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小五観音  作者: すぱんくtheはにー
8/9

気にしてしまう自分が少し嫌になる。

 確信に至るには、あまりにも記憶がおぼろげだった。

 最初からその動画に母親が映りこんでいることを倫子は気づいていた。しかしそれは何度も見たことのあるお出かけ用の服と、当時はなんとなく不気味でイヤだったUVカットのアームカバーで「もしかしたらそうなのかも?」とまでしか思えなかった。自分がリーン&バインショーを見た場所がそこなのか、母親に連れていかれたのかもまったくと言っていいほど覚えていないし、たまたま映りこんだ母親の横顔を見ても「間違いない!」と言いきれるほどの自信は無かった。

(ロクさんの言う通りなら、たぶんそうだとは思うけど……)

 死んでしまってから1年と少し。それだけの期間で母親の顔に自信が持てなくなることを、倫子はそれほど驚いてはいなかった。小学生にとって「1年」という時間はとても長い、大事な人の面影を忘れてしまほうほどには十分すぎるほどの期間だと、体感から倫子には思えた。

 それだけに。

 それだけに父親の行動には合点がいった。

 日曜の朝に目覚めてみると、ノートパソコンを広げたまま机に突っ伏して寝ている父親がいた。深夜に帰宅した父がそのまま寝こけてしまうことは珍しくもなんともない。

「まったくもう」

 一応それがお約束だし、と小さく不満を漏らしてみせてから薄手の毛布を肩からかけてやる。その時たまたまパソコンに触れてしまい、スクリーンセイバーが解除されディスプレイの光が倫子の目にも飛び込んでくる。

「おうち?」

 開きっぱなしのブラウザにはいくつかの賃貸物件情報が表示されている。

(うちよりも広い、ていうか前のおうちぐらいの大きさだ)

 倫子は無意識に「うち」と「おうち」で現在の住居と、それ以前に暮らしていた住宅を区別している。いまでは1Kの二人で生活するには若干手狭な家に住んでいるが、その前は家族3人でマンションの一室で暮らしてた。そこはちょっと無理して購入したもので、父親の収入だけではなく近いうちに母親も復職する予定でローンを組んでいたのだった。

 結果的にその目論見は大きく崩れ、返済額と積み重なった哲子の治療費から維持ができなくなり売却して移り住んだのが今のアパートである。自分たちの持ち家として認識されていた前の住宅は「おうち」で、きちんと下調べもできず慌てて決めた現在の住処は「うち」だ、というのは倫子にとって偽りの無い気持ちであった。

 とはいえ倫子はいまのアパートがそれほど嫌いではなかった。狭くて「自分の部屋」がカーテンで仕切っている一画だというのは不満ではあったが、母親を亡くし寂しい自分と見るからに憔悴した父親が互いに支えあうにはこれ以上広い空間は無いほうが良い。そう思えた。薄い壁の向こうからどすんどすんという音がするのも(いま覚えば恐らくサトミの筋トレだろう)、反対側の壁から聞いたことのない言葉で喋る声がうっすらと聞こえてくるのも好き……というよりは、それが聞こえてくるとなんとなく安心する。

 大きな家から飛び出して漂流した先でも誰かが生きていることを実感することは、長い旅の途中できちんと休める場所を見つけられたような気持ちを覚えるのだった。

 しかしそれはやはり「旅の途中」であることには変わりない。きっとそのうち前の「おうち」のような定住地に移ることにはなるだろうな、とは何となく考えていた。

(何でいまなんだろう?)

 ただそれはもう少し先の話で、たとえば自分が中学に上がるとか、父親が再婚するとか、そういった何か大きな節目があったときのことだと思っていた。いや事実武男は倫子が中学に進学したことを考えていた、しかし30過ぎの大人にとって「小学5年生が中学にあがる」のと当の倫子にとって「中学生になる」のとでは、受ける印象がまったく異なっている。武男にとっては「もう考え始める」時期の話だし倫子にとっては「まだまだずっと先」の話なのだ。だから倫子は父親に何らかの変化があったに違いない、と思ってしまう。

「まぁ、お父さんの人生だしいいんだけど」

 もう一周忌も過ぎ、倫子の体感としては結構な時が過ぎたように思う。そういえば先週、「お父さんに好きな男の人がいるって言われてもべつに変じゃないだろ?」とか言っていた。あつあつのドリアを口に運んで火傷を我慢しながらやけに焦った様子でそんな話をしていたが、つまりはそういうことなのかもしれない。

(思いのほか、だな)

 テレビや小説やネットで「父親が再婚し、新しい母親がやってきてグレる子供」というのはよく見るし、自分もそういう場面になったら(どうやら新しく増える家族は、父親が二人ということになりそうだが)多少はショックを受けたりするのだろうか?とおぼろげに考えていたが、そうでは無いらしい。どんな人間がやってくるかは知らないが、よっぽど嫌な人でなければ上手く共同生活を送っていけばいいだけの話だ。

