ここは「マジプリ」の世界
そしてスカーレットは夢を見た。
いや、夢ではない。前世の記憶を思い出したのだ。
その記憶によると、前世ではスカーレットは橘 葉子という女性だった。
思い出した段階では葉子は20代半ばを過ぎた会社員でSEとして働いていた。
人員削減の中、一人でシステム開発と保守を行っており、サービス残業は当たり前。机の上にはエナジードリンクの缶が何本も並んでいるような有様だった。
家に帰るのは寝るためだけで、日々の生活は家と会社との往復で終わるような毎日。
そんな葉子の心の支えは、妹に勧められてハマった乙女ゲーム「マジらぶプリンセス」だった。
「マジらぶプリンセス」は次のようなストーリーだ。
舞台はディアスブロン王国。主人公ミラ・ジルベスターは孤児院で育ったが、実は子供の頃に誘拐された伯爵令嬢だったことが判明し、王立学園に入学する。
その生活の中で攻略対象と出会い、さまざまなイベントを通して好感度を上げて恋愛エンドを目指すという、ある意味テンプレの乙女ゲームだ。
だがキャラデザもいい上に、各ルートのストーリーは複雑な伏線が張り巡らされていて読み応えがある上に、感動ポイントがあるためプレイするごとに号泣する秀逸な内容であった。
攻略キャラは、先輩のデニス・ラウダーデン、ディアスブロン王国の王太子レインフォード・ディアスブロン、生徒会の同級生アルベルト・バルサー、そして騎士団長カヴィン・タンデルスの4人だ。
チュートリアルの段階でこの4人の攻略対象と出会い、ルート選択になるのだが、どのルートでもスカーレットは立場は違えど悪役令嬢として登場する。
例えば、カヴィンルートでは、カヴィンに密かに片想いをしていたスカーレットは、カヴィンと親密になるミラに嫌がらせをし、最終的には殺害を企てる。それをカヴィンに断罪され、投獄されて一生幽閉となるのだ。
他にもアルベルトルートでは、バルサー伯爵家の財産を狙っているという妄執に取り憑かれ、アルベルトとミラを亡き者にしようとする役どころだ。
こちらは国外追放の後に、山賊に襲われて死亡するというエンディングだ。
そしてデニスルートについてだが、スカーレットは婚約者であるデニスをミラに奪われまいとして、彼女に無実の罪を着せて社交界から追放しようと画策する。しかし、結果的に婚約パーティーで断罪され、婚約破棄されるのだ。
その後、社交界での居場所を失ったスカーレットは毒を飲み自殺するという結末を迎える。
今回婚約破棄されたということはデニスルートになったわけだ。
ただゲーム通りならばスカーレットはパーティーで公開断罪されるはずだが、スカーレットは婚約破棄されたものの結果として公開断罪にはならなかった。
なぜだろうかという疑問も若干あるが、そこはまぁゲームと全く同じにはならないのかもしれない。
それよりも重要なのは、デニスルートのエンディングが終わった今、他のルートにはいかなかったわけで、投獄や国外追放、死亡などのルートは辿らずに済んだことになる。
(そのことだけは不幸中の幸いよね)
「……さん? ……姉さん。スカー義姉さん!」
「えっ!?」
急に名前を呼ばれて、スカーレットはハッと我に返った。
どうやらこの間の婚約破棄のことを思い出していてぼうっとしていたようだ。
「どうしたの? やっぱり傷が痛む? 具合悪い? 馬車で轢かれた傷が癒えてないのに剣の訓練なんてやっぱり無茶だったんだよ」
スカーレットは婚約破棄された後、馬車に跳ねられて重体となり5日ほど昏睡状態に陥っていたらしい。
外傷は殆どなかったものの意識が戻らず、医者も手立てがないと匙を投げるほどだったとアルベルトから聞いた時にはスカーレット自身も驚いてしまった。
(それをきっかけにこの世界が乙女ゲームだって分かったんだけどね)
「全然平気よ。ただ、ちょっとこの間のことを思い出してただけ」
