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小五観音  作者: すぱんくtheはにー
5/9

普通って言うのがまた難しいんだけど。

 サトミはコンビニの袋を手から取り落とした。ことん、という小さな音を立てて買ってきたアイスがフローリングの床に転がる。

「ごめんごめん、ちょっと遅くなっちゃって。アイス買ってきたけど食べる?倫子ちゃんはどれがいい?」

 そう言うつもりで準備していた舌は強張り、アゴに力が入らず重力に負けて大口を開けている。バイト先にオーナーが持ってくるのを忘れた倉庫の鍵を渡しに行ってコンビニに寄って帰って来るまでのおよそ36分間に何があったのか。サトミは納得できる理由を考えようとして完全にフリーズしていた。

 ロクのことは信用している。彼はいつも過剰に自分自身に対する不安を訴えるが、だからこそ決して間違いは犯さないと確信していたし、これまでの長い付き合いからもそれは言い切って良いと考えている。だがもしかしたらその考えは修正を求められているのかもしれない。

 部屋に設置しているテレビと対面するようにロクと倫子がDVDを見ている……並んで座って!

「おかえりなさい……です?」

 二人の姿を見て唖然とした様子で立ち尽くすサトミに倫子が首を捻り言葉をかける。

「おかおか」

 ロクは玄関の方をチラリとも見ず、画面を凝視したまま軽く片手を上げる。そのとき僅かに倫子の肩に手がかすってしまうが、両者とも特に気にする様子が無い。

「このシルエット、設定あるんですけど入れられなかったんですよねぇ~。いつかどこかで拾えるといいんだけど」

 DVDからは可憐な姿に変身する少女の映像とかけ離れた男性の声が再生されている。オーディオコメンタリーに収録された主要なスタッフの音声だろうか。

「んー!やっぱりぃー!」

 それを聞いた倫子が興奮した叫びを上げてロクの肩をバシバシと殴打する。

「この頃から決めてたのですなぁ……」

 それをにこにことして受け入れながら感慨深げにそう返すロクの姿に、サトミはひどく混乱する。

(ここは異世界か?並行宇宙か?幻覚?催眠?)

 万が一想像しうる最低最悪の事態が起こっていたとしてもここまでは困惑しないであろう、自分の中にあったロク像の急速な更新が迫られているのにまったく追いつけないまま固まってしまう。その様子を不思議そうに見た倫子は立ち上がると床に転がったままのコンビニ袋を拾い上げ中を覗き、数種類のアイスだけが入っているのを確認する。

「冷凍庫でいいですか?溶けちゃいますよ」

「うん、いや、好きなの一つ食べて……っていうか!」

 話しかけられたことで茫然自失の状態からわずかに復帰したサトミは、ようやく買ってきたアイスを倫子に勧めれたというよくわからない安堵をしながら声を上げる。

「どういうこと!?ロク?おいロク!?」

 大声で呼びかけられたロクはアゴでテレビをアピールしながら人差し指を唇の前に立てる。

「いやしーっじゃなくて」

「ありがとうございます、これいただきます」

 礼を言った倫子はチョコレートでコーティングされたバニラアイスを袋から取り出して一口齧り、残ったアイスをコンビニ袋ごとサトミに渡すとロクの隣に座って画面を見つめる。

「うん、はい……うん……」

 何があったかを根掘り葉掘り聞きたいが、どうやらDVDの再生が終わるまでは誰もまともに会話してくれないようだ。

(ここ私の家なんだけどなぁ……)

 二人の前を横切って座布団を取りに行くことすら憚られて、サトミはそのまま固い床に座る。少しひんやりとしたフローリングが気持ちいいのだけが救いか。

「ロク」

 大きさをアピールするパッケージデザインのモナカアイスを山なりに放り投げると、無言のままロクはキャッチし手元も見ず包装を剥がして齧りつく。全部終わったらゆっくり説明して貰おうと、みかんの果肉入りアイスキャンデーを開封した。

(これまだ一話だよね……)

 これはあと1時間弱はこの状態だろう、これといってすることもないし邪魔もしたくないので一緒に画面を見る。さっき見た覚えのある内容と違うのは時折スタッフやキャストの声が挟みこまれることだ。ぼそぼそとした男性の声はどうやら監督か脚本かの物語全体を管理する人物で、明るく聞き取りやすい声は主人公の一人を演じる声優のものらしいと発言内容から推し量ることができる。

