レインフォード視点:戸惑いと執着
レインフォードの目の前には宿のベッドに横たわるスカーの姿があった。
外傷は無い。呼吸も安定しており、表情も穏やかだ。
名前を呼んでも反応がないことから、深い眠りに落ちているようだ。たぶん睡眠薬をリオンに飲まされたのだろう。
(間に合ってよかった)
レインフォードは心の底から安堵した。
もし少しでも到着が遅ければスカーはリオンによって確実に殺されていた。
「ライザック・ド・リストレアン、お前のお陰だな」
そう言ってレインフォードがスカーの傍らにいるライザックを撫でると、気持ちよさそうに目を閉じた。
レインフォードはスカーの寝顔を見つめながら、ふうと小さく息を吐いた。
さすがのレインフォードも頭の中はぐちゃぐちゃで、混乱している。
予想していたとはいえ、リオンが自分の命を狙っていたことを事実として突きつけられるとやはり堪える。
リオンの裏切りは、本当にリオンの意志だったのか。これまでレインフォードに従順に仕えてくれていたのは演技だったのか。いつから裏切っていたのか。
(今の状況で考えても結論は出ないな。もう少し情報が必要だな)
スカーが目覚めてから、話を聞くしかないだろう。
レインフォードはそう考えながら、スカーの目覚めを待つことにした。
もう一つ、レインフォードを混乱させているのはスカーの性別のことだった。
(まさかスカーが女だったなんて……)
こうして見ると華奢な体つきと愛らしい顔立ちは、明らかに女性だ。
だが、なぜ性別を偽っていたのだろうか?
何か事情があって男装をしているのだろう。
もし、その理由を追求したら、自分の元から離れてしまうかもしれない。
それは困る。
(困る? ……どうしてだ?)
ふとそう考えた自分自身に、レインフォードは戸惑った。
なぜスカーが離れることを困るなどと思ってしまったのか。
レインフォードは女性が嫌いだ。女は自己中心的で、我儘で、何かあるとすぐに泣き、自分は被害者であると主張する。そして、決して自分の非を認めない。
そう、レインフォードの母親の様に。
彼女は自分勝手で我儘な性格で、何かあればすぐ泣き、被害者面をするのだ。
「わたくしは悪くないわ。あぁ、可哀そうなわたくし。どうしてわたくしばかりこんな目に遭うのかしら?」
幼いころからそんな言葉を常々言われていたレインフォードは、女というものに嫌悪感を抱くようになった。
だが、不思議なことに、スカーにはそうした嫌悪感が全く湧かない。
そもそも、レインフォードは以前からスカーを自分の政務補佐官にしたいと考えていた。
だから、領地へと戻って自分の元から離れてしまうのが困るのか? それとも別の感情があるのか?
レインフォードは自分の感情を整理すべく、スカーとのこれまでの出来事を思い返していた。
まず、スカーと旅をして、その発想力、ヒアリング力、提案力、分析力……どれも目を見張るものがあり、何度となく驚かされた。
レインフォードが最初に驚いたのは「奨学金」という制度を提案したことだ。
本人は特段意識して言ったことではないようだったが、その案はレインフォードにとっては新しい考え方だった。
医者の育成はこの国の急務だった。
この国の医療技術は周辺各国に比べればさほど劣っているものではない。
だが、絶対的に医者が足りていない。
そのため、治る病気やケガでも手当をするものがおらず、命を落とすものも少なくない。
貴族は金にものを言わせ医者を独占してしまい、一般市民に置いては十分な医療を受けれず、それがまた国民の不満の一つになっていた。
かといって医者の育成に割く予算は十分ではなく、医者の育成が遅々として進まない。
だからその打開策としてスカーが提案した奨学金制度は画期的な案であった。
「国が医者の養成に学費を出資するようなものです。お金を貸しつけて、医者になったら返してもらうとか、もしくは医者になってある程度の条件を満たしたものはお金の返済は不要にするとか。そういう国の制度があればって思っただけです」
育成に必要な費用は、あとで回収すればいいという発想。
(これは、城に帰ったら具体的に案を詰めてもいいかもしれない)
レインフォードは考えた。
そして他にもスカーは興味深い提案をした。
橋が流されて意図せず足止めを食うことになって滞在することになったルーダスでのことだ。食堂で夕食を取っていた時、スカーは「知り合いに挨拶に行く」と言って席を立ったまま戻ってこなかった。
終いにはそのテーブルについてしまい、何やら真剣な顔で話し始めていた。
何があるのかとレインフォードが覗きに行くと、そこは予想だにしてなかった状況になっていた。
橋の再建について関係者の意見がまとまらないと聞いたスカーは、「要件定義書」なるものを作っているという。
そもそも「要件定義書」というものを初めて聞いたし、それがどういうものか気になった。
スカーが相反する意見をどうまとめていくのかも興味が湧いた。
