疑惑
スカーレットが皆の元に戻ると大鍋には具だくさんのスープが出来上がっていた。
トマトベースのそれは、香りを嗅いだだけでも美味しそうで、空腹だったスカーレットの口にはじゅるりと涎が広がるほどだ。
「わぁ!美味しそうですね!」
「あ、スカー様、お帰りなさいませ。そろそろ煮えたのでもう食べれますよ」
「そうだ、ザイザルさんからサンドイッチを貰っていただった。せっかくだからこれ、食べようよ」
先ほど海賊亭のザイザルから貰ったサンドイッチを出そうと鞄を開けたところで、カップが6つ入っていることに気づいた。
1つはレインフォードのために購入した銀製のカップ。
残りの5つはルーダスを出る際に食器屋の店主がお礼にとタダでくれたものだ。
今使用しているカップは木製でできた、柄もなにもない味気ないものであるが、貰った木製のカップは今使っているものより一回り大きく、バラの意匠が施されていて、見た目が可愛い。
(せっかくだから早速使おうかしら)
そう思ったスカーレットは調理中の仲間たちに声をかけた。
「みんな、実は食器屋さんから新しいカップを貰ったんだ。せっかくだし、今日から使おうよ。ほら見て、バラの花が可愛いんだよ」
スカーレットはそう言うが、ランとルイはあまり興味がなさそうに、素っ気ない返事が来た。
「別にいいぜ」
「俺も構わない。何で飲もうと中身は変わらないしな」
「なんだよ、二人共! ちゃんと見て。可愛いだろ?」
「はいはい」
使う事に賛成してもらえるのは嬉しいが、このカップの可愛らしさが伝わらずスカーレットは思わず口を尖らせてしまう。
2人の反応に不満を持っていると、その会話を聞いていたレインフォードがスカーレットの持っているカップをひょいと取り上げ、しげしげと見ながら首を傾げた。
「スカーはこういうデザインが好みなのか?」
「え? はい、好きですけど……何かおかしいですか?」
「変というかわけじゃないが、俺の周りの男でこういう柄を好む者はいなかったから珍しいなと思って。女なら好きそうだけどな」
「!?」
スカーレットはその言葉に青ざめた。
(そうか! 男だと可愛いものが好きっていうのは変なのね)
盲点だった。
スカーレットは焦りながら話題を変えるべく、レインフォード用の銀製のカップを手渡した。
「そうだ! レインフォード様のはこっちです」
「これは銀製だな。どうしたんだこんなに高い物。あの店主がくれたのか?」
「いえ、こっちはボクが買ったんです。この間刺客が襲ってきましたよね、これから先、レインフォード様を毒殺しようとする刺客が現れるかもしれません。万が一に備えておこうと思ったんです」
(ゲームのイベントだと、この後に毒殺イベントは起こるはずだし)
スカーレットがそう言うと、レインフォードはカップを見てから、ふと何かに気づいたように言った。
「なぁスカー。さっきルーダスを出る時、食器屋で働かせてもらったと言っていなかったか?」
「はい、言いましたけど……」
「……まさか、これを買うためか?」
「えっ? あ、はい。ちょっと手持ちがなかったので」
そう答えると、レインフォードは驚いた表情になり、その後、眉根をひそめた。
「俺のために働いたのか? あんなに疲れていたのに……まったく無理をする」
そう言ってレインフォードは厳しい表情を浮かべた。
余計なお世話だと思われただろうか。
スカーレットがバイトをしたことを快く思っていない様子のレインフォードの態度に、思わず落ち込んでしまう。
「勝手をしてしまってすみませんでした。どうしても心配になってしまって……」
視線を下げてそう謝るスカーレットを見たレインフォードは、慌てた様子で弁明をした。
「あ、いや、違うんだ。怒っているわけじゃない。俺のために働かせてしまって悪かったと思って。すまなかった」
「いえ、ボクが勝手に買うことにしただけですから、レインフォード様は気にしないでください! でも、このカップを使っていただけたら嬉しいんですが……」
押しつけがましくなってしまったかと不安になりながらも、スカーレットがおずおずとそう言うと、レインフォードは小さく柔らかい笑みを浮かべた。
「では使わせてもらおう。スカー。ありがとう。……リオン、このカップにスープを入れてくれ」
だが、リオンはその言葉には反応せずに黙ったままレインフォードの手にある銀のカップを見つめている。
じっと食い入るように見ていて、まるでレインフォードの言葉が聞こえていないようだ。
その様子をスカーレットは訝しく思い、もう一度名前を呼んだ。
「リオン?」
その問いかけにリオンはハッとしてから、焦ったように謝罪した。
「あっ! すみません。ぼうっとしてました。スカー様が言う通り、可愛い柄だなって思って。……妹が、好きそうだなって考えてたんです」
そう言えば昨日ルーダスの町で一緒にジュースを飲んだ時にも、妹がいると言ってた。
「そっか、リオンには妹さんがいるんだったよね」
「それは初耳だな」
スカーレットの言葉にレインフォードが驚いた表情で言った。
リオンとレインフォードは長い付き合いだと思っていたので、レインフォードが妹の事を知らないことをスカーレットは意外に感じた。
プライベートな事はあまり話さないのだろうか?