「そもそもお話だし」

 ショッキングで派手で面白いからこそ物語になるのだ、だから大抵は「別に特別なことは起きずに、なんとなくそこそこまとまりました」ってなるのが現実なのだろう。

 ただそうなると難しいことが増える、特に母親の思い出に触れるようなことをする機会は減るだろうし……それで「亡き母のことにこだわっている娘」みたいに思われるのは嫌だった。自分は普通に思い出と接したいだけなのに、そこで気を使われたり腫れ物に触るような扱いを受けるのは倫子にとって避けたいことだった。

 寝こけている父親の方を向いていたノートパソコンを自分の方に向ける。

「ええとモデルハウス、で出るかな?」

 だから誰にも内緒で子供の時に『リーン&バイン』のショーを見た場所へ行ってみようと思った。リーン&バインが好きな気持ちが8割と記憶には残っていない母の面影を求める気持ちが2割といったところか。正直言ってリーン&バインのことが無ければ思いつきもしない行動だったが、それが他の人から――例えば父親からどう見えるかは別の話だった。亡き母と一緒に行った場所へ行きたがる、そんなわかりやすい思い出の浸り方をしているとは思われたくない。

 だから倫子は一人で向かうことにしたのだ。

 検索すればすぐに目的の住宅展示場への行き方はわかる。数回利用したことがあるバス停から目的の路線に乗れるようだった。もしものためと、万が一本格的な迷子になったらタクシーにでも乗って強引に帰宅できるようお金は多目にカバンに入れる。お小遣いとは別に生活用品を買うために父親から預けられているお金ではあるが、まぁ父親のせいといえばあながち間違ってもいないのだから少しぐらいは手をつけても構わないだろう。

 背の低いタンスの最上段を開け、そこにしまってある封筒から数千円を抜き取る。

 と、タンスの上に飾っている写真立ての母親と目が合った。

「うーん」

 少し唸ると、写真立てごとカバンの中に入れる。まるであつらえたかのように小さな写真立てはすっぽりと納まる、最初からそういう用途で作られているかのようだ。なんとなくその母親と一緒に立っていたであろう場所で写真を見れば、少しははっきりと思い出せるかもしれない。そんな期待……というよりも自分の記憶がおぼろげになりつつあることへの言い訳めいた気持ちがそこにはあった。

 それから算数のノートをちぎって展示場への行き方をメモると、ブラウザを閉じた。

「……いってきます」

 これだけごそごそしても起きる気配の無い父親に、一応かたちだけでもと一声かけて靴を履く。なにやら寝言と寝息の中間くらいで父親が音を発していたが、案の定起きる気配は無い。

 外に出ると思っていたよりも涼しい、これから本当に夏になる前の小休止といった感じだ。少し歩いてバス停まで着くと、ちょうど乗るつもりの路線バスが2つ手前の信号で停まっているのが見える。

(そういえば時間までは見てなかったけど……へへ、ラッキー)

 電車でもバスでも時刻表を見ないのは母親譲りだった、目的地に行くものに乗れば着くのだから時間を調べる意味が無いというのが彼女の主張で、その上ぼんやりと次が来るのを待つのがまったく苦にならない性格があいまって30分でも1時間でも平気な顔でベンチに腰掛けているのだった。

 幼い頃は子供らしい落ち着きの無さで、そうやってのんびりと次を待つ母に文句を言っていたこともあったが、こうして実際に次のバスの時間を調べるという発想すら無いことを考えると、きっと自分も将来そのようにぽやっとベンチに腰掛けるようになるのだろうと思った。

 それはそれで悪い気はしない。

 空気の抜ける音を立てて開いたバスのドアから乗り込み、手近な席に座った倫子は窓の外を見ながらそう感じていた。

 日曜とはいえ昼頃の道路は適度な混雑で、数人の乗客を入れ替えながらバスは滞りなく進む。30分ほど揺られたところで車内アナウンスが倫子の目的地を告げる。きょろきょろと周囲を見回すが誰も動く様子はなく、倫子は渋々壁に取り付けられたスイッチを押す。

「次、止まります」

 なにかこう自分のためだけに止まらせているみたいな負い目を感じてしまう、これだから本当はバスがあまり好きではない。目的地である住宅展示場の十数メートル手前にあるバス停で停車する。降りる人間は倫子だけだった、考えてみれば一戸建てを建てる予定の家族が来る場所だ、公共交通機関ではなく自家用車でやってくる人がほとんどだろう。いそいそと降りながら、一人だけそのバス停で乗り込んできた人がいることを知って安堵する。自分が降りなくてもこのバス停には止まる必要があったことに、自分の都合で停車させてしまったことに対する罪悪感のようなものが霧散していく。そんなことを負い目を感じる必要はないと頭では理解していてもそれとこれとは別の問題だった。

 一人降ろして、一人乗って、乗客の数は変わらないままバスは走り去っていく。展示場の入り口辺りに近づくと駐車場の案内をしている警備の人がちらりと倫子を見た、ような気がした。

(気にしすぎなのはわかってるけど……)

 まったくいないとは言わないまでも、こんなところに子供一人でふらふらと入っていくのは珍しいし違和感を与えていまうだろう。倫子は展示場の奥へ首を伸ばすよう目を凝らしたあと、虚空に向かってぴらぴらと手を振ってみせる。これできっと警備の人からは「展示場の中にいる親御さんと合流する子供」に見えるだろう。それでも入り口を通るときには少し緊張する、別に悪いことややましいことをしているわけでもないけれど、もし呼び止められたりでもしたら走って逃げ出してしまいそうだ。

