湯上り事件
スカーレットが連れてきた医者はリオンを診察し、特に問題はないことを告げた。
内診の結果、痛みに対する反応がないことから、内臓の損傷も骨折もしていないとの見立てだった。
状況から察するに、意識がないのは疲労から眠っているだけらしい。
そのことに、一同はほっと安堵した。
「さてと、リオンも大丈夫みたいだし、夕飯にしないか」
「だな。まぁ、俺は酒の方が楽しみだけどよ!」
ルイの提案はもっともだった。
すでに夕飯には遅い時間だ。
レストランや食堂はラストオーダーとなっているだろうから、ランの言う通り酒場でつまみをつつきながらという夕食になるだろう。
ランとルイからは一刻も早くお酒を飲みたいという空気をひしひしと伝わってくるが、スカーレットとしてはこのまま食事に行く体力が残っていない。
「悪いんだけど、ボクはちょっと休憩してから行くよ」
「じゃあ、僕もスカーと一緒に後で行く。ランとルイは先に行って席を取っておいてよ」
「俺も少し荷物の整理をしたいからスカーたちと一緒に行くとしよう」
「了解!」
こうして、ランとルイは先に酒場へ向かい、スカーレットとアルベルト、そしてレインフォードは後から合流することになった。
そしてスカーレットたちはそれぞれの部屋に戻り、一時間後に落ち合うことにした。
スカーレットが用意された部屋に足を踏み入れると、想像よりもずっと綺麗だった。
心なしか先ほどいたアルベルトたちの部屋よりも若干綺麗に見える。
(二人部屋だし、四人部屋よりもお値段がちょっと高いのかも……)
優遇してもらっているようで申し訳ない気持ちになった。
後で皆に何かご馳走をしてあげよう。
それに部屋の広さも二人部屋にしては広いと思う。
真ん中にシングルベッドがあり存在感を放っている。窓際には小さなテーブルと椅子が用意され、小さな鏡がちょこんと乗ったドレッサーも設置されていた。
落ち着いた雰囲気のインテリアに、スカーレットは少々既視感を覚えた。
(なんだろう……どっかでこういうのに泊まったような……)
うーんと唸りながら考えていると、スカーレットの脳裏にぱぱぱっと景色が浮かんだ。
それは、「ア」から始まり「パ」で終わる某格安ビジネスホテルの部屋だ。
(そっか!! あそこだわ。はぁ……懐かしく感じちゃうわ。よく泊まってたなぁ……)
思わず郷愁の念に駆られる。
前世では週5で泊まっていた時期もあったものだ。
というのも、残業が終電後も続くことがあったからだ。
特にシステムトラブルが発生した時などは、家には帰れないのが常だった。
デスクの椅子を並べて横になって仮眠する男性社員も多いが、さすがに女性の自分がそれをすることはできない。
結果、オフィス近くのアパホテルに泊まることもままあったのだ。
当たり前ながら遠い過去の記憶だが、なんとなくビジネスホテルが懐かしく感じてしまう。
スカーレットは懐かしさを覚えながらぼふんとベッドにダイブした。
ベッドにうつ伏せになって枕に顔をうずめると、疲労から眠気が襲ってくる。
だがこの後皆と合流して夕食を食べることを考えると、今寝るわけにはいかない。
眠気覚ましに顔を洗おうと体を起こしたスカーレットの目に飛び込んできたのは、サイドテーブルに置かれた一枚のビラだった。
『あったかホカホカ。大きな湯船でのんびりお風呂に入って疲れを癒しませんか?』
どうやらこの世界では珍しく共同風呂があるようだ。
バスタブに浸かるだけでも十分だが、やはり手足を伸ばしてお湯に浸かるのは格別だろう。
特に前世の記憶のあるスカーレットにとって、非常に魅力的なビラの内容であった。
「よし! まだ時間もあるし、お風呂に入ってこよう!」
スカーレットは意気揚々と準備をして、大浴場へと向かった。
※
(はぁ……極楽だったわ)
久しぶりにゆっくりとお湯に浸かれて、体の芯までホカホカだ。
体も軽くなり、疲れも癒されたように感じる。
女風呂は人もおらず貸し切り状態だったので、気兼ねなくのんびりすることができた。
これでフルーツ牛乳があれば申し分ない。
そんなことを考えながら女風呂の暖簾に似たカーテンを潜って部屋に戻ろうとした時だった。
「スカーはもう上がったのか?」
風呂場から出て数歩歩いたところで、後ろから声をかけられたので、スカーレットは驚きのあまり叫びながら振り返った。
「きゃっ! ……って、レインフォード様! はぁ。びっくりしました……驚かさないでください……」
「すまなかった。そんなに驚くとは思わなくて」
「いえ、ちょっと油断していただけです」
「スカー、君も風呂に入ったのか?」
「はい、そうです。すっごく気持ちよかったですよ」
レインフォードの言葉に満面の笑みでそう答えたスカーレットだったが、ふと2つほど気になる点があった。