 ロクと倫子の二人はどちらかと言うと男性の声を特に傾聴しており、たびたび目を合わせてうなづいたり画面の一部を指差したりしてぼそぼそと二言三言喋るときはあるが、ほとんどは言葉にはしないまま独特に濃密なコミュニケーションを取っているようだ。

 そのまま静かにオーディオコメンター付き『魔法聖戦士 リーン&バイン』鑑賞会(本日は第三話まで)が終了する。食い入るように作品を見つめていた二人は満足げに大きく息を吐くとどちらからともなく小さな拍手をする。

「バインのオーラフォームって何話くらいからです?」

「ハイパーの方?」

「いえ地球に戻る前の」

「ああそれならリーンの”まっかっか”フォームの前だから」

 何を言ってるかはわからないが、二人が楽しそうに話しているのを見てサトミは安心すると同時に再び疑問が頭をもたげる。

「あの邪魔して悪いんだけど、なにがどうなったの?」

「どうなったとはなんですかなサトミ氏?」

 ロクと倫子は顔を見合わせてニヤニヤと笑う。

「いやいやいやいやいや、ロクお前明らかに何かあっただろ!」

「友達になっただけですもんネー」

「だお」

「うぇーい」

「うぇーい」

 楽しそうにハイタッチする姿を見て、本当に大丈夫なのかこれは?と怖くなる。

「あの倫子ちゃん?その、ロクはね」

「はい、聞きました」

 朗らかな返事を被せられて「違う違う違う」と手を左右に振る。

「いや何聞いたか知らないけど、あのね」

「ロリコン、なんですよね?」

 帰ってきたときの倍くらい大きく口が開く、「人間て精神的ショックでもアゴが外れるんだね」と一瞬勘違いしてしまうくらい開いた口が塞がらない。

「ロク?」

 思わず最悪一歩前の想像をしてしまい、絶対に外れてくれてと親友の顔を睨む。

「拙僧は指一本触れておらんですぞ~」

(うるせぇじゃあさっきのハイタッチはなんだよ)

 とはいえこの明るい感じはサトミの良くない想像が外れていることを示している、と思っていいだろう。だとすると尚更どうしてこうなったのかがわからない。

「本当に説明して欲しい」

「だから友達になってんです」

「いぇあ、俺と倉敷氏はマイメン。開く必要無い会見」

「お前マジで死なすよ」

 両手をヒップホップスタイルで突き出すロクの手をはたく。それを見た倫子が体を左右に揺らす。

「さっきから言ってるよフレンド、認めてくれんと、関係はジエンド。ちぇきらー」

「倫子ちゃん?」

 ふたりして謎の下手くそラップを繰り出してきゃっきゃきゃっきゃと笑っている姿にサトミは本気で頭を抱える。

「あの何があったんですか、それとも私の頭がおかしくなったの?」

 さすがにサトミの困惑ぶりを見て倫子は真剣な面持ちになる。

「本当に友達になっただけですよ。そのサトミさんはロクさんがロリコンだと知っていて、どうして二人きりにしたんです?」

「それは……」

 説明を求めれば当然、その前提条件を作った自分へと質問が飛んでくることを失念していたサトミは言いよどむ。

「それはもう逃げ惑う小生を笑いものにしようと」

「ロク!」

「ロクさん!」

 もうふざけるタイミングは過ぎたから、と二人がかりで怒られたロクはしょんぼりと肩を落とす。

「ロクなら絶対大丈夫だと思ってるし、異様な怯え方をするが少しでもマシになればと思って……」

「それはロクさんが友達だからですよね?」

 そうもストレートに言われると気恥ずかしいが、誤魔化せるような状況でもないとサトミは観念する。

「そうね、親友としてそう考えたの」

「いぇーマイメ」

 性懲りも無くふざけようとしたロクは計4つの瞳に睨まれて口を閉じる。

「それと一緒です。ロクさんは危ないロリコンの人ではなくてロクさんなんです、だから私はロクさんと友達になりました」

「そうだお。倉敷氏は倉敷氏であって、JSではないのだよ。小生の友人である」

 いまいちその論理展開はよくわからないが、理屈ではない部分で彼らの言うことは概ね了解できた。それは「ロリコンと女子小学生」を二人っきりにはできなくても、「ロクと倫子ちゃん」なら二人っきりしても大丈夫だと判断したサトミの心情と似たようなものなのだろう。

