第十話 キタぜ!敵はムテキの乱嵐竜(四)
「来たぜ……あれが――――」
「らんらんるー、じゃなくて乱嵐竜の住処、なんですか?」
あれだけ飛び回っていたドラゴンたちの大群はもはやなく、俺たちの目の前には邪悪と混沌を徹底的に煮詰めたようなドス黒い瘴波が渦巻いていた。
驚いたのは、その大きさだ。俺はこの前、水道橋の東京ドームにプロ野球観戦に行ったが、ちょうどあの球場と同じくらいの規模だったのである。この中にヤツが――乱嵐竜がいる。
「えっらいデカさやなあ! こんなん、ホンマに勝負になるん?」
「ここまで来たら、やるしかないじゃない。行こう、竜司!」
「ちょっと待ってっス。乱嵐竜にも、この警笛の『凍結魔法』って通用するんスか?」
オガタの疑問に、カーナビを通した伍道の声が答えた。
「いや、残念ながら難しいとこだ。『凍結魔法』ってえのは、基本的に知能レベルの低い魔物にはほとんど通用しねえ。それこそ、ドラゴン級の大モノでないとな」
「なるほど。それで、これまでの野良戦では使わなかったっスね」
「ああ。だが、伝説級の魔物である乱嵐竜は別格だからな。おそらく、その手の能力低下魔法にはおおむね耐性があると思って間違いない」
「じゃあどうするんだ? 伍道」
「まずは、ヤツの情報がほしい」
「情報だと?」
「姿形もわからないこのままじゃ、討伐の糸口すら見つからねえ。まずは瘴波の中に車ごと乗り入れて、周囲から乱嵐竜の状態や動きをよく観察してくれ」
たしかに、相手は伝説級の魔物。倒すどころか、その姿を見たことのある者さえこの世にはほとんど存在しないだろう。対策もなしにこのまま懐に突っ込んでいっても、空しく散るだけだ。
「こ、こん中に入るん?」
「いや、瘴波をまともに体に浴びるのはマズい。――どうだエルミヤ、防壁魔法を使えるか?」
伍道は、実の娘であるエルミヤさんに問いかけた。魔法のことではすっかり自信を無くしていた彼女だったが、少し目を伏せて考えを巡らせている。
「はい、伍道さま! 防壁魔法なら、初級魔法なのでおそらく……」
「よし。ハコスカの周りを取り囲むように、しっかりと防護結界を張ってくれ」
「わかりました」
「お願いね、エルミヤさん。私、この黒い空気が周りにあるだけで、ぜんぜん魔法の力が湧いてこないのよぉ……」
俺のそばでうずくまっていた妖精のレベリルが、か細く震える声で言った。妖精にはこの瘴波がかなり有害らしく、この戦いでの彼女の魔法はまず期待できそうにない。
「エルミヤ、しっかりな」
「がんばってください!」
「はいっ!」
カーナビを通じた、伍道や優ちゃんからの励ましに力強く答えて、エルミヤさんは呪文の詠唱をはじめた。
「できました!」
どうやら、防壁魔法は無事に成功したようだ。ハコスカの周りを、うっすらと光る透明な防護壁が丸く包み込んでいるのが見える。助手席のエルミヤさんは俺の方を向いて、ようやくホッとしたような表情を浮かべた。
「おう、じゃあ行くぜ」
「気をつけろよ、竜司。乱嵐竜には、こっちの接近はとっくに気づかれている。いいか、危ないと思ったら、とにかく遠くへ逃げろ!」
伍道のアドバイスを受け、俺は慎重にアクセルペダルを踏み込んだ。
「な、なんスかこれ! ものすごい大嵐っス!」
「すごい暴風雨や! 滝の中みたいにめっちゃ雨降ってんで!」
「ひゃっ! また近くにカミナリ落ちた!」
瘴波の中は、思った以上に悪天候のオンパレードだった。猛烈な強風と雷雨が、車の周りを取り囲んでいる。俺たちはまるで、大海原に浮かぶ一艘の小舟のように、この大嵐に翻弄されていた。
「どこだ、乱嵐竜は?」
「――――いました! あそこですリュージさま!」
エルミヤさんが指さした先に、黒く巨大な影が姿を現した。
「こ、これが――乱嵐竜なの?」
「デカすぎるっス! いままでのとは比べ物になんないっス!」
