女嫌い
酒場に足を踏み入れると、天井から吊るされたランタンの明かりと壁に備えられた蝋燭が、店内はオレンジ色に照らしていた。
酔っ払いたちの騒めきが至る所から聞こえ、陽気な笑い声が店内に絶え間なく響き渡る。
「おー! こっちだ!」
そう声が聞えたので店内を見回すと、大きく手を振っているランの姿が見えた。
テーブルに着くと、既にジョッキが8つ程空になって置いてあった。
他にはシーザーサラダやジャーマンポテト、炙りベーコン、ステーキなど、がっつり系から軽い摘まみまで、10皿ほどがテーブルに並んでいる。
スカーレットたちが席に着き、飲み物と追加の食事を注文する。
しばらくして運ばれてきたビールを手にすると、ランが乾杯の音頭を取った。
「かんぱーい!」
何に乾杯しているのかは分からないが、とりあえずみんなでグラスをぶつけて乾杯すると、スカーレットはジョッキのビールを一気に呷った。
ビールの心地よい刺激が喉を通り抜けていく。口の中にはほろ苦さが広がり、同時にホップの香りが鼻腔を抜けていった。
(はぁ……湯上がりだし、美味しい)
そう思ってスカーレットが目の前のジャーマンポテトに手を伸ばそうとすると、隣に座ったルイが不思議そうに尋ねてきた。
「スカー、珍しいな。お前がそんなにビールを飲むなんて」
「そう?」
「あぁ、お前はワインは好きだが、ビールは好きじゃなかったはずだろ?」
ルイに指摘されて気づいた。
確かに前世の記憶を取り戻す前のスカーレットはビールが苦手だった。
というか、ビールは庶民の飲み物で、貴族のスカーレットはほとんど口にすることがなかった。
戯れにランとルイが持ってきて屋敷で飲む機会もあったが、ビール特有の苦みが嫌いで、スカーレットは辞退して飲まなかった。
(前世の癖でついつい飲んでしまった!)
前世である葉子はビールが大好きで、ビール片手に会社の同期と愚痴を言いながら飲んでいたことがよくあった。
葉子の記憶が蘇ってから、嗜好も微妙に前世の影響を受けているのかもしれない。
「ええと……最近ビールの美味しさに目覚めたというか……きっと味覚が大人になったんだと思う。あははは。そ、それよりルイはエスカルゴのアヒージョ好きだったよね。確かメニューにあったから頼もうよ」
「本当だ。メニューにあるな。じゃあ注文するか」
スカーレットはそう言って話をそらした。
ルイの指摘のように、突然嗜好が変わったら疑問を持つだろう。
レインフォードの前では女であることを隠さなくてはならないのに、アルベルトたちには前世の記憶があることを隠さなくてはならないことに気づく。
隠し事は一つだけでも大変なのに、二つも抱えるなど面倒この上ない。
(はぁ、面倒だし、精神衛生上よろしくないわ)
そう思いつつ、スカーレットは残りのビールを飲み干した。
深いため息をついて顔を上げると、目の前に座るレインフォードがまじまじと見ていることに気づいた。
「どうしたんですか? ボクの顔に、何かついてます? はっ、もしかして泡ついてますか!?」
まさかビールの泡が口について髭のようになっているのでは。
そう思ったスカーレットは慌てて口を拭った。
「いや、そうじゃないんだ。ただ、スカーがお酒を飲むのが意外だったんだ」
「意外、ですか?」
どういう意味か分からずスカーレットは首を傾げた。
「スカーは童顔だろう? 背も小さくて子供みたいだから酒を飲むのが違和感に思ってしまったんだ。一応聞くけど、本当に飲める年なんだろうな?」
「な……」
至極真面目に尋ねてくるレインフォードの言葉に、スカーレットは言葉を失ってしまった。
その様子を見ていた3人が一斉に噴き出した。
「確かに、俺もそう思う」
ルイが皆の気持ちを代弁するように言った。
「酷い……」
立派な大人なのに子供扱いされてしまい、思わず膨れ面になってしまう。
それにフォローを入れるべく、口を開いたのはランだった。
「ははは! まぁ男だとそう見えるのは仕方ないけどよ、女ならちゃんとした大人に見えるから安心しろって!」
酔っ払っているランは自分の言葉の重要性に気づいていないようで、そう言って豪快に笑いながら残ったビールを一気に飲んだ。
だがランの言葉に青ざめたのはスカーレットとアルベルトだった。
(な、なんてことを言うの!?)
