#72 ラストダンスはすぐそこに
華炎ちゃんがアップをはじめました
予め指定されていた潜伏場所、それは小さな雑居ビルの屋上でした。小さなビルとはいっても、その高さは十メートル近く。屋上からの景色はそれなりのものです。立地もよくここからでも駅前広場が見えています。百貨店ビルの大型モニターが出す爆音まで聞こえてきました。
ここで【例の発表】を待つのがこの作戦の最終フェーズです。
「屋上ね……私は屋内だと思っていたのだけれど」
「ごめんなさい十六夜さん。どうしてもここでなければいけないんです」
十六夜さんがやや憂鬱そうに不満をこぼします。しかしそれも仕方のないことでしょう。
今は四月の中旬ごろ。つまり夜はまだ気温が低いのです。それに加えてここは風通しがよく、どうしても寒くなってしまうのでしょう。雨が降らなかっただけまだマシな方です。
場所はどうしても変えられないので、十六夜さんには私の上着を着てもらっています。風邪をひいてしまっては大変ですからね。私は寒さはへっちゃらですから、上着一つ大したことありません。
「まあいいわ。それよりも、今は確認しなくちゃいけないことがあるの」
「確認しなくちゃいけないこと……ですか?」
ため息をつくと、十六夜さんは一変して真剣な顔持ちで問うてきました。
「華炎、教えて頂戴。あなた以外のメイドたちは今どこで何をしているの?」
「え、えっと……」
「もしかして、誰か一人でも囮になって私を守ろうとしてるんじゃないでしょうね?」
「…………」
十六夜さんの目は既にいつも通りの――いえ、いつも以上に強い意思を宿しておるように見えました。鎚に叩かれようとも、決して曲がることのない鋼のような意思です。
その目を見て、私は何一つ包み隠すことなく作戦の裏側で起きている出来事を話しました。隠すことなど、できそうにもありませんでした。
「答えなさい、華炎」
「……はい。上弦さんや下弦さん以外にも、先輩たちが追手を誤魔化すために十六夜さんに扮しています。それから、きっと屋敷の方でももしかしたら……」
「いいわ。もう言わなくていい。事情は分かったわ」
全てを打ち明けると、十六夜さんは剣呑な顔をしてこちらを睨んでいました。心底不機嫌とばかりに腹立たしそうです。
それから息遣いが聞こえるほど大きなため息をつき、青筋を立てながらこう言います。
「言いたいことは山ほどあるわ。でも、それは後回しよ。全員に伝わらなきゃ意味ないもの」
「は、はい……」
すると十六夜さんは夜空を見上げ、目を閉じ物思いに吹けます。何か深く、深く考え事をしているのでしょうか。沈思黙考という言葉がよく似合うほどの様子でした。
次の瞬間、ゆっくりと開いた十六夜さんの瞳には、より一層強固な覚悟が写し出されていました。
「みんなが私を逃がすために囮になろうっていうなら分かったわよ。それならそれで私にも考えがあるわ」
「十六夜さん……?」
困惑する私をよそに、十六夜さんは懐から携帯を取り出し、パネルを操作して電話をかけようとします。
よく見れば、その携帯は上弦さんのものでした。カバーやストラップには見覚えがあります。それをなぜ十六夜さんが……?
「あの、それって上弦さんのじゃ……」
「そうよ? 車の中でポケットから取っておいたの」
「何してるんですか!?」
「念のために借りたのよ。鬼灯姉には何も伝えてないけど」
「いやそれ借りパク!」
「ちゃんと返すわ。暴力団に電話した後でだけれど」
「借りパクよりタチ悪い!」
本当に何をしようとしてるんですか!?
