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薄曇りの空の下、スカーレットたちはゆっくりと森の中を進んでいた。
湿り気を帯びた空気が、今にも雨が降り出しそうな気配を漂わせている。
「この先に休憩できる場所があります! 川も近いですし、馬を休ませましょう!」
先に様子を見に行っていたリオンが戻って来てそう言った。
リオンに先導されて木立を抜けると、柔らかな草の絨毯が広がる場所へと着いた。
馬が食べるにはちょうどいい草だ。近くには川もあるので水を飲ませることも可能だ。
スカーレットは馬から降りると、大きく体を反らせて伸びをした。
ずっと馬に跨っていたせいで、そろそろ腰が痛くなる。
(今日の目的地はリエノスヴートかぁ。あと3時間くらいで着くかしら)
リエノスヴートは川沿いにこのまま南下した先にある中継地で、王都から一番近い中核都市になる。
このリエノスヴートを通り、最後にドルンストという地方都市を経由して王都へ向かうというのがスカーレットたちの旅程になる。
気づけば旅も後半に差し掛かっていた。
今日までは特に死亡イベントは起きなかったが、リエノスヴートで夜に刺客に襲われるイベントがあるはずだ。
(確かゲームでカヴィンがそう言っていたはずだわ)
ゲームの通りならばそれまでは何も起こらないはずだ。
そう考えていると、地の底から聞こえるような低い声がして、声の方を振り返ればスカーレットの後ろでアルベルト、ラン、ルイがヘロヘロになっていた。
「気持ち悪い……」
「水……水くれ……」
「頭いてー……」
結局3人が帰ってきたのは明け方で、今は二日酔いでグロッキーになっている状態だ。
スカーレット自身、現世では二日酔いを経験していないが、前世では面倒な上司に付き合わされて二日酔いになってた経験もあるので(しかも一度や二度ではない)、辛さはよく分かる。
とはいえ、彼らの場合は自業自得だ。
むしろ、レインフォードの護衛を放棄している状態に呆れてものも言えない。
だが、リオンはそんな彼らを見て心配そうに眉をひそめると、小枝を拾って火をつけ始めた。
「大変ですね。二日酔いの薬を煎じますので、待ってくださいね」
(めっちゃいい子だ)
女の子ならいいお嫁さんになるだろう。
気遣いという女子力ではスカーレットよりも何倍も上だと思う。
もしかしてレインフォードがスカーレットを男だと疑わないのは、リオンという小柄で女子力の高い存在がそばにいるからかもしれない。
リオンは立ち上がると川の方へと向かって行った。
おそらく、水を汲みに行くのだろう。
スカーレットはその後を追った。
「あ、リオン、ボクも手伝うよ」
リオン一人に全てを押し付けるのも申し訳ない。そもそもリオンは昨日まで疲労で死んだように寝ていたし、小さな擦り傷と言っても、やはり痛むはずだ。
むしろスカーレットが率先して先行視察やこのような休憩準備をすべきだったと反省してしまう。
「大丈夫です。スカー様は休んでいてください」
「休むのはリオンだよ。ここまでずっと馬を走らせて疲れたでしょう? 怪我もしてるのに……少しでも休んだ方がいいよ」
話を聞いたところ、リオンはシャロルクで刺客に襲われた時、足を滑らせて傾斜から滑り落ちて気を失ってしまったらしい。
気づいた時にはレインフォードの姿はなく、襲撃現場には従者や騎士の遺体と壊れた馬車があるだけっだったため、レインフォードが死亡したと考えたらしい。
そして一刻も早くこの事態を国王へと報告するため、リオンは王都へと向かうことにしたのだと言う。
近くの村で馬を調達したあとは、昼夜を問わず馬を走らせ、グノックの手前でようやくスカーレットたちと合流できたという経緯だった。