そしてレインフォードがランの言葉を受けて訝しげにスカーレットに聞いてきた。
「”女ならちゃんと”? ……どういう意味だ?」
「えっと……」
スカーレットは言葉に詰まってしまったが、アルベルトは困ったように眉を下げて苦笑しながら答えた。
「ラン、そうやって冗談言うのはやめなっていつも言ってるだろ? スカーが可哀想じゃないか」
どうやらランの言葉を冗談だと片付ける作戦のようだ。
だからスカーレットもそれに乗ることにした。
「そ、そうだよ! いっつもそうやって女だって揶揄ってさ。まったく酷いよ!」
「もしスカーが女性だったら、確かに美人で聡明で優しくて素晴らしい女性かもしれないけど、スカーは男なんだから、”女なら”なんて言ったらスカーだって気分良くないだろ」
なんだか過度な美辞麗句が出てきた気もするがそこは突っ込まず、スカーレットはただうんうんと同意を示すように頷いた。
「なるほど、そういうことか。ラン、確かにスカーは男にしては華奢で小柄だが、女性などと言っては失礼だぞ」
レインフォードはアルベルトとスカーレットの言葉に納得したようで、逆にランをたしなめるように言った。
何とか誤魔化せたことにスカーレットは内心で安堵し、元凶であるランをキッと鋭く睨んだ。
(あとで覚えてなさい!)
しかし、ランはそれに気づかず、赤ら顔でにんまりと笑っている。
目が据わっており、相当酔っ払っているようだ。
その一方で、双子のルイは顔色一つ変わっていない。
そしてスカーレットが冷や汗をかきまくっていた状況にも関わらず、一人で淡々とお酒を飲んでいたようだ。
ルイはメニューを見ながら静かにスカーレットに声をかけてきた。
「スカー、俺、ワイン頼むけど、お前も飲む?」
「うーん、ボクはリオンが心配だし、そろそろ帰るよ」
たぶん酒場に来てから1時間は軽く過ぎている。
さすがに一人で残してきたリオンが心配になってきた。
「寝かせておけば大丈夫だって。ガキじゃないんだから付き添う必要ないって? ってアイツはまだガキか! はははは」
「はぁ……ラン、飲みすぎだよ」
セルフノリ突っ込みをしているランを見て、スカーレットは頭を抱えて呆れた。
本当に酒癖が悪い。スカーレットが窘めるが多分聞いていないだろう。
「ルイ、ちゃんとランの面倒見てね。厄介ごとは起こさないようにして」
スカーレットの言葉にルイは口の端を少だけ上げて小さく笑ったが、承諾の返事はしなかった。
これは「一応止めるけど、面白いことだったら傍観するから」という意味だろう。
スカーレットはため息をついて、今度はアルベルトに目を向けた。
このどうしようもない2人を抑えられるのはアルベルトしかいない。
「アル、よろしく」
「えぇ……僕はスカーと一緒に帰るつもりだったのに。もし変な輩に絡まれたら大変だよ?」
「ボクなら平気だから。頼みの綱はアルだけだから」
「……分かったよ」
アルベルトは不服そうな表情をしたものの、しぶしぶ納得してくれた。
「じゃあ、行くね」
そう言ってスカーレットは立ち上がったのだが、その拍子に後ろを通ろうとしていた女性と、振り向きざまにぶつかってしまった。
「きゃっ!」
「あ、すみません!」
慌てて謝罪するスカーレットの前には、なんともナイスバディな女性が立っていた。
どぎつい緑色のドレスを纏い、オフショルダーのデザインのそれは肩が大きく露出している。
豊満な胸はコルセットで強調され、大きく開いたドレスから零れんばかりだ。
黒く豊かな髪は結い上げられ露になったうなじからは甘い香水の香りが漂い、なんとも官能的である。
「あらぁ、可愛い子ね」
ぶつかった女性はスカーレットを見ると、艶めかしい笑みを浮かべながらスカーレットの腕に自らのそれを絡ませてきた。
ぎゅっと抱き着いてくるので、豊満な胸の膨らみが腕に押し当てられる。
突然の出来事にスカーレットは困惑してしまった。
「ねぇ可愛いお兄さん、お酌はいらないかしら?」
「いえ。ボクはもう帰るところなので」
「そう言わないでよ。ほら、ぶつかったお詫びだと思って。安くするわよ」
「え、えっと……」
確かに自分がぶつかったのでお詫びをしろと言われたら断りにくい。
