何かの試合
無事王都に着いたその日、スカーレットたちは城の客室に泊まることになった。
用意された部屋は、これまでの簡素なしつらえの宿屋とは打って変わって、目がチカチカするほど美しく煌びやかな部屋だった。
しかもふかふかのベッドで寝ることができた。おかげで翌朝は体が軽く感じ、長旅の疲れも癒えたようだ。
(あまりにも豪華な部屋でビビったけど、結局疲れてぐっすり寝ちゃったわ。でもお陰で体が軽く感じるわ)
そうして今、スカーレットたちは応接室でレインフォードを待っている。
やがてゆっくりと扉が開く。
王太子であるレインフォードとはもう気さくな旅仲間として接することはできない。
スカーレットたちはレインフォードの入室を待って深々と頭を下げ、声を掛けられるのを待った。
「顔を上げてください」
だが、掛けられた言葉はレインフォードのものではなかった。
ゆっくりと顔を上げるとそこには見知らぬ青年が立っていた。
明るい茶の長い髪を後ろに束ね、琥珀の瞳をした青年だった。
纏う雰囲気は穏やかなもので、髪と同じ色の長いまつげに縁どられた目の目じりが少し下がっているのがそう感じさせるのかもしれない。
柔らかな笑みを浮かべながら、青年はスカーレットたちを見回しながら言った。
「楽にして結構ですよ。私はタデウス・リーガイル。殿下の補佐官をしております。殿下は多忙ゆえここにはおいでになられませんので、約束していた報奨金は私からお渡しさせていただきます」
そう言いながらタデウスは一人ひとりの名前を呼びながら報奨金を手渡し始めた。
やはり、予想通りレインフォードは執務に追われているようだ。
宿屋で最後にちゃんと顔を見て話せただけ良かったと思う。
(まぁ、なんか最後に変なこと言われたけどね)
レインフォードが言った「それから、人間というのは秘密を暴きたくなるものだよ」という言葉の意味が未だに分からない。
(まさか、女だってバレた? ってことはないわね)
スカーレットの持つ秘密などそれくらいだ。
だが、レインフォードがスカーレットを女だと疑っていたとしても、レインフォードの態度からはグノックで見た女性に対する嫌悪感や態度は見られなかったので、バレたとは考えにくい。
まぁ、そんなことをグダグダ考えたところで今更だ。
そもそも王太子であるレインフォードとはもう二度と会うこともないので、疑念を持たれていようがいまいが関係ない。
そんなことを考えていると、スカーレットは自分の名前が呼ばれたのではっと我に返り、タデウスの前に進み出た。
「貴方がスカーですね。殿下を無事に王都までお連れいただき、感謝いたします。家臣を代表して私からもお礼を言わせていただきます」
「もったいないお言葉です」
スカーレットがそう答えると、タデウスは報奨金を手渡すこともなくスカーレットを穴が開くほど見つめてきたので、戸惑ってしまうと同時に、居心地も悪い。
「あの……リーガイル様?」
「あ! 失礼しました」
(何かしたかしら?)
そもそも彼とは初対面だ。
スカーレットが何かしたはずもないのだが、意味深な視線に心当たりがなく、首を傾げてしまった。
タデウスは全員に報奨金を渡し終えると、再度深々と頭を下げた。
「この度は本当にありがとうございました。殿下は皆さんにもう一度お会いしたいと切望していらっしゃいました。何かの機会を設けたいと考えていますので、その際には是非お越しいただければと思います。では、私はこれで失礼しますね」
にっこりと微笑むと、タデウスは応接室を出て行った。
パタリとドアが閉まると同時に、室内の雰囲気が一気に緩んだ。
スカーレットとアルベルトはともかく、貴族らしく外向け用の顔をして正装したランとルイは、タデウスがいなくなったとたんに、首元を緩めてダレた。
ランがドスンとソファーに腰を下ろして、あくび交じりに言った。
「はぁ、やっぱり外面を作るのは疲れるな。早く屋敷に帰るとするか。そうだ、せっかく報奨金を貰ったんだから、ワインでも買っていくかな」
「またお酒?」
「打ち上げだよ。スカーレットも来るよな?」
「あ、私はこのあと約束があるの」
昨日約束した通り、これからカヴィンと手合わせをする予定になっている。
「なんだ、そうなのかぁ。アルベルトもこのあと研修だし。つまんねー」
「ラン、じゃあ俺たちだけ先に帰って一杯やることにしよう。スカーもアルも良かったら後で来るといい」
「分かったわ」
「じゃあ、僕も研修に行くよ。義姉さん、また屋敷で」
「ええ。研修頑張ってね」
そう言うと三人は応接室から出て行った。
時計を見ると、カヴィンとの約束まで少し時間がある。
それまでどうやって過ごそうかと考えた時だった。
コンコンとドアがノックされ、3人と入れ替わりで入ってきたのはカヴィンだった。
「やぁ、スカー君。もう終わった? ちょっと早いけど、手が空いたから約束の手合わせしないかい?」
こうして、スカーレットはカヴィンに案内されて訓練場へと向かうことになった。
カヴィンは聞き上手な上に、話も上手い。
応接室から訓練場までは少し距離があるのだが、話が弾んでしまい、あっという間に感じられた。
訓練場の通路を進んでいると、遠くから歓声が聞えてきた。
「随分賑やかですね。なにか試合でもしているのですか?」
何が起こっているのかと疑問を持ったスカーレットがそう尋ねると、カヴィンは逡巡したあと、何かを思い出したようだ。
「あぁ、そういえば今日だったな」
何なのかをスカーレットが問う前に、カヴィンを見つけた騎士の一人が駆け寄ってきた。
「団長、お疲れ様です」
「今どういう状況?」
「最終決勝戦を行っていますが、予想通りの展開になりました」
「分かった。……スカー君も行こう。こっちだよ」
騎士に短くそう答えたカヴィンは少し足早に訓練場へと進んで行くので、スカーレットもその後ろに続く。
天窓から差し込む明かりによって、辛うじて足元が見えるような薄暗い廊下を進んで行く。
訓練場が近づくにつれて今まで遠くから聞こえていた歓声が、次第にが大きくなっていった。
やがてアーチの入り口を抜けると、暗闇が一転してスカーレットの視界が白に染まった。
スカーレットは目を細めて、そしてゆっくりと開いた。
光に目が慣れると、そこには円形の広場が広がっていた。たくさんの騎士がそれを取り囲み、広場で行われている試合を興奮しながら食い入るように見ている。
(な、何が起こっているの?)