 もちろんなんのトラブルもなく入場する。倫子は小さくタメ息を吐いた。問題なく入れたことではなく、こうやって不必要な心配で神経をピリピリとさせてしまう自分自身にだ。バスは降りたい人を降ろしてくれるし警備員さんは子供が中に入って行っても気にしないだろう、それでも気にしてしまう自分が少し嫌になる。

「えっと」

 別に自分の性格を反省しに来たわけじゃないと倫子は辺りを見回す、少し先に場内のマップが描かれた看板を見つけそこに駆け寄った。カラフルな案内図に手持ち用のパンフレットがアクリルの箱につまっている。その一冊を手に地図を見ると左に大きくカーブをした先にイベント会場があるらしい、倫子は熱心に家を眺める両親と退屈そうな子供を横目にパンフレットに載っている秋までのイベント案内や、家族向けレジャーの広告を読みながら会場に向かう。

「うん?あれ?」

 開けた芝生の先にステージが見えたが、それは記憶にあるよりもはるかにこじんまりとしたものだった。舞台自体もそうだし、その周囲の広場も立ち並んだモデルハウスに圧迫されるようになんとか敷地を確保しているだけに思える。覚えている映像は広大な草原に劇場のようなステージが大きく広がっているものだが、そのあまりのギャップに自分が場所を間違えているのか、それとも奥にもっと巨大な設備があるのかと勘繰ってしまう。

「こども竹とんぼ教室……」

 広場入り口には立て看板があり、そこに来週開催されるイベントの告知が書かれている。やっぱりここで間違いはなさそうだ。

「5歳だしなぁ」

 10歳の自分と5歳の自分では見え方なんて違うに決まっている。なんせ一人でこうやって家からバスに乗って来れるぐらいだ、母親に手を引かれてようやく辿り着いたあの頃とは見えてるものが違いすぎた。

 今日開催のイベントは午前と午後の部に分かれていて、その丁度隙間に当たったからか退屈をなんとかしようと数人の子供が走り回ってるだけで閑散としている。広場を囲うように並んだ石を削ったようなベンチに倫子は腰掛け、カバンを開ける。

(なんだか余計にわからなくなっちゃったな)

 自分の記憶を確かめに来たはずなのに、むしろ思い出と現実の差に覚えていたことが曖昧になっていくような気がする。元よりそこまでちゃんと記憶していたわけでもないのだ、でもそれならそれで良いと倫子は思った。きっと母親のこともこうやって忘れていくのだろう、それは寂しいけれど悲しいことではないし、その寂しさくらい埋めれる出来事がいっぱいあるのだ。5年前のことだってこんなにぼんやりとしているのだし自分が大人になるころにはこうやって人のいない芝生を当てなく眺めたことなんて思い出すことすらできなくなっているだろう。

 倫子はカバンからハンカチを取り出して顔を覆う。

「……ひぐっ」

 水色の薄い布が両目から溢れた水気を吸って濃い青に変わる。そのまま十秒、それからごしごしを目の周りを拭って隠すようにハンカチをしまう。

 どうせ忘れてしまうのだから悲しいうちに悲しんでおいたほうがいい。

 こんなところで一人泣いてるのがバレたら誰かに話しかけられかねない。

 ふたつの気持ちが同時に働いて、倫子は「十秒だけ泣いて、それから何でもない顔をする」ことにした。周りをそれとなく見渡し、倫子に関心を払っている人物がいないことを確認する。

「ふぅ」

 不本意な結果ではあるけども目的は果たしたし、さてどうしようかと倫子は顔を上げる。よく晴れてるし涼しくて気持ちいいし、このまま帰るのは少し癪だ。

 さすがに写真立てごと取り出すのは一目を引きそうだしと、カバンを開いて母親の遺影を覗き見る。

(そういえば)

 手探りで写真立てのロックを外し遺影を引っ張り出し裏を向ける。そこには「滝上IC降りる、法善寺」というメモ書きと四角で囲まれた右下あたりに丸印が描かれている。

(こういうのって本当はいいのかな……)

 遺影の裏にお墓の場所をメモるのが良いことだとは思えないが、実際便利だし忘れても大丈夫な方法だとも思うのでそこに関しては父親を追及する気は無い。そのメモを見ながらさっき取ってきたパンフレットの広告を読む、「秋の紅葉を楽しむ山登りツアー」という子供にしてみれば想像するだけでウンザリするような文面が踊り、そこに掲載されている簡易地図には「法善寺」と記載されている。

(たしか一周忌でお寺に行ったとき、お坊さんが秋は紅葉で有名とか言ってたな……)

 簡易地図には滝上という地名もあるしここで間違いないだろう、ツアーは山の麓にある駐車場に集合しそこからスタートするようで車で向かう際の案内と一緒にバスでの行き方も書かれている。

「んー、さっきの路線から行って乗り換え……?」

 これなら行こうと思えば行けなくも無い距離だ。確か前に行ったときはお昼ぐらいに出かけて、お経あげたりなんだかんだでも夕ごはんは戻ってから食べれるぐらいの時間だった。いまから向かえば夜遅くなる前には帰れるだろう。

(行ってみよう!)

