第七話 決戦!夢と魔法のキングダム(一)
長い長いトリプルデート(+元嫁との再会)の夜から明けて月曜日。俺は朝飯を食べながら、昨日亜也子が渡してくれたゲーム会社の資料を読んでいた。
「ドラゴンファンタジスタ……か」
亜也子がオーナーになったその会社(横文字が並んでて、社名はよく読めなかった)が開発・運営しているというそのゲームは、多人数が同時にインターネットに接続して遊ぶ形式のオンラインRPGと呼ばれるものらしい。なんでも中世ヨーロッパ風の物語を舞台にした、剣と魔法が活躍する冒険活劇だそうだが、任侠道一筋の俺にとってはまったく縁遠い世界に思えた。
俺は、資料に添えられていた一枚の名刺を手に取った。そこには「代表取締役社長 大森亜也子」と書かれていた。
「代表取締役社長……か」
亜也子は俺を、この会社にヘッドハンティングしたいと言っていた。彼女は元亭主であり現役の針棒組の若頭であるこの俺に、いったいなにをさせるつもりなのだろうか。
テーブルの向かい側では、いつもの魔女の黒装束に身を包んだエルミヤさんが、三杯目となるおかわりをよそっていた。炊飯器から立ち上る湯気で、丸いメガネが曇っている。
「おい、まだ食うのか?」
「ええ、まだ玉子かけご飯を食べてませんので」
「……ちょっと前まで、少し食欲が落ち着いていたと思ったが、あれはなんだったんだ?」
生卵を器に割り入れ、醤油を垂らしてかき混ぜながらエルミヤさんは答えた。
「ああ、最近食べ過ぎて体重増えてきちゃったかなって思いまして、私なりに自重してたんです」
「その自重はもういいのか?」
「あ、はい。リュージさまの元奥様があんな感じでいらしたので、私的にはまだだいぶ余裕があるかなって」
どうやら彼女は、昨日会った亜也子の豊満すぎる姿を見て、なぜか安心しているらしい。
「あのなあ。ああ見えて亜也子は、出会った当初はかなりのスレンダー美人だったんだぜ。俺と同居しはじめてから、暴飲暴食でどんどん太ってったけどな」
亜也子と別れた一番の原因は性格の不一致、といったところだが、そんな彼女の不摂生な生活態度も理由のひとつであるとも言える。まあようするにお互い、いろいろと合わなかった。
じゃあ、このエルミヤさんとは……合っているのか? 俺は。
玉子かけご飯を美味そうにかき込む彼女を見ながら、自分自身の考えていることがなぜか可笑しくなって、俺は思わずふっと息をついた。
「まあいいや。ほどほどにしとけよ。……そろそろ行くぞ」
俺は会社の資料をテーブルに放り出すと、席を立ちながら言った。
「あ、はい。ごちそうさまでした!」
「ところであの後、俺の影法師はどうなったんだ?」
針棒組へと向かう愛車で向かいながら、俺は助手席のエルミヤさんに話しかけた。
「はい。影法師魔法は、役目を終えれば自然に消滅します。おそらくはなにも問題なく、それぞれのお相手を送っていったかと……」
それならばいいのだが。あれから、優ちゃんからもチマキからもオガタからも、誰からも連絡がないのが少し気にかかった。かと言って、こちらから「昨日俺は、ちゃんと家まで送っていったかい?」などと確認するのもおかしな話だし。
針棒組のオフィスに着くと、組長の一人娘である針猫小虎が俺の席で待ち構えていた。腕を組みながらイライラと座っていた彼女は、俺を見るなり立ち上がって大声を上げた。
「竜司! 昨日、ゆたとデートしたって本当?」
「ゆた? ああ、優ちゃんか。たしか同級生の幼なじみだったよな。だが、なんでお嬢が知ってるんだ?」
「ゆたから聞いたの! 竜司にホテルに連れてってもらって、すっごく優しくしてくれて、とってもよかったって!」
事務所中に響き渡る小虎の言葉に、周囲の組員たちが一斉にざわついた。ゴリゴリの武闘派にして、堅物で通るこの俺だが、さすがにこの台詞は聞き捨てならない。
「お嬢、声がデカい。ちょっとこっち……」
小虎の口を手のひらで押さえ、その肩を抱きかかえるようにして俺は、隣の席に座っていた部下で舎弟のマルの方を見た。ヤツは体をグッと傾けながら、俺たちの話に耳をそばだてていた。
「へ、へい営業部長、会議室Dをどうぞ!」
マルはあわてて俺に会議室のカギを手渡した。いつも話が速くて助かる(だがそれにしてもこの会社には、いったいいくつ会議室があるんだ?)。
「あのなあ、お嬢。組員の前でああいう話、勘弁してくれよ」
会議室のドアを後ろ手で閉めながら、俺は諭すように小虎に言った。
