第2話 お試し夫婦は、一つ屋根の下。
エディルさまと半年間、お試し夫婦として一緒に暮らす――。
王妃さまのとんでもない命令に、頭の中、思考がグルグルグルグルずっと走り回ってる。
結婚?
エディルさまと?
わたしが?
エディルさまと?
一緒に暮らすの?
エディルさまと?
お試し夫婦になるの?
エディルさまと?
――エディルさまってステキよね。
以前、先輩侍女たちとウワサに興じたこと思い出す。
エディルさまは、現在、国王陛下の護衛騎士の任に当たられているけど、王妃さまの乳兄妹ということもあって、以前は足繁く妃殿下のもとを訪れていらっしゃった。
あのご容姿、高潔な騎士という雰囲気も相まって、エディルさまは侍女仲間のうちでは、ちょっとした憧れ、アイドルのような存在だった。
「今日、あたしさー、両手で荷物持ってたんだけどさー、扉開けられずに困ってたら『どうぞ』って!! メッチャさりげなく扉を開けてくれたのよねー」
「それって、ただ単に、邪魔だから早く行けってことじゃないの?」
「違うわよっ!! その後、『お持ちしましょうか』って言って荷物を持ってくれたんだからっ!!」
「あー、わかるぅ。アタシもこの間、やってもらった、それー」
「なにそれ、私、やってもらってない~」
「だったら、今度、王妃さまの御本をお運びしたら? 手伝ってもらえるかもよ?」
「でも、エディルさまのいらっしゃらない時にやっても意味ないわよねー。タダのくたびれ損じゃない。本を運ぶなんて」
「そうねえ、機会を選ばなきゃね~」
キャイキャイと盛り上がる先輩たち。
「リリーは、なんか助けてもらったこと、あるの?」
「ええ、まあ。この間、花瓶を運んでいただきました」
「そうなの?」
国王陛下から王妃さまに連日のように届けられるお花。愛の証、王妃さまは、花に囲まれて過ごすのが相応しい方なのだけど、その花を管理するとなれば、かなり大変。
毎日お水を変えなきゃいけないし、花瓶も洗わなくちゃいけない。
水場が近ければ問題ないけど、王妃さまの居室から井戸のある厨房の裏庭は、果てしなく遠い。その一つ一つの花瓶を持って部屋を出て、階段降りて庭に出るのは、ちょっとした重労働。花瓶を落っことさないか、いつも不安。
そんな時に助けてくれたのが、あのエディルさまだった。
重い花瓶を相手に、わたしがかなりよたってたし、見てられないってことで手を出してくださったんだろう。もしかすると、フラフラと回廊を歩くわたしが邪魔で、ヒョイッとどける手間の一つだったのかもしれない。
多分、花瓶に隠れて、わたしの顔なんて認識してなかっただろうな。
認識してたって、「花瓶を危なっかしく運ぶ、新米チビな侍女」程度だろうし。
「でも、おっしゃるとおり、とてもステキな方でした。わたしのような新米でも助けてくださいましたし。あの方は、見目麗しいだけじゃなく、弱いものに手を差し伸べることのできる、お優しい心根の持ち主でした」
騎士として、弱き者に手を差し伸べるのは当然のこと。だけど。
「あのように、心優しく立派な騎士は他にいないと思ってます」
「おお、言うねえ。もしかして『惚れた』とかそういうの?」
「『惚れる』というのか。人として尊敬、お慕いしております」
「それを惚れるっていうのよ~」
「まったく。なにを顔赤くして言ってるんだか」
「恥じらってもムダよ~。まさかこんな子がライバル宣言してくるなんてね~」
「やっ、ライバルもなにも、そんなっ……。カッコよくって、優しくて、ステキだなってだけでっ!!」
「おうおう。初々しくって愛らしいのお」
「どれどれ、お姉さまたちが可愛がってあげようではないか」
……ウッカリ、エディルさまステキ発言をして、先輩方にもみくちゃにされたんだっけ。
そのステキエディルさまと、ふっ、夫婦っ!! 結婚だなんてっ!!
いくら王妃さまの命だからって、それはさすがにっ!!
