#68 銀色オーバーチェイス
※たたろーさんに車の知識はありません。ところどころ間違えてたり、現実の車ではできないようなことが起きていたりしますが、こいつ何も知らないんだなと薄く笑って流してくださいませ。
「真後ろ! 攻撃来ます!」
「喰らうか! なの!」
真後ろに食いつかれたことをドライバーの下弦さんに警告すると、彼女の操る車はカーブを急な角度で曲がり切りました。
直後、まるで圧殺せんとばかりに襲い掛かる暴力的なまでのG! シートベルトをしていなければ、慣性で窓を突き破って放り出されてしまうほどです。その私を守ってくれるシートベルトでさえ肌に食い込むようで鈍い痛みを与えてきます。
口に中で悲鳴を噛み殺し、持っていかれそうになる首を気合で後ろに向けました。
「ぐっ――――!! まだ来ます!」
「任せろ! なの!」
「また曲がるんですか!?」
「それしかないなの!」
先ほどからずっとこの調子です。
追跡してくる車はこちらの真後ろにつき、絶対に外さない距離で銃撃しようとしてきます。それを神がかった下弦さんのドライビングテクニックで回避しつつ、振り切らんとハイGマニューバを繰り返しているのが現状。
しかし一向に撒くことができていないのも事実でした。下弦さんも大概ですが、彼女に一歩も譲らない相手も相当に手練れたドライバーです。
「―――――ッ! あれは!」
「どっ、どうしたんですか華炎さん!?」
……ですが、こちらもあちらも同じ人間。同じ人間であるならば、どちらかに先に限界が訪れるのは自明の理でした。
後方の奴をよく見てみれば、コーナーを抜けて車体を真っ直ぐにしようとした瞬間に、タイヤが空回りしてスリップしているように見えます。
「下弦さん! あっちの車が横滑りしてます!」
「しめた! なの!」
流石に十分近くもこんなハイスピードなカーチェイスをしていれば、どんなドライバーでも消耗は激しいでしょう。集中力もさることながら、襲い掛かるGに奪われる体力だって辛いはず。
その疲弊がハンドリングを鈍らせ、甘い車体制御となって表出していました。つまり、相手の限界も近い!
問題は下弦さんの消耗具合ですが……
「ここぞというところで一番物を言うのは体力! なの! 体の鍛え方が違う! なの!」
……この様子なら問題はないでしょう。消耗している気がしません。
むしろ長時間のチェイスで火が付いて一層キレが増しているようにも思えます。
美術品に造詣の深いエキセントリックなダウナー系かと思いましたが、スピードジャンキーの属性もつけないとダメですね。
「ふ、振り切れるの鬼灯妹!?」
「やってみる! なの!」
痛いほど私の手を握りしめながらGに耐える十六夜さんが、この地獄に終わりが訪れつつあると希望を見出しました。
下弦さんは力強い声で是と答えます。そしてその言葉を証明するかのように、更にアクセルを踏み込んでスピードを上げていきました。速度に比例してシートベルトが体に食い込む感触が激しくなります。
「まだ付いてきてるよ下弦ちゃん!」
「大丈夫! なの!」
とはいえ、それだけでは引き離せません。もちろんそんなことは下弦さんとて承知でしょう。
だとするならば、この先で勝負を仕掛けることになるはず……!
