出立の日
予想外に留まることになったルーダスから出立する朝、思いがけない人々が出発準備をしているスカーレットの元へとやって来た。
それは丁度、馬の準備をして、いよいよ出発という時だった。
「よう、ボウズ!」
歩きながら片手を挙げてそう言いながら歩いてきたのはサントスだった。
その後ろにはマチルダとルーベンスが続き、3歩程後ろには杖をついてよろよろと歩くローテルドの姿があった。
「皆さん、どうしたんですか?」
「どうしたってよ、見送りだよ。これから出立するんだろ?」
「はい、そうですけど。わざわざ来てくださったんですか!?」
「あたりめーよ! ボウズと兄ちゃんには世話になったからよ」
サントスはスカーレットとレインフォードに向かってそう言ったので、どうやら「兄ちゃん」とはレインフォードを指しているらしい。
不敬なのでは……とちらりとレインフォードを盗み見たが、彼は優しく微笑んでいるだけで、特段気分を害した様子はなかった。
サントスの言葉に続いてマチルダもうんうんと頷きながら言った。
「そうだよ。2人のお陰で話をまとめられたんだしねぇ。ルーベンスさんも胃痛が収まったようだよ。あのままじゃ倒れかねなかったしね」
「マチルダさんの言う通りです。方向性が見えて安心しました。一時はどうなるかと……」
思い出したようにルーベンスは胃を押さえつつ、安堵のため息をついた。
「お役に立てたなら嬉しいです」
「それに、跳ね橋のアイディアもとても参考になりました。その案を基に検討を進めてみます」
「跳ね橋?」
ルーベンスの言葉にレインフォードは首を傾げた。
スカーレットは昨日、要件定義書をまとめていたとき、なにか対応案が無いかと考えた末、跳ね橋にするという案がひらめいたのでそれをルーベンスに提案したのだ。
日本には洪水時にあえて橋を沈下させることで橋の破損を逃すように設計された「沈下橋」という橋があると前世で聞いたことがある。
今回、沈下橋を構築する案を考えたのだが、流木や土砂などが引っかからないように工夫するとなると石造りなってしまう。
そうなるとローテルドの要望を満たせない。
そこで逆転の発想で跳ね橋ならどうかとルーベンスに提案したのだ。
跳ね橋であれば、大量の水が流れた場合に、橋を上げてしまえば壊れることもないし、水量が下がったあとに橋を下ろせばすぐに通ることができる。
木造で作るのでガタガタすることもないし、初期の工事費はかかるかもしれないが、費用対効果を考えれば決して無駄にはならない。
「なるほど、面白い案だな。スカーが一人で考えたのか?」
「あ、はい。実現性があるか不安だったのですが、意見が参考になったようで良かったです」
そう話していると、今度は遠くからスカーレットを呼ぶ声が聞えてきた。
「おーい!」
声の方を見ると、昨日手伝った食器屋の店主がこちらに向かってやってきていた。
膝を痛めているせいか、気持ちは急いているようだが走れずにいる。
ようやくスカーレットたちのもとへ辿り着いた際には、ぜえぜえと息を切らしていた。
「スカー、それにアルベルト。昨日はありがとう」
「いえ、こちらこそお世話になりました。バイト代も多くもらってしまって、ありがとうございました!」
「バイト?」
またもやレインフォードが首を傾げた。
「昨日、こちらのお店で働かせてもらったんです」
「えっ?」
状況が呑み込めずに戸惑いの表情を浮かべているレインフォードには気にも留めず、店主は話を続けた。
その手には昨日スカーレットが届けた改善資料がある。
「こんなに細かい資料をもらえて参考になったよ。まさか利益がこんなに少ないなんて気づかなかった。それで一つ教えて欲しいんだけど……」
「あぁ、それなら……」
スカーレットが昨日手渡したのは、在庫管理の資料とそれをどこで買い付けたか、そしてその金額をまとめた資料だった。
それに少しばかりの意見を書いたのだ。
棚卸の資料を作っている際に気づいたのだが、彼の店ではかなり遠方から珍しい食器を仕入れていた。
だがそれが売れるのは稀なようで、在庫が余っていた。つまりそこまで売れる商品ではないのだ。
かつ、遠方での仕入れを考えると買い付けに時間も費用も掛かる。
費用対効果を考えるとあまり効率的ではない。
他にも大量購入で費用を押さえているのかもしれないが、売れるのは少数で大量の在庫を抱えてしまっている。
むしろ、普段使いの木製食器などの方がよっぽど売れているのだ。
店主の中ではレアな商品が高額で売れるという先入観があったため、このような結果になったのだろう。
スカーレットがそうして昨日の資料を見ながら店主の質問に答えていると、レインフォードがその資料を食い入るように見ていることに気づいた。
何かを考えているようで、じっと書類を見つめたあと、今度はスカーレットをじっと見つめる。
その視線がなんとなく居心地が悪く、スカーレットは恐る恐る声をかけた。
「あの……レインフォード様?何か?」
「この資料、スカーが作ったのか?」
「そうですけど」
「……凄い能力だ。ますます欲しくなったな」
「?」
レインフォードは小さく何かを呟いたと思うと、スカーレットに真剣なまなざしを向けて言った。
「前も聞いたが、お前は王都に着いたら領地に戻るのか?」
「はい。その予定ですけど」
「もし俺が城に残ってほしいと言ったらどうする?」
「と言いますと?」
その問いの意味が分からない。
何故城に残ってほしいなどと言うのだろう?
