第九話 異世界、来ちゃったのかよ!(六)
俺はエルミヤさんを部屋の中に入れると、静かに扉を閉めた。客室は、椅子などの調度品もなく簡素なものだったため、彼女にはとりあえずベッドに腰かけてもらうことにした。
「……落ち着いたかい? エルミヤさん」
「は、はい。すみません、リュージさま」
少し安心した表情で涙をぬぐう彼女の横に、俺は腰を下ろした。仮にも婚約者がいる女性と、深夜ベッドの上で逢引きするというのもいかがなものかと一瞬考えたが、まあ仕方ない。緊急事態だ。
「なあ、聞いていいか?」
「はい、なんでもどうぞ」
エルミヤさんがしばらく沈黙を続けたままだったので、俺の方から口火を切ることにした。
「どうして急にいなくなったんだ? 戦闘奴隷の神従契約はどうなった?」
奴隷契約に関することは、衆人の面前で堂々と語るわけにもいくまい。エルミヤさんはようやく意を決したように、俺の目を見据えるようにして話しはじめた。
「あの、じつは――――私が結んだ神従契約による『隷属の鎖』は、泥縄組の泥田組長をガッチュ網で捕獲した瞬間、消滅しました。あの時、間違いなくリュージさまの大願は成就したということです」
「やっぱりそうだったのか。じゃあもうエルミヤさんは、俺の戦闘奴隷ではなくなったってことだな」
「でも私、どうしてもリュージさまのお傍を離れたくなくて……。黙っていて本当にごめんなさい、リュージさま」
「べつに謝るこたぁねえぜ」
再び涙を浮かべながら、頭を下げるエルミヤさんを慰めるように、俺はそっと彼女の肩に手をあてた。
「でもあの夜、私はとある魔法の力で、この『ドラゴンファンタジスタ』の世界に呼び寄せられました」
「次元転移魔法、リディメンションってやつか」
「はい、そうです! ご存じだったんですか?」
「ああ、伍道から聞いた」
「そうですか、お父さまから……。あの、お父さま……伍道さまは今どこに?」
「向こうの――俺たちがいたあっちの世界にいるぜ。今回の件をどうにか片づけるために、奴が妖精を使って、俺や小虎たちをこっちに送り込んできたんだ」
あっちこっちとややこしいが、現に世界が二つ存在するのだからしょうがない。気をつけないと、いったい自分がどの世界に属していたかさえ忘れてしまいそうになる。
「そうだったんですね。こちらの世界のことで、リュージさまやみなさまにまでご迷惑をかけてしまって、なんだか申し訳ないです」
「気にするこたぁねえ、お互い様だ。それにこれは、俺自身にも関係することだしな。それより、エルミヤさんをこっちの世界に呼び戻したのは、やはりアイツなのか?」
「はい――――私の婚約者である、シャルクさまです」
「なあ、シャルクってえのは、いったい何者なんだ?」
俺は、寝床の横に置いてあった水差しからカップに水を注いで、エルミヤさんに手渡しながら言った。本当は、もう少し気の利いた飲物を提供したいところだったが。
「エルシャルク・ウランベルさまは、王都アリアスティーンの大王宮を護る近衛騎士の一人です。それ以外のことは、何も知りません」
「何も? まったくか?」
「はい。こちらの世界に戻ってきて、初めてお会いしましたので」
「それが、どうしてエルミヤさんの婚約者ってことになったんだ」
「それは、あのう……私の…………」
「ひょっとすると、エルミヤさんのうなじにある、そのバーコードみたいな『刺青』に関係することじゃねえのか?」
「し、知ってたんですか?」
「言ったろ。伍道からいろいろ教えてもらったからな。それは、咎人の証紋だろ。生涯消えることのない、魔法の刺青だ」
「そうです。私はお父さまと同様に、一国を焼き滅ぼした『災禍の魔女』として、火山口の淵から生きたまま突き落とされる刑を受けました。ですが――」
「次元転移魔法で、俺のいたあっちの世界に転移してきた。ちょうど針棒組の事務所が、泥縄の襲撃を受けてる真っ最中にな。組長室の神棚から、エルミヤさんが落っこちてきたときのことを、今でも思い出すぜ」
