目が覚めて
ゆっくりと意識が浮上する。
ぼんやりとした視界に、クリーム色の壁紙の天井が映った。
(ここは……私は……)
記憶を辿る。
最後に見たのはリオンが顔を歪めてナイフを振り下ろす顔。そして次の瞬間、閉ざされた意識。
(そうか……リオンに殺されそうになって、誰かの声が聞こえて、意識を失ったんだわ)
そう思い出したスカーレットの耳にバリトンの美声が名前を呼んだ。声の方を向くと、そこにはベッドの傍らに座ったレインフォードの心配そうな顔があった。
それを見て、スカーレットは勢いよく起き上がった。
「っ!?」
「スカー、目が覚めたか」
「レ、レインフォード様!?」
自分がベッドに寝かされている状況と、記憶を失う前、最後に聞いた声。それが示すのは一つだけだ。
「レインフォード様が助けてくださったんですね」
「あぁ。間に合ってよかった。痛い所はないか?」
「はい、大丈夫です。助けてくださってありがとうございました」
そう言ってから、スカーレットは次になんと言ったらよいか分からず、言葉を詰まらせた。
レインフォードにあの状況をどう伝えるべきか、言葉が見つからなかったからだ。
あれほどレインフォードに尽くしていたリオンが裏切り、レインフォードを殺そうとしていたなんて。
そして、自分をも殺そうとしたことが、今でも信じられない。
悪い夢でも見ているようだった。
(私が意識を失う前にレインフォード様が私の名前を呼んだのは、リオンが短刀を振り上げて私を殺そうとした瞬間よね)
ということは、レインフォードは自分が殺されそうになっている場面を目撃したことになる。
だから、何故スカーがリオンに殺されそうになっていたのかを説明する必要があるだろう。
そして、ひいてはリオンがレインフォードを殺そうとしていたことを告げることになる。
しかしそれはレインフォードを深く傷つけるだろう。
しかし、隠すことは不可能だ。
そう思ってスカーレットが意を決して口を開こうとするよりも先に、レインフォードが話し始めた。
「すまなかった」
「え?」
突然の謝罪に、スカーレットは思わず驚きの声を上げてしまった。
どういう意味なのかを問う前に、レインフォードは話を続けた。
「リオンが裏切っていることに、もっと早く気づいて止めるべきだった。実はリオンの行動やこれまでの襲撃条件を考えて疑念は持っていたんだ。だがその確証が得られず、そうこうしているうちに君を危険に晒してしまった」
リオンとレインフォードが過ごしてきた時間を考えると、レインフォードがリオンを疑うのは難しかっただろう。
だが、後悔を滲ませて言ったレインフォードの表情には裏切られたショックのようなものはあまり感じられなかった。
ただ、本当にスカーレットを危険な目に遭わせたことに対する罪悪感と後悔が強く感じられた。
(でもショックじゃないはずないわよね)
レインフォードは王太子として、感情を抑えることに長けた人物だ。
その姿がゲーム内ではかっこよく見えたが、いざリアルで接すると自分の感情を押し殺しているのではないかと心配になってしまう。
「いえ、ボクのことは大丈夫なのですが、レインフォード様は……その、辛くはないですか?」
「辛いかと聞かれると、確かにショックではあったが。まぁ、それよりも衝撃的なことがあったから、それほどではない」
(それよりも衝撃なこと?)
