第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(五)
「あのぅ、リュージさま……『スキヤキ』って、なんですか?」
「なんだ、エルミヤさん。まだ食ったことなかったんだっけ?」
エルミヤさんは、ちょっと恥ずかしそうにうなずいた。彼女と同居するようになってまあまあの月日が経つが、残念ながらすき焼きが我が家の食卓に上がったことは未だなかったらしい。ああいう鍋料理は多人数で囲むもの、という先入観が俺にはあったようだ。
とりあえず、小虎は組長とともに自宅へ。俺たちも失礼して、おなじみの愛車に乗って事務所を後にしていた。最高級の霜降肉を手に入れてきてくれた伍道に敬意を表し、俺は明日の大宴会のために、すき焼きに入れる野菜などの他の食材を調達することを請け負ったのだ。
すでに、今は夜の九時すぎ。いろいろ話し込んでいるうちに、すっかり遅くなってしまった。これからでもいい材料を揃えられる店はあるだろうか。
「すき焼きは、牛肉や野菜を鉄鍋で煮て食う日本料理だ。材料は薄く切った牛肉のほかに、豆腐やシラタキ、ネギや春菊、椎茸に白菜とかかな」
小虎にとって一番の大好物、それがすき焼きだ。昔から、針棒組において祝い事となれば必ずこれだった。今回は、さすがに組員全員にふるまわれるわけではないが、幹部連中ら十数人がご相伴に与ることになるだろう。
「なるほどー。それで、味付けはどうするんでしょう?」
「関東では割下っていう出来合いの調味料を使うことが多いようだが、ウチはおもに砂糖と醬油だな」
「え? お、お砂糖でお肉を煮ちゃうんですか?」
「ああ。なんてったってすき焼きは、甘っ辛く煮るのがポイントなんだ。それを、溶いた生卵につけて食う。うまいぞぉ~」
「……………………」
思わず舌なめずりをしてしまった俺を、エルミヤさんは不思議そうな表情で見つめていた。
「えっと、ちょっとお味が想像つかないんですけど……。でも、きっとすばらしく美味しいんでしょうね、スキヤキ!」
どうやら、和食を代表する伝統的鍋料理は、自称「食通」の彼女の舌と胃袋に火をつけてしまったようである。
「あ、竜司さん、エルミヤさん。いらっしゃいませ!」
いつもの笑顔とエプロン姿で出迎えたのは、スーパー安か郎の看板娘、前園優ちゃんだ。この時間まで営業していて、なおかつまともな食材を販売している店となると、俺はここくらいしか知らなかった。個人的に、デカいばかりのショッピングモールや名前だけ小洒落た専門店より、安か郎の方が味や品質は上だと信じている。何より、安い。
「おう、優ちゃん。今日は、すき焼きの野菜を仕入れに来たんだが……」
「そうなんですか。安か郎は野菜の鮮度には自信があるので、ぜひいっぱい買っていってくださいね! 白菜も春菊も、シャキシャキのが揃ってますよ」
「それはよかったです! なんと言ったって明日は、当家の小虎お嬢さまのお帰りとお誕生日をお祝いする、盛大なスキヤキパーティーなんですから」
エルミヤさんの話を聞いた優ちゃんから、その時意外な言葉が返ってきた。
「えっ? 小虎ちゃん、シンガポールから帰ってきてるんですか?」
「トラちゃん? 優ちゃん、知ってるのかい? 小虎を」
「はいっ! 私たち、小・中学校がずっと同じで、すっごく仲良かったんですよ。そっかー、小虎ちゃんが向こうの大学に行って、もう三年になるんですよね。私、あとで連絡してみます」
「ああ、ぜひそうしてやってくれ」
まさか、小虎と優ちゃんが幼馴染だったとは知らなかった。交友関係の乏しい小虎にとっては、きっと今でも貴重な親友に違いない。
「そうすると、せっかくだから何か特別な具材も入れて、盛大にお祝いしてあげたいですよね! うーん……すき焼きだったら、やっぱり下仁田ネギ、かなあ」
俺が適当に見繕った、買い物カゴの中の商品を見ながら優ちゃんは言った。
「下仁田ネギ?」
「群馬の特産で、煮込むととっても甘くなるんですよ。すき焼きに入れると絶品だって聞いたことあります。でも、あいにく安か郎では取り扱ってないんですけど」
「そうか……そりゃ残念だな。このあたりの他の店じゃ、どうだろう」
「ちょっと、店長に聞いてみます」
優ちゃんは、菓子売り場で品出しをしていた店長の安岩幸太郎に事情を話した。
「下仁田ネギねぇ……。うーん、私も名前くらいは知ってるけど……少なくともこの界隈では、どこのお店でも取り扱っていないでしょうねぇ。なにせ希少な高級品だし。それこそ、群馬県にでも行かないと」
「グンマー圏? グンマー圏というところに行けば、購入できるんでしょうか?」
「まあ産地だしね。たぶん、売ってはいるんじゃないかしら」
その言葉を聞いて、エルミヤさんは意を決したように俺を振り返って言った。
「リュージさま! さっそくまいりましょう!」
「は? まさか今から群馬まで行くってのか?」
「もちろんです! 小虎お嬢さまに、極上のスキヤキを召し上がっていただくためですから」
「お、おい! ちょ、待てよ!」
今買い込んだばかりの、大量の具材が入ったレジ袋を両手で振り回しながら、エルミヤさんは大急ぎで駐車場へ駆け出していった。
「……あ、でも竜司さん! 小虎ちゃんってたしか――」
必死で後を追う俺の耳に、優ちゃんの声はそれ以上届かなかった。
失礼ながら、群馬と聞くと都心住まいの俺にとっては、はるか遠い辺境の地のように思える。だが練馬から関越に乗り、ひたすら北西へと進んでいって藤岡から上信越自動車道。しばらく走ると、そこはもう群馬県甘楽郡下仁田町だった。
時間にすれば、わずか二時間弱。真夜中の強行軍を、何度も目をこすりながらやり遂げた俺だったが、よくよく考えれば、こんな深夜にやっている店などあろうはずがない。くそっ、もう少し休み休み来てもよかったぜ。
「エルミヤさん、到着したぞ」
助手席に向かって声をかけたが、彼女は何の遠慮もなく高いびきをかいて爆睡中だった(しかも、シートのリクライニングをきっちり最大限倒している。これが、仮にも戦闘奴隷の魔法使いの態度なのか?)。
かく言う俺も、もはや限界だ。「道の駅しもにた」近くの駐車場に車を停めると、そのままシートにぶっ倒れるようにして眠りについた。
フロントガラスから差し込む朝日に照らされて、俺が目覚めたのは午前八時過ぎ。もうまもなく、道の駅が開業しようとしていた。
「おい、起きろエルミヤさん」
叩いても揺さぶっても、このねぼすけエルフは一向に起きようとしない。
「……むにゃむにゃ、もう食べられないです……」
リアルでこの寝言を発するヤツを、俺は初めて見た。このまま、この女を群馬の地に置き去りにしていきたい気分だが、そういうわけにもいかないのが俺たちの間を繋いでいる「隷属の鎖」の辛いところだ。
俺は車を降りると、エルミヤさんの体を座席から引っぺがし、小脇に抱えながら道の駅の店内へ向かった。
「……スキヤキのお肉、残しといてください……」
まだ食うのか。
続く