急いで止めようとしましたが、時既に遅し。もう十六夜さんは電話番号を打ち込み、コールボタンを押してしまったのでした。
暴力団とは言っていましたが、一体どこへ電話をかけたのでしょう。冗談半分気味だったとはいえ、全てがそうとも思えません。あの瞳が何よりも本気であることを雄弁に語っているのですから。
今の十六夜さんには、やると言ったら必ずやる気迫を感じます。
数度のコール音が鳴り響く中、私は固唾を飲んでそれを見守ることしかできませんでした。その間に、私はなぜ十六夜さんがこのタイミングで電話をかけたのか必死に考えます。
十六夜さんは、自分が隠れている間に家族のメイドが傷つくかもしれない状況を許せないに違いありません。
ならば先輩たちが囮にならずともいい状況を作ろうとするはず。つまり、奴ら自分の居場所を掴ませるということ。
それを踏まえた上で考えれば、十六夜さんの言う暴力団とは……
じゃあ十六夜さんは自ら場所を明かして、奴らのヘイトを全てこちらに向けようとしているんですか!?
「十六夜さん!? まさか逆に自分を――!」
「黙ってなさい! これは私の意地なのよ!」
それでは作戦の意味がありません。何もかもが台無しになってしまうことは明白。
私たちを逃がすため今も必死に逃げ回る上弦さんや下弦さん。帰る場所を守るセレンさん。それ以外の全てのみなさんの苦労が水の泡になりかねない大博打です。たとえハイリスクな賭けに勝っても、それで得られるリターンはあまりにも少なすぎる。
私がそんなことを考えている内に、無情にも電話は繋がってしまったのでした。
『うるせぇ! こんなクソ忙しい時に電話してんじゃねぇぞタコ! それとも何だ!? 逃げたアイツが見つか――』
「こんばんは、白夜お兄様。かくれ鬼の首尾はどうかしら?」
『テメェ……! 十六夜ィ! のこのこ電話してきやがって! ブッ殺してやる!!』
繋がった電話の相手は、私にも聞こえるほど声を荒げる暴力クズ男でした。手下からの電話と勘違いしていたのでしょうか、繋がるなり真っ先に罵声が飛んできます。
十六夜さんは電話越しの怒気を受け流し、あまつさえ挑発までしました。勿論、短気かつ癇癪持ちのクズが怒らないはずもなく、十六夜さんの思惑通りに激情します。
なんともまあ、闘牛をしているとでも言うべきか、動物園のチンパンジーの相手をしているでも言うべきか、そんな光景を連想させるやり取りに思えました。
「あらあらまあまあ、あまりに余裕がなさげですこと。そんなんじゃ逃げる小娘一人見つけられはしないでしょうね」
『調子に乗ってんじゃァねェぞクソ野郎ッッ!! 今からテメェとメイドもろとも殺しに行ってやる!! 馬鹿が! 電話してくれたおかげで居場所は分かってンだよ!! 死ねッ!!』
「うわー……」
耳まで顔を真っ赤にしながら叫んでいる様子がありありと想像できま す。変な声が出たのは悪くないでしょう。思い描いてみると、うん……すっごく見苦しい……やめましょうこの想像。
「かかってらっしゃいな。私の隣には、最強のナイト様がいるわ。私を殺そうと思ってるなら全力を尽くすことね。あなたたち全ての手下を向かわせて……ね」
『上等だ!! 首を洗って待ってやがれ!!』
十六夜さんの売り言葉に対する買い言葉でもって、電話は向こうから切られました。
上弦さんの携帯を懐にしまい、十六夜さんは私に微笑みます。
「これで、もう後には引けないわね?」
その微笑みは、油断すれば吸い込まれてしまいそうなほど蠱惑的で、私の心を焚き付ける挑戦的な笑みでした。王子様をたぶらかす悪い魔女みたいな笑み。
一歩先の地獄へ手を引く、破滅すら予感させる危険な微笑みです。私はそんな妖艶な表情に魅入られてしまったのでしょうか。
「……十六夜さんが望むなら、私は修羅にだってなれます」
活路は前にしかなく、そしてそれは果てしなく厳しい茨の道……その先にあるのは絶望? いいえ。いいえ! 断じて否!