首を傾げているスカーレットに対し、レインフォードははっきりと告げた。
「城で働かないか?お前の能力を俺の元で活かしてほしい」
「ええっ!?」
レインフォードからの突然の申し入れにスカーレットは自分の耳がおかしくなったのではないかと思ってしまった。
何をどうしてレインフォードがそう言ってくれたのか分からない。
王太子直々のスカウトなど普通の人間なら小躍りして喜ぶほどの名誉で、二つ返事でOKするだろう。
だが、スカーレットは普通ではない。性別を偽ってレインフォードの護衛をしているのだ。
推しを間近で見ていられるのは嬉しいが、これ以上女であることを隠し通すのは難しい。
「そんな、買い被りです。ボクには国政の仕事ができる能力なんてないですよ。レインフォード様を王都までお送りするのがボクの役目です。それが終わったら領地に戻ります。それは父との約束ですし」
(それにこれ以上一緒にいたら女だってバレそうだし……)
心の中でそう思っていると、レインフォードは神妙な顔のままで言った。
「なるほど。分かった」
それきり黙ってしまい、スカーレットはどう反応していいのか困ってしまった。
レインフォードからのせっかくのスカウトを無下に断ったことに怒っているのかと思ったが、その表情を見るにそのようには見えない。
(ど、どうしよう。もうこの場を離れてもいいかしら)
スカーレットが困惑していると、突然カラリとした声がして、この微妙な空気を払拭した。
「ああ、間に合ったみてーだな。みんなから聞いたぜ。橋の件、色々アドバイスしてくれたんだってな。これ、礼だ」
やって来たザイザルがそう言って水色の紙で包まれた包みを差し出した。
「海賊亭特製のサンドイッチだ。道中で食ってくれ」
「いいんですか?」
「あぁ、手伝ってくれたからな。礼なんだ、受け取ってくれ」
「ありがとうございます!」
短い間の邂逅であったにもかかわらず、こうして結ばれた縁にスカーレットの心が温かくなった。
こうして、思いもかけず多くの人に見送られながら、スカーレットはルーダスの町を後にした。
※ ※
先ほどから、レインフォードの視線が気になる。
スカーレットが視線を感じてふと見ると、必ずレインフォードと目が合うのだ。
気にしないようにして前を見ても、レインフォードの視線が自分に向けられているのがなんとなく分かる。
このままずっと意味深な視線にさらされるのかと思うと、そわそわして落ち着かない。
とうとう耐えかねて、スカーレットはレインフォードに視線の意味を尋ねることにした。
「あの……レインフォード様。ボクが何かしましたか?」
「いや。ちょっと考え事をしていた」
レインフォードの答えを聞いても意味が分からない。
自分を見て考え事をするなど、一体どういうことだろう?
(はっ! まさか女だってバレた!? それとも疑われてる!?)
