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小五観音  作者: すぱんくtheはにー
9/9

お父さん、お肉にしよう!

 山道を走っているうちにとっぷりと日は暮れ、真っ暗な道路は先がまったく見えず、ヘッドライトが照らしたところだけ慌てて地面が形成されそれ以外は虚空の中を走っているのではないかと錯覚を起こしかける。

「この道で合ってるんですかね?」

 サトミは「この先、道なりに直進です」と最後にアナウンスしたきり小一時間は黙りこくっているナビが不安になってそう話しかける。

「車で来たことはあるけど、こうも暗いと……」

 さっきからずっと首の根本を手で揉み続けている武男は、何度目かのコール音を告げる電話をきった。法善寺には何度かけても繋がらない。窓の外へ向けた視線は決して外さないままタメ息をつく。

「とにかく行くしかねーお」

 窓の外を凝視しながらロクが答える。万が一歩いて帰ろうとしているかもしれない、と思うと何も見えない夜道に目を凝らさずにはいられなかった。吐いた息が窓ガラスを曇らせる。

「そういえば、その倫子がお邪魔するようになったのって、一体何が」

 ようやく少しマシになってきた寝違えをほぐすようにゆっくりと首を回して武男は聞くタイミングを逸していた質問をする。

「えーと……」

 その質問にサトミは言葉を濁してしまう。「おたくのお嬢さんがアニメの音につられて部屋を覗き込もうとしたらベランダから落下しかけたので助けました」と正直に告げるわけにもいかない。その出会いを思い出して、サトミは今の状況になんとなく納得する。

(倫子ちゃん、きちんとしてるようで結構無茶苦茶するタイプなんだな……)

 2階から落ちかけるのも、ロクと友人になったのも、こんな山奥まで一人で向かうのも同じだ。表面的にはちゃんとしているというか賢い行動が出来る分、根っこの部分が滅茶苦茶なのが隠れてしまう、それどころか滅茶苦茶からスタートした行いを冷静にこなしていくからこそ信じられない事態に陥るのだ。

 サトミが答えを返しあぐねている様子を見て、ロクは自分の額から脂汗と冷や汗が吹き出すのを感じた。どうやって大学生と小学生が家に上がるほどの友人になったのか。サトミが正直に起きた事をいうつもりがないのはわかる、自分が代わりに適当な理由で誤魔化そうにも頭に浮かんでくるのはロリエロ漫画の導入ばかりで、どれを話したところで明らかに怪しいロリコンか異常に間抜けな女児が登場することになってしまう。

「そうでつね、確かコンビニ……コンビニでね、サトミ氏」

 なにも言わずに黙っているのも限界だと、とりあえずどうとでも路線変更できるよう見切り発車する。

「そうなんですよー、えーっと、僕が財布を忘れてしまって。でたまたまそこにいた倫子ちゃんが、一応知り合いだってことでお金貸してもらっちゃって」

「それで帰ってから玄関先ですぐ返したんおね、そのときたまたま拙者が遊びに来てて」

 さすがにロクの喋り方にも慣れた武男は特に不審にも思っていないようだ。

「それでなんだっけ?あのアニメをたまたま見てて……だっけ?」

 武男は少し顔をしかめて「なるほど」と呟く。自分が消してしまった録画のことを突かれてしまっては何も言えないし、おかげで娘から必要以上の怒りを買わずに済んだと思えば感謝するしかなかった。

 ロクは気づかれないようにそっと安堵の息を漏らす、あとはこのストーリーをどうやって倫子に伝えるかだ。

「しかしなんだ、その、倫子が世話になってて、その上こんなことに付き合ってもらって何て礼を言ったらいいか」

 申し訳無さそうに呟く武男にサトミは首を振って応える。

「いえ、なんというか僕たちも倫子ちゃんといると楽しいっていうか、救われるって言うか……なぁ?」

 それは嘘偽りのない言葉だった。自分のことを正直に話せて、それをありのまま受け入れてくれる人間が一人増えた。一人、と言えばたった一人だが、それは「倍になった」とも言い換えられる。しかも幼い頃から知り合いのロクとは違い、ほんの数週間前には顔ぐらいしか知らなかった相手にだ。

