転生生活1日目(1):チュートリアル
目の前には森が広がっていた。
草と土と、木の匂い。
木々の隙間から太陽の光が漏れて地上を照らす。
今までの人生で見た、どれとも一致しない光景。
軟らかい土に手をついて起き上がり、身の回りを確認する。
どうやら周囲に人の気配はないみたいだ。
「ここが……異世界?」
自分の喉から、聞き慣れない声が鳴る。
手を広げると、細長くも筋肉質で力強そうな、見慣れない手の平があった。
そういえば、身につけている装備も大きく変わっているようだ。
ついさっきまで着ていたはずの私服は跡形もなく消えて、ゴワゴワとした感触が身を包んでいる。
いかにも村人、という粗野な服装の上に、魔術師のようなローブを羽織っているみたい。
いかにも『RPGの初期装備』っぽいというか、それこそ『冒険者』という職業の人がしていそうな……
多分これが、この世界の標準装備なのかもしれない。
「それにしても、自分はこれから一体どうしたら……?」
転生してしまった。というのはもう仕方がないとして、一人きりで森に放り出されてしまったら、現代日本に生きていた私には、対処方法もわからない。
このままだと、第二の人生が終わるのも、すぐなのかもしれない……
「いや、それはさすがに、あんまりだ!」
理不尽な世界に抗うように小さな声で自分を叱咤して、少し辺りを散策してみることにした。
どうやら自分は、転生前と比べて背が伸びているらしく、立ち上がると、地面までの距離が少し遠く感じた。
試しに両足で地面を蹴ってみると、三十センチほど跳躍してから重力に引かれて落ちる。
背の高い草木をかき分けるように進んでいるだけで、少しずつ息が切れてくる。
どうやら、自分の体力は、転生前のままのようだ……
「こんなことなら、やっぱり体力とかにステータスを割り振っておけば……なんだこれ?」
当てもなくまっすぐ進んでいると、不意に茂みが途切れて、空が綺麗に見える、広場のような空間が広がっていた。
よく見ると、周りには、大木がなぎ倒されたような丸太がいくつも転がっている。
広場の中央には見上げるほどの巨大な岩が……
「いや、これは岩じゃなくて、生き物の……死骸?」
近づいて確認すると、どうやらそれは岩ではなく巨大な獣であるようだった。
ピクリとも動かないそれは、触れた感触はザラザラとした毛皮のようで、生暖かい。
よく見ると、分厚い毛皮には何かが貫通したような痕跡があり、そのあたりから、火薬のような臭いが漂っていた。
その時、自分の斜め後ろから人の気配を感じた。
「そいつは、俺が仕留めた獣だ! そこから離れろ!」
森の中に、威嚇するような男性の、太い声が響く。
慌てて獣から離れると、声の主が姿を見せた。
その男は、背の高い木の枝から、ロープも使わず地上に飛び降りた。
少し離れた場所に立つ男が構えるギラギラと輝く銃の、その銃口は自分に向けられている。
思わずその場に尻餅をついてしまった自分に対し、男はじりじりと距離を詰めてくる。
「お前……見かけない顔だな。余所者か?」
「余所者というか、自分は……信じられないだろうけど、この世界に来たばかりで……」
「世界に来たばかり? ああ、なるほど。お前が噂の……」
男は何かを納得したらしく、銃を右肩に担ぎながら、空になった左手を、腰を抜かした私に差し出してくる。
「俺は火門天鬼。見ての通り、冒険者をやっている」
「自分は、水音千代と言います……」
「よろしくな! まあ、災難だったな。俺が街まで連れてってやるよ!」
彼の手を掴んで起き上がると、テンキさんは手を離して茂みの中へと突きすすんでいった。
テンキさんは茂みをかき分けながら、即席の獣道を作ってくれるので、置いていかれないようになんとか彼の背中を追う。
途中何度か、先を行くテンキさんを待たせてしまったけれど、それでもなんとか追いついて、そこから更に先に進む……ということを繰り返すと、テンキさんが見晴らしの良い場所で立ち止まっていた。
口元に板状の何かを近づけて、誰かと通話をしているような彼は、目線で「先に行け」と促した。
肩で息をしながら進むと、そこはどうやら小高い丘のようになっているようだった。
吹き上げる冷たい風が汗を吹き払う。
視線を下げると、眼下には大きな街が広がっていた。
レンガを積み上げて造られた建物が多いみたいで、道路は石畳が敷かれている。