 ロクは確かに社会的に問題ある性的嗜好を持っているが、だからといってロク自身の人格が社会的に問題を持っているわけではない。形のないイメージとして存在する「女の子」に不道徳な劣情を向けることはあっても、名前を知っている「倫子」という一個人に対してはそこに人格の存在を認めることで、文字通り犯しては行けない一線を明確に持つことができるのだろう。

(私はダメだな……というか倫子ちゃんに感謝しなければ)

 サトミはそこまで考えて二人っきりにしたわけではない。単純にロクの性格を信頼した上で、少しでも慣れてくれればいいと考えただけだった。道で女の子とすれ違いそうになる度に道を変えたり引き返したりを繰り返すロクのやり方では、普通に生活するのが困難であり、そこが少しでも解消されれば良いと思っていた。

 毎週倫子が訪ねてくることを快諾したのもそれが理由だ。そうやって少しずつ変わっていければ万々歳、倫子ちゃんには利用させてもらうみたいで申し訳ないけど向こうから言い出したことでもあるし、提供できるものはしているのだからWin-Winの関係だ、ということで自分を誤魔化していた面は実際大いにある。

 だから倫子がここまでの関係を構築してくれたことにロクの友人として感謝を覚えると同時に、他人同士の関係をコントロールできると思っていた自分の甘さにサトミは寒気を感じ体をぶるりと震わせた。

(これが良い結果だからよかったものの、もし悪いほうに事態が動いていたとしたら……)

 自分の行いが最終的にはただの幸運に支えられてるだけのものにしか過ぎないことを突きつけられたようで、きゃいきゃいとアニメの話に花を咲かせる二人をまっすぐ見ることができない。

(ロクが言っていたのはこういうことか)

 女の子とすれ違うことすら忌避するロクの言い分は「自分は彼女たちにとってリスクだからだ」というもので、それをサトミは鼻で笑うというのが常だった。でも今度からはそれを一笑に付すことはできない、だが変わらずそれを否定するだろうと思った。楽しそうにしているロクと倫子の姿を見れば、思いもよらないことが起きる可能性に期待するのも間違っていないように思えるのだ。予想もつかないことはいつだって起こりうるのだ、そう例えば

「そういえばサトミさんに聞きたかったんですけど」

「なあに?」

「その、スカートとカツラ着てましたよね?あれって何だったんですか?」

 例えばこんな質問が飛んで来るとか。

 サトミの視界では隅に入り込んでいるロクが小さく首を振ったのが見えた、なるほどこの事態には一切関与していないと。

(どうしよう、私のことを正直に話すべきか)

 本当は悩んでいなかった、さっきから自分の一人称が「私」になっていることにサトミは気づいている。楽しそうな二人の姿に当てられたのか、あるいは思いもよらないことが起きる幸運に賭けてみたくなったのか。なんにせよサトミはいつでも秘密を吐露できる相手を求めていた、それは誰かに離すことで消えてしまいそうな自分を確固たるものにしたいという願望であり、秘密を打ち明けれる相手という信頼に値した友人がそこに居るということでもある。

 友人だから秘密を教えることができるのか、秘密を教えることができるから友人なのか。

 その境界はいつだって曖昧だった。だがロクをロリコンと知りながらも屈託ない笑顔を浮かべることのできる少女になら、きっと自分の秘密も同じように笑顔で受け入れてくれるような気がした。

「ええと、それはね」

 告白の緊張に唾を飲み込むと、喉仏がわざとらしいほどに上下するのを感じる。その感覚が本当に話してもいいものかどうかとサトミを一瞬だけ足踏みさせた。それでももう決めた彼女の心は揺るがなかった。

「なんていうか、私は女なの」

(あぁ言ってしまった)

 もしかしたら取り返しのつかないことになるかもしれない。その恐れに顔を伏せたサトミは上目使いで倫子の表情を盗み見る。そこには自分が打ち明けられたことの意味がイマイチ理解できない……それぞれの単語の意味はわかるが、それが発言者と組み合わさったときに言葉の意味と乖離してしまいことに「ちょっと待って少し考えさせて」と顔に書いてあった。

「えっと、サトミさんは女の人……」

 口に出してみると、さっきまでは敬称をつけた呼びかけであった「サトミさん」が少し違う意味を帯びているように感じられて倫子は小首を傾げる。サトミの姿形は人間の平均的なスタイルとして見るならかなり男性的と言えるものだ、身長は180cmを超えているし、手足も筋骨隆々としていて力強く、胸も発達した筋肉で膨らんでいるがとても乳房のようには見えない。