 倫子の冒険心みたなものがここまで一人で来たのに空振りだったことで燻り、そのせいで大きな花火をあげたくなっているのかもしれない。それに父親が新しいパートナーを見つけたのだとしたらお墓参りに行くのも難しくなるだろう……それを嫌がるような人を選ぶとは思わない、それでも自分が「母の墓参りに行きたい」と言い出したらどんな気持ちになるのかも容易に想像できる。ならばいまから一人で行くのは良い選択の様に思えた。

 それなら急いだほうがいい、早足で展示場を抜けるとさっき降りたばかりのバス停に立つ。

(これでいいと思うんだけど……)

 顔をしかめてパンフレットを睨む。これで目的地に迷い無く着けたら相当だな、と思わせる簡易案内にはQRコードが一緒に印刷されていて「四の五の言わずにこれを読み込め」と言いたげだ。

(スマホがあればなぁ……)

 何度と無くねだったが結局「中学に入ったらお祝いに持たせてやる」という言質を取るのが限界だった。中学生になるのなんて倫子には遥かに遠い未来に思える、それまでに(スマホがあればな)と感じるには1000回や2000回で済みそうにない気がする。

 そうやってしばらく渋い顔をしていると音を立ててバスが目の前で止まった、スマホを自在に操る自分を想像しているうちにいつの間にか来ていたらしい。ほぼ間違いないだろうが確信は持てない、仕方ないが恥を忍んで聞くしかない。倫子は開いた乗車用のドアではなく閉じたままの降車用ドアの前に立つ。それを見て運転手は見えないようにタメ息を吐いてから降車用ドアを開けた。

「すいません乗車は後方のドアからお願いします」

 小さな女の子相手ということもあってか運転手は作り笑いと本気の微笑みが8:2ぐらいで混じった顔でそう告げる。

「いえっあの、法善寺?に行きたいんですけどこれで合ってますか?」

 倫子が手にしているパンフレットが見える。

(あそこのお寺だよな、女の子が一人で?)

 紅葉の季節でもなく、例えいまが秋だとしても小学生ぐらいの子が一人で行くような場所だとは思えなかった。とはいえ望む人を乗せるのがバスの役割だし、それが自分の仕事だ。と運転手は思い直す、それに子供というのはよくわかわからないものに興味を示すことがよくある。8歳になる運転手の娘もどこで知ったのか血圧計が大好きで、なにかの病気で病院に行くたびに自分の血圧を測れと主張する、ぷしゅぷしゅと空気が入って腕がぎゅうと締め付けられるのが面白いだとか……。

「そこならこのバスの終点まで行って乗り換えれば行けるけど」

「じゃあ乗ります!」

 合ってた、と安心して倫子は後方の乗車ドアまで駆け寄り整理券を取る。さすがに長距離とはいえバス代なら十分払えるお金はタンスから持ち出してきたはずだ。さりげなく車内を見回してみると、今停車したことにすら気づいていないくらい窓に持たれて眠り込んでいるおばさんと、何をするでなく窓の外を眺めているおばあさんがいるだけだ。どうやら自分がバスを長く留めてしまったことはそれほど迷惑になっていないようで倫子は安心する。

(どのくらいかかるのかな……)

 バスによせ電車にせよ「終点」と言われる場所まで乗ったことなんか一度もない。道路は陸をどこまで続いているし、線路は日本を北から南まで繋いでいるようにイメージしている倫子にとって「終点」という言葉から思い描く光景は断崖絶壁の海だった。いやしかし自分は山に向かっているのだし、そこからはまた別のバスが出ているらしい。となるとどうやら倫子の思う「終点」と、このバスの「終点」は違う意味らしい。

(「お母さんは死ぬのって怖い?」)

 母親が入院した当初に大した気負いもなく尋ねた言葉が脳裏によみがえってくる。あの時は大変な病気で手術をするけど、何週間かしたら元気になって帰ってくると思っていた。だから病室でそんなことが聞けたのだ。

(「そうだなぁ……怖くないけど、寂しいかな」)

(「なんで?」)

(「んー倫子がいるから、かな」)

 そう言うと母親は「ふへふへふへふへ」と独特の笑いを漏らす。口をだらしなく横に開いて肩を上下にゆすって笑う姿は、娘から見てまぁそれなりには美人じゃん?と思える印象を一瞬で粉々にするくらいの破壊力はあった。父親はその姿を「悪いキツネみたいでかわいい」と言い、倫子は「人間とカエルのちょうど真ん中」と思っていた。一番の問題は母親自身が笑い方に対してどうでもいいと思っていそうなことだった。

 それでもその変な笑い方を見ると、どうしても倫子はおかしくって楽しくなってしまうのだ。

 窓の外を眺めるでもなく目を向けながら、倫子は母親の笑い方のせいで浮かんでくる思い出し笑いを口角を上げるだけになんとか留める。道路は住宅に囲まれた地域を抜け、閑散とした景色のなかを進んで行く。