スカーレットとしは特に深い意味はなくそう言ったのだが、その言葉を聞いたアルベルトは痛ましいげな表情をして眉を顰めた。
アルベルトの様子から、彼が婚約破棄のことをスカーレット以上に心を痛めていることに気づき、スカーレットは慌てて弁解した。
「そんな顔しないで! ほんっとに全然落ち込んでないのよ。そりゃ最初はこれまでの努力が無駄になったことはショックだったけど、別にデニス様と結婚したかったわけじゃなかったし。むしろ私は自分を偽って大人しくしているのも限界だったし……」
騎士の家系で、かつ剣術の好きなスカーレットにとっては剣を持てないことはストレスであり、また快闊な性格のスカーレットがお淑やかに小さく微笑んで「ほほほ」と笑うのも無理があった。
相当のストレスであったため、限界が来るのは時間の問題だったかもしれない。
「アルも無事に卒業できたしもう学費の援助も不要でしょ? だから婚約破棄された方が結果的に良かったわ。ただ、もうラウダーデン家の援助はもう受けられないから貧乏生活になっちゃうと思うけど」
「そのことはもういいんだよ。これまで義姉さんに甘えてた僕たちが悪かったんだし、父上も気にしなくていいって言ってたじゃないか」
今回婚約破棄されたことについては、父もアルベルトもデニスに対して怒りこそすれ、スカーレットを責めることはなく、むしろ屋敷に戻ってきたことを喜んでくれた。
そのことはスカーレットにとって大きな救いであり、2人には感謝しかない。
「それに、王都からこっちまで一緒に来てくれて迷惑をかけたわね。でも、もう明日帰っちゃうんでしょ?」
「うん、ごめんね。参加必須の研修があるんだ」
現在スカーレットは領地であるシャロルクに来ている。
父はシャロルクの屋敷に住み、スカーレットとアルベルトは王都の屋敷に住んでいたのだが、婚約破棄の件がありスカーレットはシャロルクで暮らすことにしたのだ。
アルベルトは今年官僚として王宮勤めをし始めたのだが、一人で領地に向かおうとするスカーレットを心配して一緒に付いて来てくれたのだ。
「本当はもっと3人で過ごしたかったんだけどね」
「それは次の機会にね。私はもうお嫁には行かないんだから、父様と二人でずっとシャロルクに居るんだし、アルベルトが帰って来るのを待ってるわ」
「お嫁に行く気はないの?」
「ええ。婚約破棄された女と結婚したいって男性なんて現れないと思うし。というかこの歳じゃもう行き遅れでしょ? それにもう淑女を演じるのはこりごりよ」
もう今までのように女だからダメとか、女だからこうしなくちゃいけない、といって我慢する生活はうんざりだ。
元々スカーレットは女性らしさを求められ男性の付属品のように生きる貴族の価値観には違和感を覚えていたが、前世の記憶を思い出したことで、その考えが更に強くなった。
だから自我を押し殺して結婚する必要がなくなった今、スカーレットは自由に生きることに決めたのだ。
「あぁ、でもアルが結婚してしまったらバルサー家を継ぐから私はこの屋敷を出ることになっちゃうのね。待ってるなんて言えなくなるのか」
「なら、スカー義姉さんは僕と結婚すればいいんじゃない?」
「っ!?」
余りにも突飛な提案に、驚きのあまり息を詰まらせてしまったスカーレットは、目を白黒させながらなんとか返事をした。
「な、なに?」
「もうお嫁の貰い手がないなら僕と結婚すれば、行き遅れなんて後ろ指を指されることもないし、ずっとこの家に居ることができるし。僕達は義理の姉弟なんだから結婚できなくないでしょ?」
アルベルトはそう言いながらスカーレットの顔を覗き込むように少しかがんだ。
驚いてライトグリーンの目を見開いているスカーレットは一瞬思考を停止させた。
だがすぐに一つの考えに思い至る。
(そっか。婚約破棄されて落ち込んでいる義姉を慰めようと、こんな気遣いをしてくれてるのね……なんていい子に育ったの!)
