第四話 ド・ド・ドリフト大爆走ッ!(三)
金曜日、いや日付が変わって土曜日の深夜十二時過ぎ。俺のささやかな、至福の時がはじまる。
このところいろいろあって、夜の散歩に出かけるのは久しぶりだ。俺は愛車のキーを回し、眠っていたエンジンを目覚めさせる。慣れ親しんだ低い排気音の旋律が、週末までの仕事で凝り固まった俺の心身を解きほぐしてくれる。
最近はキーを差すこともなく、スタートボタンをクリックして起動させるタイプの車が主流になりつつあるようだが、俺はどうしてもあれが好きになれない。
パソコンや家電製品じゃあるまいし、電源のオンオフで動作するようなシロモノに、どうしてこの身を預けられようか、って話だ。それが時代遅れだというなら、笑ってくれてもかまわない。
俺がこの車に乗るようになって、いったい何年たったのだろう。わずかにくすんだ箱型のシルバーボディーに、フロントグリルの両側に二つずつ並んだ丸いヘッドライト。街を走れば、羨望もしくは嘲笑という相反した眼差しを感じることもある。
べつに、昭和の懐古趣味に浸りたいわけじゃない。俺は、そんな化石じみた爺ではない。半世紀以上にも渡る激動の時代を走り抜けてきた、この車に宿る精魂に、純粋に敬意を表しているだけだ。
そうこうしているうちに、首都高速中央環状線(C2)の入口のひとつ、初台南のインターチェンジが見えてきた。俺の週末の楽しみ、首都高ナイトクルージングはここがスタート地点となる。
東京都心を、縦横無尽に張り巡らされている首都高速道路。昼間はそこかしこで頻発する渋滞やら事故やらでコスパが微妙なため、正直あまり走ろうという気にならないが、真夜中は別だ。
都内の心臓部を貫くハイウェイを、さまざまな名所を眺めながら優雅に流すのは快感の一言である。
しかもこのクルージングには、あまり知られていないちょっとした裏技がある。
首都高の料金は、入口から出口の距離によって算出される方式だ。そのため、いわゆる「一筆書き」のような要領でグルリと周回し、出入口が最短となるように選べば、なんと最低料金である三百円ポッキリで走破することが可能なのだ(ただし、出入口のインターチェンジが同じ名称であってはならない)。
たとえば、ほぼ円形をしているC2を山手トンネル、湾岸線を経由して一周したとする。そのまま葛西からC2内回りに戻り、また山手トンネルを通って初台南を通過。次の富ヶ谷の出口を出れば、ETCで請求される料金はわずか三百円(さらに深夜割引として、二割引きが適用される)となる。
走行距離にして約六十キロ。走行時間は一時間といったところか。気が向けば何周したってかまわないし、もちろん交通違反や犯罪ではない。
ルートの選び方次第で、横浜方面なども含めた複雑なコースを組み立てられるし、それこそ一晩中延々と走り続けることもできる。
ケチくさいと思われるかもしれないが、三百円で首都高をどれだけ長く走れるかというチャレンジに、のめり込んでしまった時期がある。俺にとって数少ない、他愛もない趣味だ。
さて、深夜の運転にはどうしても音楽が欠かせない、と仰る向きもおありのことだろう。
定番級のジャズナンバーか、荘厳なムードあふれる交響曲か。はてまたビート激しめのロックや、ふだん聴きなれたポップスだって悪くない。
だが俺は、あえて無音を選ぶ。真夜中のドライブは、愛車と俺との静かな対話の時間だ。
真っ直ぐなアスファルトを滑るように進んでいく、直列六気筒エンジンが奏でるヴィンテージ・サウンドが、いつも俺を極上のリラックスタイムへと導いてくれるのだ。今も、こうして耳をすませば――
ガサッ ガサガサッ
ピピッ ピリピリリ
ごそごそ
ハムッ パリパリ ポリポリ パリポリパリポリ……
「……おい」
「ふぁい?」
「何してるんだ?」
「リュージさまも、食べます? ポテチ」
助手席のエルミヤさんが差し出したポテトチップスの袋の中に、無言のまま手を突っ込んだ。迂闊なことに、俺はこの娘の存在をすっかり忘れていた。
「ところで、リュージさまはどのお味のポテトチップスが一番お好きなんですか? たしかにコンソメやのりしおも捨てがたいですし、辛いのも酸っぱいのもそれぞれに魅力があるんですけど……。うーん、でもなんだかんだ結局のところ、やっぱりうすしおに戻ってきてしまうって思いません?」
俺は嚙み砕いたチップスの欠片を飲み込むと、深くため息をついた。
「そうだなあ。俺的には、やっぱピザポテ……」
と言いかけて左を向くと、エルミヤさんはイヤホンをつけて、ポテチをかじりながらスマホでの動画鑑賞に没頭していた。俺は今夜の首都高クルージングを、C2一周で切り上げて早々に帰る決心をしたのだった。
続く