「あーそういうことか」

 ぼんやりと外を眺めているうちに母親の言っていたことが何となくわかったようで、倫子はバスのエンジン音にかき消されるぐらいの小声でそう呟く。

(このバスは終点までしか行けないけど、私はそこからお寺まで行ける。人は死んじゃうけど、子供がその後も生きてる)

 少し体をよじると、長い時間乗っているせいで自分のお尻の形へこんだシートが私専用に作られているような気がしてくる。このバスを降りる頃にはもっと馴染んでいるだろう、そこから離れなければいけないと思うとちょっと残念な気持ちになる。母親の言っていた「怖くないけど、寂しい」はもしかしたらそういう意味なんじゃないかと、倫子は思った。

 肩をすくめる。「勝手に想像して相手をわかったような気になってはいけない」と言っていた母親のことを、今は勝手に想像することしかできない、確かに母親はわかった気になってはいけない、ちゃんと尋ねろと言っていた。じゃあこうやって聞くことすらできなくなったらどうすればいいかなんて教えてくれなかった。

(お母さんは、どうにも間が抜けているんだから……)

 仕方がない、と倫子は座席に深く腰掛けなおしてちっちゃいタメ息を吐く。結局どんなつもりだったかなんてわからないし、勝手に想像もできないし、聞くこともできない。それなら「そのまんま」覚えておくしかないだろう、「そうだなぁ……怖くないけど、寂しいかな」と言った声や表情や匂いをそのまんま記憶に留めておく。それしか倫子に出来ることはなかった。

「厄介だな、もうっ」

 一番厄介なのはどうしてもあの「ふへふへふへふへ」という奇怪な笑い顔に上書きされてしまいそうなことだった。油断をすれば思い出の母親の顔が全部アレになってしまいそうで、倫子は苦笑いを浮かべた。

 バスの車窓から見える風景はどんどん緑になっていき、やがて整地されていない林の中を左右に大きくカーブしながら進んでいくようになる。すでに車内には倫子しか乗客はいない。

「次は終点、しもたきがみです。お忘れ物ないようお気をつけください」

(下滝上、変な名前。乗り換え先のバス停はすぐ見つかるだろうか?紅葉シーズン向けの案内がどこかにあるといいのだけど……)

 すぐにバスは終点で停車する。

「しもたきがみです、お気をつけてお降りください」

 自分のためだけのアナウンスに急かされ、倫子は手元の整理券と料金表を見て子供料金であるその半額を、支払い用の機械にいれた。

「法善寺へのバスは、ここから5分ぐらいまっすぐいって……確か左に曲がればあるから。たぶん角まで行けば見えると思う」

「ありがとうございます!」

 さすがに不安そうな表情が浮かんでいたのか、運転者が法善寺への行き方を教えてくれる。倫子はホッとして頭を下げた。

 バスを降りるとむっとするほどの土と草の匂いが鼻をつく、普段公園や花壇で嗅いでいるものより何倍もずっしりと重い匂いだ。空中を漂ってくる匂いに重さを感じるはずがないのに、倫子は首を捻るがそう感じてしまったのだからそういうものなのだろう、まぁ木も土も量が桁違いだしね、納得する。

 バスはプァンと小さくクラクションを鳴らして走り去る、きっとバスも私と離れるのが名残惜しかったに違いない。座りっぱなしで蒸れたお尻はまだ座席の感覚を覚えていて、青々とした空気を吸い込んだことで幾らか空想的な思考になっている。

「ええと、こっち?かな?」

 はっきり言って迷いようのないぐらいだ、まっすぐ歩いた先に唯一の左に曲がる道と旅館の広告に矢印と「バス停まで30m」と書かれた看板が立っている。左手の方に視線を投げると確かにポツン、と赤い丸を上に掲げた棒が立っている。

(運転手さんの言った通りだ)

 よしよしとうなずいてバス停に向かう倫子の横をゆったりと走る小さなバスが追い越して行く。

(そうかー田舎だとバスも小型なんだ)

 さっきまでずっと乗っていたバスより二回り以上小さな車体は、大型バスになれた目に「かわいい」ものとして映る。

「じゃなくて!」

 かわいいなー、と見送ってる場合ではなかった。どう考えてもあれが乗りたい路線のバスで、こんな田舎では一本逃したら次が来るまで相当待たされることになるだろう。倫子は脱兎のごとく走り出す。横を通り過ぎたバスが少し速度を緩めた気がした、もしかしたら必死で駆け出した倫子をミラーで確認してゆっくり行ってくれてるのかもしれない。

 息を切らせてバス停に辿り着くと、乗車口を開けたままバスが待ってくれていた。息を整えながら乗り込むと運転手がちらりとこっちを見て目が合う。倫子は会釈を返すと手近な座席に座った。

「発車いたします」

 車内をきょろきょろと見回す。最後尾にひとりだけおじいさんが目をつぶって寝ている以外に乗客はいない。液晶ではなくプラスチックの板でできた路線図が壁に掲示されていて、字のかすれた案内を目を細めて読む。

(しもたきがみ……あった、えーとたきがみ、すそはら、ながら1ちょうめ、すその……)