パッと見た感じだと、文明的には『現代的』というよりは『中世的』といった方が近いかもしれない。
初めて見る異世界の街に目を奪われていると、いつの間にかテンキさんは通話を終えて、私の真横に立っていた。
「……あそこが、俺の住む街だ。このまま道をこのまっすぐ行けば、街に着く。入り口の近くで『ギルド』の職員が待っているはずだから、あとはそいつが案内してくれるはずだ」
「……え?」
てっきり、街まで連れて行ってくれると思っていたのだが、どうやらそうではないらしい。
自分の言いたいことを察したのか、テンキさんは頭を掻いて申し訳なさそうにする。
「いや……俺はさっきの獲物を回収しないといけないからな。まあ、ここまで来れば大丈夫だろ」
そういえば、さっきのでかい獣はテンキさんが仕留めたと言っていた。
本当は彼は、自分のことなんて放っておいて、一刻も早く獲物の元に戻りたいに違いない。
だとすれば、これ以上自分が我が儘を言うのは、さすがに気が引ける。
「そういうことなら……わかりました。とりあえず案内ありがとう。ここからは自分の力で頑張ります」
「ああ! じゃあな、チシロ!」
「またどこかで!」
自分が手を振ると、テンキさんは森の中に走っていき、すぐに姿が見えなくなった。
テンキさんに言われた道を歩くと、彼の言ったとおり、すぐに大きな入り口が見えてくる。
街の周りには、毛皮に覆われた若い人や、個性的なツノや尻尾が生えた老人もいた。
様々な亜人がいる様子を見ると、今更になって「異世界に転生した」ことを実感させられる。
そんな街の入り口で、キョロキョロと周りを観察していると、小さな影が近づいてくる。
「あ、あの……チシロさん、で、あってますか……?」
控えめな声が聞こえた方を見ると、そこには小さな女性が一人いた。
背丈は、今の自分よりも一回り小さい。
グレー掛かった白い短髪で、顔や手が毛皮に覆われていたりはしないから、かなり人に近い種族なのだろう。
ただし、そんな彼女の頭の上には、兎のような耳が生えていた。いや、広がっていた。
横並びに左右6本ずつ。
計12本。
それぞれが、まるで意思を持つかのように「ぴょこぴょこ」と跳ね動いている。
シルエット的には「うさ耳」というよりも「タンポポ」に近い少女は、言葉を失っている自分を見て不安げに首をかしげている。
「あの……違い、ましたか……? チシロさん……では、ありませんでしたか?」
「あ、はい。そうです、自分がチシロです」
自分が答えると、少女は安心したように息をつく。
「良かった……私は、チシロさんの転生生活を、サポート……することになった、ラビ……です」
ラビさんというらしい女性は、丁寧に頭を下げてから「では……こちらへ」と言ってから振り返り、街の中へと入っていった。
ゆったりと歩くラビさんを追ってしばらく行くと、ひときわ大きな建物の前でラビさんは立ち止まった。
屋根の上の看板には見慣れない文字で『ギルド』と書かれている。どうやらここが目的地のようだ。
開け放たれた門を潜ったラビさんは、受付のような場所を素通りして職員用の通路へ入り、その先にある小さな扉を開けた。
中に入るとそこは、あまり異世界らしくない、現代的な応接室のような、部屋だった。
大きな机と二脚の椅子があり、床は深紅の絨毯が敷かれている。
ラビさんは、部屋の奥にある椅子に座り、自分は手前側の椅子を勧められたので、素直に腰掛ける。
「それでは……チシロさん。手続きを始めます……が、その前に、こちらを……どうぞ」
そう言ってラビさんは、机の引き出しから小さな箱を取り出した。
受け取った箱を開けると、中には自分が前世で大事にしていたお守りが入っている。
「こちらは、チシロさんの特典……です。間違い、ないでしょうか……?」
そういえば、転生システムで転生特典に、お守りを設定していたことを思い出す。
「はい、自分のお守りで間違いないです……見当たらないと思ったら、ここに届いていたんですね」
「……本来なら、チシロさんもここに届くはずだったのですが……」
そんなことを言われても、ご迷惑をおかけして申し訳ないとしか返せない。
自分がお守りを受け取ると、ラビさんは(コホン……)と誤魔化すように咳をして、再び自分に視線を向けた。
「さて……それではチシロさん。手続きを進めていきましょう……」