「竜ちゃん! 近づきすぎんように気いつけや!」
「ああ!」
この暴風雨の中心に、乱嵐竜はいた。これまでにこの世界の何十何百というドラゴンを見てきたが、そのどれよりも大きく、何よりも異彩を放っていた。
鋼鉄のような漆黒の鱗でおおわれた体躯、凍てつく暴風を巻き起こしながら羽ばたく翼。長く太く逞しい四肢と尻尾。そして、見る者を畏怖させる象徴的な邪竜の首。何かを見通すような二つの眼が、爛々と輝いている。さらに無数の牙が覗くその口元からは、禍々しい黒煙めいた呼気がじわじわとあふれ出ているのだった。
(…………くっ)
ハンドルを握りながら、俺は自分の手が震えているのに気づいていた。武者震いかと思ったが、そうではない。ゴリゴリの武闘派極道として鳴らし、数々の修羅場を潜り抜けてきた百戦錬磨のこの軍馬竜司が、乱嵐竜を見てシンプルに恐怖を感じているのだ。
「ど、どうだ、伍道?」
「竜司。もう少し、近づけるとこまで近づいてくれ」
その時だった。二、三回首を振ったかと思うと、乱嵐竜が大きく口を開けたのだ。俺は、それが何かの予備動作だと直感した。
(やべ、来るっ!)
そう思った瞬間である。ステアリングを大きく切り、進行方向を直角に曲げたハコスカの真横を、乱嵐竜の口から放たれた眩いばかりの一筋の光線が通過していったのだ。
「危ねえっ! なんだ今のは?」
「竜司さん、これって、ドラゴンブレスです!」
「ドラゴンブレス?」
俺の言葉に答えたのは、このゲームをやりつくしたヘビープレイヤー、優ちゃんだった。
「どうやら、乱嵐竜の武器のひとつはこの強力な熱線ですね。まともに受けたら、きっとただでは済みません!」
ドラゴンの口から吐かれる熱線。怪獣映画ではお決まりの攻撃だが、実際に体験するとこうまで恐ろしいものなのか。あらためて俺たちは、とんでもないモノを相手にしていると痛感した。
「リュージさま、防壁魔法の効果がそろそろ切れそうです。いったん離れて、防護結界を張り直しましょう!」
「あの威力のブレスは、おそらく何度も連射はきかねえだろう。とりあえず、ここはいったん引け竜司!」
「おう。…………っと?」
エルミヤさんと伍道の言葉に従って、乱嵐竜に背を向けた俺は、一目散に車を走らせたのだが、そのとき車体に異常が起こっているのに気づいた。
俺は周囲を慎重に確認し、ハコスカを停車させた。
「ったく、マズいな」
「どうしたの、竜司?」
「今の攻撃を避けたときに、段差で後輪をやっちまった。おそらくパンクだろう」
瘴波の黒い渦を抜けだした後も、ハコスカは後輪にダメージを負ったままかなりの距離を走った。場合によっては、本格的な修理が必要だろう。
「やっぱりな。ほなウチ、ちょっと見てくるわ」
「あ、本官も手伝うっスよ」
「気をつけろよ、二人とも」
チマキとオガタが後部ドアを開け、車の外に出た。運転席のミラーから後方を見ると、乱嵐竜のまとっている瘴波は遥か彼方に見える。まあこれだけ離れていれば、いきなり攻撃を受けることもあるまい。
「大丈夫か、チマキ?」
「うん、オッケーやで」
「もう直っちゃったっス。さすがはベテラン整備士っス!」
ものの数秒で、チマキはパンクを直してしまった。これまでの旅でも、彼女の持つ工具と修理魔法は、度重なる戦闘で傷だらけのハコスカを何度もよみがえらせてくれている。ここがゲームの世界というのもあるが、やはりチマキの整備士としての腕は大したものだ。
「お疲れさまでした、チマキさん、オガタさん。すぐに防護結界を張り直すので、車に戻ってくださいね」
「わかっ――――――――」
「了解っ――――――――」
だが俺たちは、二人の返事を最後まで聞くことができなかった。一瞬で通り過ぎた青白い熱線が、チマキとオガタがいた場所をかき消していた。
続く




