伸ばされた手②
だが、スカーレットの言葉がよほど衝撃だったのだろう。
レインフォードは目を丸くして固まっている。かと思うと、小さく微笑みならスカーレットの頭をぽんと撫でた。
「なら俺もここにいる」
意外な言葉に、今度はスカーレットが驚いてしまった。
「えっ! レインフォード様は休んでください」
「いや、リオンは俺の従者だからな。お前だけに負担はかけられないさ」
それはそうなのだが。
従者のために徹夜をする主人も珍しいと思う。
(まぁ、そこがレインフォード様の良いところなんだよね)
たぶん説得しても譲らないような気がする。
スカーレットは苦笑しながらベッドの脇にある椅子を勧めた。
「レインフォード様、あちらに椅子があるので座られたらいかがですか? 本当はボクが持ってくるべきなのでしょうけど……申し訳ありません」
「それは構わないが……」
なぜスカーレットが謝るのかが分からない様子のレインフォードだったが、不意にスカーレットの膝に視線が向けられた。
そしてその言葉の意味を理解したようで、ふっと笑った。
膝の上でライザックが気持ちよさそうに寝ているのに気づいたからだ。
「ライザック・ド・リストレアンもゆっくり寝ているな」
「はい。でも痛みがあるのかは分からないのですが……獣医さんがいればちゃんと診てもらえるんですけどね」
「獣医?」
(あぁ、この世界にはいないんだったわ)
聞き慣れない単語に首を傾げているレインフォードにどう説明すべきかを考えながら答えた。
「えっと、動物のお医者さんです。そういう方がいれば、ライザック・ド・リストレアンの怪我も見てもらえて、ちゃんと治ると思っただけです」
「そうかもしれないが、動物に医者が必要だとは思わなかったな」
「まぁ、そうですよね。確かにそれよりも人間のお医者様を増やす方が先ですからね」
この世界にはそもそも人間の医者でさえ不足している。
というより、前世の日本と比較して医療が格段に遅れているのだ。
その理由の一つは医者になるには膨大なお金がかかるからだ。
高等教育を要するため医者になるには非常に多くの学費が必要になる。そういった金が出せるのは貴族や一部の裕福な商人だが、あえて医者の道を選ぶ者は少ない。
「……奨学金があればいいのにな」
「ん? 奨学金とはなんだ?」
「国が医者の養成に学費を出資する制度のことです。お金を貸しつけて、医者になったら返してもらうとか、もしくは医者になってある程度の条件を満たした者はお金の返済はを免除するとかいった感じです。そういう国の制度があればって思っただけです」
実はスカーレット自身、前世では奨学金で学校を卒業した人間である。
貧富の差に関わらず教育を受けられるというのは非常にありがたい制度だと思う。
スカーレットのその言葉を聞いたレインフォードは、何やら考え込んでしまった。
(何か気に障ることでも言っちゃったかしら?)
部屋に沈黙が訪れ、非常に居心地が悪い。
何か言わなくてはと口を開きかけたその時、レインフォードが頷きながら言った。
「お前の考えは分かった」
「すみません。勝手な妄想を言いました」
「いや、参考になった。前向きに検討すべきだな」
そう言ったレインフォードの顔は為政者の物だった。
その時、目の前のリオンが小さく声を漏らした。
「ん……」
するとリオンがゆっくりと目を開ける。
琥珀色の瞳が現れ、ぼんやりと天井を見上げて、ぽつりと呟くように言った。
「ここは……」
「リオン!」
「あっ……殿下……。殿下、ご無事でしたか。……っ!」
体を起こそうとして顔を顰めたリオンをレインフォードは補助するようにその体を起こした。
「俺は大丈夫だ。お前こそ無事で良かった。もう死んでしまったかと思った」
「僕も殿下はお亡くなりになってしまったかと思ってました。安心しました。……ん?」
感動の再会という雰囲気だったが、突然リオンは自分の手の違和感を覚えたらしく、右手に目をやった。
そして一拍置いてから、状況を理解したようで、目を丸くして驚きの声を上げた。
「……うわあああ! あなた、なんで僕の手なんて握ってるんですか!? というか、あなた誰です!?」
「ボクはスカーって言うんだ。えっと、貴方はうなされてて……その、寂しそうだったから」
「うなされていた?」
スカーレットの言葉にリオンは怪訝そうな顔をした。
どうやらうなされていたことは覚えていないようだ。