内心ドキドキしながら、スカーレットはレインフォードの視線から逃れるように、アルベルトの後ろに隠れた。
「どうしたのさ?」
「なんか……さっきからレインフォード様が見てくるんだけど。私、何かしたかしら?」
「うーん、僕が見ている限りでは特に思い当たらないけど。女かもって疑われるようなことをしたか心当たりはないの?」
「ない……けど……」
スカーレットは自分の行動を振り返ったが、特段何かした記憶はない。
もし本当に女だとバレていたのならレインフォードはそのことを言ってくるだろう。
何も指摘されていないのであれば女であるという確証がないためだと考えられる。
ならば、なるべく普段通りに振舞っていたほうが無難だ。
(まぁ考えても仕方ないわよね。バレた時のことはバレた時に考えればいいわ)
そう割り切ることにしたスカーレットのお腹が控えめに鳴った。
キュルキュル……
「!!」
全員の視線がスカーレットに集中する。
顔が羞恥で赤くなっていることが自分でも分かった。
「えっと、すみません」
実は昨日の夕食と今朝の朝食をあまり食べていないのだ。
昨日はアルバイトをしたのち、部屋に戻ってすぐに要件定義書をまとめ、そのあとには食器屋の経営報告書を作成したのだ。
資料作成に集中しすぎて、夕飯は部屋で軽食を取った程度で、資料完成後は疲労から意識を失うようにぐっすり寝てしまった。
そして朝、気づけば寝坊してしまっており、朝食はフルーツしか食べられなかった。
「いや、そういえばスカーは朝食をほとんど食べてなかったな。時間的にもちょうどいい。昼食にするか」
「レインフォード様、すみません。ありがとうございます」
「じゃあ、僕はスープを用意します」
リオンはそう言って昨日購入していた食材を取り出し、スープを作り始めた。
「リオンは具材を切っててくれ。俺たちが火を起こしておく」
「ラン様、ルイ様、ありがとうございます」
ランとルイはそう言って小枝を取りに森の奥へと向かい、リオンはナイフで器用にジャガイモの皮むきを始めた。
それを見たアルベルトとレインフォードもまた手伝いを申し出た。
「俺も手伝おう」
「僕も手伝うよ。ジャガイモの皮を剥けばいい?」
「アルベルト様、ありがとうございます。レインフォード様はこのように角切りにできますか?」
「やってみよう」
そう言ってレインフォードはナイフを使って、リオンが皮むきを終えたジャガイモを丁寧に角切りにしていく。
王太子がジャガイモを角切りに切っていくなどなかなかレアな光景である。
しかも、スカーレットならばざっくり切ってしまうと思うが、レインフォードは丁寧に大きさを揃えて切っていく。
細部まで手を抜かないレインフォードの性格が窺える。
一方、アルベルトに目を向けると、こちらも手早く皮むきをしている。
アルベルトが皮むきを出来るのが意外で、スカーレットは思わず目を見張ってアルベルトの顔を見た。
貴族の子息が皮むきを出来るなど聞いたことがない。そもそも普通は包丁すら握らないだろう。
その視線を感じたアルベルトは苦笑しながら答えた。
「ウチがどれだけ貧乏かはスカーも知ってるでしょ? このくらいできるようになるよ」
「そう……迷惑かけてたんだね」
「スカーは一生懸命やってくれていたんだ。このくらい平気だよ」
そう言いながらも、アルベルトはあっという間にジャガイモの皮を剥き終えると、また一つ新しいジャガイモを手に取り、皮むきを続けた。
「じゃあボクも皮むきをするよ」
ジャガイモを手に取ろうとしたスカーレットを、レインフォードがそれを止めた。
「ずっとあの書類を作っていたのだろう? スカーは少し休んでいるといい」
「でも……あれは自業自得というか、自分で引き受けたものですから。みんなが働いているのに休めないですよ」
「あの資料は俺も勉強になった。気にするな」
「そう言われても……」
スカーレットが渋ると不意にレインフォードがスカーレットの顔に手を伸ばし、その頬に触れた。
細長く形の良い指がスカーレットの頬を滑るように撫で、触れた指先からかすかに伝わる熱にスカーレットは思わず息を呑んだ。
「!?」
「顔色があまりよくない。スカーが疲れていたら、刺客に襲われた時に対処できない。俺のためにも休んでもらえると嬉しい」
突然のレインフォードの行動にスカーレットの心臓がバクバクと早鐘を打った。早く脈打つ心臓を落ち着かせるためにも、レインフォードの厚意に従って休むことにした。
スカーレットはレインフォードの指示に従うことにした。
「は、はぁ……。では申し訳ないのですが少し休ませていただきますね」
こうして休憩を貰うことにしたスカーレットは、ライザックが止まっている木を見上げて声をかけた。
「ライザック・ド・リストレアン、おいで」
名前を呼ぶとライザックが木の上からスカーレットの腕へと柔らかく止まった。
ライザックの傷は思ったよりも早く癒え、すでに自力で飛べるようになっていた。
もう自然へと戻っても大丈夫だと思うのだが、スカーレットを親だと思っているのか、はたまた手当てをした礼なのか、こうして旅について来ている。
スカーレットはライザックに食事を与えながら先ほどのことを考えていた。
(はぁ……レインフォード様ってスキンシップが多い気がするわよね。あぁ、でも男性同士だとあのくらい普通なのかしら?)
レインフォードは何気なくやっているのだろうが、こちらとしてはやはり推しに触れられるとドキリとするものはある。
正直、心臓によろしくはない。
(まぁ、あまり意識しないようにしましょう)
心の中で「私は男。スカーは男」と言い聞かせていると、不意にスープの良い香りが漂ってきた。
同時に遠くからスープが出来上がったというスカーレットを呼ぶ声が聞えたので、スカーレットは平常心を取り戻すべく、もう一度深呼吸して胸の鼓動を抑えてから、皆の元へと戻った。
いつも読んでいただきありがとうございます!
第一部も後半になっております。引き続きよんでいただけると嬉しいです
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