「……すまない。妃殿下があのようなことをおっしゃるとは思いもしなかった」
わたしに降り注いだ、エディルさまの声。
そうだ、わたし、エディルさまに住まいを紹介してもらってる最中だったわ。
王妃さまのご命令。
善は急げとばかりに決定された、エディルさま宅での同居。「仮とはいえ夫婦なんだから、一緒に住みなさい」ってことで、荷物をまとめさせられ、こうしてカバン一つ身一つで、エディルさまのお家に押しかけることとなってしまった。普段の侍女としての仕事は、ここから通えってことらしい。
王宮に近い場所にある、騎士のための官舎。街の賑わいからも近い、家々が連なったレンガ造りの長屋。その一画が、エディルさまのお宅だった。
「ここが、私の暮らす官舎です。家は他にもあるが、今はここから王宮へと通っているんです。一応、最低限の生活用品は整っているはずですが、足りなかったら自由に買い足してもらって構いません」
言われて、案内された家のなかを観察する。
水瓶、流し台、暖炉を兼ねてるかまど。その手前には古い安楽椅子。少し大きめのテーブルと長椅子。少ないけど、食器の収まった棚。部屋の奥には二階に続く階段と、その下の空間に、二人掛けのソファ。
こじんまりしているけど、足りないものはなさそうな部屋。
わたし、これからここに住んでいいのだろうか。
これまでわたしが暮らしてきた侍女用の、ベッドと文机しかない部屋とは違う。かまどやソファ、食器棚までそろった、まさしく家族が暮らすための「家」。
ここに、わたしがエディルさまと一緒に――。
(キャ――――ッ!!)
どどど、どうしよう。
考えるだけで心拍数が上がってくる。
「レディ・フォレット?」
「え、あ。すみません。わたしの方こそ、無理矢理押しかけるかたちになってしまって。これから、ご迷惑をおかけします。お世話になります」
そうよ。キチンと挨拶をしておかなくては。アワアワオタオタしてたら、エディルさまも困ってしまうじゃない。
怪訝な顔のエディルさまに、あわてて居住まいをただす。
「いや、アナタは何も悪くない。これは、勝手に決めた王妃が……。いや、なんでもない」
エディルさまが、軽く息を吐き出した。
「とにかく、慣れない他人の家での暮らしですが、アナタの好きなように手を加えてくれて構わないから」
「ありがとうございます」
ああ、エディルさま、お優しいなあ。
見ず知らずの他人との同居なんて、エディルさまもお困りだろうに。わたしのことを優先して気にかけてくださるなんて。
「この家は、二階が寝室になっています。ベッドは一つしかありませんが、私は普段王宮の詰め所に寝泊まりしていて、ここに帰ってくることは滅多にないから、アナタが使ってください」
へ!?
王宮の詰め所!?
帰ってこないの!?
というか、わたしがベッドを使って!?
じゃあ、エディルさまがお帰りになった時は、どうすればっ!?
「だだだ、大丈夫ですっ!! わたしは、こっちのソファを使いますからっ!!」
階段下にあったソファ。そこに突進するなり、自分のものだとばかりに、ボスッと座り込む。
「居候するのは、わたしですしっ!! わたしなら、身体も小っちゃいからここで充分ですっ!!」
ここで毛布にでもくるまって眠れば問題ない。寝返りは打てなさそうだけど、わたしの身体なら問題なく収まる。というか、同居に目を奪われすぎて、ベッドとか細かいところに考えが及ばなかった。
「しかし……」
「大丈夫ですっ!! ベッドは、エディルさまがお帰りになった時、ゆっくり使ってください!!」
いくら滅多に帰って来てなくて使ってないと言われても、好きな人のベッドを使うことはできない。そんなことしたら、わたし、一睡もできない自信がある。
「……わかった。でも、どうしても身体が辛いようなら、いつでも言ってください。ベッドぐらい、新しいのを用意しますから」
わたしの折れない意見に、エディルさまが諦めのため息を漏らす。
融通の利かない、頑固者だって思われた!?
でも、エディルさまのベッドを使って、万年不眠症になるよりは百倍マシ。
こうして、わたしとエディルさまの、「とりあえずお試し夫婦生活」が始まったわけだけど。
前途多難、五里霧中。
こんなにドキドキしっぱなしで、わたしの心臓、持つのかな。