そしてレインフォードがすぐ驚いたのは、スカーの卓越したヒアリング能力だった。
要点を的確にまとめ、ポイントをついた質問。
漠然とした回答から、相手が本当に望んでいることを抽出し、さらに妥協点まで探っていく。
結果、バラバラであった要望をまとめ、関係者を納得させてしまった。
(凄い能力だな。この能力があれば、貴族たちから出て来る曖昧で漠然とした要望を聞いて、そして折衝調整できるだろう)
この能力を地方で埋もれさせるのは惜しい。
レインフォードはスカーに王都に残るつもりはないかと聞くが、領地に帰るとあっさり断られてしまった。
それでも諦めきれず、なんとかスカーを王都に留め、自分の元で働いてほしい。
どうすればいいのか。
この頃からレインフォードはそれを考え始めるようになっていた。
翌日、ルーダスから出立するというときになって、見知らぬ人物――食器屋が見送りにやって来た。
話を聞くと、なにやら昨日働かせてもらったと説明されたのだが……正直、何が起こってこうなったかは謎だ。
まぁ、それはともかく、店主はスカーが作ったと「経営改善資料」と書かれた資料について質問してきた。
その資料を読んでみるとその内容は、もっと稼ぐためにはどういう改善をすればいいのかを現状分析し、提案する資料だった。
(分析力だけじゃなく、提案力まであるのか……)
ここまでくると脱帽だ。
並みの政務官でさえここまでの能力を兼ね備えている者は少ない。
知力も高く、政治的手腕もある。しかも剣の腕前も一級品。
これほどまでに有能な人物なら、是非とも自分の元でその能力を発揮してほしい。
「……凄い能力だ。ますます欲しくなったな」
思わず感嘆の声を漏らしてしまう。
「城で働かないか?」
政務官として城勤めをしないかと誘うが、再びあっさり断られてしまった。
「なるほど。分かった」
レインフォードは口ではそう言いつつも、頭ではスカーを手元に置くための策略を巡らせ始めた。
(さて……どうやって落そうか)
こうしてレインフォードはスカーを王都に……ひいては自分の元で働いてもらう方法を思案し始めた。
だが、官僚として自分の元にいてほしいと思う一方で、スカーのことが心配になってしまい、手元に置きたい感情も生まれていた。
というのも、スカーはこれまで「他人のため」に能力を発揮していたが、自分のことには疎く後回しにする癖があるのだ。
根が優しくできているのだろう。
見返りもないのに資料を作ったり、看病のために徹夜をしたり……。
そんなことを続けていたら、体がいくつあっても足りない。
その最たるものがリオンの看病をしていた時の事だ。
深夜にレインフォードがリオンの様子を見に行くと、そこにはスカーの姿があった。
リオンは多くの傷を負っていたが、重傷なものではなかった。
ランも言っていたが、もう大人のリオンにずっと付き添う必要は無いのだ。
そのことをスカーに言うと、
「でも、リオンが目覚めた時、一人だと寂しくないですか? 誰か居た方が安心しますよね」
と、スカーはあたかも当然のことのようにそう言い切った。
(もしかして俺が怪我をして眠っていた時にも傍にいてくれたのはそういう理由だったのかもしれないな)
いつ目を覚ますか分からない人間の傍で徹夜で看護しても、スカーには何のメリットもないのだ。
(そんな風に損得抜きに誰かに寄り添おうするから、余計に心配になるし気になってしまう)
気になる……というのが、仲間としてだけではないことはこの時点でも薄々気づいていたが、あえて気づかないふりをした。
だけど、思ってしまう。
一人で頑張ろうとするスカーの力になりたいし、もっと頼って欲しい。
一人で苦労を背負わないで欲しい、と。
他にも、シャロルクで傷を負ったレインフォードを心配すぎるくらい心配してくれた。
いつもの自分ならば鬱陶しいと思うかもしれなかったが、スカーに心配されるのは悪い気はしなかった。
それは小気味よいテンポで話せて、気が楽だったからかもしれない。
一緒に居て心地よいとも思った。
だから、だろうか。
あれほど嫌悪していた「女性」であるのに、スカーに対しては不思議と嫌だとは思わなかった。
たしかに今、こうして見れば見るほどスカーが女性にしか思えない。
柔らかな肢体。
小さな手。
つぶらな瞳。
少し照れて色ずく頬。
ぷっくりとしてピンクの唇。
意識したら急にドクンと心臓が高鳴った。
(そういえば、このような感情を抱いたことは何度かあった)
確かに思い返せばスカーが女性であることに納得できる場面がいくつかあった。
グノックで風呂上がりのスカーに会った時もそうだ。
上気した頬、濡れた髪。
ただそれだけのはずなのに、スカーから何か色気のようなものを感じてしまい、鼓動が大きな音を立てた。
触れたいと思って、思わず手を伸ばし、気づけば緋色の髪に触れていた。
そんな自分に戸惑った。
(相手は男だぞ!?)