「アル! 貴方は本当に優しい子ね! 義姉さんはこんな優しい子に育ってくれて嬉しいわ」
「ちょっ! 撫でないでよ」
スカーレットが思わずアルベルトの髪をわしゃわしゃと撫でると、アルベルトは顔を赤くしながらその手を逃れようと身を引いた。
「子供扱いして! 僕は本気だっていうのに」
「はいはい、ありがとうね」
スカーレットの反応に、アルベルトはぶつぶつと文句を言っている。その様子を見ながら考えるのは今後の事であった。
(でも本当にこれからどうしようかしら。アルベルトが結婚したらこの家には居られないし。そもそもラウダーデン家からの援助はないから、当面の生活費も稼がなくちゃいけないわよね。はぁ……騎士にでもなろうかしら? そうしたら推しを間近で見ることができるかもしれないし)
「マジプリ」の中で、スカーレットの推しは王太子レインフォードだ。
騎士になって王宮に上がればレインフォードを一瞬でも見ることができるかもしれない。
ちなみに、なぜレインフォードが推しなのかと言うと、彼のキャラデザももちろん好きではあるが、一番はその性格だ。
王太子という立場に胡坐をかくことなく努力を惜しまない。困難にも立ち向かい、誇り高く真っすぐに生きようとしている姿は、仕事で行き詰って自暴自棄になりそうな葉子にとって眩しく映った。
特にゲーム中のセリフである「神は乗り越えられない試練はお与えにならない。それに俺はたった一人でも喜んでくれるのであればいくらでも力を尽くそう」というセリフは、葉子が「なんでこんなに苦労してシステム作ってるのに文句を言われるの!?」と泣きそうになった時に支えられた言葉だった。
レインフォードの言葉のおかげで「この仕事の難題も絶対に乗り越えられる!」と自分を奮起して難しい仕事にも取り組んで成功させた。
そうした結果、葉子はレインフォード沼にはまり、部屋の中は彼のグッズで溢れていたものだ。
推しのために使った諭吉は100枚は行っていたかもしれない。(あの時は栄一君ではなくまだ諭吉さんだった)
そのために仕事をしていたと言っても過言ではない。
もしレインフォードと出会わなかったら過酷な社畜生活で廃人になっていたかもしれない。
だからレインフォードは命の恩人でもあるので一度お目にかかりたいと思うものの、この世界では女は騎士になれないため、騎士としてご尊顔を拝むのは不可能なのだ。
ワンチャンあるとすれば夜会に出席した際に遠くから見ることが可能かもしれないが、ただでさえ窮屈で苦手なのに、婚約破棄された悪役令嬢というレッテルを貼られた今、夜会には出席したくもない。
そんなことを滔々と考えていたスカーレットだったが、先々の事など考えるよりまずは意図せず得ることができた自由を満喫することにしよう。
(久しぶりに稽古もできるし、稽古相手もいるんだからもうひと試合したいわね)
明日からはアルベルトがいなくなり、模擬試合もできなくなるのだ。
「さてと、休憩もできたし、もう一勝負するわよ!」
「ダメだよ。無理して倒れたら大変だし」
「あと一勝負だけ!」
「ダメ」
アルベルトは頑として譲らない。
こうなったらスカーレットがいくら粘っても無理だろう。
(でもまだ体を動かし足りないし、遠駆けに行こうかしら)
ずっと鬱屈した生活をしていた反動で、体を動かし足りない。
それに夕方に向かって心地いい温度になっている風で涼めたら気持ちいいだろう。
そう考えたスカーレットはタオルで汗を拭いつつ屋敷へと入ろうとするアルベルトに声を掛けた。
「じゃあ私ちょっと遠駆けしてくるわね」
「えっ? 何言ってるんだよ! 病み上がりなんだからダメだよ」
「大丈夫! ディナーの時間までには戻るから!」
「ちょっと! 僕も行くよ!」
「平気平気! アルも明日の出発準備もあるだろうし。じゃあ、行ってくるわね」
「あっ、ちょっと! スカー義姉さん!」
スカーレットはそう言ってアルベルトの制止の声も気にせず厩舎へと走り出した。
本日2回目の更新です!
まだまだ序盤ですが、ブクマいただいて引き続き読んでいただけると嬉しいです
あと、1万円札を諭吉にするか栄一するか…微妙な時期ですよね。
私はまだ栄一君にお目にかかったことはありません。