#69 Not famiries.Get true famiries.
お久しぶりでございます。大変忙しく中々執筆できなかったことに加え、モチベーションが下がり気味で手が付けられませんでした。多分12月までこんな調子かと思いますが、どうぞよろしくお願いいたします。
戦時中に作られたという避難シェルターの通路の中を、懐中電灯で先を照らしながら進んでいきます。転ばないよう慎重に、しかし早く抜けられるよう急ぎながら。
半世紀以上放置されていたので、やはり通路の中はそれはもう酷い状態でした。荒れ放題の汚れ放題。埃が積もりに積もって数センチもの絨毯が作られているほどでした。
予め用意していたマスクがなければどうなっていたことやら。肺をやられるだけじゃ済まなかったかもしれません。
壁も表面がはがれ中の支柱が丸見えになっていたり、浸食されて腐っていたりと元の姿が想像できないレベルに激しく劣化しています。
幸いなのは、それでも崩落の兆候はないということでしょうか。
「ねぇ華炎、ちょっといいかしら」
「あ、はい。なんですか?」
そんなことを考えながら歩いていたら、不意に十六夜さんが話しかけてきました。転ばないよう前にも意識を向けつつ、彼女の方へ振り向きます。
「このトンネルはあとどれくらいで出られるのかしら」
「そうですね……まだ半分を過ぎたところですから、あと十分はかかるかもしれません」
「そう……まだ当分はこの中なのね」
地表に出られるまでの時間を尋ねた十六夜さんは、やけに陰のある表情でうわ言のように呟きました。光のないこの暗闇の下であっても分かるほどの暗い顔です。
彼女は何を思ったのでしょうか。それが知りたくて、私は歩を進める早さを落としました。十六夜さんが会話に集中できるぐらいの適度な速さへと、ゆっくりに。
遠回しにここに長居したくないと言う十六夜さんに、ストレートな質問をぶつけてみました。
「ここにいるのは嫌ですか? たとえ清潔であったとしても」
「そうね、私は嫌だわ。鳥籠の鳥の気分になるもの」
鳥籠の鳥。
頭の中でその単語が反芻します。洞窟の中に響く残響が如く、脳裏にこびりついて離れません。
なぜ十六夜さんがそう思ったかだなんて、今更考えるまでもない。
私の問いに対してそう答えた十六夜さんは、続けてこう語りました。
「あるいは――――地下に繋がれていた昔のことを思い出してしまうのかしら」
「……十六夜さん……」
その言葉を聞いて、私は思わず下唇を噛み締めてしまうのでした。
十六夜さんの過去。つまらない地位への執着が引き起こしたあまりに惨い出来事。
地下の牢獄に数年もの間繋がれたという、人目を憚る凄惨な話です。
無為な思考だとは分かっていても、そのとき自分が居たらと無力感を感じずにはいられません。頭に思い浮かべるだけでとりとめのない感情が溢れてきそうでした。
……いえ、ここで私も暗くなってはだめですね。励ます側が暗くては本末転倒というもの。
逆にもっと楽しめるお話をしましょう。
例えばそう、『家族』のこととか。
「十六夜さんは家族のことが好きですか?」
「……それを私に聞くという事は、もしかしておちょくってるのかしら?」
「質問を変えますね。十六夜さんは何をもって他人を【家族】と定義付けますか?」
「何をもって……?」
質問の意味がよく分からない、という具合に首を傾げた十六夜さん。考えたこともなかった手合いでしょうか。
詰まっている様子なので、すかさず自分の答えを先に口にしました。
「そうですね、私はまず『血縁』と答えます」
「血縁」
「はい。スタンダードにしてオーソドックス、実に当り障りのない答えですね。だいたいの人は一番に言うでしょう」
「……じゃあ他にはないの?」
「ありますよ。血縁は【家族】の構成を考える上での基本ですが、それが全てじゃありませんから。例えばペットはどうでしょう。犬や猫、あるいはハムスターなんかも家族と言えると思いませんか?」
正確にはペットは家族ではない、と否定する人もいますが。小さな声でそう付け加えて、私はペットの具体例をありきたりな言葉で抽象化します。
「この場合なら【愛】と言えるでしょう。ペットとはつまり【愛】玩動物、愛を向けることで家族の一員として認識するんですね」
「なら生涯のパートナーは? 義理の家族はどうなるの? 養子だってあるでしょう。もっと言えば未来から来たお助けロボットだってそうよ」