十六夜さんは信じてくれました。私が襲いかかってくる全ての敵を打ち倒せるであろうと。ならば付き人として、メイドとして、それ以上に『村時雨華炎』として! 答えないわけには参りません。
ならば私も不退転の覚悟を決めなくては。
なし崩し的にとはいえ、ここで敵を迎え撃つことは決定づけられました。十六夜さんを守れるのは私だけ。私ができなければ十六夜さんに未来はない。じゃあ、やることは一つだけでしょう?
死力を尽くして、十六夜さんをアイツらから護り通す。それだけです。
「お願いね、私の可愛い可愛いナイト様」
「お任せを」
……と、それで終われば格好がつくのに。
「でもそうねぇ、ナイトか……そういえば思い出したけれど、あなたって男の子だったのよね。てっきり可憐な女騎士をイメージしてたけれど、男だったらちょっと訂正が必要かも……」
「えええ!? 今までの流れで忘れてたんですかぁ!?」
「うふふ……私に言わせれば、あなたが可愛いのがいけないのよ?」
「あんまりですぅ! ずっと言ってますけど、私一応気にしてるんですからね!?」
「でも、男の子ってバレたらマズいのはあなたじゃない?」
「ひゅい……そうでした……」
いつもの性別いじりが始まって、さっきまでの真剣な空気はどこかへ吹き飛んでしまいました。
なんというか、十六夜さんと数日間会ってなかったから、久しぶりの感覚です。十六夜さんはこうでないと、という気もしてきました。
……冷静に考えたら相当おかしなこと言ってません? すっかり女装生活に毒されてしまったのでしょうか。いやいや、そんなことはない……はずです。
なんとなーく頭では察してしまいましたが、意地でも認めたくありませんでした。あまりに不名誉すぎます。
……ともあれ、この際私の性別はどうでもいいことです――いや、本当はどうでもよくないですけど。
重要なのは私が十六夜さんを守れるかどうか。その一点のみ。
……いまさら何を怖気づく必要がありましょうか。油断も隙も、ましてや奴らにくれてやる物もありません。
私に不可能はない。なぜなら村時雨華炎とは、完全無欠にして天衣無縫のパーフェクトメイドなのですから。そうであれと十六夜さんに望まれたのですから。
「……十六夜さん、一つお願いをしても構いませんか?」
私は少しの逡巡を経てから、十六夜さんにお願いをしました。
「ええ、何かしら」
「私に力を下さい。あなたの言葉で、私という存在がこの世界の何にも勝ることを証明してください」
「分かったわ。一度しか言わないわよ」
直後、十六夜さんが私の頭を両手で掴み額が触れ合うほど顔を近づけます。
突然のことで驚きましたが、不思議と不快感はありません。なんとなく胸の奥がぞわぞわする得も言われぬ感覚がしました。
「華炎、あなたは【完璧】よ」
そして耳元で囁かれる魔法の言葉。甘美な響きで脳髄が麻痺するかのようです。陶酔にも似た、十六夜さんのためならば何でもできる全能感。
そんな言葉を送ってくれた十六夜さんへ、私は精一杯微笑みながら頷きました。
「はい。私は完璧です。私はこの世界の誰より最も完璧な人間です」
私は完璧。
何ひとつ欠陥のない完成されたマスターピース。
シミ一つないカーペットのような芸術品。
村時雨華炎という、人類最高の大傑作!
それが私です。十六夜さんに命じられた、あるべき姿。すなわち、私の覚悟に他なりません!