「だって、ゆたから話聞いてびっくりしちゃって。ホントなの? ホ、ホテル行って、やっ……」
「んなわけねえだろ。グランド・インペリアルのディナービュッフェの招待券があるからって、俺はあの娘に頼まれて、保護者として連れてったんだ。飯食って帰っただけだぜ」
「なあんだ、そっか。……でもさ、二人っきりでデートしたっていうのは確かなんでしょ?」
「まあな」
「ズルい! 私も竜司とデートしたい! だって私、竜司の婚約者なんだもん」
いつから小虎が俺の婚約者になったのか知らないが、彼女がそう言えばそうなのだ。反論や訂正や説得がまったく無駄であるということは、すでに長い歴史が証明している。
「ねえ竜司、今度絶対デートするからね! 私、計画考えとくから。約束だよ?」
そう言って小虎は、飛び上がって俺の頬に軽くキスをすると、そのまま会議室を出ていった。
「よかったですね! 小虎お嬢さまのご機嫌が直って」
ドアの向こう側に立っていたエルミヤさんが、安心したようにそう言った。俺との距離が三・五メートル以上離れると、隷属の鎖が俺の左腕と彼女の首の間に出現してしまうので、彼女も必死でそばについてきてくれたようだ。
「ああ。またどこに連れ回されるのかわからないがな」
とりあえず優ちゃんのエスコートについては、俺の影法師は紳士的にふるまってくれたようである。まあ彼女は、俺を実の父親代わりくらいに思っているのかもしれないが。
RRRR―――― RRRR――――
そのとき俺の懐から、携帯の着信音が鳴った。相手はチマキこと、千石粽子である。俺は通話ボタンを押して携帯を耳に当てた。
「あ、竜ちゃん。ゴメンな朝から。今、ちょっと話してもええ?」
「おう、チマキ。どうした」
「昨日は、おおきにありがとうな! 家まで送ってくれてホンマ助かったわ」
「いや別に。大丈夫だったか?」
「うん。阪神がメッチャええ感じで勝ったやん? ウチうれしなって、とにかく祝杯上げたくてな。試合のあと竜ちゃんが飲みに付き合ってくれて、ホンマ楽しかったわ」
「そ、そうか」
どうやら俺の影法師は、真っ直ぐ帰宅せずにチマキと祝勝会になだれ込んだらしい。まあ優ちゃんと違って彼女は二十歳すぎだし、酒を飲んでもとくに問題ないが。
「でも、ちょっと飲み過ぎたわ。あの後のことウチ、よう覚えてへんねん。ベロベロやったし、お父にえらい叱られてもうたわ。今度ちゃんと埋め合わせするから、また遊び行こうな」
「お、おう。じゃ、またな」
「大好きやで! 竜ちゃん」
電話を切るとすぐに、今度は部下の男が俺を呼びに来た。
「失礼します、営業部長。玄関にお客人ですが」
「誰だ?」
「あの……例の婦警っす」
「婦警?」
まあ、この俺に面会に来るような女性警察官の心当たりは一人しかいない。玄関に行くと、そこには自称・正義の警察官こと尾形向日葵が立っていた。いつもの自転車のチリンチリン♪も自動ドアの破壊もなく、いたっておとなしいものである。
「き、昨日はメーワクかけて本当にすまなかったっス!」
俺の顔を見るなり、オガタは深々と頭を下げた。こんなしおらしい彼女を見るのは、もちろん初めてのことだ。
「迷惑?」
「あんなに感動的な映画のあと、せっかくアンタが一杯飲みに連れてってくれたのに、本官うれしくて、つい何杯も……」
「そう、だったか」
「挙句の果てに、気分悪くなって道端でゲロって……。警官としても、女としても最低っス。正直、ジブンが情けないっス。……あ、これ、キレイに手洗いしてきたっス」
そう言いながらオガタは、俺のと思しきハンカチを差し出してきた。酔いつぶれた彼女を、ちゃんと介抱してやったらしい。大変だったな、俺の影法師。
「まあ、あんま気にすんな。また付き合ってやるから」
「アンタ……やっぱり優しいっスね。ありがとうっス」
オガタはハンカチを俺に手渡すと、その上からギュッと強く握ってきた。ウルウルとしたその目は、生意気で傍若無人な新米警官ではなく、どう見ても恋する乙女のそれだった。
ピッと敬礼の後、クルっと回れ右して彼女が帰ったあとで振り返ってみると、数人の組員が息をひそめて様子をうかがっていた。一発睨みを利かせるとすぐに散っていったが、一人だけ残ったエルミヤさんが俺に言った。
「はあぁ……やっぱり優しいっスねぇ。リュージさま」
それは初めて、この魔女を本気で絞め殺したいと思った瞬間である。
続く




