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第19話 わたしを信じて。

 次の日の朝早く。

 エディルさまは言葉通り、王都に向けて出立された。

 

 「彼女のこと、よろしくお願いいたします」


 そう言い残して。

 出立する時、見送ったのは、女将さんとジェルドさんだけ。マスターは、店の仕込みのために店内に残り、わたしは、――彼らのやりとりを薄暗い店内で聞いていた。


 「いいのかい? 会わなくて」


 エディルさまを見送った後、店内に戻ってきた女将さんが言った。


 「もう二度と会えないんだろ?」


 その言葉に、ジッと動かなかったわたしの肩がピクリと揺れた。王都に戻られたら、おそらく、エディルさまは二度と旅などなさらないだろう。

 

 「いいじゃねえか、おふくろ。会いたくねえなら無理して会うことねえんだよ」


 「でもねえ……」


 「アイツだって、リーリアにヒドいことをしたって自覚があるから、ああして大人しく出ていったんだろ? リーリアは今まで通り、ここで楽しく暮らしていけばいいんだよ、なっ」


 「そう……ですね」


 ジェルドさんに相槌を打つ。

 エディルさまが王都に戻られるというのなら、それでいいじゃない。下手に関わり合って、また王妃さまとのことで苦しむよりはずっといい。

 何もかも忘れて、ここで、食堂兼宿屋の店員として働かせてもらえば。にぎやかな馴染みのお客さんや、女将さんたちに囲まれて楽しく暮らしていけば。

 エディルさまだっておっしゃってたじゃない。「元気で幸せに暮らせ」って。

 早々に王都に戻ったのは、王妃さまにお会いするためかもしれないじゃない。わたしを見つけた、生きてることを確認したから、後はどうでもいい。王妃さまに報告という名目で謁見できるのだから、それでいい。そういうことかもしれないじゃない。

 王妃さまとのことを疑われないように偽装するのなら、もっと従順に妻となってくれる人を選べばいいわけだし。エディルさまほど人気のある方なら、次の妻ぐらい簡単に見つけられるだろうし。なんなら、わたしとエディルさまの結婚をうらやましがっていた先輩方のうちの誰かを選べばいいんだし。

 わたしじゃなくてもいいんだし。


 「リーリア」


 わたしたちの会話を黙って聞いていたマスターが口を開いた。


 「――本当に、いいのか?」

 

 寡黙なマスターの重い言葉。


 「ちょっ、オヤジ、何言ってんだよ!!」


 「うるさい。俺は今、リーリアに話してんだ。お前は引っ込んでろ」


 ジェルドさんの上げた抗議を、アッサリと黙らせる。


 「で? どうなんだ、リーリア。もうこれで永遠に会えなくなるんだぞ?」


 ――永遠に会えない。


 その言葉が、ズッシリとのしかかる。


 「……そうさねえ。迷ってるなら、これを――リーリア」


 俯いたままの視界に飛び込んできたのは、小さな六枚の花弁を持った黄色い一輪の花。――クロッカス。


 「あの人からの贈り物だよ。最後のね」


 動けずに固まったままだったわたしの手に、女将さんが強引に花を持たせる。

 黄色いクロッカス。花言葉は、――「私を信じて」。


 (どう……して……)


 きっとエディルさまは花言葉なんてご存知ないはずだ。けど、そこにこもった想いが、花から手へと伝わってくる。


 ――王妃さまを信じなさい。そしてアナタの夫を。アナタ自身が見たこと、感じたことを信じなさい。それがすべてです。


 かつてベネットさんから言われたことを思い出す。

 どんな噂があろうとも、王妃さまを、エディルさまを、自分自身の心を信じよ。エディルさまはそんな卑怯なことを考えるお方か。王妃さまは、そんな酷なことを強いるお方か。

 わたしを探して二年も旅をしてくださったエディルさま。怯えるわたしのために、距離を保ってくださったエディルさま。怪我したわたしを労ってくださったエディルさま。

 そして、あの抱擁。

 どれが真実で、どれが嘘なのか。

 わたしは、すべてを見極めて、そして信じなきゃいけなかった。

 噂に惑わされて、本当のことを聞くのが怖くて逃げ出して。そして今も、こうして別れようとしている。


 (――ううん、そうじゃない。まだ、間に合うっ!!)