このような経緯を聞くと、リオンの疲労がどれほどのものかは想像に難くない。
「でもやっぱりレインフォード様が言ってたみたいに出発を一日遅らせても良かったんじゃないかな?」
リオンの体調を慮ったレインフォードは出立を翌日にすることを提案したのだが、足手まといになりたくないとリオンが主張したため、ゆっくりでもリエノスヴートへ向かうことにしたのだ。
だが、小柄な体にかかる負担を考えると、無理にでも休ませるべきだったのではと思ってしまう。
「スカー様は殿下が仰っていた通り、心配症ですね」
「えっ!? レインフォード様がそんなこと言ってたの?」
「はい」
(それは……口うるさいということかしら……)
推しにそんなことを言われるのは少々ショックである。
だがスカーレットとしても言い分はあるのだ。
「それは悪かったかもしれないけど、殿下もリオンも我慢したり無茶ばっかりするからだよ」
「男なんですからそのくらいの無茶なんて普通ですよ。それに僕が寝ていた時だって、スカー様は深夜まで付き添っててくださったんですよね」
「え? そうだけど……。だって傷が痛んだら大変だし、目が覚めた時寂しいでしょ? 状況も分からないで混乱するだろうし……」
そう弁解するが、もしやあのことが迷惑だったということを婉曲に言われているのだろうか……。
思わず言葉が尻すぼみになってしまう。
そんなスカーレットを見て、リオンは小さく笑った。
「そういうところが心配性って言われるところなんです。でも……ありがとうございました」
少し照れた様子でリオンはそう言った。
そしてそれを誤魔化すように、川から水を汲む。
川の水は澄んでいて、水深がそれなりにあるのに水底の水草が揺れる様子が見える程透明だ。
だがシャルロクで見る川よりも流れが速く感じる。
「リオン、川の流れが速いみたいだね。気を付けて」
「分かりました」
「川の流れが速いのっていつもなのかな? それともこの辺は雨が降ったのかな?」
「両方だと思いますよ。先日、結構雨が降ったみたいですし、この辺は傾斜が多くて川の流れが早いみたいです。これから先は下り坂が続きますよ」
「なるほど」
馬に乗って下るのは馬の足にも負担がかかるので、引いて歩くしかないかもしれない。
今日の目的地であるリエノスヴートに、日暮れ前には着けるといいのだが。
そうしてリオンから水桶を受け取って、スカーレット達はもとの場所に戻ったのだが、そこには川の字に並んで寝ているアルベルトたちがいた。
「あぁ、二人ともお帰り」
そう言って出迎えてくれたレインフォードは、ランの傍にしゃがみこみ右手には水筒を握っている。
加えてルイの額には濡れたタオルが置かれていた。
どう見てもレインフォードが3人を看護している光景だ。
「……ウチの者が……本当にすみません……」
「気にしないでくれ。リオン、早く薬湯を煎じてあげてくれ」
「はい、かしこまりました」
肩を縮めるスカーレットにレインフォードは小さく笑うと、次に優しくリオンに指示した。
リオンは鞄の中から薬草を取り出した。
その中身がチラリと見えたのだが、ぱっと見ただけでもさまざまな種類の薬草が入っている。
スカーレットは思わず興味津々に尋ねた。
「リオンは薬草にも詳しいの?」
「いえ、詳しいというほどではないです。常備薬として僕が持ち歩いているだけです」
「どんなのがあるの?」
「そうですね……これは腹痛の薬です。あとこっちは頭痛薬ですね」
「へぇ」
この世界の薬と言えばやはり薬草になるのだろう。
(同じ乾燥した葉っぱにしか見えないけど、薬草も色々な種類があるのね)
感心してみていると、その中で一つだけ鮮やかな白の粉末の薬があった。
他の薬は薬草であるのにかかわらず、これだけなぜ白の粉末なのだろう。
なにか特別な薬なのだろうか?
