#71 夜に潜む
数ヶ月ぶりにお待たせいたしました。この小説がどんどん迷走しているような気がして、続きを書いては書き直してを繰り返していました。
ごめんなさい嘘です。書き直す間にサボりが入ってました。
短めでよろしければお読みくださいませ
華炎が十六夜の豊葛家敗嫡を訴えてきたところで、朧はその回想を取り止めた。ここまで話した事の経緯を雪花に整理させるためだ。
事は易々と決めてしまっていいものではない。グループに留まらず豊葛家そのものの未来に関わるの決断なのだから。No.2の彼女にもよく考えて、よく悩んで、その上で相談するべきだった。
少しの間を置いて、雪花が話を聞いて初めて言葉を紡いだ。
『……へー、なるほど。その赤い髪の子は凄い子だね』
「……凄い子?」
しかし、彼女が口にしたのは提案の内容ではなく華炎の人となりのことであった。なぜその話を、と考える朧をよそに雪花は滔々と語りだす。
『そうだよ。だってさ、その子の十六夜ちゃんへの愛は本物だもん』
「愛?」
『そう、愛ね。考えてもごらんなさいよ。いくらそれで全部が解決するからって、仕えてる人の地位を失くすよう頼む従者がいる? いないでしょ普通』
「……確かにそうだな」
『でもその子はあなたに頼んだの。どうしてだと思う? ――十六夜ちゃんを愛してたからよ。でなきゃできないわよそんなこと』
「……分からないな、その考え方は」
説明しながら盛り上がる雪花とは反対に、朧は心底理解できないと溜め息をついた。愛しているからこそ害になる事ができる、という理屈は得心が行かなかった。
ひょっとすると女だからこそ分かる話なのかもしれない、とも考える。(華炎は男だが)
『わっかんないかなぁーこれ。まぁ分かんないよね、あなたには』
「ははは……耳が痛い話だ」
電話口で夫を軽くなじりつつ、雪花は仕方ないとばかりにため息をついた。
『私はさ――――十六夜ちゃんの付き人ちゃんに賛成するよ』
「……そうか」
『あの子の人生にへばりつくおもりを取ってあげるのも、親の務めってもんでしょ』
「…………」
『――ま、一番肝心な時には何もしてあげられなかったんだけどさ』
『自分が情けないね』と、雪花は自嘲するように乾いた笑みをこぼす。
『私もあなたも会社のことに手一杯。子供のことに手が回らず、こんなことになっちゃったねぇ……』
「……すまない、雪花。私にもう少し人並みの感性があれば――」
『謝らないでよ。あなたが父親失格なら私は母親落第。お互い様ってこと』
電話から乾いた笑い声が聞えてくる。寂しくて悔いがありつつも、それでいて少しの晴れやかさが同居した複雑な笑みだ。ばつの悪い顔をしているであろうことが朧には分かった。
豊葛雪花という女性は朧より遥かにまともな人間である。自分の子供と血縁を断つという決断はどのような心境なのだろうか。快くあるはずがないだろう。それでも気丈に振る舞って見せる彼女の強さは、伊達に世界の三分の一を牛耳る男の秘書を務めてはいないといったところか。
「分かった。君が賛成するなら彼女の言う通りにしよう。今から準備だ」
『お願いするよ、あなた。私もこっちの仕事を切り上げて日本に戻るからさ』
「ああ……ありがとう、雪花」
朧の腹は決まったようだった。意を決した顔をし、携帯を持っている反対の手でパソコンを操作しはじめる。部下に指示を出しているらしい。彼にとって信用のおける精鋭の部下たちに向けた内容だ。
『そんで一つ聞いてもいい?』
「うん……? どうかしたのかい?」
『やー、あなたが付き人ちゃんの提案を飲んだ理由を聞いてなかったなーって』
「ああ、そのことか」
電話を切ろうと思った朧だったが、それを雪花が引き留める。
朧の方針転換の理由が気になっているようだ。言うべきか一瞬だけ迷ったが、知らせて損もないだろうと判断して口を開いた。
「そうだね……彼女はこう言ったのさ」
◇ ◇ ◇
「……やっぱり馬鹿よ、あなた」
「うっ……そんな何回も馬鹿って言わなくたって」
「だってアイツにそんなこと言ったのでしょう? なら馬鹿以外の言葉はないわ」
「……返す言葉もございません」
ホテルでの十六夜さん大救出劇から数時間後。忘れ去られた避難通路を抜けだした私たちは、未だ人の多い深夜の市街地を歩いていました。眠らない街とはこのようなところを言うのでしょう。間もなく時計の針が頂点で重なる時間だというのに、喧騒が止むことはありません。
そんなメトロポリスの隅っこの一角。中心部よりもやや静かな区画に私たちはいます。なぜそんな中途半端なところにいるのかと言えば、身を隠すためです。
追手から逃れるには人ごみの中にいるのが一番ですし、中心部から外れれば監視の目も緩むでしょう。何より私たちは(複雑ですが見た目上)未成年の女子学生。警察に見つかれば補導されるのは目に見えています。今も脳裏の地図を頼りに追手と警察を警戒しながら潜伏先に向かっていました。
「まぁいいわ。今はそのことは忘れてあげる」
「はぁい……」
「どう? 尾行されてない?」
「大丈夫です。つけられている気配はありません」
「よかった……」
五分おきに後方を確認していますが、怪しい人物は見当たりません。仮に怪しくなかったとしても、私の目を誤魔化すことはできないでしょう。隠しているつもりでも体さばきや視線は分かります。パーフェクトメイド舐めないでください。