「豊葛十六夜が命じるわ。必ず私を守りなさい。そして、あなたも無事に帰ってくること。いいわね」
「お任せを。完璧に守り通してみせます」
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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「……来たわね」
十六夜さんの挑発電話から十分もしないうちに、私たちのいる雑居ビルの周囲は、にわかに騒がしくなりはじめました。複数の車が止まる音。ドアを開けて矢継ぎ早に人が降りてくる音。小さく、そして短い怒号を上げながらビルに殺到してくる音。
……どうやら、十六夜さんの目論見はうまくいったようですね。奴らの第一陣が到着したということでしょう。
ならば、ここからは私の仕事の領分です。
「精々もてなして差し上げなさい」
「かしこまりました。文字通り全身全霊でもてなしましょう」
十六夜さんから遠慮なくやれとのご達しです。ゴーサインが出たのなら手加減する必要はありません。
私がパーフェクトたる所以、思う存分に見せつけてやりますとも。
やがて十数人分の大きな足音が近づいてくると、屋上に繋がる唯一の扉が荒々しく開け放たれます。
雪崩れ込んできたのは、以前も見かけた刺青をしているゴロツキ風の男たち。そしてその先陣を切るのはお山の大将、または暴力クズ男こと豊葛白夜。唐辛子もかくやというほど顔を真っ赤に染め上げていました。
他の弟妹と足並みを揃えず突入してくるとは、よっぽど頭にきているか、手柄を独占したいと見えます。
「こんなとこにいやがったか……覚悟はできてんだろうなぁ! オイ!」
「いらっしゃいな、お兄様」
屋上で睨み合う十六夜さんとクズ男。その彼我の距離は十メートルほど。奴らのことです、もしかしたら銃みたいな飛び道具を持っているかもしれません。
私はそっと十六夜さんの前に立ち、油断なく奴らを観察しました。
「生意気なことをしやがって、お陰で俺様たちの計画が台無しだぜ! だが、次はもうねぇ。テメェの手足を切り落として、二度と動けねぇようにしてやる!」
「あら、怖い怖い。私はか弱いから吠えるだけの犬も苦手なの。ねぇ華炎、守って頂戴?」
「ご安心を。所詮吠えるしか能のない駄犬です。吠えることなく獲物を仕留める狼とは、比べるべくもありません」
「うふふ。そうねぇ、弱い犬ほど……とも言うもの」
「ふざけやがって! 俺様をコケにしやがったな! 赤髪のテメェも、容赦しねぇ! お前ら、あのクソガキどもを生け捕りにしろ!」
私と十六夜さんの挑発で、クズ男はすっかり『ぷっつん』してしまったようです。ここまでスルースキルがないのも、逆に珍しいのではないでしょうか。
普通の社会でやっていけないのも頷けます。
さて、それはさておき。私はクズ男の前に出て、臨戦態勢をとる男たちに視線を移します。
「……なるほど。強いですね」
それぞれ得物を構えた奴らを見て、素直にそう思いました。喧嘩慣れしてるとか、そういう話ではありません。確かに経験もさることながら、筋肉のつき方や体捌きも一流と言って差し支えないでしょう。
つまり、こいつらはクズ男の手下の中でも精鋭と呼べる連中です。間違いなく。
ただのゴロツキと侮れば足下を掬われます。
ですが……
「私は一度油断を突かれて失態を犯しました。故に、二度目はありません」
もはや私には油断も隙も、ましてや慢心もありません。私は完璧です。万が一に穴ができたとしても、二度と同じ場所には穴を作らないのです。
もっとも、その万が一さえ今の私にはあり得ないことですが。これは自信過剰でもなんでもない、事実。
「……華炎」
私の後ろで、十六夜さんが服の裾を掴みながら呼んできます。
私はつとめて優しい声音で、負けないと分かっていても緊張した面持ちをする十六夜さんに声をかけました。
「問題ありません。それよりも、十六夜さんはセレンさんたちへの言い訳を考えておいてください。叱られるときは私も一緒にいますから」
「……ええ! 行きなさい、華炎!」
力強い命令に、無言の首肯で応えました。
男たちが動き出します。
「私は少々ダンスが苦手でして」
武器は持ちません。最大の武器とは己自身の体、私はそう教わりました。
「作法はなっていませんが、折角です」
同時に、こうも教わりました。私が最も力を発揮できるのは、後ろに守るべきものがあるときだと。
「一曲いかがですか?」
――最終舞踏、開幕。
華炎ちゃんが本気になりました(ハイパー無慈悲)