第十話 キタぜ!敵はムテキの乱嵐竜(五)
「ちまっ! ひまっ!」
車中から窓の外を見ていた小虎は、チマキとオガタが目の前で消失するのを目撃して大声を上げた。
「小虎ッ! 乱嵐竜だぜ! 逃げるぞ!」
「で、でもっ!」
「いいから行くぞ!」
ドアを開けて外に出ようとしていた小虎を制止して、俺はパンク修理が終わったばかりの愛車を急発進させた。ドラゴンブレスの第二撃が来る前に一刻も早くこの場から離れなければ、俺たちはここであえなく全滅。現世界と異世界、二つの世界は終わりだ。
「ちま、ひま……グスッ、ぐすん…………」
「小虎お嬢さま…………」
「…………」
チマキとオガタがいなくなり、すっかり広くなった後部座席で、ひとり肩を震わせて泣きじゃくる小虎。俺もエルミヤさんもレベリルも、突然の出来事になんとか心を落ち着かせようとしていた。
「無事か? 竜司」
そのとき、カーナビを通じてまた通信が入ってきた。雷門伍道の声だ。
「伍道、チマキとオガタが……」
「ああ、間一髪だったよな」
「なっ、なんだって?」
「竜ちゃん!」
「グンバリュージ!」
カーナビの画面を通して、そこに映っていたのは千石粽子と尾形向日葵の元気な姿だった。どうやら、かすり傷ひとつ負っていない。
二人の間に入って馴れ馴れしく肩を抱きながら、伍道はニヤリと笑った。
「言ったろ? お嬢さん方が危なくなったら、次元転移魔法で即現世界に連れ戻すってな。だがまさか、こんなに急に攻撃されるとは思ってなかったが」
「ちま! ひま! よかったぁ――――」
さっきまで号泣していた小虎の目から、今度は嬉し涙があふれだした。
「ご覧のとおり、二人は無傷だ。だが現世界に一度帰ってきた以上、もう異世界に送り返すのはムリだ。つまり、リタイヤ扱いだな」
「そうか、仕方ねえな」
「ごめんな、竜ちゃん」
「無念、後は頼むっス」
聞けば、術者を伴わない次元転移魔法はとても危険なのだという(チマキとオガタの場合は、伍道が事前に用意していたから可能だったが)。
それにしても、ここに来て二人もの離脱は痛い。チマキは治癒師としてこの車やパーティーメンバーの修理と回復に務めてくれていたし、銃砲士であるオガタも弾数無限のピストルや凍結の警笛で重要な戦力となっていたからだ。
「じゃ、これからは私たちだけで戦わなくちゃならないってこと?」
「まあ、そうだな……」
小虎に返事しながら、俺は車内にいる残ったメンバーをあらためて見まわした。はっきり言って、乱嵐竜相手に戦力になりそうなのは「伝説の勇者」たるこの俺軍馬竜司と、熟練クラスの魔獣拳士である針猫小虎だけだ。
今のエルミヤさんの魔法は新参レベルだし、妖精のレベリルは「私を数に入れないでよ?」という顔でこっちを見ている(そもそも、妖精が冒険者パーティーに協力すること自体が、この世界ではありえないことらしい)。
「ごめんなさい、リュージさま。私、あまりお力になれなくて……」
恐縮して頭を下げるエルミヤさんに、俺は無言でうなずいた。太陽のように明るい笑顔がトレードマークの彼女だが、あのレベル判定からこっち、ずっと曇りっぱなしである。
「――あのさ、私にひとつ考えがあるんだけど」
車を停めて、しばらく考えを巡らせていた俺たちの静寂を、小虎の声が破った。
今のところ、まだ乱嵐竜は追いついてきてはいない。おそらく図体がかなりデカいだけあって、あのドラゴンの移動速度はかなり遅いのだろう。もちろん、射程距離のクソ長いブレスには気をつけねばならないが。
「ねえ、エルミヤさん、魔法で空って飛べる?」
「はい? ええ、まあ――」
「よし。いいよ、エルミヤさん。やって!」
「わかりました、小虎お嬢さま。――――空中浮遊魔法!」
小虎の作戦というのは、こうだ。
切り裂きの爪を両腕に装着した小虎が、上空を飛ぶ乱嵐竜のもとに浮遊して近づき、直接攻撃する。一聴すると大胆過ぎるというか、玉砕めいた特攻にも思えるが、彼女には「複数回攻撃」という強力な特性がある。
そもそも、あの乱嵐竜は動きがかなり鈍い。あの熱線は脅威だが、懐に飛び込んでしまえば十分に勝機はある。というのが、小虎の読みだ。
「気をつけろよ、こと――いや、お嬢!」
「小虎でいいよ、竜司」
エルミヤさんの魔法で、ゆっくりと空中へ浮かんでいく小虎。その役は俺が代わると何度も言ったが、彼女は首を縦に振らなかった。
「一回で絶対倒せるとは限らないし、エルミヤさんも私と竜司の二人同時には飛ばせられないでしょ? 竜司は最後の砦なんだから、とにかくここは私に任せて」
決して、ヤケッパチや無鉄砲などではない。事態を冷静に判断して、小虎は切り込み役を買って出たのだ。そこは、さすが極道の令嬢。俺なんかより、ずっと肝が据わっている。
彼女の頭には一対のトラ耳が、そして背後には長い尻尾が暴風になびいている。それは、虎の半獣人としての誇りと魂の証だ。
「負けんじゃねえぞーーっ! 小虎っ!」
ふたたび俺たちの前に迫ってきた黒雲が、少しずつ晴れていく。その中心から姿を現したのはまさしく、あの乱嵐竜だ。
「とにかく後ろだ、後ろに回り込め!」
俺は地上から見守りながら、小虎に指示を送った。とにかく、あのブレスだけは絶対に食らってはいけない。奴に致命傷を喰らわせるためには、死角から狙って攻撃するしかないだろう。
「わかってる! 竜司!」
ねんのため、小虎には秘匿魔法がかけてある。伝説級のドラゴン相手に、どこまで身が隠せるかはわからないが、何もないよりはマシだろう。
「小虎お嬢さま! 今ですっ!」
「いっくぞぉーーーーっ!」
小虎の身体を魔法で操っているエルミヤさんが叫んだ。なんとか乱嵐竜の背後を取り、うなじの部分にまで迫った彼女は、両腕の爪をきらめかせると一気呵成に襲いかかった。小虎は常人とは比べ物にならない猛スピードで、ドラゴンの首筋を何度も何度も切り裂いていく。
「ギシャアアアアッ!」
乱嵐竜の鮮血が飛び散り、空中が赤い霧に染まっていく。小虎の攻撃はたしかに効いている! 翼の羽ばたきは急激に弱まり、その高度をみるみる落としていった。俺は拳を振り上げて、彼女に声援を飛ばした。
「いいぞ小虎! やっちまえ!」
体勢を整え、とどめの一撃を見舞おうとした小虎。だがその時、何やらキラリと光る物体が彼女を目がけて飛んでいくのが見えた。それが一本の弓矢だとわかったのは、しばらく経ってからだった。
「小虎お嬢さまっ!」
その矢が小虎に届く直前、彼女の姿は空中から消えた。
「あーあ、もう。ホンット、困るんですよねえ。これ以上、余計なことをしてもらっては――――」
俺たちの背後からその姿を見せたのは、近衛騎士のシャルクことエルシャルク・ウランベルだった。
続く