というわけで、追手の方の心配は今のところないんですが……
「い、十六夜さん……? あの、なんというか……」
「何かしら? いい雰囲気のカフェでも見つけたの?」
「いやそうじゃなくてですね……その、近くありません?」
敢えて何がとは言いませんけども……ぶつかってるんです。私にはなくて十六夜さんにはあるものが。yやらかいです。でもそれ以上にすごく恥ずかしいです。だんだんしこうがじょうずにまとまらなくなってます。ぷしゅう。
地上に出てからというもの、十六夜さんはやけに距離感が近い。腕に抱きつくような真似はしませんが、歩きながら体重を預けてくるのです。
腕に抱きついてはいないと言いましたが、手は握っています。はぐれたりしたら大変ですからね。繋いできたのは十六夜さんの方からですが、都合がいいので私も握り返したのがきっかけでした。
「歩く人たちにちょっと見られてる気もするんですが……」
「人に見られるくらいいいじゃない」
「目立っちゃいますよ……?」
「平気よ。尾行はいないんでしょう?」
「そりゃそうですけど……でも、なんか視線が……」
見られても気にしないという十六夜さんですが、私は気にしまくりです。だって、すれ違うサラリーマンや配達員とか、沢山の人に珍しいものを見る目で見られるんですから。
私は昔から緋色の髪で目立つタイプでしたが、今のはそれと毛色が違います。説明するのも恥ずかしいですけど、どうも周りには私たちが女の子同士のカップルか何かに見えているようで……。今にも顔に火がつきそうなのを我慢していました。
「今の時代珍しくもないでしょう? 日本では遅れ気味なだけで。クスクス……」
「楽しんでますよね? うぅ……恥ずかしいです……」
私が常時女装しているからいいものの、ここにいるのが普段の私だったらどうなっていたことか……
「それとも……あなたは男の子としてくっついていたかった?」
「~~~~~~ッ!!」
そんな考えが頭を過った瞬間、見透かすように耳元で囁かれました。
今度こそ顔が真っ赤になりました、耳までしっかりと。呼吸も危うく止まるところでしたが、理性で何とか抑え込みます。
油断したつもりはありません。しかしその防御を貫通してあまりある囁きでした。どこまでが計算の内なのでしょう。ひょっとして本当に私の考えること予想してたとか。ないと言い切れないのが怖いところ。
「つーん。十六夜さんのことなんか知りません」
つい反論したくなりますが、言い返せばそれこそ十六夜さんの思うつぼ。私は十六夜さんから顔を背けて無視を決め込むのでした。
「あらあら、可愛いの。さっきはあんなにかっこいいことを言っていたのに。そういうところがいいのよねぇ、華炎って」
「うー、うるさいですよ十六夜さん。黙って歩きましょうってば」
……少しも効果がなさそうなのは気のせいでしょうか。ピタゴラスイッチじみてどんどん追い詰められてるような感覚がします。蛇に締め付けられて窒息させられるカエルの気分でした。
「うーん、でもカフェですかぁ」
それはさておき。カフェという言葉で、しばらく休憩をとっていないことを思い出しました。脱出してからは水も口にしていない気がします。私は大丈夫ですが、ひょっとすると十六夜さんは喉が渇いているかもしれません。
「どうしたの? 私の顔を見て」
「あー、いえ。何でもないです」
顔色はいいし、脱水症状の兆候もありませんが、少し不安です。危険かもしれませんが、ここで水分補給させるのがいいでしょう。
私はすぐ近くの自販機でミネラルウォーターを買い、十六夜さんに手渡しました。
「はい、飲んでください」
「ありがとう、今飲んでいいのかしら?」
「大丈夫です。私が360度警戒していますから、飲みながら歩きましょう」
「嫌」
「え」
まさか拒否されるとは思ってもみなかったので変な声が出てしまいました。すごい間抜け。
「レディにそんなはしたない格好で歩けと言うのかしら? それじゃあダメね」
「え、えーっと……すいません」
「ちゃんとエスコートしてもらわないと、ね。ほら、右手がお留守よ?」
「あ、はい。つまりは手を繋げと……」
「そういうこと。また一つ賢くなったわね」
「分かりました。それでは失礼して」
内心肩をすくめながらも、ボトルを持つ方とは反対の手を握ってエスコートします。女性って複雑なんですね。確かに歩き飲みするのはマナーが悪く見えるかもしれませんが。
まあ理由なんてこの際いいでしょう。しっかりお守りして差し上げるまでです。
……なんで指を絡めるんですか? 気分? あっはい……手のひらの温度が直接伝わって変な感覚がしますけど……ええい、しっかりしろ私! そのくらいで動揺するな! とにかく気にしないことにしましょう!
右見て不審者チェック。左見て追手チェック。後ろ見て尾行者チェック。更にはビルの屋上も目をやって監視者チェック。全方位問題ありません。安全確認、ヨシ!
ひたすら心を落ち着けるために、思わず自分でも何やってるのかよくわからなくなってしまいます。
安全確認ってなんですか。何を見てヨシって言ったんですか。
「行きましょう、十六夜さん」
紅潮してしまう頬に気付かないふりをしながら、私は十六夜さんと共に深夜の街を歩いていくのでした。
「フフフッ、やっぱり華炎はこうでなくちゃ。」
「うう……十六夜さんがすっかり元通りに……」
……十六夜さんが本調子で何よりです。