「はい、宜しくお願いします」
続いてラビさんは、机の引き出しから一枚の紙を取り出した。
「まず、ステータスカードの発行を……行います。こちらの書類を読んで、同意いただける場合は、サインをお願いします」
<<ステータスカード発行同意書>>というタイトルから始まるそれは、簡単な契約書類のようだった。
簡潔にまとめられた内容を要約すると、
・ステータスカードを使用すると、持ち主のステータスが記録される。
・ステータスカードは、身分証明に使うことができる。
・ステータスカードを使って、アイテムなどの『鑑定』を行うこともできる。
・ステータスカードの再発行には手数料がかかる。
のようなことが書かれている。
このステータスカードを受け取るためには、この書類にサインを書く必要があるらしい。
内容を確認して、特に怪しいところは見当たらなかったので、サイン欄の場所に『水音 千代』と書く。
すると、契約書が光の粒になって消滅し、代わりに一枚の透明なカードが現れた。
どうやらこれで、無事に契約は締結されたらしい。
このカードが『ステータスカード』なのだろう。
カードに<<使用者登録が完了しました>>というメッセージが現れた後、画面が切り替わる。
<<チシロ・ミト>>
職業:冒険者
種族:ツノナシ エルフミミ シロエルフ
カードランク:無色
『ステータスカード』というだけあって、そこには自分のステータスが表示されているようだ。
だとしたら自分の種族はこのツノナシエルフミミシロエルフなのだろう。なかなかにカオスなことになっている。
そういえば、転生システムでは種族を『おまかせ』に設定したことを思い出す。
こんなことなら真面目に種族を選んでおけば良かったと、後悔しても、もう遅い。
自分がステータスカードを確認していると、ラビさんは手元の資料にチェックをつけて、次の項目を読見上げる。
「えっと……チシロさん、ステータスカードには、支援金として300Gが登録されて、います」
「300……ゴールド……?」
「はい。カードを使って支払いをすることができ……こちらは、転生者の支援金……です。返済の必要はありません、ので、安心して……ください」
カードを改めて確認すると、右下の辺りに300という数字が刻まれていた。
よくわからないけれど、電子マネーみたいなものだろう。
「すごいな、お金までもらえるんだ……」
「はい……私たちは転生者とは、持ちつ持たれつ、ですから……ちなみに、『G』とチシロさんの出身地通貨とのレートですが……だいたい『1G= 1000えん』 の、ようです」
ラビさんは、手元の資料にチェックを入れながら読み上げる。
なるほど。1Gが1000円で、300Gということは……
「さ、30万円!?」
「足りませんか……? でも、お金がなくなっても、ギルドから追加でサポートを受けられるので、安心してください……転生者であれば、簡単にローンを組むこともできますから……でも、無駄遣いはなるべくやめてくださいね……」
「あ、はい……キヲツケマス」
特に勇者とかそういうわけでもない転生者に30万円も配って、財源はどうなっているのだろう……という意味で思わず声が漏れてしまったのだけれど、ラビさんは何か勘違いをしてしまったらしい。
まあ、そんなこと自分が心配しても仕方がないので、特に訂正はしないでおくけれど。
「最後になりますが……こちらは、転生者向けに作られた『サポートブック』という本です……こちらをお渡しすれば、手続きは終わりになりますが……何か質問は、ありますか?」
そう言って、最後に手渡されたのは、辞書ぐらいの厚さがある一冊の本だった。
パラパラと中身を確認すると、この世界の大雑把な歴史から、この世界の文化や常識なども書かれているようだ。
「今のところ、質問はないので、大丈夫です」
「そうですか……それでは、これで転生手続きは……終わりです。転生生活、頑張ってくださいね!」
チェックをつけてから資料をしまったラビさんは、立ち上がって自分をギルドの入り口まで案内してくれた。
「チシロさん……まずは、ぜひサポートブックに目を通してみてください。分からないことがあったら私か、ギルドの受付で、気軽になんでも聞いて、くださいね……」
最後にそう言い残して、ラビさんは建物の奥に戻っていった。