(後編)
お日様が、じりじりとあたしの頭を照らしてる。
今日も暑いくらいの良いお天気だ。
どきどきしながら、約束の公園まで向かう。ゆっくり歩いて10分の距離。
告白するにあたって全力を尽くそうと意気込んだあたしは、姉に協力を求めてみた。女子大生の姉は、あたしとは違って女子力高めのオシャレさんなのだ。
正直、今のあたしは、陸に女の子として見られているかどうかさえあやしい。こんなあたしが好きだと言っても、びっくりして本気にされないかもしれない。
なに女みたいなこと言ってんの。とか。きもいんだけど。なんて。万が一でもそんな反応されたらあたしは立ち直れなくなりそうだ。
どうせ告白するのなら、ちょっとでも可愛く飾ってみよう。お、コイツ意外と可愛いじゃん、くらいは思ってもらってからにしよう。そうしよう。
幸い、姉は非常に協力的だった。面白がっていたとも言える。
一歩、二歩、歩きながら、スカートの裾がひらひら揺れる。普段着ないようなワンピース。清楚な白のワンピース。日焼けした肌を隠すため、長そでのカーディガンをはおってみたので少し暑い。
毎日のように陸上部の見学をしているせいか、肌がすっかり小麦色に焼けていた。日焼け止めちゃんと塗ったのに、それでもあたしは小麦色だ。おかしいな。
小麦色の肌を少しでも白く見せたくて、ファンデーションをつけてみた。
ついでに、唇にグロスを塗り、つやつやぷくぷくに盛ってみる。安藤さんの大きな目を思い出し、対抗してみようとアイメイクをお願いした。ちょっとでも大きな目になれますように。ちょっとでも可愛くなれますように。
ちょっとだけ、ちょっとだけがどんどん増えて、結局バッチリフルメイク。お姉ちゃん、化粧上手いなぁ。あたしがすっかり可愛くなった。詐欺メイク、なんて単語がちらりと頭をよぎる。
姉もノッてきたのか、可愛い洋服を貸してくれた。帽子とサンダルも貸してくれた。足のサイズは、あたしの方が少し小さいので、ちょっとカポカポするけれど、少しの我慢だ。
肩に届かないくらいの黒い髪、地味で素っ気ない自分の髪に物足りなさを感じていると、お姉ちゃんがとっておきのウィッグを貸してくれた。胸の下まで隠れる、アッシュブラウンのゆるふわパーマがめちゃカワイイ。こんなものまで持っているなんて、おしゃれ女子大生ってスゴイ。
シンデレラのように、あたしに魔法がかけられた。
「あたし、陸のことずっと好きだったの! 付き合ってください」
ペットボトルのお茶に向かって、あたしは堂々と告白してみせた。
不思議。さっきまでの地味なあたしの時は、練習しても練習しても全然上手く言えずにいたのに。
可愛いって無敵。
可愛くなったら、それだけであたしは強くなれた気がしてきた。
ふふんと胸を張る。ペタンとした胸元が寂しい。
しょぼくれていたら姉がパッドを突っ込んでくれた。それも5枚も。絶対に触れられてはいけない偽巨乳の出来上がり。
ふふ、と笑みが零れてきた。
あの角を曲がれば、陸と約束をした公園だ。
約束の時間まではあと10分。でもきっと、陸はもうあたしを待っている。陸はわりあい律儀な方だ。待ち合わせの時間より、ずっと早めに来ていることが多い。
公園の入り口に到着した。暑さのせいか、子どもたちの姿は見ない。奥にあるジャングルジムを背もたれにして、陸がぽつんと一人立っていた。
ポケットに手を突っ込み、肩を軽くすくめ地面をじっと見つめてる。足は片方、かかとをあげ、ジャングルジムにゆるく掛けている。なんでもない立ち姿が、なんだかとても格好良く見えた。
大丈夫、大丈夫。今のあたしは可愛い。
きっとうまくいくよ。
自分に言い聞かせながら深呼吸をして、陸の側まで近寄った。
「あの………」
陸があたしに気がついた。
練習と本番は違うんだな、と実感した。緊張して声が震えだす。陸が、ちょっと驚いたような顔をしてあたしを見ている。
