伸ばされた手①
蝋燭の揺らめきに合わせて、スカーレットの影もまた揺れた。
4人部屋には、今は眠っているリオンと、その傍らに座るスカーレットだけがいた。
スカーレットとレインフォードが酒場から戻ってきてから、すでに3時間以上が経過していた。
だいぶ夜が更けてしまっているのだが、アルベルトたちはまだ帰ってこない。
アルベルトがランとルイに早く帰ろうと急かすが酔っぱらった2人が動かず途方に暮れているところまで想像できる。
ランはスカーレットがいた時からすでに相当飲んでいたので今頃はアルベルトに絡んでいるかもしれない。
彼は酔っ払うと何故かアルベルトとスカーレットにだけ絡むのだ。
(社交界だとびしっと決めちゃって全然そんなことないのに……本当に外面がいいんだから!)
そしてルイはきっと、ランに絡まれているアルベルトを他人事のように見て楽しんでいるに違いない。
この時間まで帰ってこないと言うことは、下手をすれば明け方まで帰ってこないかもしれない。
スカーレットはそんなことを考えながら、目の前で眠るリオンを見つめた。
リオンの傷は擦過傷だけではあるが傷は全身の至る所にあり、見るからに痛そうである。
(こういう小さな傷も結構痛いのよね……)
綺麗な顔に痛々しい傷ができているのを見て、スカーレットはそう思った。
リオンの顔色は意識を失う前は血の気が失せたような顔色だったが、今はほんのりと赤味を帯びているのを見て、スカーレットは少しだけ安心した。
レインフォードにリオンの事を少し聞いたが、リオンは現在16歳だという。
10歳の頃に縁あってレインフォード付きの従者として仕えていて、剣の腕は自分の身を何とか守れる程度らしいが、レインフォードの身の回りの世話と機動性の高い小柄な体格を生かした斥候として、今回の旅に同行したらしい。
シャロルクでの一件で、逸れてしまったとのことだったが、必死に追いかけてきたのだろう。
(こんな子供なのに……よく頑張ったわね)
スカーレットとは2歳しか違わないが、スカーレットの中身は20代半ばなので、なんとなく家庭教師先の教え子を見るような感覚になってしまう。
なんというか、守ってあげなければと思ってしまうのだ。
だからどうしても心配で、こうして深夜にも関わらず傍にいてしまうのだ。
リオンを見ながらスカーレットは膝の上で眠るライザックをそっと撫でた。
タオルを敷いた箱で休ませようと思ったのだが、スカーレットにすっかり懐いてしまったようで、膝に乗せないとピーピーと鳴くのだ。
結果、スカーレットは膝の上に乗せたライザックを撫でながらリオンの看護をしているという状態だ。
「ふわぁ……ちょっと眠いかも……」
いくら剣術に優れているとはいえ、スカーレットの体力は普通の女性と変わらない。
ここまで強行軍で来ているので、深夜になるとさすがに眠気が襲ってくる。
この部屋に来る前にコーヒーを持ってきたのは正解だった。とはいうものの、この程度のカフェインでは目が覚めない。
「エナジードリンクがあれば徹夜なんて全然平気なんだけどな」
リオンはぐっすり眠っているようなので、このまま自分も部屋に戻って休むという選択肢もあるが、怪我人を一人放置して隣の部屋でぐーぐーと寝る気にもならない。
それに目が覚めたら知らない部屋で一人きり……というのもリオンは驚いてしまうであろう。
そう考えてスカーレットは部屋に留まることにした。
まぁ、この程度の疲労も眠気にも耐えて徹夜することは、前世ではよくあることだった。
それを考えれば徹夜など屁でもない。
「でももう一杯コーヒー貰ってこようかな」
スカーレットはそう思いつつ、欠伸を噛み殺しながら立ち上がろうとした。
その時だった。
「うっ……」
「リオン!?」
急にリオンが呻いたのでスカーレットはすぐに駆け寄った。
もしかして急に傷が痛み始めたのか、もしくは目を覚ますのか。
だが様子がおかしい。
眉間に皺を寄せて苦しそうに短く呼吸を繰り返していている。
「う……止めて……熱い……熱い……ミス……ティ……どこ……」
食いしばった歯の隙間から言葉が漏れる。
そして誰かを追うようにリオンは手を伸ばした。
「待って……燃えちゃう……ミスティどこ……助け……」
途切れ途切れに発せられる言葉はあまりにも悲壮な声で、伸ばされた手はリオンが助けを求めているように見えた。
だからスカーレットは思わずその手を握りしめた。
