王宮でのとある日
文官服に身を包んだスカーレットは、疲労を覚えつつも充足感に満たされながら、王宮の廊下を歩いていた。
ずっとまとまらなかった仕事がようやく片付いたからだ。
最近のスカーレットの仕事は様々な部門からの要望を聞いて、上手くまとめるというものだ。国の予算は限られている。
だが、どこの部門でも予算が欲しい。
各部門の要望を聞いて、予算の優先順位をつけたり、それに対し文句を言ってくる部門に説明をしたり、あるいは代替案を出して納得してもらったり……というのがスカーレットの仕事になっている。
国家運営に関わる仕事のため、責任重大である。正直に言えば荷が重いが、引き受けた以上、泣き言はいってられない。
扱う金額の規模は違うものの、前世の仕事内容に近いこともあり、その経験を活かして何とか仕事をこなしているという状況だ。
王太子付き近衛騎士兼執務補佐官になってから早いもので2ヶ月が過ぎようとしていた。
今のところ、スカーレットが女であることは誰にもバレてはいない。
(なんとかなるもんだわね! )
だが、今のところは女であることを上手く隠せているものの、いつバレてしまうのではないかと、毎日ドキドキして過ごしている。
精神衛生上あまりよろしくない。
それに、もうレインフォードの死にイベントは発生しないのだから、本音を言えばこの仕事を辞めて帰りたい。
しかし、国家予算の管理という重要な仕事に関わってしまった以上、滅多な理由では辞めさせてもらえないだろうし、支払われている給与もかなりいいので、辞めるかどうかは悩ましいところだ。
(万年貧乏なウチとしては給料は魅力的なのよねぇ)
それにスカーレットの給金があれば、領地で行っている麦の品種改良の研究費にも充てられ、領民の助けにもなるはずだ。
そう考えると、この仕事を続けるメリットが高いのだ。
(まぁバレなきゃいいのよね、バレなきゃ)
うんうんと頷いていると、聞き覚えのある声がスカーレットを呼び止めた。
「スカー!!」
「あ、アルベルト!」
アルベルトはスカーレットの元に駆け寄ると、満面の笑みを浮かべた。
王都のバルサー家のタウンハウスで一緒に暮らしているものの、部署が異なるため生活サイクルが合わず、なかなか顔を合わせることがない。
久しぶりに義弟の顔を見て、スカーレットも微笑みを返した。
「アルベルト、久しぶりね。元気だった? 仕事は順調?」
現在アルベルトは新人研修も終わり、外交官補佐として王宮で働いている。
レインフォードの護衛として旅をしたため、参加必須の新人研修に参加できなかったアルベルトを心配していたのだが、元々首席合格していた能力と、レインフォードの口添えもあり、問題なく外交官補佐官になれた。
しっかり者の義弟のことだから、心配無用だと分かっているが、それでも姉としては心配してしまう。
だが、そんな姉の心配など杞憂だというように、アルベルトは笑みを浮かべて答えた。
「僕は大丈夫だよ。仕事も順調だし、心配しないで」
そこまで言ったアルベルトは、周囲を見回してから声を潜めてスカーレットに尋ねた。
「というか……僕としては義姉さんの方が心配なんだけど。バレてないよね? 今までは僕がフォローできてたけど、一人なわけだし……」
「平気平気! アルベルトは心配症ね」
「義姉さんは楽観的過ぎるよ。それにさ、実は義姉さんの事が噂になっているんだ」
「噂?」
「レインフォード様は男が好きで、最近入った近衛騎士を気に入って、侍らせているっていう噂だよ。」
「侍らっ!? な、なによそれ!」
そんな噂が流れているなど知らなかったが、確かにスカーレットはレインフォードの傍に常にいる形になっている。
近衛騎士としては当然ではあるが、それ以外でも執務補佐として同じ執務室で仕事をすることが多いからだ。
ゆえに、スカーレットが城にいる間は、ほぼレインフォードと共に過ごしているが、それがよもや「レインフォードが男好き」という噂に発展するとは思いもよらなかった。
「殿下はいまだに婚約者を決めてないだろ? それに女嫌いなのも有名だしね」
「だからって男好きで男を侍らせているなんて、酷い噂だわ! 私は近衛騎士だもの、レインフォード様と一緒にいる時間があるのは当たり前じゃない」
「まぁ、単に笑いのネタにしているだけだろうけどね。まぁ、そういうわけでスカーは今話題の人間だし、注目を集めているのは確かなんだ。だから気を付けてね」
今まではレインフォードにバレないように気を付ければよかったが、そのような噂が流れていることを考えると、今後は更に気を引き締めたほうがいいだろう。
「う、うん。気を付ける」
「殿下が婚約者を決めてくれれば、こういう噂なんてなくなるんだろうけどねぇ。とにかく、ちゃんと気を付けてね」
アルベルトがそう念押しした時だった。
「何を気を付けるんだ?」
ひそひそと話していた二人の背後から声がして、スカーレットはビクリと肩を震わせた。
声の主が今話題に上がった人物だと気づいたからだ。
スカーレットとアルベルトはギギギと首を鳴らすようにぎこちなく後ろを振り返ると、そこには笑みを浮かべるレインフォードが立っていた。
ただ、なんとなくその笑みに含みがあるような気がするのは気のせいだろうか?
「え、ええと……」
スカーレットが動揺して言葉を濁す一方で、アルベルトはにこやかな笑みを浮かべてレインフォードに向き直った。
「レインフォード様、ご無沙汰しております」
「アルベルト、久しぶりだな。それにしても二人で顔を突き合わせて、義理の兄弟なのに相変わらず仲がいいな」
そう言ったレインフォードの言葉になんとなく棘があるように聞こえたが、アルベルトはそれに気にも留めないように笑顔で答えた。
「はい。スカーと会うのが久しぶりなので、思わず話し込んでしまいました」
(さすがだわ。まったく動じてない)
さすが外交官補佐官として働いているだけあり、突然の事にも動揺の「ど」の字も見せずに答えるアルベルトに対し、スカーレットは思わず驚嘆した。
「それで、何を気を付けるんだ?」
「スカーは少しおっちょこちょいの所があるので、ミスしないように気を付けてと話していました」
「なるほど。だが、スカーはちゃんとやっているよ。安心してくれ」
「分かりました」
「ところでスカーに用事があるんだ。連れて行ってもいいだろうか?」
「はい、もう話は終わりましたので」
「じゃあ、スカー、一緒に来てくれ」
レインフォードはスカーレットが答える前にその手を取ると、何故か腰に手を回して歩き出した。
「えっ!?」
それはまるでスカーレットをエスコートするような行動だった。
突然、レインフォードに密着する形になり、スカーレットは思わず息を呑んだ。
だがそんなスカーレットを気にすることなく、レインフォードはアルベルトを一瞥して声をかけると、そのまま歩き出した。
「アルベルト、ではな」
「は、はい……」
レインフォードのこの行動について、さすがのアルベルトも目を丸くして呆気にとらわれている。
アルベルトの戸惑いの視線を後ろに感じつつ、スカーレットはレインフォードに連行されるようにその場を後にした。
第二部の開始です。第二部で完結となりますので、暫くお付き合いくださいませ!