第十話 キタぜ!敵はムテキの乱嵐竜(七)
「やべえ! シャルクが乱嵐竜に喰われた!」
いつの間に、こんな傍まで接近を許していたというのか。乱嵐竜は羽ばたきを続けながら、咥え込んだシャルクの身体を咀嚼することなく、その頭を上へ向けて数回振った。喉から食道、そして胃腸へと、人間大のふくらみが移動していくのがわかった。
「ギシャオオオオン!」
前菜を食べ終わり、満足げにホバリングをする乱嵐竜は、とびきり大きな咆哮を上げた。もはや黒い瘴波を纏うこともなく、その巨大で凶悪な姿を俺たちに存分に見せつけている。
「逃げるぞ、エルミヤさん!」
逃げる? 逃げるって、いったいどこへ? 俺は心の中で自問自答しながらも、とにかくこの場から離れることだけを考えて、車を走らせていた。
「リュージさまっ! 乱嵐竜が――」
助手席から身を乗り出し、後方を見ていたエルミヤさんが叫んだ。
「っくしょう、また熱線を吐くつもりか?」
「いいえ、あれは――――間違いありません、呪文の詠唱ですっ!」
「呪文だと?」
まさか、あのドラゴンは魔法まで使えるってえのか? だとしたら、俺たちは――――
「 次・元・転・移・魔・法 」
そのとき辺り一面が、まるで太陽が落っこちてきたような強烈な光に包まれた。
正直、俺は死んだのだと思った。もちろん、死んだ経験など一度もあるはずないのだから定かではないのだが、命が終わる瞬間というのはこういうものなのか、と漠然と考えていた。
だが、そうではなかった。ここは――――
「首都高だ! 東京だぜ!」
気がつくと、目前のフロントガラスに映るのは、まっすぐ伸びた高速道路のアスファルト。頭上に掲げられた緑色の案内標識に表示されているのは、慣れ親しんだ関東の地名だ。
極寒の大地・ノースコアの荒野を走っていたはずの俺の愛車は、乱嵐竜とともに時空を超えて、大都会・東京へと戻ってきたのだ。
「本当ですね! でも、どうして戻ってきちゃったんでしょう?」
「わかった! あの『マハラバキラの宝環』のせいよ!」
エルミヤさんの言葉に、妖精のレベリルが返事をした。マハラバキラの宝環というと――
「シャルクが着けてた、あの指輪のことか?」
「あの指輪があれば、自由に次元転移魔法が使えるようになるって言ってたじゃない。乱嵐竜は体内に呑み込んだ指輪の魔力で、私たちごと現世界にやって来たのよ!」
「なるほど。ところで、乱嵐竜はいったいなんの目的で現世界に来たんでしょうかねぇ。……ひょっとして、観光旅行?」
「いくら『ドラゴンファンタジスタ』の文明が遅れてるからって、あんなにでかい図体じゃ満喫のしようがねえだろ。観光公害にもほどがあるぜ」
そんな話を交わしながら、俺は乱嵐竜との距離を慎重に取りつつ車を走らせていた。今も全面的に封鎖されているらしく、首都高にはほかの車両はいない。そのために走りやすくはあるが、例の熱線を吐かれたら一巻の終わりだ。
それにしても乱嵐竜は、先ほどからあの必殺技のブレスを一向に使おうとしない。急ぐでもなく、優雅に羽ばたきながら俺たちの後を追ってきている。こちらの様子をうかがっているのか、余裕の「舐めプ」を楽しんでいるのか……。
「竜司! 聞こえるか?」
「伍道? バッチリだ!」
「ようやく通じたな。やはりシャルクが、通信妨害や魔法の使用を制限する電波を出す機械を持っていたようだ。そっちにも、似たようなモンがあるだろう?」
カーナビの画面には、我が盟友・雷門伍道こと熟練魔導師のゴドゥー・ライモンが映し出された。エルミヤさんはその言葉に答えるように、自分の帽子の中から先ほどレベリルが発見した、一枚の電子基板を取り出して見せた。
「お父さま、これのことですね?」
「ああ、それだ。さっさと捨てちまいな、エルミヤ」
「はい!」
エルミヤさんはなにやらピカピカと信号が点滅している電子基板を、車窓の外に放り投げた。おそらくシャルクは、現世界に来ていたときに、秋葉原の電気街辺りでこんな機械をでっち上げたのだろう。
「そっちはどうだ? 小虎は無事か?」
「竜司、私は平気! 伍道が助けてくれたから、ピンピンしてるよ!」
伍道を押しのけるようにして、針猫小虎が顔をのぞかせた。異世界にいたときに生えていたトラ耳や尻尾は消えてなくなっていたが、彼女の気力体力はいつになく充実しているように思えた。
