海と丘
『もどりました。』
と、戸を開けると中に誰もいない。ノイズも出かけているのだろうか、と荷物を置こうとすると後から
『わっ!』
と声を掛けられる。驚いていると
『ちょっと手紙を届けに行ってたんだ。同時に帰ってくるとはねぇ』
と少し嬉しそうにしている。お互いに片付けも終わり定位置につきぼーっとし始める。平日のお昼前、ご飯の支度をするには早すぎる、かといって用事を済ませたばかりで外に出る用事もなく暇に襲われているとノイズが静寂を切り裂く。
『散歩に行こう!』
『散歩って、何処にです?』
良い所が在るから黙って付いてこーい、と腕を引かれ家を出る。
数十分歩いて街外れの丘につく。タッタッタっと駆け足で丘の先にたどり着いたノイズが
こちらに振り向き
『早く来いよ』
と、手を振っている。少し駆け足で追いつくと目下に海が広がっている。
広くて吸い込まれそうな青と飛べそうと錯覚するような青空に雲だけが浮かんで境界線を作っている。丘の上、海風に晒された髪の毛だけキラキラと靡いていて、
『世知辛い世の中ですね』
と呟く。ノイズは海を見た儘
『皆苦しいんだ、皆辛い。生きていくのは恐ろしい、なのにそれらを口に出すのはもっと恐ろしい事と錯覚してる。んなわけないのにな、黙って生きてるだけが偉くて、なんて、そんなの。言わないだけで皆苦しいはずなんだ。そうじゃなきゃ』
とノイズの言葉が止まる、その後ろ姿は何だか消えてしまいそうで、空になんかくれてやるかと抱き締めてあげたくなるような、でもそんなのもエゴでしかなく胸の中に皆苦しいという言葉だけが残っている。
皆苦しいのだよと昔誰かにも言われた。だが今になってもどうにも理解できないのです。毎夜々私は叫び出したくなるというのに、大人とはなにか、否、自分とは何か分からなくて死してしまいたくなるというのに、道で微笑んでいる彼らも、いつも笑っている店の店主も目の前で消えそうな彼さえも、同じ苦しみで生きているのが、気味悪くて仕方が無い。私にだけ耐えられないなんてあるものか。
『お腹空いてないか?』
私の思考を遮るように優しい声が響き、眩しそうに笑う笑顔が此方を除く。
『街の売店……サンドウィッチ屋に行こう! お昼御飯は俺の奢りだ!』
と、なんとも素晴らしい提案なんだ、といいだけに顔を輝かせている。
『良いですね、行きましょうか。』
と丘を降りていく。一際大きな風がフワッとシャツと髪を靡かせて何処かへまた消えていく。何だか夢のようですね。