足止め
スカーレットの目の前には幅100mほどの川があった。
水は悠然と流れており、濁った様子もないが、川の底が見えないことから深さはそれなりにありそうだ。
橋があったと思われる場所のたもとには、幾人かの人間が集まって、川の様子を見ていた。
ルーダスの町の住人や、スカーレットのように旅の途中の者たちが困ったように眉をひそめている。
スカーレットはそのうちの一人に状況を尋ねることにした。
「すみません、ちょっといいですか?」
「ん、なんだ?」
金髪のヤンキーっぽい男性と黒髪に黒縁眼鏡をかけた大人しそうな男性がスカーレットの言葉に振り返った。
「あの、地図だとここに橋があるはずなのですが……」
「あぁ、流されちまったんだよな」
「ええっ! 流されたんですか?」
「ほらっ」とヤンキー兄ちゃんがクイッと顎で示した川岸には、直径が60㎝はあるかという大木が数本乱雑に折り重なっていた。
「あれが橋を直撃したんだ」
「あの木が上流から流れてきたってことですか?」
そんなことがあり得るのかと驚くスカーレットに対し、ヤンキー兄ちゃんは咥えていた煙草をぺっと地面へと吐き捨てると、そのまま靴でそれをぐりぐりと踏みつぶしながら答えた。
「この間、この辺一帯に雨が降ってよ。それで上流から流れて来ちまったんじゃないかって話してたんだ」
「そうなんですか……。こんな大木が流れるなんて凄い雨だったんですね」
「いや、そーでもねーんだよな。確かに雨は結構降ったんだけど、あの程度でこんな大木が流れるなんて、本当ついてねーよ。まったくおかげで王都から仕入れている食材が手に入らねー」
「橋の復旧の見込みって立ってますか?」
スカーレットがそう尋ねると、ヤンキー兄ちゃんは黒縁眼鏡の青年へと視線を移して尋ねた。
「先生はどう見積もってるか?」
「そうですね……橋脚が折れてしまっているので、2週間はかかってしまうと思いますね」
2週間などとてもじゃないが待っているわけにはいかない。
「王都への道はここしかないんですか?」
「迂回路はあるぜ。上流にあるトレル村ってところを経由すればいいけど、時間はかかるわな」
「そうですか……」
「あんたは商人か何かか?」
「えっ? あ、あぁ、そうです。それで王都に向かう途中なんです」
一瞬自分が商人のような恰好をしていることを忘れていた。
スカーレットが慌ててそう返すと、ヤンキー兄ちゃんは同情の色を顔に浮かべた。
「ま、残念だが、王都へは迂回路するしかねーな。はぁ、俺もメニュー考え直さねーとなぁ」
「メニューってことは、お兄さんは料理人なんですか?」
「おう。あ、俺はザイザルって言う。”海賊亭”って店をやってるんだ。よかったら寄ってってくれよな。じゃあルーベンス先生、そいうことでよろしくな」
ザイザルはそう言い残して、町の方向へと去って行った。
それをルーベンスと呼ばれた黒縁眼鏡の青年と二人で見送ると、彼はスカーレットに苦笑しながら話しかけてきた。
「旅の方もタイミングが悪かったですね。まだ雨季の前なので橋が壊れる頻度は少ないはずだったんですけど……」
「橋が壊れるのは結構多いんですか?」
「この辺は雨期がありますから、どうしても年に3,4回は橋が流されてしまうんですよ。あ、でも今の季節だとほとんど壊れることはないんですけどね」
ということは、スカーレットたちはよっぽどアンラッキーだったのだろう。
「迂回路へ向かうのであれば明日の方がいいと思いますよ。今から行ってもトレル村に辿り着くのは夜を過ぎてしまいますし。またいつ雨が降るかもわかりませんからね」
そう言ってルーベンスは空を見上げたので、スカーレットもまたつられて空を見上げた。
先ほどより更にどんよりとした雲が立ち込めていて、今にも雨が降りそうである。
「教えてくださりありがとうございました」
「いえいえ」