だが、女性に酌をさせるような真似はできない。
なんとか断ろうとするが、大人な雰囲気の女性を前にして、どうしていいのか言葉に詰まってしまう。
同じ女性なのにドギマギする。
「ふふ、もし良かったら酌以上の事もしてあげるわよ。ねえ、私の事、買ってちょうだいよ」
「いえ、ぶつかったことは謝りますが、お酌とかそういうのは本当に結構です! ごめんなさい!」
スカーレットが顔を赤らめながら必死に断ると、さすがに脈はないと思った女は、今度はレインフォードを後ろから抱きしめた。
そして耳元に口を寄せ、淫靡な笑みを浮かべながら囁いた。
「じゃあ、こっちのお兄さんは? いい男だし、色々サービスするわよ」
ねっとりと絡みつくような甘たるい口調でそう言った女の腕を、レインフォードは強い力で振り払った。
「俺に触れるな!」
店内に響き渡るほど大きな声でレインフォードは拒絶の言葉を放った。
その声に、ざわついていた店内がしんと静まり返る。
レインフォードが女性に向けた目は、スカーレットが今まで見たことのないくらい冷たく、視線だけで人を殺せそうな鋭いものであった。
そしてぞっとするほど冷淡な顔で吐き捨てるように言った。
「お前のような女、虫唾が走る」
「ひっ!」
女は小さく悲鳴を上げた。
レインフォードは女を一瞥したあと、そう言い捨てて店を出て行ってしまった。
あまりにも突然の出来事に、スカーレットたちは言葉を失って呆然とレインフォードの後ろ姿を見送った。
だがスカーレットはすぐに我に返ると、慌ててレインフォードを追った。
店を出ると、体から静かな怒気を出しながら歩いくレインフォードの姿があった。
「レインフォード様! 待ってください!」
名前を呼びながらレインフォードに駆け寄ったがスカーレットの呼びかけにも答えず、不愉快そうに眉間に皺を寄せたまま歩き続けている。
「レインフォード様!」
「……あぁ、スカーか」
二度目の呼びかけでようやくレインフォードはスカーレットを振り返った。
だがその顔色は決して良いものではなく、気分が悪いことが見て取れた。
「あの……大丈夫ですか?」
さっきも思ったが、ゲーム設定ではレインフォードは女嫌いという設定は無かった。
だが、先ほどの対応を目の当たりにし、単に女性が苦手というには生ぬるいほど、女性が嫌い……むしろ嫌悪しているように見えた。
「その……レインフォード様はどうしてそこまで女性が嫌いなのですか?」
バルサー邸でも身の回りの世話を決して女性にはさせなかった。
何がレインフォードをそうさせたのだろうか?
「あ、立ち入ったことを聞いてしまってすみません」
スカーレットの問いに、レインフォードは一旦目を瞑って呼吸を整えると、吐き捨てるように言った。
「色々と経緯はあるんだが、女は皆、嘘で嘘を固めるだろう? 外見と中身が一致しない。どんなに美しいと言われている女でも一皮剥けば、金と権力と地位にしか興味がない。それに、既成事実を作ろうと寝所まで潜り込まれたこともあるし、宴の席で媚薬の類を盛られたこともある。だから、あいつらを見ると虫唾が走る」
なかなか壮絶である。
もちろん女性全員がそういうわけではないのだが、レインフォードの体験を考えれば女性というものを嫌悪してしまうのは仕方のないことかもしれない。
と同時に、女であることを隠しているスカーレットは、申し訳なさが募っていった。
だが、万が一女であることがバレたら、あの虫けらを見るような、絶対零度の視線を向けられるかと思うと、恐怖以外の何物でもない。
(うん。絶対にバレないようにしよう)
旅程としてはあと3日程で王都に着く。
その3日のうちに、2回レインフォードの死亡イベントが発生するはずである。
あと3日だけ……騙すのは心苦しいが、レインフォードを死なせるわけにはいかない。
(レインフォード様、ごめんなさい。許してください)
レインフォードの隣を歩きつつスカーレットは心の中で謝りながら宿へと戻った。
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まだまだ序盤ですがお付き合いいただけると幸いです!