第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(三)
小虎を乗せた黒塗りのセンチュリーは、羽田空港を後にして、針棒組の事務所へと向かった。本来なら彼女の実家である組長宅へ直行すべきだが、ひさしぶりに組事務所を見たいという彼女たっての希望である。昨日の夜、組員総出で掃除をしておいて正解だった。
車の運転はこの俺、軍馬竜司が直々に務めた。針棒組の若頭にして、会社の営業部長というかなりお偉い立場にいるこの俺が、運転手を仰せつかるというのも妙な話だが、それだけ小虎はVIPであるということの証だ。それに車での移動となると、他の者の運転だとどうしても俺自身が悪酔いしてしまうので、まあいたしかたない。
小虎はセンチュリーの後部座席に背中を沈み込ませたまま、車窓から流れていく東京の街をしばらく黙って眺めていた。
「ねえ……エルミヤさん、だっけ?」
そのとき、小虎が沈黙を破って話しかけてきた。急に、背後から名前を呼ばれたエルミヤさんは、体をビクつかせて返事した。
「は、はい! 小虎お嬢さま。なな、なんでございましょう?」
「あなた、なんで助手席に座ってんの?」
「へ? ……あ、あの、私リュージさまの秘書ですので。ねえリュージさま」
「お、おう。なんてったって秘書だからな。しょうがねえよなエルミヤさん」
エルミヤさんが俺の戦闘奴隷で、その契約によって結ばれた「隷属の鎖」によって、俺たちは三・五メートル以上物理的に離れることができないという件は、いま小虎にお伝えするには少々ヘビーすぎる。というか今後も、彼女に知られたらいろいろと面倒なことになるのが目に見えている。
「ま、いいけど(ちぇ、せっかく竜司と二人っきりになれると思ったのに)」
小虎のつぶやきが、俺たちの耳にも薄っすら届いた。ああこんな時、ここに伍道がいてくれたら、と思ったが、あいにく奴は急に用事ができたとか言って別件に出かけてしまっていた。くそっ。
「それにしてもあんたたち、なーんか距離が近いっていうかさ、ちょっと仲良すぎない? ……まさか、付き合ってんの?」
小虎のその言葉に、俺は思わずハンドルを切り損ねそうになった。
「と、とんでもないことでございます、小虎お嬢さま!」
エルミヤさんが即座に否定したが、バックミラー越しに小虎の疑いの眼が俺たちを睨んでいるのが見える。
「……さ、もうすぐ着くからな、お嬢。このへん、懐かしいだろ? と言っても、三年じゃあんま変わってねえか」
「うん。あれ? あんなスーパーあったっけ?」
「ちょっと前にできたんだよ。わりと安いんだぜ、あそこ」
「へー」
そんなやり取りをしながら俺は、とにかく小虎を組長のもとに無事送り届けることだけを最優先に考えていた。
針棒組の事務所に到着し、駐車場にセンチュリーを停めようとしたときだった。ちょうど入口を塞ぐように、エンジンを掛けたままの真っ赤なバカでかいSUVが横付けされていた。その車からは、大音響のユーロビートが漏れ出ている。おまけにスモークガラスで覆われているため、中をうかがい知ることはできない。
個人的な意見だが、俺は妙にタイヤが太くてやけに車高の高いこのSUVという車がどうも好かない。この図体で、舗装路の街乗りしかしない奴が大半だろうに。
「どうしたの?」
「どっかの野郎が、組の前に車停めてやがるんだよ。ちょいとシメてくるか」
「リュージさま、私も一緒に」
「ああ、悪りいが頼む。すまねえなお嬢、すぐ戻る」
「ちょっと待って、竜司!」
「ん?」
「ダメよ、そんなことで一般人に手を出しちゃ」
「……………………………………なんだって?」
「にっこり笑顔で落ち着いて話せば、だいたいのことは解決するんだから。代わりに私が行って、どいてもらってくるよ」
「お、お嬢?」
俺は彼女の台詞に耳を疑った。そんな穏便な解決方法を提案するなど、ひと昔前の小虎であればまったく考えられない。シンガポールでの大学生活が、彼女を劇的に変えてしまったというのだろうか。
そんな俺の思いも知らずに、小虎はドアの外に出てスタスタとSUVのほうに歩きはじめていた。