 それはサトミにとって大きすぎる救いだった。世界の中で自由に空気が吸える場所はまだあるという希望だった。

「そうでつね。拙者も倉敷氏には返しても返しきれない恩義があるお」

 それは嘘偽りのない言葉だった。自分の持っている性的嗜好、それがいつ暴走し他人を傷つけるかと怯えていた。だがそうではない理性でコントロールし、あるいは友情で上書きすることで抑制が効くのだと教えてもらった。それも無知や純粋さからではなく、危険を知った上でなお笑いかけてくれたのだ。

 それはロクにとって大きすぎる救いだった。この身に潜む暴力をいなして誰も傷つけずに生きられるという希望だった。

「そうなんですか……あの子には確かにそういうところがあるかもしれません」

 それは嘘偽りのない言葉だった。少し親バカが過ぎるかとも思ったが、妻が亡くなった悲しみから立ち直れたのは娘のおかげだった。もう助からないと知ってからの闘病生活、いつか必ず終わりが来る、来てしまう。それがわかっていたからこそ辛かった。不意の事故で大事な人を亡くす辛さもわかる、だが毎秒毎秒死へと確実に近づいていく姿を見続けることもまた「心の準備」ができすぎて辛いのだ。そんな中で倫子の変に落ち着いた振る舞いは、武男の足を前に歩ませた。

 妻の、哲子の時間は止まっても自分の時間は止まってくれない。今までと変わらぬペースで歩こうとする倫子についていくためには、立ち止まる暇など与えられるはずもなかった。

 それは武男にとって大きすぎる救いだった。それでも自分は生きていくということに悩む隙さえ無かったのは、ただただ救いだった。

 車内には似た「何か」を共有している人間同士の穏やかな空気が満ちていた。それぞれ中身は違うし、方法も違う。それが何かなのか確固たるものもない、それでも同じ少女に救われているというその連帯が三人を緩やかに結びつけていた。一人の小学5年生の女の子、その存在がまるで全ての幸福の焦点でもあるかのような錯覚。

 それぞれの救い、その一旦を吐露したことで共有された幻想は何とはなしに「この先には確実に探している少女がいる」ことを予感させた。それは迷子の女の子を捜す旅ではなく、道に迷うこの三人が救いへと至る旅に置き換わろうとしていた。いや、三人はすでに少女に救われているのだから、それもおかしな話だ。それでもサトミはロクは武男は、この道程がそういうものだとしか思えなくなっている。

「前!」

 寝違えた首のせいで体を斜めにして前方に視線を向けていた武男が叫ぶ。真っ暗な山道の先にポッカリと白い空間が浮かんでいる、そこだけ色を塗り忘れたようなこの黒い世界から切り離されたような、ずっと暗闇を走ってきた三人にしてみればむしろその明るい場所の方が異世界に思えるほどだった。

 その光の中に人影がある。ベンチに腰掛けて妙に背筋をぴんと伸ばした姿勢、それに武男は見覚えがあった。まだ遠くて顔はわからないし、弱い街灯に照らされてるだけの姿では着ている服すら、あるいは老人なのか若者なのか、男なのか女なのかすら判別がつかない。それでも、それでも武男にはそのほとんどシルエットにしかみえない姿に確かな見覚えがあった。

 倫子は自分が来た方向から車のヘッドライトが近づいてくるのを発見し、一瞬迷う。乗る予定のバスは反対側からやってくるはずで、それはこの寂しい山道をたまたま通りがかった普通の乗用車だろう。それでも数時間のあいだホラー映画のシチュエーションを思い浮かべていたことも手伝って不必要なほど警戒心が高まっている。もうすぐ乗るつもりのバスがやってくる直前、こちらにやってくる謎の車。スリラーの導入としては申し分ない状況だ。

 素早く、そして静かに立ち上がると街灯の影に隠れる。明かりがあることでその周囲は一層闇が深くなる、1メートルにもおよばない移動だが通り過ぎる車から身を潜ませるには十分だろう。