「そうか、そいつはよかった」
「竜ちゃん! ハコスカの調子はどうなん?」
「おうチマキ。まったく問題ねえぜ……と言いたいとこだが、ちょいとガタが来てるな。目一杯アクセル踏んでも、あまりスピードが上がらねえ」
「ホンマに? ウチが診てあげれたらええんやけど……」
「それはいいが…………うおっと!」
俺はそう話しながら、何度目かの料金所ゲートを突破した。いつしか、俺の愛車はすっかり傷だらけのボロボロになりつつあった。
「あー、もう見てらんないっス! 本官は行くっスよ!」
「私も行くっ! ちまはどうする?」
「当たり前や! ウチも行くで!」
「みなさん……ありがとうございます……!」
オガタに続いて、小虎とチマキの声が聞こえてきた。そんな頼もしいパーティーメンバーの姿に、カーナビを通じて感謝の気持ちを伝えるエルミヤさんだった。
「みんな、気をつけてくださいね!」
「尾形っ、がんばってらっしゃい!」
力強く背中を押す前園優ちゃんと嶋村紗矢香の応援に、オガタはピッと直立して敬礼で応えた。
「お嬢、これを!」
伍道は、手にしていた木の杖を小虎に放り投げてよこした。
「エルミヤに渡してくだせえ。くれぐれも、頼みましたぜ!」
「うん!」
「やべえな。本格的に車のパワーが落ちてきたぜ」
「ねえ、空を飛んでるアレはなに?」
レベリルが、窓の外を飛んでいるヘリコプターを指してたずねてきた。
「どっかの新聞社か、テレビ局の報道ヘリだな。東京上空に空飛ぶ巨大ドラゴンが出現なんて、間違いなく今夜のトップニュースだろう」
チリンチリン♪
「リュージさま! 後ろから自転車がやってきます! 三人乗りの!」
「三人乗りだと?」
自転車の二人乗りというのは聞いたことがあるが、三人乗りとはどういうことだ。いったいどうやって乗っているというんだ?
チリンチリンチリンチリンチリンチリン!
「うおおおおおおおおおおーーーーっス!」
ものすごい勢いで走り寄ってきたのは、婦警の制服姿のままオガタが運転している、警察官用の自転車だった。後部の荷台にはチマキが座っており、さらにオガタは小虎を肩車しているではないか(曲がりなりにも高速道路であるこの首都高に、自転車でいったいどうやって乗り込んでこれたのかまでは知る由もない)。
中国雑技団並みの技術と体力を発揮しながら、オガタはハコスカの傍まで全速力でやって来た。
「オガタッ!」
「グンバリュージ! ふ、二人を頼むっス!」
走りながら後部ドアを開け、小虎とチマキが車に乗り込むのを見届けると、オガタの自転車はそのままスピードを落としていった。
限界まで体力を出し切った彼女は、右手の親指を立てると、その場に倒れ込んでしまった。それにしても尾形向日葵、大した女である(最初からパトカーかなんかで来ればいいじゃねえか、などと無粋なことを言うのはやめておこう)。
「どうだ? チマキ、直せるか?」
「うん、アカンとこはだいたいわかった。せやな、三分ほどくれれば」
走行しながら車の故障個所を特定し、さらにたった数分でそのまま修理するという芸当ができるのは、この世広しと言えどもこの千石粽子だけだろう。もちろん、『ドラゴンファンタジスタ』の世界で培った「修理魔法」と「親父譲りの工具」のおかげではあろうが。
「頼むぜ。それから小虎、そいつは……」
「うん、伍道から預かってきたの。はい、エルミヤさん」
「あ、ありがとうございます、小虎お嬢さま!」
エルミヤさんは、小虎からエル・モルトンを受け取った。由緒正しい魔法の木の杖を、彼女はまるで再会を嚙みしめるかのようにギュッと抱きしめた。
「それで、これからどうするの? 竜司」
俺は現世界に来てから、乱嵐竜から伝わってくる「意思」のようなものを感じていた。それは言葉ではなく、俺の魂に直接響いてくるような叫びだった。
「乱嵐竜は、俺との勝負を望んでいる。『伝説の勇者』との、一騎打ちをな」
「そんな! 無茶ですよ、リュージさま……」
「もちろん、受けて立つ。なぜなら――――」
運転席の横に忍ばせていた、愛用の二尺五寸の長ドスを掴みながら、俺は静かに言った。
「俺は、軍馬竜司。売られたケンカは百パーセント買う男だ」
続く