 「女将さん、マスター、それにジェルドさん。ありがとうございます!! わたし、追いかけてみます!!」


 たとえ、追いつけなくても。

 たとえ、その先に残酷な真実が待っていたとしても。

 それでも、自分の心を信じて、エディルさまを信じてみたい。

 勢いよく店を飛び出し、山に向かって続く足跡を頼りに、迷いなく走っていく。

 大丈夫。

 この花が、わたしに勇気をくれる。

 わたしはもう、何も怖くない。


*     *     *     *


 (やはり、会ってもらえなかったか)


 村を出て、山に差し掛かったところで馬を止める。

 出立の見送りにきてくれたのは、宿屋の女将とその息子だけ。彼女は、リリーは店内から姿を現さなかった。


 (よほど嫌われてるのだろう、私は)


 近づかないと誓約したはずなのに、指を怪我した彼女に近づき、そのまま抱きしめてしまった。

 衝動的に、つい、愛おしくて。

 どれだけ弁明しようとも、誓いを破ったことに変わりない。

 そのような自分だから、彼女から信じてもらえないのだ。

 今もこうして馬を止めふり返るなど、未練がましいの一言に尽きる。自分が想うことで彼女を苦しめているのに、想うことをやめられない。


 (愚かだな)


 二年経っても捨てられない想い。

 二年経って、愛らしさに美しさも加わった彼女。彼女を自分だけのものにしたいという情動が、どうしようもなく胸のうちに渦巻く。そんなことをしたら、永遠に彼女を失ってしまうかもしれないのに、それでも抑えきれない想いがくすぶり続けている。


 「リリー……」


 王都に戻って、騎士として生きていけば、少しは苦しくなくなるだろうか。彼女のことを忘れてゆけるだろうか。遠く離れて暮せば。彼女に会わない日々を送れば。

 

 (無理……だろうな)


 忘れることなどできるはずがない。

 彼女への想いは、心の奥深くに強く刻まれている。この先一生、この想いを抱えて生きることになるだろう。


 「幸せに、リリー」


 それだけを願い、馬首をめぐらせ、山へと馬を歩かせる。

 山はまだ雪に覆われており、注意深く進ませないととても危険だ。雪の下に地面があると思って油断していると、そこは枝が重なって雪が積もっただけの崖だったりすることがある。地面があったとしても脚を滑らせてしまうこともある。いずれにせよ、細心の注意を払わねばならない。

 手綱を引き、慎重に脚を運ばせる。


 (…………ん?)


 白く染まった世界に、かすかに響いた音の違和感。

 鳥や獣の声とは違う、別の音。


 (まさか……な)


 軽く首をふり、再び雪と格闘を始める。


 「……ルさまっ、エ……まっ!!」


 どれだけ聴きたいと、どれだけその声で名前を呼ばれたいと思ったことか。

 

 (ありえない。こんな雪の山の中で)


 幻聴だ。会いたいと思う弱い心がみせる幻だ。

 そう思うのに、手綱を引くのをゆるめ、馬の歩みを止める。


 (まさか、そんな……)


 声のしたほう、自分の来た道をふり返り、驚きのあまり目を大きく見開く。


 「レディ・フォレット……」


 雪に足を取られながら、必死に前へと進もうとする彼女の姿。息は白く荒く、頬は赤く上気している。よろめき、雪にまみれた手には一輪の黄色い花。


 「エディルさま……」


 整わない息の下で呼ばれた名前。

 これが幻覚、幻聴でないとしたら、いったい何だというのか。

 信じられない思いが、熱い何かが、身体の奥底から湧き上がって、喉の奥を詰まらせる。

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