いつでも下弦さんが打って出られるよう、後方の車を見逃すまいとGに逆らって凝視し続けました。
「この先分かれ道がある! なの! 曲がるからしっかり掴まってろ! なの!」
「分かれ道!? そんなところで撒けるの!?」
「いいから掴まってる! なの!」
後ろを向いている私には見えませんが、前方に道の細い分かれ道が続いているようです。
そこで下弦さんは何かをする模様。しかし、私には彼女が一体何をしようとしているのかなんとなく分かっていました。
そしてその直後に、運転席の下弦さんから声がかかってきました。
「赤髪コスプレミニスカ元メイド!」
「はい! ――――今です!!」
何がどう、とは問いません。私はこちらに猛追してくる車をよく観察して、車が一直線に並んだ瞬間を待ちました。
そして縦列に揃った刹那、私は相手が攻撃を仕掛けるより前に叫びました。それと同時に十六夜さんが振り落とされないようしっかりと彼女の手を握ります。
「これでどうだ! なの!」
「わぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」
「きゃあああああああ!?」
「うッ……ぐあッ……!?」
下弦さんが勢いよくハンドルを切り、同時に急ブレーキとサイドブレーキを作動させました。ひときわ強い慣性で首がガクンッと横殴りにされた気分です。
それから窓から見える景色が次々と変わっていき、気がつけば後方の窓には二本の分かれ道が映っていました。
それを認識してから間もなく、私たちを追いかけていた車が吸い込まれるように一車線分しかない分かれ道へ入っていきます。
「すれ違い成功! なの!」
「うぇ? な、何!? 何が起きたの!?」
「うっ……気持ち悪いわ……」
あまりにも一瞬の出来事で、何がなんだか理解が追い付いていない上弦さんと十六夜さん。その一方で下弦さんは成し遂げたぜ、とばかりにドヤ顔を浮かべていました。
まったく、とんでもない無茶をするというか本当に滅茶苦茶なことをやらかしてくれるというか……
あんなスピードを出しながらスピンターンをするだなんて、一歩間違えれば横転しているところでした。
何を隠そう、下弦さんはこの土壇場で車を180°回頭させるという荒業をやってのけたのです。
狭い分かれ道に入ると見せかけてのスピンターンで、相手の車との入れ違いを狙ったのでしょう。まともな思考じゃありません。大事故スレスレのトリックでした。
下弦さんがあんな手を使うだなんて、相手のドライバーも思ってもみなかったでしょう。
……じゃあなんで私には『下弦さんならこうする』という確信があったのでしょうか……? あれ? なんか、おかしいような……
いえ、今はそんなことはともかく。
「ふっ……超☆快☆感……なの」
「下弦さん、今の内に脱出ポイントまで急ぎましょう!」
「ん。分かってる……なの」
「な、なんだかよく分かんないけど、助かった……のかな?」
「……で、できるだけ早くして頂戴……ちょっと、口の中が酸っぱいわ……」
ずっと追いかけてきたあの車は、私たちを追い越して分かれ道の方へと消えて行ってしまいました。あんな細い道では方向転換もままならないでしょう。
障害がなくなって、逃げるなら今が絶好の機会です。いずれ追いかけてくるでしょうが、その前に逃げ切れれば勝ちてす。
どことなく恍惚に浸っている下弦さんを急かし、私たちを乗せた車は予め計画していた地点まで走るのでした。
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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
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「――――やっとこさ到着……なの」
「ふぃー、疲れたぁ……」
「お疲れまさでした下弦さん、上弦さん。それから十六夜さんも」
「大丈夫よ。このくらいなんとも……うぇっ……」
逃走プランで予め定めていた脱出地点は、ホテルから大分離れた地点にあるトンネルの中でした。ここまで来れば一安心……と言うことができたらよかったのですが、残念ながらそうは問屋が卸してくれません。
あくまで私たちは豊葛家の尖兵を出し抜いたに過ぎないのです。奴らはまた新たな追手を差し向けてくることでしょう。
勿論、そんないたちごっこに付き合ってやる義理はありません。あちらが愚直に真っ直ぐ追いかけてくるというのなら、こちらは裏をかいて振り切るまで。
「十六夜さん、車を降りましょう」
「え? ちょ、ちょっと華炎?」
「早く、ほら。時間がありません」
