十一時
起きると十一時で、入浴後髪をかわかしコーヒーメーカーに珈琲を抽出させながらテーブルを拭いてカーテンをひらき見ると薄暗いほど曇っている。
そろそろぽたぽた来そうだけれど雨は好きなので気分はかえって上がり、淹れた珈琲のお供に読みかけのエッセイを手にするも一章読むうちにはもう飽きて、これまで幾度か読み返した短編小説に時を過ごすうち暖かい珈琲も冷めている。珈琲は熱いほど暖かなのが好みなので香気が消し飛ぶのも厭わずレンジにあたためなおすと、やっぱり冷めた珈琲よりも数段美味しく満足して本をめくるうちふと置時計に時間をみれば午後も二時。
平日なら出がけに軽く食事を摂るのが常だけれど、休みの今日は昼を越してなお何も摂らずに済むのがかえって嬉しい。一体動物は食べるために働く。猫などは食べるため起きる。あとは寝そべり丸くなり香箱をつくり足をのばし毛づくろいし時々遊んで一日を過ごす。人間は働くために食べる。さまざまに動物と人間の相違はあろうけれどこれこそ第一のものではないだろうか。朝食や昼食を食べて仕事に赴く。義務としての食事。夕食だけはそのくびきを離れておのずと朗らかに動物のこころにもどって一息つけるけれど、しかし夕食後の仕事も珍しくない今ではその時ですら人間のこころでいることも稀ではない。お腹がすいたら食べ、すかないなら食べない。この贅沢が許されるのは休日だけで、それを贅沢と感じてしまうのは人間的な欲望よりも動物的な欲望の方がかえって勝っているからだろうか。どうだろう。わからない。
お腹はすかないので二杯目の珈琲をつくって味わいながら、とくに贔屓のチームなどない野球中継に身を任せつつ時折本をめくって、さらに無為に時を移していた折から忽然雨音が冴え響いた。
すぐとベランダに出て右に道路の方を見ると、こなたでは軒下を幸いコンクリートの傘に頭上を守られているのに反して、地面を跳ねる豪雨。木々を傾ぐ強風に食料品店からの帰りとおぼしき母親とその娘が髪や衣服の濡れ乱れるにまかせて、食料品袋だけは守ろうと胸にかき抱きながら早足に歩道を歩くうち樹木の木陰に身をよせる。風雨は依然勢いをとめず、樹木にそれを遮る力はない。
娘は母親を見上げ、母親は娘を見下ろして、何の益もなさそうなことをそれでも慰みに語り合っている様子。雨はやまない。
と、ざあざあ降りしきる雨が俄にぽつりぽつりと響きを変え、なお晴れ広がりゆくさまに母子は乗じて樹木を離れ歩きだし忽ち眼界を過ぎた。部屋に入り冷めた珈琲に口をつけるとふいに梅雨の生暖かい冷たさを覚えてしばらく啜っていたものの、それも気まぐれ、レンジに立った。
読んでいただきありがとうございました。