それが何なのかは分からないが、やはりリオンの裏切りは少なからずショックだった違いない。
少しでもレインフォードの気持ちを楽にしたい。
そう思ったスカーレットはリオンの言葉を思い出しながら告げた。
「リオンにもきっと事情があったんだと思います。レインフォード様の命を狙うのは誰かの命令によるものだと言っていました」
その命があったから、リオン自身もレインフォードを殺すのは不本意だったのかもしれない。
「だから、レインフォード様を憎んでの行動ではないと、思います。それにきっと、すべてがウソじゃないと思うんです。一緒に過ごした時間や思い出は、簡単に切り捨てられないと思います。だから、リオンと過ごした全てがウソと偽りだったとは……思わなくていいと私は思います」
スカーレットはそう力説した。
それは半分自分に言い聞かせているのかもしれない。
リオンと共に過ごした時間はほんの少しだったが、自分に向けられた笑顔のすべてがウソではないと信じたいのだ。
傷の心配をしたときの少し照れた笑顔や、パインジュースを飲んだ時の満面の笑み、二日酔いの三人を気遣う表情……それらが全て偽りだとは思えなかった。
そんなスカーレットに対しレインフォードは目を瞬かせたが、すぐにふっと笑った。
「ありがとう。スカーのお陰でリオンの事は残念だったが、そう思うことにする。それに、確かにリオンの背後には必ず黒幕はいるはずだ」
そうしてレインフォードは一旦言葉を区切ったかと思うと、一転して厳しい顔になった。
「スカーをこんな目に遭わせたんだ。それ相応の報いを受けてもらわないとな」
レインフォードは唇の端を小さく上げて笑っているようにも見えたが、目は座っており、そこには静かな怒りが滲んでいるように感じられた。
だが、言葉だけ聞くと、自分のために報復しようとしているようにも受け取れてしまう。
(いやいや、そんなわけないか)
スカーレットはそんな自分の考えを否定した。
たかだか数日一緒に旅をした護衛に対してそこまで怒るわけがないだろう。
そう思っていると、レインフォードがスカーレットをじっと見つめてきた。
そして、一転して今度は柔らかな笑顔を浮かべた。
じっと見つめてくるので、なんとなく居心地が悪い。
なぜそんな視線を向けられるのか分からず、戸惑いながらスカーレットはレインフォードの名前を呼んだ。
「レインフォード様?」
次の瞬間、気づけばスカーレットはレインフォードに抱きしめられていた。
彼の柑橘のコロンの香りがスカーレットの鼻孔をくすぐる。
(え……? ……えええええ!? なにこの状況)
動揺するスカーレットの頭上から、レインフォードの穏やかな声が聞えてきた。
「確かにリオンの事は思うところがあるが、俺はお前が無事な方がずっと嬉しい。本当に、無事でよかった」
そう言った後、レインフォードはスカーレットを解放すると、静かに立ち上がったので、スカーレットはその姿を目で追った。
混乱のうちに呆然とレインフォードの顔を見つめていると、レインフォードはポンとスカーレットの頭を撫でた。
「じゃあ今日はゆっくり休むといい」
「えっ? あ、はい」
レインフォードは何事もなかったかのように部屋から出て行ってしまった。
後に残されたスカーレットはしばし硬直したままレインフォードの後姿を見送った。
ドアがパタンと閉められても、状況が理解できずに動けなかった。
(な、なに、レインフォード様のあの行動? 抱きしめたわよね? 頭ポンしたわよね?えぇっ?)
男同士でもあんなふうに抱きしめたり、頭を撫でたりするものなのだろうか?
スカーレットには良く分からない。だがふと自分の行動を思い返すと、今まで自分もアルベルトの頭を撫でることはある。
本人は恥ずかしがるが、義弟が可愛くて仕方ない時にすることは多々あるのだ。
それにアルベルトもまた抱きついてくることもたまにある。
(そういえば、グノックでお風呂上りにレインフォード様に頭をぽんぽんって撫でられたこともあったし……。やっぱり、男同士でもこういうことをするのかもしれないわ)
きっとリオンの事でショックを受けている自分を励ますためにしてくれたのだろう。
自分もショックを受けている筈なのに、こんな配慮が出来るなんて。
さすが推しである。
スカーレットは推しの素晴らしさを噛みしめるように、うんうんと頷いたのだった。
スカーレット視点に戻りました。
ここまでお読みいただきありがとうございます!
あと2話で「第一部護衛編」完結予定です。(たぶん)
引き続き最後までお付き合いいただけると嬉しいです