 ひらがなだけでバス停名が書かれてる路線図を読んでいると、珍妙な呪文でも唱えてるような気がしてくる。

(あたおさんいりぐち……ほうぜんじまえ。法善寺、あったあった)

 とにかく来たバスの飛び乗ったこともあり、これで合っているのか確信が持てなかった倫子は目的地の名前を発見してホッと息を撫で下ろす。安心した倫子は窓の外を眺めた、緑の深い田舎道をのんびりと走るバス。それは通り過ぎたときスピードを落としたように見えたのも気のせいかもしれないと思わせるほどのゆったりとしたペースだった。時折道路の段差に車体が上下し、大きくカーブする道にあわせて左右に揺れる、確かにこの道ではそれほど速度は出せないだろう。

 このあたりは父親の祖父、倫子のひいおじいちゃんまでが住んでいた土地だと聞かされていた。とはいえひいおじいちゃんどころかおじいちゃんですら倫子が生まれる前に亡くなっている。だから自分の祖先がここらで暮らしていてたと聞かされても、倫子にはいまいちピンと来なかったし、それを話す父の様子も懐かしいとかそういった感じではなく「こんな遠いところにお墓がある言い訳」をするのが目的のようだった。

 法善寺さんとはお付き合いがあるから、と教えられそれが「檀家」というものだ……という知識くらいはあったがなぜ檀家だとわざわざ遠くまで出向いてそこにお墓を建てなければならないのかはよくわからなかった。同じお墓におじいちゃんもおばあちゃんも、ひいおじいちゃんも、そのもっと前の先祖も入っている。と聞かされたところで「それは狭そうで大変だ」程度の感想しか浮かばない、自分の命が脈々と続いているんだ!というような感慨深さを感じたほうがいいのかとその話をする父の顔を見ても、倫子以上に興味無さげな表情を浮かべているばかりで、お墓参りに来たのだからそういうことを話したほうがいいのかな?とノルマに近いことをこなしたような曖昧でつまらなそうな小さい笑いを浮かべるばかりだった。

 いつか父親も死ぬだろうしその時はもっと近いところにお墓を用意しよう、母親の遺骨はお墓から引っ張り出すのかな?そんなことできるのだろうか?

「なるほど」

 いままでの祖先が入ってるお墓を使うのはそういう理由か、と思った。大事な人の分だけお墓から何かを引っ張り出すのがやっていいことかどうかすらわからない、だったら「まぁ今までどおりで……」となってしまうだろう。なんだかそういった実利的な部分の方が血縁の繋がりを感じさせる。

 それに景色も悪くない。

 いつの間にか山道に入っていて、鬱蒼とした木々が立ち並ぶ細い道を縫うようにバスは進んで行く。窓から眺めるその風景は思ったより面白く、年に一度か二度のお墓参りに少し面倒だけどこういう場所に来るのは良いことなのかもしれない。

「次、法善寺です」

 録音されたアナウンスではなく直接運転手がマイクで案内することにおかしみを感じながら、倫子は壁にくっついている降車ボタンを押した。ぽーん、という気の抜けた音と深い紫のブラスチック面に「つぎとまります」と赤い字が点灯する。

 ほどなくして停車したバスが気の抜けた音を立て降車口を開いた。運賃はいくらかと初めて見るタイプの料金表示を睨んでいると、運転者がにこやかに料金を教える。

「ありがとうございます」

 言われたまま料金ボックスに硬貨を入れると、少し深めに頭を下げてバスから降りる。前に車で来たときには気づかなかったがバス停はお寺の目の前にあり、顔を上げた先にはもう入り口の門が開いていた。

(入って、いいよね?)

 お寺なのだから怒られることはないだろう……と恐る恐る立派な木製の門をくぐる。砂利が敷き詰められた道が本堂へと続いていて、それが途中から脇にそれていた。記憶が確かならその脇道を行くと墓地に行けるはず。

「失礼しまーす……」

 誰もいないのだから勝手に入るしかないのだが、一応は声を出してみる。倫子の小さな声は山の木々に吸い込まれて消え、それにすこし安心する。妙に響いたりしたのなら誰かが出てきそうで、その時に何て言えばいいのかわからなかった。

(普通は子供ひとりでお墓参りとか来ないし)

 いまさらになって自分のしていることが、怒られはしないだろうが不思議には思われるだろうということを強く認識する。こそこそと隠れるように脇道に入り、なだらかな上り坂を進んで行く。しばらく歩いた先で急に視界が開けた。

「うへー」

 社会の教科書で見た棚田のように山の斜面が切り取られ、そこに灰色の石がきっちりと等間隔に並んでいる。これが何か知らなければ暗い未来を描いたSF映画で最初に出てくる街並みのようだった。

 この大量の墓石から自分の家のものを探すのはかなり苦労しそうだ、と倫子はカバンから母親の写真をひっぱりだす。たしか裏に……。

「こっちが背中側かな?」

 写真の裏に描かれた簡略図は恐らく墓地の前景を示していていて、そこにポツンと付けられた印がお墓の位置なのだろう。決して正確な地図ではないが、大体の「あたり」はつけることができる。急な石段をしばらく下って、それからずらりと墓石が並ぶ砂利道に入った。「お墓で転ぶと寿命が3年縮む」という話を聞いたことがあるが、だったらこんな不安定な足場にするほうが悪いに決まっている。それとも葬式が多いほうがお寺が儲かるからだろうか?