そんな思いを誤魔化すようにスカーの髪を拭いて、冷静さを保とうとした。
だが、逆効果だった。
スカーは上目遣いで怒る素振りを見せたかと思うと、次の瞬間には満面の笑みを浮かべて言った。
「もう! ボクは犬じゃないですよ。でも、ありがとうございます」
(可愛すぎる……いや、だから相手は男だ)
自分の感情が分からず混乱していると、アルベルトが慌てた様子で会話に入ってきて、2人は共に去って行った。
その背中を見送ったレインフォードは、安堵のため息をついた。
あのままスカーと2人でいたら、抱きしめるくらいはしていただろう。だからアルベルトが来てくれたことは、ある意味助かった。
(男に抱きつきたいだなんて、俺は変態か)
自分の中に生まれた感情に自己嫌悪してしまった。
それにルーダスで襲撃される少し前にもスカーに対し、意図せずドキリとしてしまったことがあった。
思いもよらず部屋へと来たスカーに手当を頼んだときだ。
服を脱いで傷を見せると、何故かスカーは動揺したように声を上ずらせ、その顔を赤くした。
そしておずおずとしながらもレインフォードの傷に薬を塗った。
だが予想よりも柔らかいスカーの指の感触に驚いてしまった。
男性の物とは思えない。
薬を塗った指先が離れるのが惜しいと思ってしまった。
もっと触れていて欲しい、などとぼんやりと思う。
手慣れた様子で包帯を巻く時に見えたスカーの手は、自分のものよりもずっと小さかった。
この小さな手が剣を握り、手練れの刺客と戦うことが信じられないほどだ。
(女性のような手だな)
そう思ったら、スカーの柔らかな指にもっと触れていたくて、気づいたら指を絡めていた。
触れ合った場所から伝わる熱が心地いい。
「レ、レインフォード様…………もう、無理です!」
スカーの声にレインフォードは我に返り、自分の行動に動揺してしまった。
この変態じみた行動を慌てて弁解したが、スカーの顔は何故かほんのりと赤くなっている。
それを見たレインフォードの中に何とも形容しがたい不思議な感情が芽生え始めていた。
庇護欲、独占欲、執着……うまく言葉にできないが、そんな感情が交じり合ったようなものだった。
そうやってなんとなくスカーを意識しているうちに、とうとうドルンストまで来てしまった。
(やっぱりスカーを王都に連れて行きたい)
何故執着してしまうのか……
官僚として傍に置きたいからか、それとも……?
その感情はまだはっきりとは分からない。
スカーのことだから、他の女のように自分を誘惑しようとか、レインフォードを亡き者にしようとか、すり寄って権力を得ようなどということはないだろう。
(ともかくスカーの正体を知ったことは当面は伏せておくことにしよう)
下手に言って逃れられたら目も当てられない。
だからレインフォードはスカーの秘密を知ったことは告げないことにした。
それよりもまずは、自分の元にスカーを留める方法を考えなくては。
(そう言えば、そろそろ時期だな)
一つ妙案が浮かんだ。王都に着いたらすぐにでも行動しよう。
絶対に逃がさない。
そう思ってレインフォードは優しくスカーの頬を撫でた。
レインフォード視点終了です!なんか無自覚エロエロ王子になってしまいました…
次話からまたスカーレット視点に戻ります
ここまでお読みくださってありがとうございます
それと、ブクマ・☆評価、すっごく嬉しいです。なかなか読んでもらえないなぁと落ち込んでいたので励みになりました。引き続きよろしくおねがいいたします