「好きです、付き合ってください……」
練習していた台詞は、すべてどこかへ吹っ飛んだ。
あたしらしくない、か細い声。陸が、もっと驚いた顔してあたしを見ている。ああもう、心臓張り裂けそう。沈黙が長い。まるで時間が止まったみたい。
じっと、祈るように陸の顔を見つめていると、戸惑った様子で陸が声をあげた。
「ごめん、付き合えない」
瞬間、ぷつりと、なにかが途絶えた。視界から、色が消える。
「あ、そっか、ごめん。ごめんね……」
かろうじてそれだけ言って、逃げるように走り出した。モノトーンの世界は、まるで現実ではないみたいだ。
振られちゃった。可愛くしてみたけれどダメだった。
3年も一緒にいたけどダメだった。結構、仲良かったんだけどな。陸にとってあたしは結局、友達でしかなかったんだ。
好きな人でもいたのかな。特定の誰かが好きだとか、聞いたこともなければ素振りだって見せた事もなかったのに、実はいたのかな、陸。どうなの、陸。
走りながら涙がどんどん溢れてきた。今きっと、目元真っ黒。マスカラが落ちてお化けみたいになっている。
家の前まで来て、足の裏が痛いことに気が付いた。パンストが破れて血が出ている。勢いよく走ったせいか、緩いサンダルが片方、どこかで脱げてなくなっていた。
告白は失敗したけれど、お願い。
せめて友達のままでいさせて。
布団の中で。泣きながらあたしは祈るのだった。
月曜日、あたしは再びドキドキしながら、教室の机の上に頭を伏せていた。
クラスメイト達が挨拶を交わしている。何人かの声に混じり、陸の声が聞こえてきた。あたしは両手をぐっと握り、息を整え顔をあげた。
「陸、おはよっ」
何でもない振りをして挨拶をする。陸は、むっつりとした顔であたしを見た。明らかに不機嫌な様子だ。てかなんか睨んできてない?
「……一花。土曜のあれ、なんだよ」
どくん、と心臓が跳ねる。
なにって、告白だけど。そんな、怒って言うようなこと?
呆然としたあたしから、陸はふいと顔を背け、荒い足取りで自分の席へと行ってしまった。
友達でいられたらと願っていたのに。その日はずっと陸は不機嫌なままで、気まずさも手伝ってあたしは、一日、話しかけることが出来なかった。
放課後。いつもなら陸上部の見学に向かっている。今日はどうしよう……。
悩んだけれど、結局あたしは見に行くことにした。
浮かれる女の子達に紛れながら、グラウンドを向いた。湿り気を帯びた空気は、気のせいかどんより澱んでいる。見上げると、今にも泣きだしそうな空の色。あたしの心と同じ色。
陸の走る姿は本当に素敵だ。
普段はふざけた顔ばかりしている陸が、ものすごく真剣な瞳をしていて、見ていて本当にドキドキする。走る前に、少し顔を持ち上げるその仕草にも、ドキドキする。
何かを、覚悟したような。陸の強い意志を感じてあたしはどきりとする。
ずっとじっと見つめていたら、陸と目が合ってしまった。陸が、苦虫を噛み潰したような顔をして目を逸らす。
胸の中にぽたりと、墨汁が垂らされたように、黒いものが広がっていく。
そんな顔しなくてもいいじゃない。
見ているくらい、許してくれてもいいじゃない。
結局いつものように最後まで見て、それから陸と鉢合わせないよう、すぐに帰ろうと門へ向かうと、後ろから勢いよく誰かが走ってきた。
「ちょっと来いよ」
陸の声。気が付くと陸があたしの腕を掴んで引っ張っていた。いつもと違う陸の様子が少し怖くて、そのままついていく。校舎裏まで引っ張られて、そこでようやく陸があたしの手を離した。
腕がジンジンしてきて、掴まれた力が強かったことに気づく。陸の表情は、やっぱり昼間見たものと同じで、眉根がぎゅっと寄っている。
「俺、断ったからな」
ズキンと胸が痛んだ。改めて言われなくても分かっているのに、そんなこと言いに、わざわざ?