「どこですか?」

 サトミは少し車の速度を落として目を凝らす。確かに前方には街灯の光で照らされた空間があるがそれだけだ。

「いやそこの……あれ?」

 話しかけられて一瞬視線を外し、改めて正面を見るがさっきまで確かにあった人影が消えている。

「確かにいたんだよ!倫子が!」

 思わず声を荒げてしまう。

「と、とにかくそこまで行ってみるお」

 武男の様子に驚きながらロクがスマホのナビを指差す。よく見れば光の中にバス停らしきものがあるし、ナビが示す法善寺の場所もそのすぐ傍だ。これで倫子がそこにいなければ警察に連絡しなければならないし、それならどう考えても手を打つのが遅すぎる。「そこに誰もいない」ということに慌てふためいているのは武男だけではなかった。

 とはいえさっきまで誰かいた、という言葉を信じたくもあるサトミは万が一を考えて車の速度を更に落とした。

(えっ、ゆっくりになった?)

 近づいてくるヘッドライトの光、それが明らかにゆっくりとした動きに変わる。ただの通りすがりなら速度を落とす必要がない、もしかして本当に自分を狙って……倫子の心臓が早鐘のように打ち鳴らされる。

(何かを探してるの?)

 何か、と誤魔化したが胸の内ではそれが「不幸な獲物」ということが確定している。倫子は街灯の影に縮こまるようにして身を固くし目をつぶる。

「誰も……いないです、ね」

 ヘッドライトに照らされたのはバス停とベンチだけで、倫子どころか人の影すら見当たらない。通り過ぎるわけにも行かずサトミはバス停の向かいに車を止めた。武男は転げるように車から降りる。

(嘘……止まった!?誰か降りてき)

 目をつぶっていても音だけでわかる、いや見て確かめようにも怖くて目を開けられない。

「倫子っ!」

 しん、と静まり返った山道に武男の声が響く。

「……ほあ?」

 最初は「なんで私の名前を!?」と恐慌状態に陥りかけたが、その声には明らかに聞き覚えがあった。恐る恐る目を開け、飛び込んで来た光景に間抜けな鳴き声に近い音が口から漏れる。

「お父さん……?はぇ?なんで?」

 まず車は間違いなく我が家のものだ、でも父親はなぜか首を奇妙に捻っている。そして運転席と後部座席から飛び出してきたのはサトミとロク。

「どういう??」

 あまりにも理解不能な状況と組み合わせに、ふらふらと街灯の影から出てきてしまう。

「いたー!」

 暗がりからゆらりと姿をあらわした倫子を発見して武男が駆け寄る。

「えっと、お父さん?」

「おまっ、このっ、ううう、うんんんっ、見つかって良かった!」

 言おうとしていた文句や叱責をとりあえず全部飲み込んで武男は娘の両肩に手を乗せた。

「あの……ごめんなさい」

 どうやってかは解らないが、倫子の行った先を調べて心配して探しに来たであろうことをすぐに察して倫子は頭を下げる。

「うん、まぁなんだ、とにかく居て良かった……」

 安堵する父親とこれから死ぬほど怒られることを覚悟した娘、その二人を強烈なライトが照らす。

「バス着てますから、とりあえず車に」

 本来なら倫子が乗る予定だったバスが音を上げてやってくる。それを見てサトミは一声かけると運転席に、一瞬考えたロクは助手席に乗り込んだ。足早に道路を渡って親子は後部座席に並んで座る。

 停留所に止まったバスから一人の老人が降りてきた、自分がお世話になるかもしれなかった車体に視線を向けた倫子はその老人の顔に覚えがある。確か自分が来たときに最後尾で眠りこけていたおじいさんだった。

「住職さん、気をつけてくださいね」

「ははっ、ありがとの」

 バスの運転手は居眠りで乗り過ごし終点まで行ってしまった法善寺の住職さんにそう声をかけると、いつも通り誰も乗ってこないバス停から出発した。

 住職は道路を横断して寺に帰る、路肩に止まっている車の運転手と目が合い軽く会釈をした。寝過ごしてしまったせいで随分と寺を空けてしまったと反省しながら、特に止まっている車が法善寺に用があるわけではないようだ……と安心して門をくぐり自宅に戻る。