スカーレットはそう言ってルーベンスと別れ、レインフォードたちの元へと戻った。
「お待たせしました」
「あぁ、スカー、お帰り。どうだった?」
「上流から流れて来た木によって橋が壊れてしまったそうです。復旧までには2週間かかるとのことで、迂回路はあるみたいですけど、今日これから出発するのは止めた方がいいと言われました」
「なるほど」
レインフォードはその報告を聞いて少し逡巡したあと、頷いて判断を下した。
「分かった。仕方ないが、確かにこのままだと日が暮れてしまうだろう。今日はルーダスの町に泊ることにしよう」
その時、スカーレットはリオンの姿が見当たらないことに気づいた。
「あれ? リオンは」
「実はこうなるんじゃないかって話になって、リオンが先に宿の手配をしに行ってるんだ」
スカーレットの問いに、隣にいたアルベルトが答えた。
「そうなんだ。レインフォード様の采配?」
「まぁ、そうだね」
アルベルトの答えにスカーレットは驚いた。
(さすがレインフォード様。状況判断が早いわ)
こういうところもレインフォードの推しポイントの一つだ。
そう思って感心していると、リオンがパタパタと町のほうから走ってくるのが見えた。
「リオン、お帰り」
「スカー様もお戻りだったんですね」
「宿の手配をしに行っていたって聞いたけど」
「はい、一応部屋は押さえたのですが、2人部屋を3つしか取れませんでした。殿下には申し訳ありませんが、どなたかと相部屋になっていただくことになります」
リオンが心底申し訳なさそうに言うのを聞いて、レインフォードは優しく笑いながら首を振った。
「いや、俺は気にしない」
ここまでは良かった。
では部屋割りをどうするかという問題が発生した。
「殿下は誰と同室がいいか、ご希望はありますでしょうか?」
「俺は誰でも構わないが、強いて言うならスカーがいいな」
「えっ、ボクですか!?」
突然の指名にスカーレットは驚きの声を上げ、同時に予想外のことに心臓がドキリと鳴った。
なぜ、自分が指名されたのだろう?
「あぁ、お前が一番強いからな」
腕を見込まれるのは嬉しい。
だが男性と同室というのはやはり抵抗がある。
それ以前に、下手をしたらレインフォードに女性であることがバレる可能性もあるのだ。
「それは駄目です!」
スカーレットが断ろうと口を開く前に、ひと際大きな声で反対の意を唱えたのはアルベルトだった。
「先日のことを思い出してください! スカーは寝言が激しいんです。きっと煩くてレインフォード様は眠れないと思います」
(アルベルトおおお!)
この間苦肉の策で言った恥ずかしい設定を持ち出され、スカーレットは心の中で悲鳴を上げた。
年頃の乙女としてはそんな設定は耐えがたい恥辱なのに、それを再び持ち出されたことに泣きそうになった。
だが、レインフォードと同室になることを回避するには否定することはできない。
スカーレットはぎこちなく頷くしかなかった。
「あぁ、そうだったな」
納得するレインフォードの言葉のあとに、ランとルイが意見を言った。
「まぁ、リオンが妥当じゃないですかね?」
「俺もそう思いますね。俺とラン、アルベルトとスカー、レインフォード様とリオンがしっくりとくると思います」
確かにそれが一番妥当だろう。
「警護についてもレインフォード様の部屋をボクたちの部屋とランたちの部屋の間にすれば、問題ないね」
「ではそうしよう」
部屋割りが決まりかけた瞬間、その空気を打ち破るようにアルベルトが突然叫んだ。
「ちょ、ちょっと待ってください。僕がスカーと同室……?」
「そうだぜ。なんか文句あんのか?」
「一番ベストな部屋割りだと思うけど、そんなに慌ててどうした?」
何故かランとルイがニヤニヤと笑っている。
それに対して、アルベルトが反論した。少し顔を赤いのは気のせいだろうか?