「一花がどういうつもりか知らねえけどさ」
「…うん」
「俺はさ。俺は………」
陸が言いにくそうに言葉を止める。右手で首筋をゆるゆると掻き出した。口がキュッと結ばれている。
そういえば今日は月曜日。陸、安藤さんに告白されたのかな。付き合いだしたのかな。それで、あたしとはもう一緒にいられないって言うのかな。
「あたしは、陸とこれからも友達でいたいんだけど……」
「…………」
陸が、これから走りだしてしまうのかと思った。
真っ直ぐと、前を見据える真剣な目をしだしたからだ。あたしを、すごくドキリとさせるやつ。
「俺は、一花と友達ではいたくない」
底冷えするような言葉を告げながら、陸は顔を少し持ち上げた。
走る前にいつもしている、決意表明のようなあの仕草。
あたしの心臓が、一際大きく跳ねた。
「好きなんだ。一花にその気がなくても、俺は一花が好きなんだ。だから、友達のままでは居たくない」
陸の顔が、茜色に染まっている。今日は曇り空なのに、夕焼け色に変わっている。
あ、あれ、おかしいな、あたしの耳。
陸の声がしたんだけど。
好きって聞こえてきたんだけど、おかしいな…。
「え、え?」
驚いて声が出てこない。あたしの顔、太陽の熱を受けたみたいにあつあつだ。今日は曇り空なのに。
陸が、左手も首筋に当てだした。そのまま両手を上にあげ、今度はわしゃわしゃ、後頭部を掻きだした。
「え? 陸が、あたしを?」
「そんな驚かなくてもいいだろ……」
「え、だって。だってだって…」
軽くパニックになり目を回す。だって一昨日、あたしは陸に振られたばかりなのだ。
陸が斜め下を向いた。ひとしきり掻いて落ち着いたのか、両手はだらりと垂れ下がっていた。
「俺、ちょっと期待してたんだぞ」
ポツリと呟く。陸の声、どことなく寂しそう。
「一花が、赤い顔して、俺を公園に呼び出したりするから……俺」
そこで、陸が言葉を途切らせた。口がへの字に曲がってる。悔しそうに、ギリギリと地面を見つめてる。
「俺、一花が、告白でもしてくるのかと期待して待ってたのに、全然こねぇし。それどころか、別の子連れてきやがるし。あの子、一花の知り合いだろ。あの子のために俺、呼び出したんだろ」
「え? は? 別の子?」
陸の言葉にびっくりして、あたしは思わず声が出た。
もしかして。
「陸、あたし公園にちゃんと行ったよ。陸に、告白したじゃない」
陸、あの時のあたしを、あたしだと思ってなかったの――?
「はあ? あれ、お前なの……?」
陸が、気の抜けた声を出しながら、ぱちぱちと目を瞬かせた。
詐欺だ、と言葉を漏らしながら、陸が呆然としてあたしを上から下まで眺め出した。
あれは詐欺なのか。そりゃまあ、ウィッグまでつけたのは、少々やりすぎだったかもしれない…。
陸が頭を垂らし、膝を曲げ、その場に力なくしゃがみこんだ。
「あ―――もう! 決まんねぇな俺………」
かっこわりぃ、と言いながら顔を伏せる陸。陸のつむじが見えて、思わずときめいてしまった。
「それで。返事」
手のひらをくるりと上にして、あたしの目の前に、陸が大きな手を差し出した。
そろりそろりとあたしはその手に触れにいく。
泣きそうになりながら、温かい陸の手を掴んで、自分の方へと力を込めて引っ張った。陸の身体がふわりと持ち上がる。陸の顔にも、ふわりと笑顔が宿りだした。嬉しくなって、あたしもふわりと笑ってやった。
「あたしも、陸と友達でいたくない……」
陸の方からも、繋がれた手に力を込めた。さっきよりももっと、陸の手が温かい。そのままぐいと反動で、陸があたしを抱き寄せる。
「じゃあ……彼女になってくれる?」
あたしは、陸の首筋に顔を埋め、陸の匂いを胸いっぱいに吸い込みながら、コクコクと小刻みに頷いた。
くすぐってぇな、と、ほんのり嬉しそうに陸が囁いた。