「妹さんはいくつ?」
「僕の2歳下になります」
「ってことは、14歳かぁ。やっぱりリオンに似ているの?」
リオンに似た女の子ならばきっと可愛いだろう。
そう思って尋ねたのだが、リオンは曖昧に笑っただけだった。
「あ、もう具材も煮えましたし、食べられますよ! さぁ、取り分けますのでカップください」
「そう? じゃあお願い」
まるでその話題には触れてほしくないような態度にスカーレットもそれ以上は触れることができなかった。
リオンに促され、スカーレットは持っていた木製のマグカップを渡した。
香ばしい匂いと共に薄黄色の液体がカップへと注がれていく。
だが、リオンが銀製のカップにスープを注いだ次の瞬間、スカーレットは息を呑んだ。
銀が黒へと変色したのだ。
その事象が示す意味はただ一つ。
このスープには毒が入っているということである。
「どう……して……?」
状況を理解できず、スカーレットはかすれた声でそれだけしか言えなかった。
全員の視線がカップを持つリオンへと集まる。
「僕……僕じゃありません!」
「それは、分かっているけど……」
青ざめて泣きそうな顔でリオンが必死に訴える様子を見て、スカーレットはそう答えたものの全員が困惑の表情を浮かべて沈黙した。
長く従者を務めてきたリオンがレインフォードを毒殺しようとするとは思えない。
だが、スープを作ったのはリオンであり、毒を混入できるのはリオンだけになる。
状況から推測すればリオンが犯人だと疑ってしまうのは仕方がない。
恐らく、皆同じことを思っていたのだろう。
誰もリオンを擁護するような言葉を掛られず、口を閉ざしてしまった。
その考えにリオンも思い至ったようだ。そして次にスカーレットを見ると、動揺して震える声で言った。
「ぼ、僕を疑っているんですよね。でも、食器に毒が塗ってあったのかもしれないじゃないですか?」
「はぁ? それはスカーが犯人だって言いたいわけ?」
リオンの言葉にアルベルトが鋭い声を上げ、睨みつけた。
言葉には苛立ちが含まれていて、リオンはびくりと肩を震わせた。
「アルベルト、大丈夫だよ」
スカーレットはアルベルトを宥めると、自分の中の考えを整理するようにゆっくりと言った。
「ねぇ、状況を一つずつ整理しようよ。まずは毒の混入経路だよね。これはスープに含まれているか、リオンが言った通り銀食器に塗布されていた可能性の2つだと考えるとしよう。銀食器は毒に触れたらすぐに変色する。もし銀食器に毒が塗られていたらすぐ分かるよね」
その言葉にレインフォードが頷きながら答えた。
「ああ。俺がスカーからカップを受け取ったときには、銀の変色は無かった」
「ということは、銀食器に毒が塗られていたというのはあり得ない。つまり、ボクは犯人ではない。そして次に考えられるのは毒がスープに入っている可能性だ」
「スープに毒が入っていたのであれば、直接スープに混入させたか、材料に仕込んだかになるな」
スカーレットの言葉にレインフォードがその言葉を補足するように続けた。
「そうです。それで、一つ一つ調べていくのがいいと思うんです」
「じゃあ、まずは水を調べてみよう」
その時、ランが服の下に着けていたシルバーのネックレスを取り出し、スカーレットに渡した。
「これ、シルバーアクセだから毒に反応すると思う。使ってくれよ」
「ありがとう」
スカーレットはネックレスを受け取ると、水筒に残っていた水に漬けた。
するとネックレスはみるみるうちに黒く変色していった。
「毒が混入されていたのは水ってことになるな」
ランの言葉にスカーレットも頷いた。
ただ、この水自体リオンが用意したものだ。
リオンの事は信じているが、この状況ではリオンが犯人ではないと言い切れないのも事実だ。
今度は考え込んでいたレインフォードがリオンに尋ねた。
「この水はどうしたんだ?」
「昨日、ルーダスの井戸から汲みました」
「もし井戸水に毒が入っていたとなれば、町全体に被害が出る。それを考えると袋の水に毒を入れたと考えるべきだろうな」
レインフォードがそう言いながら視線を向けた先には、いつもリオンが使っている水袋があった。
「でも……僕は……僕はやってない……」
リオンは俯き、か細い声で言った。
小刻みに肩が震えていて、泣くのを何とか堪えているのが分かる。
「ボクはリオンが犯人だとは思ってないよ。リオンは傷だらけでレインフォード様を追ってここまで来たんだもの。それなのにレインフォード様を殺すわけないよね」
「スカー様……」
「だけど、原因ははっきりさせなきゃいけない。リオンが犯人でないことをしっかり示すことが必要だと思う」
「……はい。僕もそう思います」
「じゃあ、リオンが犯人ではないとすると、誰が袋の水に毒を入れたのかってことだよね」
スカーレットは考え込んだ。
水袋はいつもリオンが持っていた。では第三者が毒を入れるタイミングがあったのだろうか?
