第四話 ド・ド・ドリフト大爆走ッ!(七)
「悪ぃが、お先に失礼するぜぃポンコツヤクザさん! ギャハハハ!」
トンネルを出たと同時に、逝鳴賭市の運転するランエボは猛烈なスピードでカッ飛んでいった。そもそも馬力で大きく劣っていることは承知していたが、それにしてもその差は圧倒的だとあらためて感じさせられた。
「気にすることないで、竜ちゃん。今は好きに先行させといたらええわ」
「え? どういうことなんですか、粽子さん」
チマキの言葉を、エルミヤさんは不思議そうに聞き返した。
「逝鳴の車はたしかにバリバリの走り屋仕様やけど、見たとこ高低差の激しい峠向きのカスタムや。それに、狭くてコーナーだらけの首都高では、四輪駆動のランエボなんてどう考えてもオーバースペックやしな」
「なるほどな。あんな最高速も、そうそう出していられねえってことか」
やはり、自動車を見るチマキの目は大したものだ。俺は感心しながら後部座席にいる彼女の方を振り返った。
「うん。とにかく今は、必死のパッチでアイツの後ろに食らいついとくことや。これから、いくらでも抜くチャンスはあんねんから」
「そうですね! がんばってください、リュージさま!」
二人の美女の声援を受けた俺は、返事の代わりにアクセルペダルを踏む右足にグッと力を込めた。
逝鳴のランエボを視界から逃さぬよう、なんとか追走していたハコスカだったが、葛西のコーナーを曲がったあたりで俺たちは異変に気がついた。
「あのう、リュージさま? なにやら周りに、大きくて四角い車が……」
「ああ、やけにバカでかいトレーラーに囲まれちまってるな。前と左と、おまけに後ろにももう一台いやがるぜ」
俺は試しに警音器を数回鳴らしてみたが、トラックたちは一向に道を譲る気配はない。ハコスカは、まるで籠の中の小鳥のように完全に自由を奪われていた。
「これ、ひょっとして逝鳴の手の車やろか?」
「おそらくそうだろうな。あの野郎、俺たちを万が一にも勝たせないように保険をかけていやがった」
右車線を走る俺たちの車を取り囲むように、三台のトレーラートラックが並走している。
つかず、離れず。接触事故を起こさないよう慎重に距離を取ってはいるが、このままでは正直勝負どころではない。
「アカンで竜ちゃん! こんなんしてる間に、逝鳴にどんどん離されてまうで!」
コースは平井大橋を超え、長い直線に入っている。逝鳴は今、ここぞとばかりにスピード出し放題だ。俺はふぅっと息をつくと、前を向いたまま言った。
「しょうがねえな、エルミヤさん。緊急事態だ」
「はい?」
「ひとつ打ち上げてくれ、ドデカい花火をな」
「しょ、承知いたしました! 私におまかせください!」
エルミヤさんはそう言うと、左側のウインドウを全開にして木の杖を掲げ、呪文の詠唱をはじめた。車窓から、夜の首都高の強風がビュウビュウと流れ込んでくる。
「エルミヤさん、いったいなにしてはるの?」
後部座席から怪訝そうに声を上げたチマキをよそに、彼女は車の外に向かって杖を振るった。
「誘導弾魔法!」
その掛け声とともに、もはやおなじみとなったエルミヤさんの必殺魔法が炸裂した。木の杖の先端から放たれた光弾は、三台のトラックの運転席を正確に直撃したのである。
最初に、俺たちの左を走っていた車。つぎに後方。そして最後に前を塞いでいたトラックが、コントロールを失って蛇行しながら側壁にぶつかって停止した。
「竜ちゃん、前っ!」
「おおっと!」
あわててハンドルを切り、俺は前方で派手にスピンしたトラックとの激突を、間一髪のところで回避することができた。ちょうど小菅ジャンクションに差し掛かろうとしていた地点で、車線が増えていたことも幸いした。
