表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

19/76

第四話 ド・ド・ドリフト大爆走ッ!(二)

「ああ、本当は昨日取りに来るつもりだったんだが、遅くなっちまった」


「ううん、こっちは別にええねんけど……ん? その()、どなたはん?」


「どうもはじめまして! (わたくし)、エルミヤと申します」

 助手席から姿を見せたエルミヤさんは、いつもの笑顔で元気よく挨拶した。


「へぇ、エルミヤさんって言わはるの?」


「あー、この娘はな。ほら、俺んとこの事務所の雷門(らいもん)伍道(ごどう)、知ってんだろ? じつはアイツの遠縁の親戚にあたる娘でな。故郷(くに)はヨーロッパのほうなんだが、どうしても日本でいろいろ勉強がしたいからっていうことで、今住み込みで俺の秘書をやってもらってんだよ」


 俺はここぞとばかりに、あらかじめ考えておいたエルミヤさんの偽プロフィールを語った。勝手に名前を出した伍道には悪いが、奴もわりとバタ臭い顔をしてるし、一応はもっともらしく聞こえるだろう。


「あーはいはい! 伍道さんって、舶来のスーツ着て小洒落(こじゃれ)たオッチャンやろ? いっつも品のええストールとか首に巻いてはるし。そういえば、この嬢ちゃんも外人さんっぽい顔してはるもんなあ。その格好(カッコ)も、まるで今にもホウキに乗って空飛びそうやん、ホンマに」


(別に、ホウキがなくても飛べますけど)

(うん、そいつはちょっと黙っとこうな)


「ていうか住み込み、ちゅうことは何? いま竜ちゃんと一緒に暮らしてんの? 大丈夫か、こんな若くて可愛()いらしい()とやなんて。竜司(アンタ)、まさか手ぇ出してへんやろなあ?」


「出すわけねえだろ」

「いつもリュージさまには、大変よくしていただいております」


「ふーん、そうなんや。まぁ困ったことあったら、なんでも言うてな! あ、ウチは――」


 とその時、エルミヤさんは右手を挙げて、彼女の言葉を制した。


「あ、ごめんなさい。ちょっとよろしいでしょうか? 私、今日こそ名誉挽回(リベンジ)したいんで。お姉さんのお名前の漢字、できましたら私に読ませていただけませんか?」


「ほーん、そういうことなん? でも、ウチの名前はかなりムズイでぇ? 外人さんに読めるかなぁ」


 エルミヤさんは、彼女が胸ポケットから取り出した名刺を受け取り、まじまじと見つめた。


「ちょっとお待ちください……『千石(せんごく)』、までは読めるんですけど……下のお名前のほうは……『粽子』? あー、見たことない字ですね。えぇーっと……うーん、ごめんなさい! 降参(ギブアップ)です」

 そう言って、申し訳なさそうに(こうべ)を垂れたエルミヤさんに、勝ち誇ったようにニッコリしながら彼女は言った。


「まあ、せやろな。日本人でもウチの名前、初見で読める人はまずおれへんわ」

「……あの、なんてお読みするんですか?」



「――それはな、『粽子(ちまき)』っていうんや、お嬢ちゃん」


「ちまき?」

 背後からの、もう一人の関西弁ネイティブの登場に、エルミヤさんは少し困惑しながら振り返った。


「ほら、今ちょうど来よったんが、ウチにこの名前付けた張本人や」


「なにしろ五月五日、端午の節句生まれやったからな。男やとばっかり思てたから、女の子の名前はちぃとも考えてへんかったんや。しゃあないから、ちょうどその日卓袱(ちゃぶ)台の上に載ってた和菓子(ヤツ)の名前をそのまま付けて、粽子(ちまき)。ものの五秒で決まったで」

 餅米の団子を笹の葉で巻いた粽子(ちまき)は、関西人にとっては柏餅よりもポピュラーな、こどもの日の和菓子である。


粽子(ちまき)さんのお父さまでいらっしゃいますか? 失礼いたしました。私の名前は、エルミヤと申します」


「ようお越し、エルミヤちゃん。ワシは千石(せんごく)達吉(たつきち)や。竜司も、よう来たな」


「ああ。車の点検(メンテ)が終わったっつうんで、取りに来たぜ、達吉(たつきっ)つあん」


 この「達吉(たつきっ)つあん」は、自動車修理工場「千石モータース」の経営者であり、親兄弟のいない俺を子供(ガキ)の頃からかわいがってくれている顔なじみだ。

 歳は五十半ば、短く刈り込んだ頭には白いものも目立つが、見た目の通り寡黙で頑固な腕利きの職人である。ともに大阪から上京してきたカミさんには、十年ほど前に先立たれており、今は一人娘の粽子(ちまき)とこの修理工場を切り盛りしている。


