第11話 心の奥に隠すもの。
朝、着替えとともに髪をまとめる。王妃さまつきの侍女として恥ずかしくないように、キッチリと。
髪をいつものように巻いて後頭部まで持ち上げる。もう片方の手で髪留めを取ろうとして、かすかに逡巡を覚える。
祖父母からもらった木製の滑らかな髪留め。そして、トゥイーディアのあしらわれた新しい髪留め。
しばらく無言のまま二つを眺め、薄青色のそれを使って髪をまとめあげる。
薄青色の小さな花、トゥイーディア。
(よしっ)
鏡の中自分を何度も確認して、気合をいれる。
いつもの服。代わり映えのない髪型。
さあ、今日も一日頑張ろう。
* * * *
「おはようございますっ!! 井戸、使わせていただきますねっ!!」
いつものように、王妃さまのお部屋から持ってきた花瓶を手に、厨房の責任者、コックに声をかける。
「おお、おはよう。今日も花が豪勢だな」
「ええ。陛下が、王妃さまのためにたくさん贈られましたから」
「陛下は王妃さまにゾッコンか。熱々で羨ましいねえ」
「そうですね。お二人が仲良く過ごされて、喜ばしいことですよ」
「でもそう頻繁に贈ってたら、そのうち摘み取られすぎて庭園の花が無くなっちまうんじゃねか? 庭師たちが嘆くぞ。せっかくの花が丸坊主になった、庭の見どころがなくなったってな」
「あはは。そうなったら、王妃さまへの贈り物専用に栽培園を作ってもらうしかないですね」
他愛のないコックたちとのやりとり。
国王陛下から毎日のように王妃さまへ花が贈られてる、お二人の熱愛ぶりは、王宮に勤める者なら誰でも知ってる周知の事実。
お二人が琴瑟相和す仲であることを、誰もが微笑ましく思っている。仕えるべき主の不幸を願う者など存在しない。
「そういうアンタも、最近結婚したんだって?」
「え、あ、はい」
「めでたいねえ。アンタの将来をラルフもずいぶん気にかけてたからねえ。今頃嫁さんと二人で喜んでるだろうさ」
「そうですね」
そうか。このコックさんは、わたしの祖父を知ってる人なんだ。
「王妃さまじゃないけど、アンタも愛されて幸せなんだろ? 似合ってるよ」
一瞬キョトンとしたわたしにむけて、コックが自分の後頭部をコンコンと指で叩く。
ああ、髪留めのことを言ってるんだ。
「ありがとうございます」
愛されて幸せかどうか。
答えの代わりに、最大限に笑って見せる。そしてそのまま一礼をして、井戸に向かう。
結婚を祝福されたことを喜んでいるように。鼻歌でも歌いだしそうなほどにこやかに。でも、花瓶を落とさないように少しだけ慎重に。
井戸から汲み上げた水をタライに移し替える。それからもう一杯汲み上げて、花瓶に入っていた花を桶に移す。柔らかめのタワシを使って花瓶の内側をこする。タライのなかで軽く洗ったら、桶に移して置いた花を点検する。傷んだ部分はないか。枯れてる部分はないか。あれば摘み取り、ハサミで切り取る。それからもう一度水を汲み上げ、花瓶に注ぐと、花を活け直す。ちょっと見栄えのいいように飾り方を工夫して完成。
これを戻したら、次の花瓶を持ってくる。
王妃さまの部屋に飾ってある花。そのすべての水を変え、管理するのがわたしの仕事。
いつものこと。いつもの仕事。
これが終われば、次は侍女としての仕事が待っている。
先輩侍女たちと一緒に、王妃さまのためにお茶を用意したり、お部屋を整えたりする。途中、先輩たちと他愛のない会話を交わす。最近の先輩方の話題のネタは、もっぱらわたしとエディルさまの関係だ。
王妃さまに勧められて叶った結婚。誰もが憧れる騎士との夫婦生活。
冷やかしとからかい混じりのそれを、困惑顔で受け流す。
結婚を喜んでいるように。鼻歌でも歌いだしそうなほどにこやかに。