一つはレインフォードの手にタオルが握られていること。
そしてもう一つは「君〝も〟風呂に入ったか」という問いだ。
「レインフォード様。一応確認なのですが、君〝も〟ということは、まさかレインフォード様もお風呂に入るつもりじゃ……」
「あぁ。久しぶりにお湯に浸かりたいと思ってな」
レインフォードは悪びれることもなく満面の笑みを浮かべていた。
その言葉にスカーレットは慌てた。傷がある状態で体を温めたら傷が悪化するのではないかと思ったからだ。
「何言ってるんですか! 駄目です! まだ傷が治ってないんですから!」
「もう痛みもないし、平気だ。それにさっぱりしたいんだ」
気持ちは分かる。晴天の下、ずっと馬で移動してきたのだ。
どうしたって汗はかいてしまうし、体のべたつきも気になるだろう。
だが、また傷が開いたり痛みが出てしまうのではないかと心配になってしまう。
「でも……傷を温めるのはあまりいいことではないので」
「スカーは本当に心配性だな」
「レインフォード様が無頓着すぎるんです」
「大丈夫だ、長湯はしないさ」
レインフォードはそう言って苦笑しながら、まるで子供をあやすようにスカーレットの頭をぽんぽんと軽く叩いた。
子供扱いされているような気持ちになって、大人の女性としては少し複雑だ。
それだけ気さくに接してくれているのかもしれないが。と、その時ふとあることに気づいた。
(気さくに接してくれると言えば……あ! また馴れ馴れしい口をきいてしまった……)
気を付けているのだが、どうしても前世から知っているため、ついつい旧知の仲のような口調で話してしまう。
「申し訳ありません……。レインフォード様に指図するような言い方をしてしまって……」
反省してしゅんとしてしまったスカーレットに、レインフォードは、目を瞬かせた。
そして次にはくすっと笑い、目を細めて言った。
「前々から気になってたんだが、お前は俺に気を使いすぎる。アルベルトたちに接するようにしてくれて構わない」
「でも……不敬では?」
「お前は命の恩人だし、全然不敬ではないさ。それに、お前と俺は旅仲間なんだ。今みたいに話してくれた方が俺は嬉しいし、俺としても気が楽だ」
レインフォードの言葉にスカーレットは戸惑ってしまった。
「えっと……」
だが、レインフォードの穏やかな笑顔を見て、スカーレットはその提案を受け入れることにした。
「ところでスカー」
「なんですか?」
「今、女風呂から出てきたように見えたんだが」
「えっ!?」
レインフォードの言葉に思わず声が裏返ってしまった。
慌てて後ろを見ると、確かにスカーレットが出てきた大浴場の入口には「女」の文字が書かれていた。
だが当たり前ながらそんなことを肯定するわけにはいかず、何とか平静を装って誤魔化すことにした。
「い、いえ。レインフォード様の見間違いではありませんか? ほら、ちゃんとこっちの男湯から出ましたよ。きっと、入口が隣同士だから見間違えたんですよ!」
「そうか。確かにそうかもしれないな」
「はい! そうですよ! だいたいボクが女風呂から出てくるなんて、ありえないじゃないですか! は……はははは」
「そうだな。もし女風呂から出てきたら犯罪だ。スカーがそんなことするわけがないな」
「で、ですよ!」
スカーレットは首振り人形のようにこくこくと頷いた。せっかくお風呂に入ったというのに背中に汗が流れている。
引きつった笑顔を浮かべていると、レインフォードは納得したようだ。
「変な事を言って悪かったな」
「いえいえ!」
とりあえず誤魔化せたようで、スカーレットは内心ほっと息をついて、胸を撫でおろした。
しかし次の瞬間、再びその息が止まってしまった。
レインフォードの手が伸びてきて、スカーレットの緋色の髪の先に触れたのだ。
「髪が……」
「えっ?」
「まだ濡れているじゃないか。このままじゃ風邪をひいてしまうぞ」
そう言うと、レインフォードはスカーレットが首から掛けていたタオルを流れるように手に取ったかと思うと、そのままスカーレットの頭に被せ、わしゃわしゃと髪を拭き始めた。
「きゃっ!? な、何をするんですか!」
「何をって髪を拭いてるんだ。きちんと乾かせ」
抵抗する間もなく、まるで犬のように髪を拭かれてしまう。
ひとしきり拭かれてようやくレインフォードの手が離れると、スカーレットは思わず恨めしげに上目遣いで睨んでしまった。
「もう! ボクは犬じゃないですよ。でも、ありがとうございます」
一応風邪をひかないように気遣ってくれたのだと考えると、レインフォードの行動を一方的に怒るのは悪いだろう。
ちょっと距離が近くて驚いたが、男同士ならばこれくらいの距離感が普通なのかもしれない。
スカーレットが礼を言うと、何故かレインフォードが目を見開いた。そして何故か口元を覆ってしまう。
「……」