「リオン、大丈夫?」
するとリオンは虚ろな目でスカーレットを見つめて、縋るように手を握ってきた。
「もう燃えて……ない?」
何か燃える夢を見ているのか。
夢か現かも分かっていないのかもしれない。リオンの切実な表情を見て、スカーレットはその手をしっかり握り返し、ゆっくりと語り掛けた。
「大丈夫。燃えてないわ」
「一人……じゃない? 一緒に……いる?」
「ええ。ここにいるわ。傍にいるから安心して」
「う……ん……」
リオンはスカーレットの言葉に安堵したように小さくほほ笑んで、再びその瞼を閉じた。
今度は穏やかな表情で規則正しい寝息を立てているのを確認し、スカーレットはほっと胸を撫でおろした。
きっと怖い夢を見ていたのだろう。
繋がれた手は、もう固く握りしめてはいなかったが、なんとなくこのまま離すのが躊躇われて繋いだままにした。
その時、コンコンとドアがノックされる音が響き、スカーレットは反射的にドアを見た。
ようやくアルベルトたちが帰ってきたのだろう。
スカーレットはやれやれと思いながら返事をした。
「はーい! 開いてるわよ。ってか、遅い!」
あの三人はスカーレットの正体を知っている。
だから気軽に返事をしたのだが、入ってきたのは予想外の人物だった。
「……スカー、まだいたのか?」
「レ、レインフォード様!?」
まさかのレインフォードの登場に思わず目を丸くしてしまったスカーレットであったが、すぐに自分の失態に気づいて息を呑んだ。
今、スカーレットは完全に素だった。
だからいつもの口調で言ってしまったのだ。「開いている”わよ”」と。
(だ、大丈夫よね)
ドア越しであったから細かい語尾までは気づかない……だろう。
そう思うものの、内心ドキドキしながらレインフォードの次の言葉を待った。
「スカー、君はさっき……」
「は、はい」
マズイ、指摘される。
先ほど女性に対して見せたレインフォードの凍てつく表情を思い出し、スカーレットの背に冷たいものが流れた。
「誰が来たか確認しないのはどうかと思うぞ。それに鍵もかけてないじゃないか」
「えっと……それだけですか?」
「? それだけと言えばそれだけだが。他に何かあるのか?」
「いえ……そうですか」
スカーレットは心の中で盛大に安堵のため息をついた。
そもそも今日はお風呂上りの件といい、身バレのピンチばかりである。
油断しているつもりはないのだが、やはりまだ男装に慣れないのだろう。
(私は男! スカーは男!)
スカーレットは自己暗示のように心の中で呟いていると、レインフォードはそれには気づかない様子で、酷く真剣な顔でこちらを見てきた。
「“そうですか”ではなく、気を付けるんだぞ」
「あ、はい。すみませんでした」
スカーレットは素直に謝った。
確かに不用心だったかもしれない。
だが人間がドアの前の人間に殺意があれば、おそらくスカーレットは気づくことができるだろうから問題ないとは思うが、一応気を付けることにしよう。
レインフォードは寝ているリオンへと目を向け、スカーレットに尋ねた。
「リオンの様子はどうだ?」
「大丈夫です。この通りぐっすり眠っています」
「そうか。良かった。スカーは部屋に戻って休んだらどうだ?」
「いえ、私は大丈夫です」
「だが、夜も遅い。明日に障りがあるんじゃないか」
「でも、リオンが目覚めた時、一人だと寂しくないですか? 誰か居た方が安心しますよね」
「いや、そうかもしれないが……」
スカーレットの言葉にレインフォードはふと思い至ったように怪訝そうに尋ねてきた。
「……一応聞くが、君は夜通しここでリオンに付き添うつもりじゃないだろうな?」
「そのつもりですが……」
目が覚めた時に知らない場所で一人でベッドに寝かされていたらさぞかし不安だろう。
そう思ったからこそ、コーヒーを飲んで徹夜に備えたのだ。
しかし、スカーレットの答えに動揺したようで、慌てた様子でレインフォードは慌てた様子で確認の言葉を口にした。
「だが、朝まで目を覚まさなかったら徹夜になってしまうぞ」
「あ、それは平気です。3徹くらいまでなら何とか生きていけると思います」
前世では徹夜など日常茶飯事だった。
3徹目だとさすがに思考回路が鈍くなるが、そこは気力で乗り切ってきた。
だからこの程度の徹夜は慣れっこである。
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