「これは何の薬?」
「それは……、痛み止めです」
「じゃあ、リオンも傷が痛かったら飲んだ方がいいかもね」
痛み止めがあるならば安心だ。
一応スカーレットもバルサー家で使用している傷薬と痛み止めは持ってきているものの、量は多くない。
最悪の場合はリオンのを貰うことにしよう。
「僕の傷は耐えられない痛さじゃないので」
「そっか」
そうこうしているうちに、リオンが煎じた薬湯が完成し、アルベルトたちに飲ませると、ようやく青ざめた顔いろが通常の肌色に戻った。
「はぁ……生き返る」
「もう、ラン。当分禁酒だから」
「えっ!? そ、そんな! もちろんルイとアルベルトもだよな?」
「ランだけだよ」
スカーレットの言葉にランが慌てて詰め寄った。
「ちょっと待ってくれよ! だって飲んだのは3人でだろ? なんで俺だけなんだよ!」
「そんなの諸悪の根源だからに決まってるだろ」
スカーレットの言葉に今回巻き込まれたルイとアルベルトは勝ち誇った顔をした。
「ま、当然と言えば当然だ」
「本当だよ。僕たちは巻き込まれただけだからね。でも僕はスカーに言われなくても酒は当面飲みたくないけどさ」
「ひでぇなー。こういうのは連帯責任だろ!」
焦るランをよそに、ルイとアルベルトは他人事のように言った。
ルイに至ってはその態度から「ザマァ」と言っているような雰囲気が伝わって来る。
「ちっ……でも部屋で飲めばバレないんじゃ……」
ぽそりと呟いたランの言葉がスカーレットの耳に入って来る。
これは灸を据えないとだめだろう。
「もし、一滴でも飲んだら……」
「……飲んだら?」
「バルサー家の地獄の特訓合宿に強制参加させるからね」
「ひいいい、わ、分かった……飲まない」
折角戻った顔色が再び青くなっているランを見たレインフォードは、隣に座るアルベルトに耳打ちして尋ねた。
「地獄の特訓合宿って何なんだ?」
「あぁ、父がバルサー家に仕える騎士を鍛えるために定期的に行っている合宿です。百戦錬磨の騎士でさえ吐きながら倒れる特訓メニューをこなすんですよ」
そうしてアルベルトは特訓内容をレインフォードに小声で伝えたが、それを聞いたレインフォードは眉を顰め、口元を覆った。
「いや、もういい。聞いているだけで辛い」
カーレットはランにそう言い渡した後、レインフォードに向かって言った。
「レインフォード様、失礼しました。それでこれからのことですが、このままリエノスヴートに向かうことでよいでしょうか?」
「ああ、そうだな。時間的には今日はそこに泊ることでいいだろう。このまま行けば日暮れまでには着けるだろうし」
「それなんですけど、リオンから聞いた話だとこの辺りは先日雨が降ったらしいのです。加えて下り坂が続くようなんです」
スカーレットがそう言うと、リオンも頷く。それを見てスカーレットは話を続けた。
「それで道のコンディションはあまり良くないと思うので、馬に乗って移動というのは厳しいかもしれません。だから基本は徒歩で進むとし、そのことを考えるとリエノスヴートに日暮れまでに到着できるかは微妙です。まぁ、可能性の問題なのですが一応ご報告しておきます」
「なるほどな。じゃあ無理はしないでおこう。リエノスヴートまで行けなかった場合は野宿……は、この天気なら厳しいかもしれないな」
レインフォードは空を見上げたので、スカーレットもつられるように空を見上げた。
上空は先ほどよりも更に雲が厚く立ち込めている。レインフォードの言う通り雨が降る可能性が高い。
「確か、リエノスヴートの前に街があったはずだな」
レインフォードの言葉に、アルベルトが持っていた地図を出した。
ここから先に大きな川があり、その近辺にルーダスという小さな町があるようだ。
「リエノスヴートまで行けなかったらこの町に泊まろう。リオンの傷もあるし、あまり無理はしたくない」
「僕は大丈夫です!」
リオンはそう主張したが、レインフォードはそれには答えずスカーレットが肩から下げた袋に目を止めてくすりと笑って言った。
「いや、うちにはもう一匹怪我人がいるしな」
「ピー――!」
レインフォードの視線の先には、丸い瞳でこちらを見ているライザックの姿があった。
「ということで、俺も急ぎたい気持ちはあるが皆に無理はさせたくない。無理のない範囲でリエノスヴートを目指そう。どうせリエノスヴートを越えれば、王都まではすぐだ」
「分かりました」
こうして再び歩き出したスカーレット達だったが、残念ながら悪い想定が当たってしまい、山道は悪路だった。
ぬかるみが多く、傾斜がきつい場所がいつくもあり、馬に乗っての移動はできなかった。
結果、徒歩で進むことになっため、この調子ではやはりリエノスヴートに日暮れまで辿り着くのは難しい状況だ。
「無理すればリエノスヴートに行けなくないけど……微妙なラインだね」
隣を歩くアルベルトがスカーレットに話してきたので、頷きながら返事をした。
「そうね。でももし行くのであれば雨が降る前に辿り着ければいいんだけど」
「まぁ、この山道さえ抜ければ、後は平地だから馬を走らせれば着けるとは思うよ」
そう、この山道が一番の問題なのだ。
だから、ここさえ抜ければ後は楽に進めるはずだ。
そう思っていたスカーレットだったが、まったく予想していなかった事態が待ち受けていた。
ようやく山を抜け、平坦な道に出たスカーレットたちは予定通り馬を走らせると、やがて大きな川が見えてきた。
その川を渡つとリエノスヴートだ。
だが、その川を前にしてスカーレットたちは立ち尽くした。
「ウソ……橋が……無い?」
そう、リエノスヴートへ続く橋が無くなっていたのだった。