場内の熱気に気圧され、戸惑いながらきょろきょろと周囲を見ていると、突然どよめきがおこった。
スカーレットは反射的に広場に目を向けると、ちょうど紫色の髪の騎士が相手の騎士を剣もろとも弾いていた瞬間であった。
相手の体が空を舞い、放物線を描いたかと思うと、どすんという鈍い音と共に地面に叩きつけられる。
「勝負あり!」
審判の声が場内に響くと、ひと際大きい歓声が上がった。
カヴィンは勝者となった紫色の髪をした青年騎士に近づきながら声をかけた。
「やっぱりランセル、君が勝ち残ったんだ」
「カヴィン騎士団長」
試合に勝った騎士が片手を胸に当てて頭を下げた。
それを見ながらカヴィンが微笑みを浮かべて話を続けた。
「実は一つお願いがあるんだけど、いいかな? 本来ならば君に決まるところなんだけど、どうしても一戦相手をしてあげて欲しい子がいるんだよ。お願いできるかい?」
「……承知しました」
「でももし君が負けてしまったら優勝の報酬は取り消しになるけど……それでもいいかな?」
「はい。その相手に負けるのであれば、そもそも拝命する実力がなかったということですから」
にこやかに話しているカヴィンに対し、青年騎士は厳しい顔つきで応じた。
二人が何について話をしているのか分からないが、この状況ではカヴィンとの手合わせは難しいだろう。
(残念だけど、仕方ないわね。何か試合しているようだし)
会場の熱気から単なる訓練による手合わせには見えない。何か重要な試合なのだろう。
それを邪魔するわけにはいかない。
そう考えていると、カヴィンがスカーレットの名前を呼び、手招きした。
「スカー君、ちょっと来てくれる?」
「え? あ、はい」
突然呼ばれてスカーレットは戸惑いつつ、カヴィンの元へと駆け寄った。
視線を感じてそちらを見ると、紫髪の青年騎士がじっとこちらを見ていた。いや、むしろ睨んでいる。
状況が分からないスカーレットに、カヴィンは少々困り顔で一つの提案をした。
だが何か企んでいるように感じられるのは気のせいだろうか?
「今日、この通り試合をしているから僕は手合わせできないんだ。だけどせっかくだから彼と試合してみてはどうかな?」
「えっ?」
この試合に乱入することを示唆され、スカーレットは一瞬戸惑ってしまう。
周囲を見渡すと騎士しか参加していない様子で、部外者のスカーレットが試合に参加していいのだろうかと不安になる。
「でも、部外者のボクが参加するのは、皆さんの邪魔ではないですか?」
「ううん。この試合一般の市民にも広く参加者を募集しているんだ。今回はたまたま騎士が残っただけでなんだ。だからもし勝ったら賞金と褒美があるし、どう? やってみない?」
「賞金……?」
賞金という言葉に思わず反応してしまう。
少しでも稼げればそれだけ領民の生活を救う一助となる。お金はいくらあっても構わない。
それに一般市民も参加できるのであれば気が楽だ。
「分かりました。ではお願いします」
礼をして両者位置に着く。
紫の髪の騎士、たしかカヴィンがランセルと呼んでいたか。
ランセルの身長はスカーレットよりも20センチほど高い。
がっしりした体躯で、かなり鍛え上げられているのが服の上からも分かる。
触れれば切れそうな鋭い切れ長の目、ただでさえ殺気に満ちた空気を纏っているのに眉毛が薄いので、更に怖い顔つきに見える。
(眉無しって怖い!)
だがそうも言ってられない。これは試合だ。
賞金も欲しいが、スカーレットのプライドとしても負けるわけにはいかない。
スカーレットは相手を見据えて剣を構えた。
周囲の騎士たちが「あんな子供にランセルが負けるわけないよな」「団長も何考えてんだ?」「おいおい、怪我じゃすまなくなるんじゃないか?」などスカーレットが負ける前提の事を話しているのだが、当のスカーレットの耳にはもう入らない。
集中するのはただ相手のみ。
「始め!」
その言葉に弾かれるようにスカーレットは地面を蹴った。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
次回で、第一部完結でございます
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