「そうでしたそうでした! なんだか懐かしいですね!」
ようやく、エルミヤさんにキラキラした微笑みが戻った。やはり彼女には、元気な笑顔が似合う。
「あの時私は、お父さまの形見である木の杖ごと火口に落とされました。『災禍の魔具』と見做されて、一緒に焼かれるところだったんですね」
「それが、どうして助かったんだ? エルミヤさんは、次元転移魔法はまだ使えないんだろう?」
「はい。おそらくなんですけど、木の杖に『幸福魔法の粉』が仕込まれていたんだと思います」
「ハッピーパウダー? 『幸福招来魔法』ってやつか?」
かつて東京ティバニーランドで使った、インガリツをどうこうして幸福を呼ぶって魔法だ。俺には、いまだに仕組みがよくわからんが。
「そうです。幸福招来魔法によって、私はリュージさまの近くに存在していた神聖位点である神棚に転移しました」
「そりゃ、運が良かったな。だが、そんな魔法のことは、伍道からは何も聞いてないんだが」
「ひょっとしたら、単に忘れていらっしゃるだけかもしれませんけど」
この件については、後ほどゆっくり伍道を問い詰めることに決めた。
「それで、話は戻るんだが、シャルクはどうしてエルミヤさんを呼び戻したんだ?」
「私の処刑がうまくいかず、あちらの世界でまだ生きていることが王都に知られたんです。リュージさまとの神従契約による隷属の鎖によって、私は向こうに留まれていたのですが、契約解除となったことで呼び戻す魔法がかかりました」
「エルミヤさんをこっちに転移させたのは、『竜の大嵐』のせいだな」
「その通りです。大王宮から異変を鎮圧する使命を受けたシャルクさまは、強大な魔法の力で事を収めるべく、『災禍の魔女』である私を呼び戻しました」
「そうか」
「私はこの世界に戻ってきて、記憶の一部を取り戻しました。自分が、災禍の魔女として処刑されていたことも――」
エルミヤさんは少しうつむくようにして、言葉をつないだ。彼女には、辛い記憶だ。
「シャルクさまは、咎人である私がこの世界で自由に生きていくためには、新たな身分が必要であるとおっしゃいました。そして、近衛騎士であるご自分の妻になりさえすれば、今後も王都で暮らしていけると。その条件が、今回の竜の大嵐の鎮圧に魔導師として協力することだったんです」
「そうだったのか。清廉そうな顔して、非道えこと考えやがる。体よく、嫁さんをモノにしたってことだからな」
「……あのぅ、シャルクさまには、もう奥様がいらっしゃいますけど」
「なんだって?」
「それも、すでにお二人も。私はあの方の第三夫人ということに……」
「はあ? なんなのそれ?」
「ええ加減にせえよボケ!」
「絶対認められないっス!」
そのとき扉の向こうから聞こえてきた大声に、俺は立ち上がっておもむろにドアを開けた。そこには、小虎とチマキとオガタが重なって倒れていた。どうやら、ずっとドアの向こうで聞き耳を立てていたようである。三人は、バツが悪そうに頭を掻いた。
「お前たち……」
「みなさん……」
「エルミヤさん、これはきっと罠よ! あのシャルクって騎士はこの機に乗じて、家柄の高いライモン家のあなたを妻にすることで、王宮内での自分の地位を上げようとしているに違いないわ! うっかりそんな条件吞んだりしたら、後でどんな目に遭わされるかわからないわよ?」
妖精のレベリルが、エルミヤさんの目前まで飛んできてまくし立てた。
「しかし、どうすりゃいい? 下手すると、エルミヤさんはまた王都のやつらに捕まっちまうかもしれねえぞ」
「決まってるやろ、エルミヤさんを連れて帰るんや」
「もちろん、ドラゴン退治もやんなきゃダメっス!」
「シャルクの計画も、キッチリ潰しとかないとね!」
「リュージさま、みなさん! 私……」
「決まりだな、エルミヤさん。行くぜ」
俺は客室のカーテンを開けた。東の空が、うっすらと白み始めていた。
続く