そう、裏をかかなくてはならないのです。相手が予想だにしなかった手段、ルート、乗り物、仕掛け、ありとあらゆるものを駆使し、出し抜くだけ出し抜いてやらなくては。
十六夜さんの手を取りながら、私は車の中に残る二人に声をかけました。
「上弦さん、下弦さん。ここからは計画通り別行動になります。できるだけ目立って注意を引き付けてください。それから、絶対に無事で帰ってきてください」
「うん、分かってるよ華炎さん。折角十六夜さんを助けたんだから、私たちもちゃんと帰らなきゃ」
「モーマンタイ……なの。私がここにいる限り、あいつらに捕まるとか絶対にない……なの」
私のお願いに上弦さんは安心させるような笑みを、下弦さんは不敵な笑みを浮かべます。どちらも信頼するに足りるお二人らしい笑みでした。
彼女たちなら本当に無事で戻ってきてくれる……そんな根拠の無い確信が沸き上がってくるほどです。
「……頼みました、先輩っ!」
「任せて!」
「楽をさせてやる……なの」
その言葉を最後に、二人を乗せた銀色の車はトンネルの外へと飛び出していきました。
――――どうかご無事でいてください。そんな祈りを込めて、私はその後ろ姿を見送ります。十六夜さんもまた同じ事を思ったでしょうか。
「……これからどうするの?」
テールランプが見えなくなったあたりで、十六夜さんがこの後の事を尋ねてきました。吐き気も引いていったのかグロッキーだった顔色もいつも通りに見えます。
いざというときに備えて車からエチケット袋を拝借してきましたが、無用になったようで何より。悪化しないとも限らないので、このまま持っておきましょう。
「このトンネルには、市街地にまで繋がっている旧い通路があります。そこを通って逃げましょう」
「通路? なんでそんなものが?」
「多分、大戦時に作られたシェルターだと思います。もう五十年も使われたことはないそうですが、奴らもここの存在は知らないはずです」
「……崩落したりしないでしょうね? ここまで来て生き埋めなんてごめんよ」
「空爆をしのぐために作られたものですから私たちが入った程度じゃ崩れません。大丈夫だと思いますよ」
逃走プランの計画中、いざという時のために用意した奥の手です。恐らく奴らは人工衛星でこちらを追跡していますが、地下の通路までは手が届かないはず。
この情報は屋敷の電子室で見つけたものでした。手癖の悪い先輩たちがうっかり侵入した国のサーバーで発見したそうです。
本来の国のサーバーをクラッキングするなんてことは犯罪ですが、事故なので仕方がありません。使えるものは使わなくては。
いずれ下弦さんたちの車が囮ということには気取られてしまうでしょうが、表向きの情報にはないこの通路を通ればかなりの時間が稼げます。
それに、今回の勝利条件は逃げきることではありませんからね……
「あ、でも埃とか凄いことになってると思うので、肺を守るためにマスクを着けてください」
「……余計不安になってきたわ」
口で文句を言いつつ、それ以外に方法がないと分かっている十六夜さんはしぶしぶマスクを着用しました。建設現場などでも使われる防塵マスクなので肺の防護はばっちりです。少なくとも肺炎になったりはしないでしょう。
それからやや小さめのLED懐中電灯を取り出します。この先の通路は大戦の頃に作られてから手が入れられていないそうなので、照明なんかありません。この小さな筒だけが唯一の明かりになるはずです。
「準備はいいですか?」
「ええ……気は進まないけど、そうも言ってられないもの」
「あはは……じゃあ、行きましょうか」
トンネルの中にあるやけに錆びた金属の扉。腐食して壊れかかっているところに、セレンさん直伝の回転後ろ蹴りを叩き込みました。ちょっとへこむ鉄扉。大きな音に十六夜さんの肩が少しはねます。
鉄製特有の堅い感触がじんじんと脚に伝わってきますが。同時に何か小さい仕掛けを破壊したような手ごたえも感じました。成功ですね。
鍵がかかっていようが、劣化している状態でこれさえぶち当てれば一発開錠です。私ではこの程度で関の山ですが、本家セレンさんなら新品の鉄扉でも同じことができるでしょう。
「……怒られないわよね? これ」
「……コラテラルダメージというやつです。致し方ない犠牲でした、分かりますね?」
「どこで覚えてきたのその言葉」
十六夜さんが何かあっても知らないぞとばかりに白い目を向けてきますが、全力で気付いていないふりをしました。
そのまま手にしたライトで中を照らし出すと……
「……暗い、ですね。思ってたのよりもっと」
「……雰囲気出てるわ」
脱出経路であるはずの狭くて暗い通路が、まるで化け物の口のように私たちを待ち構えていたのでした。
そろそろ終盤です(今更)