第七話 決戦!夢と魔法のキングダム(八)
「どうする? この人ごみをかき分けて小虎を助けてるヒマはもうねえぞ!」
「リュージさま! ガッチュ網を貸してくださいっ」
ガッチュ網を受け取ったエルミヤさんは、手にしていた木の杖とガッチュ網を合体させて長くすると、俺たちが決して離れることのできない限界、すなわち三・五メートルギリギリまで距離を取った。するとその瞬間、俺の左手首と彼女の首輪との間に「隷属の鎖」が出現する。
「お、おいエルミヤさん、いったい何する気だ?」
「リュージさま、これから私が呪文を唱え終わったら、山車の前まで出て私の体を思いっきりドン・ガメのところまで放り投げてください!」
「何だと?」
「もう時間がありません、行きますよ!」
鎖によって呼吸が苦しくなりながら、エルミヤさんは魔法の呪文の詠唱をはじめた。彼女の真意はわからないが、ここまで来たらもう躊躇している場合ではない。
「――――鋼鉄像魔法!」
その言葉とともに、エルミヤさんの身体がカチンコチンに固まってしまった。どうやらこれは、自分の肉体を鉄のように固くするという魔法らしい。相変わらず、無茶なことをする魔女だ。
しかしこれなら、隷属の鎖によって彼女の首が締まって息ができなくなることもあるまい。それに、万が一大爆発が起こっても身を守ることもできそうだ。
俺はエルミヤさんを抱きかかえると、観客の少ないところを狙って駆け抜け、そのまま山車の前まで走り出た。
「いくぞぉ、オリャアァァァァーーーーッ!」
俺は、掛け声とともにハンマー投げの要領でグルグル回転しながらエルミヤさんをぶん回し、そのまま飛び降りる直前の泥田に向かってぶつけるように放り投げた。正面の小虎と俺の影法師しか目に入っていなかった泥田は、いきなり自分の視界に現れたティバニーバニーの着ぐるみに、大いに驚いた様子だった。
「な……んだとおぉッッッッ!」
「泥田組長、ガッチュですっ!」
エルミヤさんはガッチュ網をドン・ガメの頭にかぶせ、はるか遠くに見えるミルキー城へと転送した。
「やったぜ、エルミヤさんっ!」
エルミヤさんを再び抱きかかえると、急いで俺は山車の行列の前から走り去った。観客たちの目には、まるでドン・ガメレオーネの姿が一瞬で消えうせたように見えたことだろう。
「ねえ竜司、今のドン・ガメも一千万人目入場記念のサプライズかなあ? すごい迫力ある登場だったよね!」
「ああ大丈夫だ。問題ない」
小虎(と俺の影法師)がどうやら無傷であることを確認し、ほっと息をついた次の瞬間だった。
ドッガァァァァーーーーン!
耳を劈くような猛烈な炸裂音が、パーク内に鳴り響いた。ふと目をやると、あのミルキー城の最上階、泥縄組の刺客たちを転送したあの一室で爆発が起こったのが見えたのだ。
それと同時に、ナイトパレードの最終盤を彩るべく何十発もの打ち上げ花火が夜空に放たれた。それは荘厳かつ優美なミルキー城のシルエットと相まって、まさに夢物語の終劇を飾るにふさわしいひとときだった。
「ステキー!」
「サイコー!」
「ブラボー!」
小虎を含む、何も知らない来場者たちは、この空前絶後の素晴らしい演出に惜しみない声援と拍手を送っていた。
「おう、大丈夫か。エルミヤさん」
「はい、なんとか。リュージさま」
観客たちから十分に離れた物陰で、鋼鉄像魔法を解いたエルミヤさんは、ゆっくりとティバニーバニーの着ぐるみの頭部を脱いだ。
中からは、美しい金髪がキラキラと輝いて流れる。そして密閉された着ぐるみの中で蒸されて汗ばんだ彼女の顔は、パレードの電飾によって紅く火照っているように見えた。正直、びっくりするくらい、綺麗だった。
「あー、ど、どうやら泥田の野郎はすでに山車の上でダイナマイトを起爆させてたようだな。あの爆発じゃ、おそらく泥縄組の奴らも無事じゃ済むまいが」
「それなんですけど、たぶん泥縄組のみなさんは、命だけは助かっていると思いますよ」