先輩たちが茶化しすぎれば、クレアさんが止めに入ってくれる。クレアさんもいじってくるけど、でもそれは結婚を快く思ってくれてるから。
そう。
みんな王妃さまたちの仲を祝福するのと同じで、わたしとエディルさまの結婚も祝ってくれている。
だから。
だからわたしは笑う。
命じられた結婚だったけど、とても幸せです。髪飾りをいただくぐらい、夫には大事にされてます。
わたしは演じる。
幸せな妻を。鼻歌でも歌いだしそうなぐらい幸福な妻を。
大丈夫。
いつだってちゃんと笑えてる。
髪留めをつけた時、何度も鏡で笑顔を確認した。
いつも通り笑っているし、茶化されて顔を赤く染めることもできる。
泣いてなんかいない。
仕事が終われば、いつものように我が家となった官舎に戻る。
「すみませーん。今日もパイを焼かせてもらってもいいですか?」
途中、顔なじみとなったパン屋に立ち寄り、窯を使わせてもらえるかの確認を取る。
「おう、いつだっていいぜ。使いに来な」
「じゃあ、仕込み終えたらまた伺いますね」
笑顔で挨拶を交わし、家路を急ぐ。
夕方遅く、わたしと食事をするためだけに帰ってくるエディルさまのためにパイを焼き、夕食をこしらえる。
パイを気に入っていただけたのならパイを焼く。他のものがよいと言われたら、別のものを用意する。
それが妻の役割なのだから。
「おかえりなさい、エディルさま」
「ただいま」
わたしと食事をするために、王妃さまから命じられた妻と食事をするために帰ってきたエディルさまをにこやかに迎える。
「今日は、ニシンのパイを焼いてみました。お口に合うと良いのですが」
「美味しいですよ、レディ・フォレット」
その言葉に目を細め、ホッとしたように肩の力を抜いてみせる。
「これも、祖母君直伝の味なのですか?」
「ええ。祖父が気に入っていたもので。わたしの家ではよく食卓にあがる一品でした」
「そうなんですね。これほど美味しいのですから、祖父君が気に入られるのもわかる気がします」
「そこまでお褒めいただいて……うれしいですわ」
夕食のメニューをネタに、会話を続ける。
大丈夫。
わたしはちゃんと笑えてる。
「……その髪留め、使ってくださってるのですね」
食事を終えたエディルさまの言葉。
「ええ。せっかくいただいたのですし。ただ、先輩方にからかわれて、……少しだけ恥ずかしいです」
「それは……申し訳ないことをしました」
「いえ。いただいてうれしいのは本当ですから。お気になさらずに」
頬を染め、うつむきがちになりながら、髪留めに手をやる。
「そうですか。では、私はこれで」
「はい。お仕事、大変でしょうけど。あまり無理をなさらずに」
「ありがとうございます。アナタも戸締まりをしっかりしておやすみください」
「ええ。お心遣い、ありがとうございます」
玄関の扉近くで、王宮に戻るエディルさまを見送る。
彼の姿が闇に溶け込んで見えなくなるまで。ずっと手を振り、にこやかに送り出す。
大丈夫。
わたしちゃんと笑えていた。
皆の期待するような、「突然好きな人と結婚させられ、意外にも大事にされて幸せな妻」を演じきれた。
一度も「リリー」と親しみを込めて呼んでくださらないあの方の妻。それが幸せなのかどうかなんて、誰も興味がないんだから。
一人になるたびに襲ってくる、髪留めを引きちぎって投げ捨ててやりたい衝動。何度も髪に伸びそうになる手を抑え、深呼吸をくり返す。
髪留めを外せば、みんなに不審がられる。上手くいってないのかと、心配されてしまう。
なにより、あの会話を聞いてしまったことがエディルさまと王妃さまにバレてしまう。
大丈夫、大丈夫、大丈夫。
どんなことがあろうとも、わたしは笑えるのだから。