「困るよ!」
「なんでだよ。別に男同士なんだから平気だろ?」
「スカーと2人きりで寝れるわけないだろ? というか、2人とも分かってるよね?」
「ほう、では俺がスカーと同室になろうか? まぁ、俺はスカーの寝顔を見ても風呂上りの姿を見ても、着替えを見ても平気だけどな」
ルイはいつもながらにクールに言い放つが、その笑みには意地悪そうなものが浮かんでいた。
それに対し、アルベルトはなにやら必死にスカーとの同室を拒否している。
「お前たちに見せれるわけないだろ!?」
(そんなに私と同室が嫌なのかしら)
義弟にそのように拒否され、スカーレットは若干ショックを受けた。
そんなスカーレットの心情を無視して、ルイとアルベルトの言い合いが続いている。
「じゃあ、そういうことで。アルベルトとスカーが同室で」
「~~!」
アルベルトは顔を赤くし、声も発せられないでいる。
その様子を見ていたスカーレットとレインフォード、リオンの3人は何を揉めているのか分からず不思議そうに首を傾げた。
ただ、スカーレットとしては、自分と同室になりたくないというアルベルトの言葉がやはりショックでおずおずと尋ねた。
「そんなにボクと同室は嫌?」
「そ、そういうことじゃないんだけど……まぁ、僕が理性と戦って、翌日寝不足になればいい話だからさ」
「?」
アルベルトががっくりと項垂れてそう言うが、その言葉の意味がやはりよく分からない。
しかし、アルベルトからはこれ以上突っ込まないでくれというオーラが出ていたので、スカーレットは疑問に思いつつも、それ以上追及することを止めた。
とりあえず話はまとまり、ようやくルーダスの町へ向かうことになった。
歩き出そうとした時、スカーレットの視界の隅に橋の残骸が見え、ふと考えた。
(確かにここまでの道はぬかるみも多かったけど、川の水は濁ってなかったし……大木が流れてくるほどの大雨じゃないって言ってたわね)
ヤンキー兄ちゃんが言っていたように、よっぽど不運だったのか。
はたまた上流でがけ崩れが起こり、木が流れてきてしまったのか。
少しだけ違和感を感じながら、流れてきた大木を見ていると、先を行っていたアルベルトに声を掛けられた。
「スカー? 行くよ!」
「あ、うん」
先程の違和感はすぐにスカーレットの中から消え、そのまま4人を追いかけた。
※ ※
スカーレットたちは宿に荷物を置くと、夕食を食べに”海賊亭”へ向かった。
この町は内陸に位置しているのだが、店名が敢えて”海賊”なのがなんとなく面白い。
(埼玉とか群馬とか海なし県の人が海に憧れがあるのと同じ感じかしら)
そう感じさせるように店内のインテリアは海に関連するものばかりだ。
浮き輪や貝殻、ドクロの絵柄の旗に、錨なんかも置かれてた。
だが、メニューはというと、まったく海のものは無かった。
その代わりこの土地の特産品である、大豆を使ったメニューが多かった。
どれも美味しく、お酒も進む。
すると隣に座っていたルイが店員を呼び止めた。
「あ、すまない。このワインを貰える?」
「かしこまりました」
ふとルイの前を見れば、既にワインボトルが1本開けられていた。
「ルイ、大丈夫? さすがに昨日の今日だよ。また二日酔いになっちゃうよ」
「昨日の酒はもう抜けた。今日はランも飲まないしそこまで深酒はしないさ」
「本当、お願いだよ。酔っ払って刺客と戦えませんでしたなんてことにならないようにして」
「分かってるって」
そう言いながらルイはグラスに入ったワインを口にした。
それを見たランがテーブルに崩れるようにして、ルイを睨みつけている。
「くそ……酒が飲みたい……」
「駄目だよ、ラン」
「分かってるって……はぁ。目の前にあるのに飲めない辛さ……」
スカーレットが窘めると、ランは渋い顔をしてぶっきら棒な答えを返してきた。
そんなランをルイは悠然とした様子でワインをぐいっと飲み干した。
その表情には「ザマァ」とでも言いたげな色が浮かんでいる。
絶対にランの悶える様を見て楽しんでいるのだろう。
本当に、いい性格をしている。
呆れた様子でそれを見ていたスカーレットだったが、不意に聞き覚えのある声が耳に届いた。