「何だって? いったいどういうこった?」
「あの、実は私、ミルキー城に彼らを転送するとき、ガッチュ網に幸福魔法の粉を仕込んでおいたんです。幸福招来魔法がうまくかかっていれば、ぎりぎり命を落とす不運を回避できるのではないかと……」
エルミヤさんにしては、なんとも用意周到なことだ。事実、ミルキー城の最上階が爆発した現場からは、泥田組長を含む三十一名の負傷した男たちが発見されたのだが、全員が重度の大火傷を負ったものの、奇跡的に死者は一人もいなかったという。
その一方で、破壊されたミルキー城の再建工事に加えて、泥田組長がパーク内に持ち込んでいた爆発物があちらこちらで見つかったことで、その除去作業と安全確保のため東京ティバニーランドは本日から一年にも渡る休園を余儀なくされた。
これにより、今日小虎が受け取った一年間有効のペア・フリーパスも残念ながらただの紙切れと化し、後に彼女を大いに落胆させることになったのである。
「ウッソぉーーーーーーーーっ?」
「それにしても、今日はご苦労だったなエルミヤさん。礼を言うぜ」
「いえ、そんな……。戦闘奴隷として、当然のことをしたまでです」
デート相手の代役を務めていた影法師にはここで消えてもらい、入れ替わりに小虎のもとに戻った俺はティバニーランドの退場口へと向かっていた。
開園から閉園間際まで、全身全霊でアトラクションを堪能しまくった小虎は、さすがに遊び疲れたのか頭にウサ耳をつけたまま、俺の背中で静かに寝息を立てている。
一度こうなってしまえば、彼女は帰宅するまでまず目を覚ますことはない。そのためエルミヤさんは、魔法で姿を隠すこともなく俺の隣を歩いていた。
「戦闘奴隷、か。いったいいつになったら、エルミヤさんは俺みたいなヤクザな男から解放されて、自由の身になれるんだろうな」
そんな俺の一言に、ハッとした表情を見せたエルミヤさんだったが、少し困ったようにうつむくと、やがて小さな声でつぶやいた。
「私は、いつまででも……リュージさまのお傍にいたいです。できればこのまま、ずっと……」
その言葉に驚いた俺は、思わず彼女の顔を見た。丸メガネの奥のその瞳には、うっすらと涙を浮かべている。
「……あ、あの、すみません! ご迷惑ですよね、私なんて。……ええっと、お車、どっちでしたっけ?」
そう言って駆け出そうとしたエルミヤさんの肩を、俺は背後から反射的に掴んだ。俺の親指が、彼女の首に巻かれているチョーカーに当たる。
「いや……べつに、迷惑なんかじゃねえよ」
「リュージさま……」
そのまま俺は、エルミヤさんの肩を抱き寄せた。しばらく見つめ合ったのち、彼女がそっと目を閉じたので、俺はその瑞々しく柔らかそうな唇へと静かに顔を近づけていった。
「…………んーん、だめだよぉ、りゅうじ…………」
その時、背中に負ぶっていた小虎が微かに声を上げた。それはどうやらただの寝言だったようだが、俺はあわててエルミヤさんから唇を離してしまった。
「じゃ、もう帰ろうか?」
「え? ……は、はい!」
それから帰りの車の中でも、エルミヤさんは窓の外を流れる街の景色を見ながら、終始無言だった。
東京に着き、小虎を自宅まで送り届けると、玄関先にはわざわざ雷門伍道が待ってくれていた。小虎と組長については、後のことはすべて奴に任せておけば、ひとまずは安心だ。
伍道は穏やかに眠ったままの小虎を抱きかかえて無事を確かめると、多くを語ることなく、ただエルミヤさんにだけ軽くウインクをして屋敷の中へと入っていった。そんな伍道に、彼女が深々と頭を下げていたのが印象的だった。
そして、次の日の朝。いつものベッドで目を覚ました俺は、いつものごくありふれた月曜日を迎えた。
部屋の景色、窓からの微風、辺りを漂う匂い。そのすべてが、俺が慣れ親しんだ「日常」そのものだった。
しかし、たったひとつ違っていたのは――――
エルミヤさんの姿が、消えていた。
第八話に続く