「ここらへんだと思うけど……」

 行儀良く整列した石に刻まれた名前をひとつづつ見ていく。死んだ後までこんなにきっちりと列を作らなきゃいけなんなんて何だかおかしな話だ、そりゃあ「私は墓にいない」と言い残して風になってしまう気持ちもわかる。

(幽霊と風の違いってなんだろう?)

 ホラー映画で登場する怨霊なんか違って触れないしふわふわしてるし、幽霊の方がすこしだけ気味が悪いというぐらいしか差がないように思える。そう考えると幽霊ってのはオナラみたいなものだな、倫子はクスクス笑いを浮かべてしまう。

「あれ?ここって……」

 下らないことを考えてずんずん進んでるうちに墓地の端近くまで来てしまった、慌てて周囲を見渡すとなんとなく見覚えがある。

(こんな感じだったような)

 数歩戻って改めて墓碑銘を確認する。

 横田家之墓……村枝家……沢渡……牧……澤渡……。

(サワタリさんのところは迷っちゃいそうだ)

 見知らぬ相手を心配しながら、佐々岡、恒田、倉敷、角谷。

「んっ!?」

 たったっと砂利を蹴ってバックする。

 倉敷家之墓

「あったあった」

 灰色の四角い石に刻まれた名前は間違いなく自分の苗字だった。少し前に墓参りに来たとき抜いた雑草はすでに青々と茂っていて、お線香を乗せるなんだかよくわからない窪みには砂が溜まっている。普通は掃除したり水をかけたりするのだろうが、そんな発想すら無かった倫子は軽く眉間に皺を寄せた。

(軍手でもあれば草抜きぐらいはしたけど、素手じゃやだなぁ)

 仕方ない、と諦める。別にちゃんとした墓参りがしたくて来たわけじゃない。

「なんで来たんだっけ……?」

 そう思うと自分がいったい何を求めえ短くはない距離をバスに揺られてやってきたのかわからなくなる。死んだ人に会えるとも思っていないし、こんなつまらない場所に母親がいるとは到底思えない。なにか信心深かったりするわけでもないし、魂とかそういったものもよくわからない。何となく今後来る機会がなくなりそうで、その前に一度くらいひとりで来てみたかったから……言ってしまえば「なんとなく」以上の理由なんてなかった。

 遮るものがないせいか墓地に吹く風は妙に強い。突風にばさばさと乱される髪を押さえて「これではオナラもすぐに散ってしまうな」と思う。

「帰ろ」

 長居する必要もない。せっかくの休みを使って何をしているのかと急にバカらしくなって、倫子は踵を返す。さすがにこれだけお墓が並んでいるところで「しょーもな」と声に出して言う勇気はなかったが、気持ちとしてはそれに近かった。

 いくらなんでも手も合わさずに帰るのは……と思わなくもなかったが、毎日家の仏壇には手を合わせているわけだしそれとこれがどの程度違うのかは全然わからなかった。

 ここに来るまでの妙な高揚感が嘘みたいで、だらだらと足を引きずるようにして石段を上がる。良い景色でも見れれば気分も晴れそうなのに、すでに薄暗くなりつつある墓地はそういった感情を阻害するかのように黙りこくっている。振り返ることもなく墓地を抜け、お寺を横切り外にでる。少し離れた道路の向かいに帰りのバスに乗れるバス停を見つけると、小走りで横断した。

「嘘でしょ」

 こんなスカスカの時刻表なんて見たことが無い。丸一日分全部あわせても両手の指で足りるほどの運行予定しか記載されていない、特に夕方以降は悲惨なものだ、16時台を最後にずらっと空欄が続き次に出てくるのは最終の22時18分。つまり今から数時間、このバス停で待ち続けるしかないということだ。

「ホントに?なんで……」

 バスってものが大抵は往復で運行していて、少なくともそれなりのペースで自分が乗ってきたバスが終点まで行って戻ってくるものだと思っていた倫子は慌てる。

(よし……よし、大丈夫。最悪でも帰れるんだから不安になる必要はない、慌てたってバスが早く来るわけじゃない)

 目をつぶってゆっくり呼吸をする。混乱しそうなときに慌てて行動すると大抵間違える、これは父親からウンザリするほど聞かされている教えだ。

「時間はあるんだから、まず状況を整理しなくちゃ」

 まずはベンチにペタン、と腰掛ける。その教えをした父親は今日仕事だったかどうか覚えていない。仕事だとしたら私が戻らないことに気づけるはずもないし、休みだったとしても誰にも伝えずにこんなところまで来ているのだから発見できるワケない。そもそも自分ですらこんなとこまで来るつもりはなかったのだ。携帯番号のメも持ってきていないので連絡手段は無い。ということで父親からの救出は期待できないだろう。