「い、今のはなんなん?」
「魔法です」
「マホー?」
到底信じがたい出来事が目の前で発生したことに動揺を隠せないチマキと、わりとあっさり風味で反応を返したエルミヤさん。まあ、こればっかりはすっとぼけるわけにもいくまい。
「言い忘れてたが、なんと言うか、これはエルミヤさんの特技でな。諸事情あって、悪いがこの件はくれぐれも内密に……」
「ご内密にお願いします、粽子さん」
一瞬、表情を曇らせたチマキ。だが、きっかり三秒後には
「うん、ええやんええやん! はじめて会った時からけったいな格好してはる思うてたけど、あんたホンマモンの魔女やってんなあ?」
と、晴れやかに返してきた。さすが関西人、細かいことはあまり気にしない性分のようだ(俺の偏見かもしれないが)。
「……ほんまもん?」
エルミヤさんは、キョトンとした顔をしてこっちの方を見た。俺は彼女に言い聞かせるように、無言でうなずいた。
「え、ええ。実は私、正真正銘のほんまもんでございます。今後とも、どうぞよろしゅうおたの申します」
どうやら異世界の魔女と関西娘との間において、めでたく相互理解が取れたようである。
「さあ行くぜ、反撃開始だ」
俺は、自分の手番を高らかに宣言した。
その時、俺の携帯が鳴った。逝鳴からだ。案の定、ヤツの声には怒りと苛立ちが込められていた。
「やりやがったな、軍馬竜司。アンタ、いったいあいつらになにをした?」
「なんのことだ? 逝鳴賭市。お前の手下のトラック野郎達のことだったら、どうやら命だけは助かったようだぜ。まあ、全治何ヶ月かは知ったこっちゃねえがな」
「ほざきやがれ! てめえ、タダじゃおかねえからな。もっとも、今から俺に追いつくのは不可能だろうがよ」
逝鳴はそれだけ言うと、乱暴に通話を切った。たしかに奴の言うとおり、状況は極めてこちらが劣勢だ。
「ほんで竜ちゃん、これからどないするん?」
チマキの声に、俺は思わず唇をかんだ。
首都高C2を一周するこのレースは、すでに半分がたが終わっている。逝鳴の背中は一向に見えず、俺はと言えば、なんとか事故らないようステアリングにしがみついているような状態だ。そのうえ、深夜とはいえコース上には一般車両もちらほら走っている。無論、こいつらに接触すれば、その時点で勝負は終了である。
どだい、ランエボ相手に首都高バトルなんて、ゴールド免許持ちの安全運転男には無理な相談だったのだ。
「あのう、実は、私にひとつ考えがあるんですけど……」
息が詰まるような沈黙を破って、エルミヤさんがつぶやくように言った。
「考えって、魔法か?」
「はい。……えっと、『高速魔法』っていう魔法なんですけど」
「車のスピードを上げられるってのか? なんだよ、おあつらえ向きなのがあるんじゃねえか」
「でも、正直うまくいくかどうかはわからなくて。使っても大丈夫でしょうか?」
「エルミヤさん、この期に及んで迷ってるヒマあらへんで! いっちょバシッとキメたって!」
チマキの言葉に、エルミヤさんは意を決したように言った。
「そ、そうですね。じゃあ、行きますっ。
――――高速魔法!」
短い呪文を詠唱したのち、エルミヤさんは俺に向かって魔法をかけた。
――――俺に?
「車にかけるんじゃねえのかよぉーーーーーーーーーー!」
「だって、機械に魔法が通用するわけないじゃないですか」
そんなエルミヤさんの言葉を耳にしながら、俺はまるで時間がゆっっっっくりと流れていくような奇妙な感覚を味わっていた。そして俺たち三人を乗せたハコスカは、針の穴を通すような芸術的かつ奇跡的なコース取りによって、首都高を流す一般人の車を、次々と華麗に抜き去っていったのだった。
続く