「どうしましたか?」
「笑顔がかわ……いや、なんでもない。男に言うセリフじゃないな」
「?」
ふいと視線を逸らされてしまい、その行動が少々気になってスカーレットが首を傾げた時だった。
レインフォードの肩越しにアルベルトがこちらにやってくる姿が見えた。
「スカー、ここにいたんだ!」
「アルベルト? どうしたの?」
「っ!」
スカーレットを見た瞬間、アルベルトがハッとした表情をしたかと思うと慌てた様子で駆け寄ってきた。
そしてアルベルトは自分の上着をスカーレットにばさりとかけた。
突然の行動にスカーレットは驚きつつ、アルベルトに尋ねた。
「ど、どうしたの?」
「湯冷めしちゃうだろ? ほら、これ着て行くよ」
「えー? 今上がったばかりだから平気だけど」
「いいから!」
湯上りなのにこのような上着を着せられたら暑い。それに湯冷めをするわけがない。
アルベルトの行動に戸惑っていると、それとはお構いなしにアルベルトはスカーレットを自分の背に隠すように押しやった。
「レインフォード様、すみません。ちょっとスカーに用があるので失礼しますね」
「あ、あぁ。分かった」
レインフォードもまた突然のアルベルトの行動に戸惑いつつもそう返事をする。
それ聞くやいなや、アルベルトはスカーレットの肩を抱いて、強引にその場を離れた。
「えっ? ちょっと、アル?」
訳が分からず戸惑いの声を上げるスカーレットの言葉を無視したアルベルトに、ぐいぐいと押しやられてしまう。
そして、部屋まで連行されてしまった。
室内に入り、ようやくアルベルトが解放してくれたので、スカーレットはこの行動の意味を尋ねた。
「突然どうしたの? 何か急用があった? というか、この上着はなに?」
アルベルトは手を額に置いて深いため息をつくと、薄っすらと顔を赤らめながら視線を逸らしてスカーレットの問いに答えた。
「はぁ……胸」
「胸?」
「胸元、開いてる」
「えっ?」
言われて自分の胸元に視線を落とすと、そこには開いた襟元から少しだけ胸が見えそうになっていた。
よく見れば胸が膨らんでいるようにも見える。
「ああっ!」
「義姉さん、気をつけてよ。女だってバレるのもマズいし、そもそも普通に気を付けて! 男が見たらどうするんだよ」
「ごめんなさいね。見られたかしら?」
「見た奴がいたら、そいつの目をくり抜いてやる」
「え? よく聞こえないんだけど……」
詳細は聞こえなかったが、アルベルトはなにやらぶつぶつと文句を言っている様子だ。
だがすぐに小さく咳払いをして、スカーレットに呆れた顔を向けた。
「なんでもない。でもレインフォード様の様子からすると気づいた様子はなかったから大丈夫だと思うけど」
「確かに。髪の毛に気を取られていたみたいだから大丈夫かもしれないわね」
「とにかく、気を付けて」
「ええ、分かったわ。今回はありがとう」
今回のことで僅かな気の緩みも女だとバレる危険性があることを痛感したスカーレットは思わず項垂れてしまう。
次回からはもっと気を引き締めて行動しよう。
「まぁ、そのために僕が付いてきたんだからいいんだけどね。義姉さんは抜けてるところがあるから。というか、女だとバレるとか言う前に、あんな露もない姿で歩かないでよ。害虫が寄って来るじゃないか」
「害虫? 分かったわ。虫よけを塗っておくわね」
「……そういう意味じゃないんだけどな。まぁ、義姉さんに言っても仕方ない。僕が目を光らせておくか」
アルベルトはため息交じりにそう言った。
後半部分の意味はよく分からないが、要は気を引き締めて行動しろということだろう。
「じゃあ、そういうことで」
「うん」
アルベルトが部屋を出て行った後、スカーレットはふとレインフォードとの先ほどの会話を思い出した。
もっと気軽に話してほしいと、旅仲間だと言ってくれた。
レインフォードとの距離が少し近くなったようでなんとなく嬉しい。
(そういえばレインフォード様ってゲームでは女嫌いなんて設定なかったし……あれだけ気さくな人なんだから、”女の人はちょっと苦手”って感じなのかしらね)
今は、レインフォードが女性嫌いだと言うから男装して護衛をしているが、もしかして女だと分かってもそこまで拒否されないかもしれない。
だが、父親との約束は絶対だし、レインフォードとしてもスカーレットを苦手な女性だと意識して旅を続けるのは精神的に苦痛だろう。
ここはやはり女だとはバレるわけにはいかない。
「よし、そろそろ時間ね」
スカーレットは窓に映った自分の姿を見て、再度身だしなみをチェックする。
首元までしっかりボタンは締めているし、体つきを誤魔化すベストもちゃんと着ているので、女には見えない。
これで問題ない。スカーレットはそうして待ち合わせ場所へと向かった。
いつも読んでいただき、ありがとうございます!