「お父さんは、バツっと……」

 頭の中で父親の顔に大きな赤いバッテンをつける。

 タクシー……お金は相当掛かろうとも家に帰ればどうにかなるが、こんな寂しい田舎道ではタクシーも通らないだろう。期待するだけ無駄に違いない。「タクシーを呼ぶ」という方法があるらしいことは知っているが、その方法も知らなければ調べる手段もない。ヒッチハイク、という行為があるのはテレビで見たけど赤の他人の車に乗せてもらうなんて怖すぎる。それに見た映画ではヒッチハイクした女の子は殺された。

「自動車も、バツ」

 首を伸ばしてさっき出てきたばかりのお寺の方を見る。すでに薄暗くなりつつあるのに明かりが灯る様子がない。普段から誰もいないのか、今日がたまたまなのかはわからないが、頼れる相手が居る気配がない。本当に困ったらお寺さんだし侵入とかしても怒られる程度で済むだろうが、それは「本当に困った」となってからでいい。

「お寺、サンカク」

 歩く?山の中をいったいどこまで。道もわからないのに。

「徒歩、自殺したいならオススメ」

 ふー、っとタメ息を吐く。どう考えてもこのままあと5時間くらいバスを待ち続ける、というのが一番正解らしい。そこから乗り換えのバスがまだあるかは不安だけれども、確か街の中心に向かう路線だしなんとかなるだろう。場合によってはそんな時間まで外をうろうろしてたら警察に補導されるかもしれないが、そうなればパトカーでお家まで凱旋だ。

「警察、バツよりのサンカク」

 暗くなるにつれて不安がもこもこと胸に広がっていくのを感じるが、それはもう我慢するしかない。大丈夫、待っていればバスが来る。それだけは確実なのだ。

「オーケー、倫子。あなたはいま正しいことをしているわ、正しいことをするにはタフなハートが必要なの。そしてあなたは誰よりも強くて、勇気があるわ」

 ヒッチハイクした女の子が殺された映画で、その殺人鬼と戦った主人公のセリフを思い出した。出来る限り外人の大人の女がするような低くて自信たっぷりの言い方を真似して自分に同じセリフを言い聞かせる。そうあの超強い殺人鬼を恐れない女の人は恐怖を捻じ伏せ、悪夢と退治し、襲ってくる殺人鬼にショットガンを構えてブッ放す。そして最後にはトドメを刺すも殺人鬼の一撃を受け相打ち、スタッフロールの後で倒れた殺人鬼がぐっとコブシを握るシーンが

「ダメじゃん」

 思わずつぶやく。死んでるし倒せてないし、続編はコケたし、それにこのままバスを待ち続けることしか出来ることが無いのは変わらない。それでも暇を潰す方法だけは思いついた。

 倫子は映画をよく見ていた。母親が入院のお見舞いで病室にいる間、母のスマホで延々と一緒に映画を見続けていた頃があったからだ、特に母の好きだったホラー映画を。どう考えても入院中の病室で見るものではないし、まだそのとき9歳の倫子に見せるには適した内容ではないとしか思えないが、それでも病院にベッドに二人並んで額をくっつけるように小さな画面を見つめるのは楽しかった。それに陰惨なシーンになほど「ふえふえふえ」と独特すぎる人間とカエルのちょうど真ん中な笑い声を上げる母親を見ていると、怖がることが馬鹿馬鹿しくなってきたものだった。

(もしこれがホラー映画だったら……きっと雨が降ってきて土砂降りになる。それで私が途方に暮れていると音もなく一台の車が近づいてきて窓を開けてこう言うんだ「お嬢さん、大丈夫かい?その……良ければ送っていこうか?」あまりにひどい雨に、私は躊躇するものの言われるままその……うーん古い型のワゴン車に乗り込んでしまう)

 彼女の見つけた暇つぶしとは「これが映画だったら」と妄想することだった。

(さてそこからどうしよう。その男が殺人鬼で、ワゴンの荷台には死体が隠されて……いや生きている女の人が猿ぐつわをされて閉じ込められてる方が面白いかな?それとも人間がエサのモンスターがいて男はソイツの飼い主で私をごちそうにしようとしている。それとも全然別のところに殺人鬼がいて、その男と一緒に戦うことになるとか、道を間違えて「決して入ってはいけない」場所に踏み込んでしまい呪いをうける……)

「ちょっと雰囲気がなぁ」

 周囲を見まわすとすぐそばにお寺が建っていることもあいまって、洋画風の設定だとちょっと浮いてしまう。

「日本のホラーなら」

 んー、と目をつぶって腕組みする。

(一人の女性が山道を車で走っている、森が途切れると急に墓地が広がっていて不気味だ。と前方のバス停に街灯が灯っていて、そこにポツリと立つ少女。こんな時間に女の子が一人で?と不審に思うも……えーと、どうしようかな、小児科医か刑事か同じ年頃の子供がいるシングルマザーか……違う、ここは一捻りしてギャル風だ。男にフラれたばっかりで涙でマスカラが崩れてる、で寂しさから普段だったらスルーしてしまいそうな女の子が気になってついつい車を止めてしまう)

 次は自分の役目を決めなくては。悪霊の被害者か、呪われた存在か……面白くなってきたぞ、と倫子はにんまりと笑みを浮かべた。

続きます。(次 2019/10/23 20:00 公開予定です)

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