「そうは言いましても……」
(あれ? この声……)
声の方を振り返ると、店の隅のテーブルに先ほど会った黒髪眼鏡のルーベンスがいた。
テーブルには他に3人の年齢のバラバラな男女が座っており、ルーベンスは彼らに囲まれて困惑の表情を浮かべて座っていた。
「なんとかなんないもんかねぇ」
「壊れない橋を作ってくれよ、先生よー」
「ほっほっほっ、お願いしたいのぉ」
ルーベンスは3人の男女に詰め寄られており、恐縮したように肩を縮めている。
その様子は、猫に睨まれたネズミのように見え、なんとなく可哀想になってきた。
(何か困っているみたいだけど……)
どうやら何か無理難題を言われているのか、「でも」「しかし」と恐縮しながら繰り返している。
ルーベンスとは少し会話をした程度ではあるが、どうも気になってしまう。
というか、はた目から見ても周りの迫力に押されている様子が気の毒になってくる。
(まぁ挨拶くらいはした方がいいわよね。うん。そうしよう)
無視するというのもなんとなく気まずい。
ルーベンスの助けにはならないかもしれないが、自分が挨拶することで場の空気を変えることができるかもしれない。
スカーレットはそう思って席を立つと、アルベルトが不思議そうに声を掛けてきた。
「スカー、どうしたの?」
「あ、さっき話した人がいるんだ。ちょっと挨拶してこようと思ってさ。ちょっと行ってくるね」
そう言い残してスカーレットはルーベンスたちがいるテーブルへと向かった。
「こんばんは! さっきはどうも」
にこやかに声を掛けると、テーブルの全員がスカーレットを見た。
ルーベンスは一瞬きょとんとした表情を浮かべたが、そのあとスカーレットのことを思い出したのか頷きながら笑顔で迎えてくれた。
「あぁ、さっきの商人の方ですね。やっぱりこの町に泊ることにしたんですね」
「はい。お見かけしたのでご挨拶だけしようかと思って。何か白熱していらっしゃったんで、お邪魔になるかもと思ったのですが」
尋ねると、ちりちりの髪を後ろでまとめて生成りのエプロンをつけた小太りの女性が、スカーレットを憐れむように見ていった。
「ボウズも橋が壊れて足止めされっちまったのかい?」
「はい、そうなんです」
「なら橋は早く直して欲しいと思わないかい?」
「ボク達は迂回する予定なのですが、他の方々のことを考えると早く直った方がいいですよね」
「でしょ~? ほら、だからさっさと直した方がいいわよぉ!」
女性が鼻息荒くそう主張する。
かと思うと、隣に座っていた筋肉隆々でタンクトップ姿の中年男性が、その女性を押しのけてスカーレットに訴えた。
「いーや! 頑丈なのが一番さ! 絶対に壊れない、立派な橋を造るべきだと思うよな!」
「ほっほっほっ……ワシはガタガタ揺れない橋ならなんでもええさぁ。せっかくの牛乳が零れてしまうでのぉ。ほっほっ」
のんびりとした口調で白髪の長いひげの老人が言った。
そこにひょっこり現れたザイザルが、テーブルの真ん中にソーセージとポテトの盛り合わせを置きながら声を掛けてきた。
「よ、で、調子はどうだ?」
「どうもこうも……進まないです……」
「そんなに落ち込むなって、ルーベンス先生」
「そう言われても、皆さんの意見を全部取り入れられないですし……予算も決まってますし……早く纏めないと設計図も引けないですし……あああどうすれば……」
ルーベンスはがっくりと項垂れ、涙目になっている。
「えっと……色々と要望があって橋の修復に着工できない、ってことですか?」
「はい、そうなんです……」
話の流れから推測してスカーレットがそう尋ねると、ルーベンスはがっくりと肩を落とし、力なく答えた。
(なんか、この状況……覚えがあるわ)
そう、それは忘れもしない前世での出来事。
とあるシステム開発の時にあったユーザーからの無理難題と要望の嵐……
あの時と同じだ。目を瞑ればあの時の事が鮮やかに蘇る。
とても他人事とは思えず、スカーレットは気づけば提案した。
「それなら要件定義書をつくりましょう!」
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