 肥満体のロクとは違った方向で「巨漢」と呼んで相違無さそうな体つきは、テレビとかネットで見たことのある女性ボディビルダーの体躯と照らし合わせてみてもやはりものすごく男性だ。

「サトミ氏、さすがにそれだけでは……」

 困惑を顔に浮かべる倫子と緊張の面持ちのまま黙っているサトミを見て、思わずロクが言葉をかける。

「う、うん。その、なんて言うか……体は男なんだけど」

 それを聞いて倫子は「なるほど」という顔になる。

「おねぇ、ってやつですか?」

 自分の知っている単語から「男性だけど女性の心を持って、そういう格好をする」人たちを示す呼称を上げる。

「うっ、まぁそんなようなもんかな……ちょっと違うけど」

 いままで何度も対面した勘違い……というよりもメディアが発信する大雑把なカテゴリーとバラエティに特化した看板で一まとめにされるこの呼ばれ方をイチイチその場で訂正する気にはならなかった。説明したところでわかってくれることはほとんど無かったし、それに間違っていてもとりあえずの了解を得てしまえれば後からゆっくりと修正していけば良いとサトミは思っていた。

「じゃあ普段はスカートなんです?」

「家の中ではね」

 そう言われて倫子はサトミとロクの顔を交互に見る。何度かその視線を移動させたのち、わかった、と言うように手を叩いた。

「なるほど二人は付き合って」

「それはない」

「ねーよ」

 食い気味に二人揃って否定する。

「拙僧はロリコンだと言ったではないか」

「あ、そっか」

 サトミの一瞬の逡巡のあと口を開く。

「そもそも私が好きなのは女性だし」

「普通に?」

 どう説明をしたものかサトミは眉間に皺を寄せる。

「普通って言うのがまた難しいんだけど……」

(ああ、ダメだダメだ。そういう「複雑な」ところから始めるのはもっと後でいい……)

 当事者として様々な言説に触れてきた20歳のサトミと、そういったマイノリティとの接触が(少なくとも表面的には明らかにそういう人とは)初めての小学5年生の倫子では持ち合わせてる知識や、把握している問題、あるいは今日に到る社会背景という物語を共有できていない。サトミはこれまでの経験上、そういった前提を同じくしていない相手との対話が困難なものになりやすいと思っていた。最初から話しにならない相手を除けば、ちゃんと段階を踏んで説明することで互いに不幸な誤解を持つ事を避けることができる。

 サトミはロクの方をちらりと見る。「彼女」にそういった見ようによっては牧歌的とも言える考えを獲得させたのはロクの影響が大きい。サトミが性自認に悩む前から、自分が性的マイノリティでありさらには社会的にも問題を抱えていると自覚していたロクは、カミングアウトに勇気のいる話をするのに絶好とも言えたし、何よりそれが幼馴染で親友という得がたい存在であったことは自分にとって非常に幸運であった、とサトミは思っていた。

(無意識にロクから助け舟が入ることを期待しているな……)

 ロクを見たときに一瞬だけ彼と目が合い、視線に応えるようなまばたきをしたように感じた。それだけで少しだけ楽な気持ちになったのは事実だ。

「その、私は女で、女の人が好き。なの」

「んー」

 倫子はパチパチと目をしばたかせ、斜め上を見るように眼球を動かす。頭の上にはいくつかのハテナマークが浮かんでいる。少女の頭なの中では見知った単語が、いままで使ったことのない使われ方をしていることで言葉の意味と用法が上手く結びついていない。

 どう説明すべきか考えあぐねているサトミと、いま聞いた情報を咀嚼しようとしている倫子。その二人を放置してロクは立ち上がると部屋の蛍光灯の紐を引き明かりをつけた。

「あっ、ありがと」

 明るくなった室内を見て、いつのまのか夕方近くなって少し部屋が薄暗かったことにようやくサトミは気づく。

「倉敷氏は時間大丈夫かお?」

「あれぇ!?もうこんな時間」

 壁に掛かっている時計を見て倫子は声をあげる。アニメを計8話分とロクとの問答があったことを考えれば最初に決めていた予定から大幅に過ぎていた。今日の夕飯を作る当番は父親だが、その前に洗濯と風呂掃除をしておくのが倫子の役割でそれをこなすには少し慌てたほうがいい。