「とりあえず帰りましょう」

 目の前をひょこひょこと歩いて寺に入って行く老人を見送って、サトミは車をUターンさせその横でロクがナビで倫子たちのアパートを設定する。

「そのあれか、お母さんのお墓参りに来たのか」

「うん……ごめんなさい」

 ロクは車の天井を眺め、「どのレベルの怒られが発生したら止めに入るべきか」と考える。親子の間に割ってはいるのが正しいかはわからない。サトミは後ろの会話に聞き入ってしまいそうで無理矢理意識を運転に向ける、単調な山道だが集中を失えばどこかに突っ込みかねない。

「いやいいんだが、一言くらいは、な?」

「だってお父さん……」

 自分が何かそういうことを言い出し難い空気をだしていたか、と武男は不安になる。良い父親を精一杯やっていたつもりだったが……。

「なんだ?」

 それでも解決するなら今しかないと、倫子の言葉を導くため出せる限りの優しい声色で促す。

「結婚、するんでしょ?」

「……どういう??」

「そうなんですか?おめでとうございます」

「おめだお」

 前の座席からかけられる祝福の言葉に武男は慌てる。

「ちょ、ちょ、ちょっと待った!しない、しないよ!?」

「え、でもお父さん好きな男の人がいるって……」

「へっ!?」

「えっ!?」

「ふぁ!?」

 倫子の言葉に三者三様の驚愕を声にして叫ぶ。

(倫子ちゃん、すごいな)

 自分の父親に同性のパートナーがいる、という話をこうも気負い無く口にする少女にサトミは舌を巻く。

「倉敷氏、日本ではまだ同姓婚は」

 ロクはとりあえずオタクらしい知識面の補強に入る。

「言ってない!言ってな……いや例えには出したけど、違うよ?お父さんは哲子さん一筋だから他に好きな人はいないよ?」

「……そうなの?」

 自分がひどい早とちりをしたことに気づいて倫子はがくんと頭を垂れる。

「……そうかぁ、そうなったらお墓に中々来れないからって思って……ごめんなさい」

 武男は改めて自分の方に頭を下げた倫子を優しく撫でる。

「お母さんが言ってただろ?勝手に人のことを想像しない、聞けるならちゃんと聞くって」

「うん」

「うん、わかったなら良い!とにかく無事で良かった!」

 武男がぱんっと拍手を慣らす、倉敷家ではそれがお説教終わりの合図だった。

「次からはちゃんとする」

「分かればよろしい」

 親子は顔を見合わせて「ふえふえふえ」と肩を揺すって笑う。その様子を見たサトミとロクも口角を上げる。

「さーて帰ったら日付変わってるかもなぁ」

 弛緩した空気に気合を入れなおすようサトミはハンドルを握りなおす。

「しかし随分と長い時間、倉敷氏は何してたんでつか?」

 後部座席の友人にロクは不思議そうな顔を浮かべて見せる。

「妄想」

「妄想て」

 倫子は自分のアゴに指を当てる。

「うーんと、そうだな今なら急に鹿が飛び出して来て轢いちゃう!でもまぁ仕方ないかーって車は走り去って、でその轢かれたはずの鹿が起き上がると山の中に消えて行くの」

 ロクは眉間に皺を寄せる。

「ゾンビもの?」

 倫子はぱぁっと顔を輝かせ手を叩く。

「わかるの!?さすがロクさん!」

「ちょっとやめてやめて!私怖いの無理っ!」

 サトミが悲鳴をあげる。

「帰りにどこかでごはん食べていきませんか?お礼といってはあれですけどご馳走させてください」

 明るくなった車内で武男が提案する。

「お父さん、お肉にしよう!」

「倉敷氏がゾンビ化してまつね」

「ロク、本当にやめて」

 そういえば、と倫子は目をぱちくりさせる。

「なんでサトミさんとロクさんがいるんです?」

「説明難しいわねぇ」

「それにお父さん、なんでずっと横向いてんの」

「それがね」

「倉敷氏のパパ上がゾンビにですな」

「ロクぅ!」

「ああそうだ、毛布ありがとうな」

「毛布なんていいから、お父さんは説明してっ!」

 四人を乗せた軽自動車は、きゃいきゃいと楽しげな声を包んで山を降りていった。

終わりです。ありがとうございました。

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