「おう、こっちや」


 達吉(たつきっ)つあんは手招きして、俺たちを店の奥へと連れていった。そこには、慣れ親しんだ愛車――ハコスカが俺を待っていた。


「これって、リュージさまのいつものお車ですよね! いつの間にか形が変わってたので、どうしてだろうとは思ってましたけど」


「あれは、代車のプリウスな。定期点検で、ここに預けてたんだ」

「そうだったんですか」


「で、どうだチマキ、とくに問題はなかったか?」

「うん、大丈夫やで。タイヤもエンジンも異常なし。オイルとエレメントだけ交換しといたわ」

「わかった。ご苦労だったな」

 そんなやり取りを聞いて、エルミヤさんは不思議そうにたずねた。


「あの、もしかして粽子(ちまき)さんがご自身で、このお車の点検をされたんですか?」


「は? そら、もちろんそうやん」


「っていうか、廃車寸前だったこの車(ハコスカ)をまともに走れるようにしたのは、このチマキ一人の力なんだぜ」


「ええ~っ? 本当ですか?」

 驚くエルミヤさんを前に、俺はチマキの肩をポンと叩いた。




 日産スカイラインの三代目。その角ばった特徴的な外見から、俗に「ハコスカ」と称されるこのシルバーの4ドアセダンが発売されたのは、じつに一九六八年のことだ。俺が生まれるはるか前であり、達吉(たつきっ)つあんですらこの世に誕生していたかどうか怪しい。


 そんな骨董品のようなハコスカは、達吉(たつきっ)つあんにとって秘蔵の宝物だった。カーマニアならば千金を積んでも惜しくない垂涎の逸品を、達吉(たつきっ)つあんは俺のような任侠の若造に格安で譲り渡してくれたのだ。


 その経緯については、かなり長くなるので割愛させてもらうが、一言でいえば達吉(たつきっ)つあんが俺のことを「男として気に入った」から、ということらしい。



「だがな、さすがに半世紀前の年代物(クラシック)だ。運転どころか、自動車としての安全性に問題ありってんで、ほっとけばそのまま廃棄処分(スクラップ)になっちまうとこだったんだ」


「それをウチが何年もかけて、少しずつ修理して改造して、ちゃんと走れるようにまでしたんや。内部構造の強度も現行(いま)の基準にまで上げてるし、最新の部品や装備もぎょうさん使(つこ)うてるから、見た目は古いけど最新の車にも引けを取らん性能やねんで?」


 チマキは誇らしげにそこまで言うと、手にしたコップの麦茶を飲んだ。俺とエルミヤさんとチマキは、工場の隅に置かれたテーブルにつき、しばしの歓談中だ。なお達吉(たつきっ)つあんは、所用のためどこかへ出かけてしまっていた。


「すごいです! 粽子(ちまき)さん、お若いのにすばらしい技術を持っていらっしゃるんですね」

「そういやチマキ、いくつになったんだっけ?」

「ウチ? 今年でちょうど二十歳(ハタチ)や」


 男勝りだが、さっぱりとしていて人付き合いのいい性格の千石(せんごく)粽子(ちまき)。俺はかつて、赤ん坊だった彼女のおしめを替えたことだってあるのだが、気がつけばその娘がもう二十歳(ハタチ)とは。感慨深いことだ。

 

「ウチ、二歳のころからもう機械いじりしとったからな。せやから、こう見えても整備士としての実務経験は、十八年のベテランやねんでぇ」


「ヒマさえあれば、車の下に潜ってたからなあ。今は、そのデッカい胸がつっかえて邪魔なんじゃねえか?」


「もう! 何言うてんの? セクハラやで竜ちゃん!」

(わり)(わり)い。チマキも、大人になったっていうこった」


 化粧っ気のない顔に、オイルで汚れた整備士のツナギ。長い黒髪は大雑把にポニーテールでまとめている。

 だが彼女自身が持つ素材の良さは、俺も大いに認めるところだ。ボタンがはち切れんばかりのその豊かなふくらみも、もちろん彼女の魅力の一つと言える。

 お転婆少女だったチマキは、俺の知らないうちに、本当に綺麗になった。


「――そしたら、これ車の(キー)。竜ちゃん、なんかあったらいつでもウチに持ってきてや?」


「ああ。それじゃチマキ、世話んなったな」

「失礼いたします、粽子(ちまき)さん」


 俺たちは、チマキ入魂の作品である名車・ハコスカに乗り込むと、千石モータースを後にした。いつもと変わらぬエンジンの吹き上がり音に、俺は十分満足していた。



「どうだい、この音! やっぱいい車だろ? これ」

「あ、私はどちらかというと前の車(プリウス)が良かったです」




続く



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