「きっと悪夢を見てたんだと思うんだけど、覚えてないなら良かったかもね」
「も、もう結構です! 放してください!」
リオンはそう言ってスカーレットの手を勢いよく振り払うように乱暴に離した。
何故ここまで拒否されるのか分からないし、ちょっとショックを受けてしまう。
「あなた、よく男の手なんて握ろうと思いますね」
「えっ?そういうもの?」
「……」
渋面のリオンの反応に、思わずレインフォードを見ると、同意見というようにレインフォードも頷いた。
「俺は男にも女にも握られるのは嫌かもしれないな」
「そう言うものなのですね。すみませんでした。アルベルトは喜んでいたので、そういうものかと」
「……アルベルトは君に対してはちょっと変わった態度をとるからな。あまり参考にしない方がいいだろう」
スカーレットの周りの男性と言えば、婚約者だったデニスと父親、そして義弟のアルベルトくらいなのだ。
だからどうしてもアルベルトを基準に考えてしまうのだが、この口ぶりからするとアルベルトは特殊なのだろう。
「分かりました」
「それで、なぜスカーさんはここにいるのですか?」
「あぁ、ボクはレインフォード様の護衛なんだ」
「護衛!? あなたがですか!? ……殿下、失礼ですがこの方の身元は確かなのでしょうか?」
驚きと懸念が伝わってくる。
まぁ、小柄な自分がいきなり王太子の護衛などと言っては驚くのは理解できる。
「あぁ、彼はバルサー家の嫡男だよ」
「バルサー家……あの、『赤の騎士将軍』の、ですか?」
「そうだ。実はあの時、スカーが刺客を倒して俺を助けてくれたんだ。その縁で護衛を依頼した」
「あの刺客を……この方が?」
刺客の強さを知っているのだろう。
リオンの表情から”こんな弱っちそうな人間が刺客を倒した?”というのがありありと伝わって来る。
「まぁ、そういうわけで、王都に帰るまでスカー達に護衛をしてもらうことになった」
「”達”ということは他にも護衛がいるのですか?姿が見えないようですが」
鋭い指摘に、スカーレットもレインフォードも気まずい顔になった。
「えっと……ボクの義弟と親戚が一緒なんだ。ちょっと今はお酒を飲んでいるというか……。あ、でも剣の腕は確かだから安心してほしいな」
「はぁ」
リオンの不信感を露わにした視線に、スカーレットは肩を縮こませてしまう。
それはそうだ。
護衛なのに主人をほっぽり出して酒を飲みに行っているなど護衛とは言えないだろう。
リオンの云わんとしていることを察したレインフォードは小さく笑った。
「まぁ、いいんだ。それでリオン、お前は俺たちと別れて一人で帰れるか?」
「どういう意味でしょうか?」
「お前もあの刺客の強さを見ただろう?今回は無事だったが、次はどうなるか分からない。お前は一人で王都を目指すんだ」
「そんな! 僕だけ別になんて帰れません! お願いします! 一緒に連れて行ってください!」
リオンは必死になって訴えているが、レインフォードは眉間に皺を寄せて首を振った。
それを見たリオンは悔しそうに顔を歪め、唇をぎゅっと噛んでいる。
「足手まといならそのまま置いていっていただいて構いません! お願いします……」
絞り出すような声で訴えるリオンを見て、スカーレットは可哀想になった。
自分もレインフォードを守りたくて男装までしてついてきた。だからリオンの気持ちが痛いほど分かる。
「レインフォード様。リオンの同行を許してあげては駄目でしょうか?何かあればレインフォード様を優先させますが、ボク達4人ならそうそう敵に引けを取ることはないと思います。何かあったらリオンは全速力で逃げる。それであれば連れて行ってあげてもいいのでは?」
「はい! 何かあれば逃げます!」
スカーレットとリオンの懇願にレインフォードは難しい顔をして逡巡した後、ため息をついて頷いた。
「分かった。でもリオン、何かあれば先に逃げてくれ」
「ありがとうございます!」
レインフォードの言葉にリオンの顔が一気に明るくなった。
そして次にスカーレットに向き直ると可愛らしい笑みを浮かべた。
「スカー様もありがとうございます! どうぞよろしくお願いいたします!」
「こちらこそよろしくね!」
こうして旅の仲間が一人増えることになった。
そして明け方にようやく帰ってきた3人を含めて、翌日の昼にスカーレット達はグノックを出発することにした。