「この話は次の機会にでもするでござるよ」

 倫子は立ち上がりロクの言葉にうなづく。

「わかりました。サトミさん、えっと、この話は秘密にしといたほうが……?」

 とりあえず全て理解したわけではないが、最初にベランダから落ちかけたのを助けてもらったときにわざわざ着替えて見せたぐらいなのだから積極的に明かしたいわけではないことぐらい倫子にも察しがついていた。

「そうしてくれると嬉しい……かな」

 サトミの胸に棘が刺さったような痛みが走る。秘密にしておかないといけない、と考えてしまっている自分に苛立ちを覚える。だがそれはきっと誰のせいにもできないこと――自分のせいですらない――を知っているだけに、行き場の無い思いが刺さるのだった。

「わかりました!それじゃあまた来週、でいいんですよね?」

 どうしても複雑な感情が混じりあってしまうサトミにとって、屈託無く答えてくれる倫子の姿はありがたかった。

「待ってるお」

 ロクがぴらぴらと手を振る。

「じゃあおじゃましました。またよろしくです」

 倫子は頭を下げると飛び跳ねるように部屋から出て行く。サトミの家のドアが閉まるか閉まらないかぐらいで、すでに隣家のドアに鍵を差し込む音が聞こえた。

「……まさか話すとは思ってなかたでつよ」

 サトミは明らかに困惑した表情を浮かべる。

「あんたが言う?」

 それを言うならより直接的な問題に繋がりかねないロクのほうが、倫子にロリコンだと告白したという事態こと異常だろう。

「それはサトミ氏のせいでござるよ~、何が目的かはわからぬがそういう状況にしたのが」

「はぁ!?あんたが勝手に喋ったことがなんで私のせいになんのよ」

「そもそも小生と二人っきりに……」

 そこまで言ったところでロクはぶんぶんと頭を横に振る。

「我々が議論する必然性がないでスな、倉敷氏は良い人です。小生との様子を見てそう思ったのでござろう?」

 確かにその通りだった。ロクと友好な関係を築ける人物ならば自分の秘密を話しても構わないだろうという判断があったのは間違いなかった。

 黙る彼女を見てロクは意地悪な笑みを浮かべる。

「やれやれ。友人が逮捕されるかもしれないのに、それを試金石につかうとは。サトミ氏は中々にクソヒューマンだお」

「違っ……わないかも、しれなぃ……」

 そんなことは毛頭考えていなかったが、無意識にそうした可能性はあることを思うとハッキリとした反論はできず尻すぼみに声が小さくなっていく。

「ふむーそこは否定して欲しかったでつね」

 ロクは肩をすくめるとスマホを手にデリバリーピザのサイトを開いた。

「じゃあ今日はサトミ氏のおごりで手を打とうではではないか!すまんが耳にウインナーが入っていてな」

「わかったよ……着替える」

 二人しかいないのにLサイズピザを2枚、ピザ生地の端にウインナーが入ってるトッピング付きで注文しようとしているロクを横目に、倫子が来たとき目に付かないようしまっていた女性モノの洋服を取り出す。ロクはいそいそと着替えを持って浴室へと向かうサトミをちらりとも見ずに数時間後を指定して宅配予約の「注文を決定」ボタンをタップした。

 サトミの家にピザが届き、それをロクが受け取っている頃。倫子は帰りの遅くなった父親に連れられ安価で有名なイタリア料理のファミリーレストランでシシリー風たらこスパゲッティをフォークに巻き付けていた。

「ねぇお父さん、女の人が女の人を好きなのってよくあること……でいいんだよね?」

 テーブルの向かいですくったミラノ風ドリアに息を吹きかけ冷ましていていた武男は、ゆっくりとスプーンを置こうとして動揺のために完全に目測を誤り、「熱くなっておりますのお気をつけください」と言われた皿に小指を下ろしてしまう。

「あっつ!」

「大丈夫?」

 父親に間抜けな姿にクスリともせず冷ややかな目を向ける倫子の姿に、それで火傷が治まればいいのにな!と胸の中で悪態をつく。

「大丈夫……というか、えーと、どういうことだ?」

 ウーロン茶の入ったグラスに手を当てて冷やしながら、倫子からの質問を聞き返す体で自分の中で気持ちの整理ができる時間を稼ぐ。

(そりゃいつか彼氏ぐらいはできると思ってたがまだ小5だぞ、じゃなくてちょっとそれは心の準備ができてなかったぞ……)

「だから、女の人が女の人を好きなのは普通?でしょ?」

「うん、まぁ普通……普通ってのも何か違うか?そのなんだ、誰かが誰かを好きなのは良いことだと……思う。うん、例えばお父さんに好きな男の人がいるって言われてもべつに変じゃないだろ?」

