第五話 暴君ミニ虎ムスメ、日本上陸(二)
お嬢こと針猫小虎は、いったん目を伏せると、その姿勢のまま俺の方めがけて全速力で突進してきた。
「竜司っ!」
「うぐっ!」
その瞬間、俺の本能が「来るっ!」と脳内警報を出したが、なにぶん三年ぶりということもあり、身構える前に彼女の渾身のダイビング・ヘッドバットをモロに鳩尾へと食らってしまった。そのせいで、俺の呼吸はきっかり三秒間止まることとなった。
俺自身、この攻撃を長年に渡って受け続けてきたが、さすがお嬢。海外留学の間に、スピードもパワーも大幅にグレードアップしていやがる。
「竜司、ただいま」
まるで仔猫が飼い主にじゃれつくように、小虎は俺の腹のあたりに額をぐりぐりと押しつけながら、安心したような声でつぶやいた。なんとか正気を取り戻した俺は、腰のあたりまで伸びた赤くツヤツヤとした髪を、軽くポンポンと撫ぜた。にっこり笑顔を見せる口元には、トレードマークとも言える八重歯がキラリと光る。
凛とした顔立ち、吸い込まれるように大きく澄んだ瞳。俺はテレビもネットも観ないし、最近の芸能界やアイドル事情も知らないが、控えめに言って小虎は国宝級の美少女だ。
「お帰り……お嬢」
シンガポールに渡る前の小虎はまだ中学生で、百四十センチそこそこの小柄で華奢な体型だったが、三年経っても身長はビタ一文伸びていない。外見こそあどけない少女のままだが、きっと内面は大いに成長したに違いない。
「ううん、お嬢じゃなくて、昔みたいに小虎って呼んで!」
「もうそういうわけにはいかねえよ。なにしろお前さんは組長のかわいい一人娘で、大事な大事な跡取りなんだからな。それに、今度の誕生日で十八歳になるんだろう?」
「うん……」
俺にとって小虎は、かなり年の離れた妹のようなものだ。極道の組長の愛娘ということもあり、気の許せる親友はあまり多くはなかった。しかしそのぶん、兄替わりを務めた俺という存在が、彼女にとって大きくなりすぎてしまったのかもしれない。
「ねえ、パパは元気?」
「ああ、お嬢が帰ってくるのを、家で首を長くして待ってるぜ」
針棒組組長・針猫権左は腰を少々悪くしているため、空港までの出迎えには来ず、すべての予定をキャンセルして自宅で待機中だ。
「そっか、私も早く会いたいよ」
「そうだな。立派になった姿を見せてやれ」
「うん!」
そこまで話して、小虎はゆっくりと顔の向きを左側にスライドさせた。そしてそのまま、俺の真横でキョトンとした顔で突っ立ってる魔女・エルミヤさんに目が留まる。黒スーツ姿で居並ぶ仁侠の男達の中でも、彼女はひときわ異彩を放っていた。
「…………誰?」
小虎の表情が、急にピッと引き締まる。にらみつけるような鋭い眼光が、レーザービームのようにエルミヤさんの頭の天辺からつま先まで照射された。
「あーお嬢、彼女は……」
俺が話し出す前に、小虎はエルミヤさんに向かって不思議な言葉を話しかけた。
「#%&*$@※¥>?」
俺の学が足りないせいでよく聞き取れなかったが、おそらく小虎は英語で挨拶の言葉を発したようだ。シンガポールの大学を、十七歳かそこらで卒業できるほどの天才的な頭脳を持つ彼女は、もちろん英語などペラッペラである。
「あ、あ、あのぉ、ふ、ふつうの言葉でおけーでございます、小虎お嬢さま!」
あわてて、エルミヤさんが返事をした。
「なんだ、あなた日本語がわかるの? てっきり外人さんかと思った」
「この娘は、北欧から来たエルミヤさんっていってな。ちょいとした仕事上の伝手があって、今は会社で俺の秘書をやってもらってるんだ。日本語は問題ない」
「ふーん、そう。それにしても、なんなのその格好? まるで、エルフの魔法使いじゃない」
その言葉を聞いて、エルミヤさんの表情がパアアッと明るくなった。
「は、はいっ! 正真正銘、私、由緒正しいエルフの魔導師です! そう言っていただけて、光栄の至れり尽くせりですっ!」
この世界に来てはじめて、初見で自分のことを正しく理解してくれた(かどうかは定かではないが)小虎の手を、エルミヤさんはぎゅっと握りしめた。彼女の目は感動でウルウルと潤んでいた。
「は? どゆこと?」
怪訝そうな顔つきでエルミヤさんと握手する小虎に、俺の後ろに控えていた雷門伍道が、軽く手を叩きつつ声をかけた。
「まあまあお嬢、そのへんで。組長もお帰りを待ちかねてることですし」
「うん。相変わらず暑っ苦しい顔ね、伍道」
「へへ、お嬢も相変わらず手厳しいこって」
伍道の丁重なエスコートの下、小虎は帰りの車へと向かって歩き出した。その後を、彼女の手荷物を抱えた組員たちの列が続く。だがそれは、到底一時帰国とは思えないほど大量だった。
「リュージさま! 小虎お嬢さまって、とってもかわいらしくて聡明なお方ですね。私、お友達になれたらうれしいです!」
そいつはどうかな、と思ったが口には出さず、俺はこれから起こるであろう厄介事を考えて、深くため息をついた。
続く