「そりゃ、リオンが目を離した隙に誰かが素早く毒を入れたんじゃねーの?」
「ランの言う通りだけど……目を離した隙に、か」
「あ!」
突然アルベルトが大きな声を上げた。
「ねぇスカー。あの時じゃないかな?」
「あの時?」
「ほら、ひったくりに遭ったじゃないか」
「あ!」
確かに、ルーダスの町を歩いていた時に、ひったくりに遭い、犯人は水袋の入ったリオンのバッグを持って逃げた。
そして何故かそのバッグを、森に捨てていった。
もし、ひったくり犯の目的がリオンのバッグの中の袋だったとしたら。
水袋に毒を仕込むためにバッグを奪い、そして捨てて逃げ去ったのだとすれば、すべての辻褄が合う。
(だからあの時、荷物を捨てたことに違和感を感じたんだわ)
スカーレットの中で全てが繋がった。
だがレインフォードは状況が呑み込めていないようで、スカーレットに説明を求めてきた。
「どういうことだ?」
「実は、ルーダスでリオンのバッグがひったくられたんです。犯人を追いかけましたが、犯人は逃げる途中でバッグを捨てて逃げてしまいました。ですからバッグはこうして取り戻せたのですが……」
「なるほど、その時にバッグに入っていた水袋に毒を入れたというわけか」
レインフォードの言葉にスカーレットは頷いた。
ひったくり犯が狙ったのは、リオンのバッグの中にあった水だった。そして、その水に毒を入れたあと、あえてバッグを返した。
スカーレットたちはそれには気づかずに、毒入りの水でスープを作ってしまったと推測された。
説明を聞いたレインフォードは数秒考えるそぶりを見せた。その時一瞬だけ、レインフォードの瞳に剣呑なものが浮かび、スカーレットはゾクリとした。
驚いてもう一度レインフォードの顔を見た時には、もういつもの表情に戻っていた。
(見間違いかしら……)
戸惑っているスカーレットをよそに、レインフォードは冷静に結論をまとめた。
「リオンが犯人ではないと分かった。それに、みんなが毒入りスープを飲む前に気づけて良かった」
その言葉に、全員が大きく頷いた。
被害がなかったのは不幸中の幸いである。
「スカーがこのカップを用意してくれたお陰だな。ありがとう」
「いえ。お役に立ててよかったです」
「これからも道中何が起こるか分からない。王都まであと数日で着く。危険が伴うが引き続きよろしく頼む」
レインフォードはそう言って頭を下げたが、その場の全員が軽く笑いながら答えた。
「気にしないでください。スカーからたんまり礼を貰うんで」
「俺も楽しいことが色々起こるので問題ないです。な、アルベルト、スカー」
「なんでそこで僕たちの名前が出るんだよ。……まぁ、スカー一人に護衛は任せられないですからね」
3人とも笑いながら言うと、レインフォードは珍しく笑い声をあげた後、呆れたように言った。
「ははは! なんだか俺のためというよりスカーのためみたいに聞こえる。みんな、スカーが好きなんだな」
「え! ちょ、ちょっと! 3人とも! 任務はレインフォード様を護る事なんだよ! 間違えないで!」
スカーレットは慌ててそう言ったが、3人は既にスカーの話を聞いておらず、そんなやり取りを見ながらレインフォードもそれを楽しそうに見守っていた。
その光景を見ながら、スカーレットの中では毒事件が解決できたことに安堵していた。
同時に、一つはっきりしたことがある。
(やっぱりイベントの発生場所はゲームとずれてるんだわ)
だが、これでゲームで発生する死亡イベントは終わったはずだ。
あとは王都への旅路を急ぐだけである。
そう思うスカーレットだったが、まだ心に引っかかるものがあった。
それはあのひったくりに遭った時に感じた違和感。いや、それ以前から感じているものだ。だが、それが何か分からない。
(考えすぎかしら)
連続して刺客に襲われているせいで、少し神経が過敏になっているのかもしれない。
スカーレットはその形のない不安を振り切るように頭を振ると、楽しそうに笑うみんなの会話を聞きながら、昼食を楽しむことにしたのだった。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
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1部も後半戦に入ります!引き続き読んでいただけると嬉しいです