 無意識にドリアをスプーンでかき回しながら武男はよくわからない例を挙げつつ答える。別に今の時代、同性愛なんて驚くことでもないし当人同士が幸せならそれは結構なことだと思っている。とはいえそれで何か悩んでるらしき相手が目の前にいて、それが他ならぬ自分の娘ともなれば一筋縄にはいかない。「全然オッケー!お幸せに!」と無責任に明るく答えることができれば一番だし、基本的にはそれが武男の本心だ。とはいえそれをそのまま言えるほど父親にとって「性で悩む娘」とは簡単な存在ではない。いやしかしこうやって相談してくれるということは世間で言われるよりも良好な親子関係を作れている証であり、それならばいっそのことざっくばらんに答えたほうが……。

 ぐるぐるとかき回されるドリアが原形を失くしていくように、武男の思考もこんがらがって渦を巻いていく。

「そうなんだ……じゃなくてそうだよね。好きな人くらいいるよね……そっか……。えっとそれは置いといて、その友達がね、女の人が好きらしくって」

(危ない!罠だ!)

 吐きかけた息に特大アラートが鳴り響き強制停止をかける。ウーロン茶を一口飲み、出かけた安堵の息を誤魔化してできるだけ「何の変哲もない夕飯時の親子の会話」テンションを維持して見せる。

「ふぅん、そうかぁ」

(ここで「あぁ倫子の事じゃないのか」と安心するような顔を見せてはいけない!「友達」と称して自分の話をしている可能性は十分にあるっ!)

 武男にとって見れば自分の子供が誰を好きになろうとそれは子供の人生だから何か言うべきではないし、それと同じくらい誰を好きになろうと心配をしてしまうのも仕方が無いことだった。倫子が自分のことを架空の友達と設定して話してるとしたら、その反応をつぶさに観察して本音を探ろうとしていてもおかしくは無い。

(いやむしろそうだ、そうに違いない。倫子は賢い子だからな……)

 恐れ半分、親バカ半分で武男は娘をそう評する。

(父親としての正解はなんだ?「最近の小学生はそんな風なのか~」……いやダメだ、別に俺が小学生の時も誰かと誰かが好き同士でーみたいな話はしてたし、なにより「子供扱いする」ことはこのぐらいの年齢には禁句!「本当はお母さんに話すのが良かったかな……」おいおいおい楽しい家族の食事なのに暗くしてどうする!「倫子は好きな人とかいるのか?」ってそれは最悪だろ、どうする。どうする俺)

 必死でベストアンサーを探す脳内を億尾にも出さず、黙っている間を埋めるためにあっつあつのドリアを口に捻じ込む。

(あっつ!)

 確実に舌を火傷した。それでも表情に浮かぼうとするのを押し殺して、いかにも「口に食べ物が入ってるから喋れませんけど、倫子にかける言葉はこれを飲み込んだらすぐに出ますよ~」という雰囲気を装う。

「そのなんだ……倫子はその友達になんて答えたんだい?」

 倫子は少し困った顔をして首を横に振る。

「タイミングが悪くてそこで話が終わっちゃったんだよねー、お父さんならどうした?」

(はいー!本人の望む答えを探ろうとしたら逆にチェックメイトかけられましたー!)

 背中にドッと汗が吹き出すのを感じる。こういう聞き返しをしてくるってことは十中八九、倫子本人のことと見て間違いない!と武男は確信する。

「そうだな、お父さんが友達からそういう相談されたら……おっ恋バナかぁ~いいねぇ~、何かあったらなんでも言えよっ!応援してるぞ!相談しろよ、なっ!……かなぁ、うん」

(よしパーフェクトじゃなか?娘のカミングアウトをちゃんと当然のこととして受け入れつつ、ちゃんと困ったら相談するように促す!パーフェクト!お父さんはパーフェクトコミュニケーションだぞ!)

 引きつった笑顔の父親に倫子は小さく笑みを返しながら、心の中では「うへぇ」と父親の態度に引く。

(いいオッサンなのに恋バナとか言ってはしゃぐとか……自分の父親とはいえキツイなぁ)

 一方で武男は天に向かって話しかける。

(哲子さん、これでいいんだよな……)

 自分が勘違いを誘発したことを知らず、倫子はちゅるりとスパゲッティを吸い込んだ。



続きます。(次 2019/10/20 20:00 公開予定です)

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