「血の繋がらない家族ですか。それなら【絆】と答えます」
訝しげな十六夜さんの問いに、迷うことなく答えを差し込みました。
絆とは他人と他人の間で結ぶ、平等で不公平のない感情を互いに向けあうことで生まれる繋がりです。
信頼と言えないこともないかもしれません。
「絆……」
「絆です。それは時に血縁さえも上回ることがある、人と人を繋ぐ強固な結びつきです」
特定の狭いコミュニティーの中では、仲間のことを『家族』と表現することさえあります。マフィアだとかギャングだとか。
彼らの間にあるのは【絆】であるという他ないでしょう。
のび太とドラえもんの二人でさえ、その根幹にある繋がりは間違いなく【絆】と呼べるものでした。ジャイアンやスネ夫、出木杉やしずかちゃんとだって同じように。
「時に助け合い、時に励まし合い、絆で結ばれた同じ時間を過ごす者たち。それは第二、第三の家族であると言えるのではないでしょうか。少なくとも私はそう考えています」
私にとって、家族とそうでない者の定義の境界線は少し曖昧なものでした。人類皆兄弟とまでは言いませんが、大切なものはイコールで家族かそれに準ずるものとされているのかもそれません。
「……そう、それが『村雨家』の考え方なのね……」
「はい。受け売りですけど、私は本心から信じています」
十六夜さんは目を伏せ、まるでそんな考え方を持てる家庭に生まれてこれなかったことを後悔するように言葉をこぼしました。
家族に恵まれた私。家族に恵まれなかった十六夜さん。私は恐らく普通よりも暖かい家庭で生まれることができて、十六夜さんは普通よりも遥かに寒い家庭に生まれてしまった。
私たちの間に横たわるこの差が彼女の複雑な心境を刺激しているのでしょう。
きっとこう思っているはずです。「なぜ私はそんな家に生まれてこれなかったのか」と……
私はゆっくりと足を止めて、十六夜さんの方に体を向けました。そして彼女の手を優しくそっと握ります。孤独を感じてしまわないように。
「……!」
「だからですね、十六夜さん」
手を握られたことに驚いて、こちらを見上げる十六夜さん。そんな彼女に、私はもう一度最初の問いを投げ掛けました。
「十六夜さんは、家族が好きですか? 血の繋がった家族の方ではありません。絶対に断ち切れない【絆】で繋がれた、あのお屋敷で暮らす皆さんが好きですか?」
「あっ…………」
理解してくれましたね、私が何を言いたいのかを。
「十六夜さんと、セレンさんと、上弦さんと、下弦さんと、それ以外の皆さん。全員がお互いに【絆】で結ばれた家族であると言えると思いませんか? 血縁で結ばれた本物の家族にも劣らない家族だと思いませんか?」
十六夜さんは孤独なんかじゃない。私たちは家族。
セレンさん、上弦さん、下弦さん、先輩方皆さん、みんな十六夜さんのことが大好きな家族なんです。
豊葛家という場所を家族と思えなくても、あのお屋敷は間違いなく一つの家族だと伝えたかった。
私たちと十六夜さんは家族なんだと言いたかった。
「ええ、大好きよ……みんなが心の底から好きよ……」
「はいっ。じゃあ無事に帰って、もう一度屋敷の皆さんの前で言いましょう。約束ですよ」
「そうね……約束よ、華炎」
そんな口約束を燃料にして、私たちは再びこの事態の解決への意思を燃え上がらせました。
大人の都合で好き放題されてたまりますか。絶対に十六夜さんは奪わせない。それでいて屋敷の誰も傷つけさせやしません。
それが私の『覚悟』でした。
「……約束ついでに聞いて貰えるかしら?」
「約束ついで? はい、どうぞ」
「ありがとう」
約束をして柔和な微笑みを浮かべる十六夜さんでしたが、直後にやや神妙な雰囲気を漂わせながらこう言います。
なぜだかそれを聞いてあげなくてはならないという強烈な予感がして、予感を抱いたことを疑問に思うよりも早く快諾しました。
「私はね、華炎。今までずっと未来に希望を見出だすことができなかったのよ。将来のことだなんて、私には選べないものだって」
その言葉に対し何か声をかけようと思いましたが、十六夜さんは「同情を誘ってるわけじゃない」と忠告するような目をしてこちらを視線で制してきます。
開きかけた口を閉じ、黙って聞くことにしました。
「私は将来のことなんて、考えたこともなかったわ」