コンコン
「あのぉ、すいませーん。ここ、ウチの駐車場の前なんでぇ、ちょっと動かしていただけますぅ?」
SUVの運転席側のスモークガラスを軽くノックしながら、小虎は言った。すると、パワーウインドウが半分ほど開き、中から絵に描いたような強面の男が顔を出した。路駐して、電話でもしていたらしい。
「なんやコラァ? やかましいんじゃボケが!」
「ですからぁ、車が入れられないんですよぉ。ごめんなさいね」
お決まりの関西弁で凄んでくる路駐男に、一歩も引かずに微笑む小虎。それにしても、これは一体どうしたことなのだろうか。これではまるで、彼女がごく普通の女子高生みたいではないか(男にまったく怯まないのは置いとくとして)。
「知るかいや、んなこと! しょうもないこと言うとったら、いてもうたるぞこのガキ!」
そんな言葉に聞く耳持たず、強面の男は運転席の窓越しに小虎の胸倉をつかんだ。声や態度だけでなく、腕っぷしや体つきも特大に屈強な野郎だ。二人の様子を、固唾を飲んで見守っていた俺とエルミヤさんに緊張が走る。
「……………………………………けろ」
「なんやて?」
「車をどけろっつってんだよオラァ!」
小虎は、やはり小虎だった。
彼女は自分の胸元をつかんでいた男の腕を引っ掴むと、そのまま車外へと引きずり出した。そのとき運転席のスモークガラスが割れに割れたが、小虎はそんなことはお構いなしに、男の顔面を中心に鉄拳をブチ込んでいったのだ。
「りゅ、リュージさま! 小虎お嬢さまが……」
「んー。まあ今回は、十秒持っただけでも奇跡みたいなもんだな」
なにしろ、見た目が細身で可憐な女の子だ。昔から小虎は外見でナメられ、幾度となく危害を加えられそうになっていた。そのたびに、ちょっかいを出してきた男たちは例外なく彼女に完膚なきまで叩きのめされている。
小虎は幼い頃からフルコンタクト空手の鍛錬を日々欠かさぬ、黒帯持ちの有段者だ。だが彼女の真の強さの秘密は、常人とはかけ離れたスピードとパワー。そしてなによりも、持って生まれた野獣のごとき格闘感覚である(もちろん見てのとおり、瞬間湯沸かし器のような気性の激しさは言うまでもない)。
体格や経験の差などモノともせず、問答無用でストレートにねじ伏せる。小虎を幼少時からずっとそばで見てきた俺でさえ、正直彼女に一本入れられるかどうかも怪しい。仁侠の家系に生まれ、極道の世界で育てられた針猫 小虎はまさに、純粋培養の埒外ファイターだ。
バアン!
どうやら、ひととおりのオシオキが終了したらしく、気を失って伸びている迷惑路駐男の顔をスニーカーの厚底で思いっきり踏みつける小虎。そして懐から携帯を取り出し、どこかへ連絡を取った。
すると間もなく、ロードローラーを乗せた運搬車とレッカー車が俺たちの前に現れた。どうやら彼女は、組の下請け会社の重機を呼び寄せたらしい。
「お、おい、姉ちゃん、なにすんねん! やめてくれ、やめ……」
小虎の合図で、SUVをメキメキと踏みつぶしていくロードローラー。やがて目を覚ました路駐男は、その様子をただ呆然と見つめていた。
もっとも俺にしてみればこれしきのこと、小虎の行動としては特段めずらしいことではない。ある時なんぞは、彼女が素手で相手の車をスクラップにするところを見たことだってある。本当の話だ。
テレビゲーム好きのマルはそれを聞いて「いやいや、スト2のボーナスステージじゃないんすから」と言っていた。俺には何のことかよくわからんが。
あっという間にペチャンコになったSUVは、そのままレッカー車で運ばれていった。その後を、ボコボコにされた路駐男がゾンビのようにふらふらとついて歩いていく。あの男には気の毒だが、どうやらイキる相手を完全に間違えたようだ。まあ潰された車は、保険が何とかしてくれるだろう。
「お待たせ」
交渉(?)を終えた小虎が、平然と戻ってきて後部ドアを開けた。その顔は、ひと暴れしてスッキリ爽やかといった趣きである。エルミヤさんは、時間にしてほんの数分のこの出来事に、完全に言葉を失っていた。
「ほら、どいてくれたでしょ? 行こ、竜司♪」
続く




