとレインフォードが言い争っているようだ。
このまま入室するのも憚られ、スカーレットは一旦戻ろうとしたのだが、突然ガチャリとドアが開き、タデウスとレインフォードが出てきた。
「うぁっ」
驚いて思わず身を引いたスカーレットの存在には気づかないようで、二人の言い争いはエスカレートしていく。
「殿下、お待ちください! 話は終わってませんよ」
「もう十分聞いた。俺は婚約するつもりはない。特にシエイラはありえないからな」
「ですが、殿下にとっては最良の相手ですよ」
「最良の相手かは俺が決めることだ」
タデウスは必死に訴えるが、レインフォードは聞く耳を持たない様子だ。
(こ、この状況、どうすればいいの?)
その激しいやり取りに、スカーレットは下手に動くことができず、ただ黙ってことの成り行きを見守ることにした。
「殿下はもう20歳なのですよ。臣下のためにも婚約者をお決めになって、皆を安心させてください」
「まだ20歳だ。歴代の王の中には25歳をすぎても決めずにいた例もある」
「それは内乱や外国との戦争があったからです」
「とにかく、そのうち決めるが今はまだ考えたくない。会議があるから俺は行く」
「殿下!」
レインフォードはタデウスを残し、部屋から出て行ってしまった。
残されたタデウスはドアを見つめたまま、大きなため息をついた。
その疲れ切ったタデウスの背中に、スカーレットはおずおずと声をかけた。
「あ、あの……タデウス様、大丈夫ですか?」
「あぁ、スカーですか。あまり大丈夫ではありませんね。はぁ、殿下には困ったものです」
「少し聞こえてきたのですが、レインフォード様の婚約者の件ですか?」
「ええ。今日はシエイラ嬢とのお茶会の予定だったのですが、勝手に取りやめてしまったようです」
「シエイラ嬢……たしか、ファルドル侯爵令嬢ですよね?」
「えぇ。家柄的にも政治的にも最良のお相手です。なにより、二人は幼馴染でもあるので気心も知れてますし、これ以上ない婚約者だと思うのですがね……」
タデウスが、がっくりと項垂れる様子を見て、スカーレットとしてもそれ以上なんと声をかければいいのか分からなかった。
だが、タデウスは気を取り直すとスカーレットに向き直った。
「ああ、それで何か用でしたか?」
「この書類の確認をお願いしたくて」
「分かりました、確認しておきます」
「あのタデウス様、ボクでできることがあればお手伝いしましょうか?」
そもそも王太子補佐官のタデウスは目が回るほど忙しい。それに加え、先ほどのレインフォードとのこともあるのかもしれないが、目に見えて疲労の色が濃い。
スカーレットは思わず手伝いを申し出た。
「ではこちらの資料を各部に届けてくれますか?」
「分かりました。では行ってまいります」
「お願いします」
そう言ってタデウスは机に向かったが、再び大きなため息をついた。
「はぁ、また陛下に催促されてしまう……」
タデウスの呟きを聞きつつ、スカーレットは執務室を後にした。
※
(タデウス様、婚約者の件でかなり心労が溜まってそうね……)
全ての資料を配り終わり、廊下を歩きながら思い返していたのは、先ほどのレインフォードとタデウスの言い争いだった。
先ほどの呟きから察するに、レインフォードの婚約者の件は国王陛下からもせっつかれているのだろう。そう思うと、タデウスに同情を禁じえない。
(でもレインフォード様は筋金入りの女嫌いだし……困ったわね)
スカーレットはそんなことを考えつつ、廊下を歩き、中庭に差し掛かったとき、聞き覚えのある声がした。
「どうして会ってくれないの? 私はレインに会うの、楽しみにしていたのに」
「こんなところまで押しかけて、なんのつもりだ」
「そんなこと言わないで。昔みたいに会いたいわ。せっかく婚約者になるんだもの、もっと会ってくれてもいいじゃない?」
「何を勘違いしているのか知らないが、俺はお前を選ばない。さっさと帰れ」
話していたのはレインフォードと見知らぬ女性だった。
ピンクゴールドの豊かな髪は綺麗に波打ち、赤いドレスに映えていた。同じく明るいピンク瞳で、ぱっちりとした目をした美少女だった。
レインフォードはその美少女を冷たく見下ろしていた。
その表情は旅の途中で一度だけ見た、侮蔑と嫌悪を含んだ表情で、見ているこちらまでゾッとするようなものだった。
「シエイラ、もう一度言う。帰れ」
レインフォードが冷たく言い放つと、美少女は涙を浮かべて顔を歪め、そのまま走り出してしまった。
「あっ!」
美少女の表情があまりにも切なそうで、スカーレットは思わずその女性の後を追っていた。