十六夜さんはまるで思い出したかのように、自分の想像していた未来を語ります。
その姿はあたかも神父に罪を懺悔する咎人であるかのようでした。
「私は今までずっと【豊葛】の呪縛から逃れられないと思ってた。逃げる方法なんてないって、私はいつか絶望の中に埋もれて死ぬって……今日のこの瞬間までそう思っていたわ」
未来。
それは十六夜さんからしてみれば、遠くないうちに訪れることが約束されていたものなのでしょう。死という逃れ得ぬ結末に。
彼女はその立場のせいで、いつも兄姉たちからつけ狙われていました。昔の十六夜さんは、幼いながらも自分に明るい未来がないことを悟ったのかもしれません。
だから今日まで十六夜さんはその先の未来を思い描いたことがなかった。
【豊葛】の呪縛から解き放たれた未来を考えたことがなかった。
でも……その檻を彼女は初めて蹴破りました。
「初めて考えたの。私の夢とか、希望とか、未来とか。今までずっと籠の中の鳥だったのよ。飼い殺されて飛べない、飛ぶことのできないカラス。それが私だった」
「でも……あなたはもう飛べないカラスじゃない」
「そうよ……。私は今までの私じゃなくなったの。籠を抜け出す翼を手に入れたの。強く願えばどこまでも飛び去ることができる翼を」
そう言って十六夜さんは、この暗くて狭い通路の中で今は見えない空に想い馳せるように宙空を仰ぐのでした。両手を翼のように広げながら。
「友達と一緒にふらっと街に繰り出してみたい」
「ええ」
「小さい頃に憧れてたことをしてみたい」
「ええ」
「今までできなかったこと、楽しみにしてたことをしてみたい」
「ええ」
そうです、忘れがちではあるけれど、十六夜さんだってまだ女の子なんです。大人びて見えても、彼女はどこまでいっても17の乙女でした。
誰かの勝手な都合で少女らしく生きてこれなかった、等身大の女の子です。
そんな十六夜さんが考えた夢は、たとえ何気ないささやかな『夢』であったとしても、笑ったりすることのできない尊いものなのです。
「――――普通の女の子として暮らしてみたいわ」
「ええ。立派な夢です」
誰にも奪えない。
誰にも嗤えない。
そんな夢を、私は守りたいと思いました。
「ねぇ華炎。私は――――自由になってもいいの?」
そう問うてくる十六夜さんの手を握り、私たちは暗闇の先へ歩いていきます。
先の見えない、手探りでしか進むことのできないこれからの道。
まるで暗中を模索し続ける人生のようでした。しかし、それはいつか終わる道です。
「勿論ですよ。――――ほら」
道には必ず終わりがあります。前の見えない道だとしても、ずっと永遠に続く道ではありません。
そう、十六夜さんの人生がずっと暗闇が立ち込める人生ではないように、私たちの道にも終わりが訪れかけていました。
「あ……」
「これでここともさよならです」
この旧く、そして暗い通路の終着点。長い長い一本道の果て。戦時中に使われていた日本語で『口出先ノコ』と刻まれた重い鉄扉が佇んでいました。
ライトで照らせば、あちこちがトンネルの方にあった扉と同じように腐食していて、五〇年という歳月を感じさせるほど劣化していることが分かります。
鍵は蹴破るまでもなく壊れています。錆び付いているものの、特別苦労も無く開けることができるしょう。
朽ちかけの扉からは、わずかに澱んでいない新鮮な空気の臭いがしてきます。
つまり……正真正銘の出口ということ!
重い鉄扉の茶色に変色した取っ手に手をかけ、あらん限りの力を総動員しながら破壊せんとばかりに引っ張りました。
「このっ、手でっ、私がッ……!!」
油の切れた扉特有のメキメキという音を立てつつ、半世紀以上開くことのなかった扉はゆっくりとその巨体を動かしていきます。それにつれて、この暗い通路に眩い光が差し込んできました。
そしてしばらくもしない内に、開ききった扉が音を立てて崩れます。壊れましたね。
扉の向こう――――地上へと繋がっている出口から光が溢れ出ていました。その光に目を細めながら、私は十六夜さんの方へ振り向きました。
「私が、あなたを連れ出しますから」
「――――ええ、どうか連れていってくださいな」
十六夜さんに手を差しのべて、彼女は私の手を掴んだ。今度こそ決して離さないようしっかりと。
同じくらいの力で握り返してくる感触に小さく微笑みを浮かべ、私たちは二人で扉の先へと踏み出したのでした。