#67 阿呆が大好きなお馬鹿さん
踊る阿呆に見る阿呆。馬鹿も交ぜて騒ごうぜ。
「あなたを助けに参りました」
「華炎っ!」
窓を破りながら突入した華炎に抱き抱えられ、十六夜は驚きと喜びの入り交じった声をあげた。
奇しくも、いつしかチンピラに拐われた華炎を助けに来たときと逆の構図である。
安心させるように微笑みかける華炎に対し、十六夜はなぜ助けに来たのかを問わんと口を開いた。
「あなたどうしてここに……」
「お話は後です! しっかり掴まって!」
しかし、その先の言葉はどことなく切羽詰まった様子の華炎によって遮られる。
――――助けに来てくれたのか。来るなと命令したのにどうして来たのか。複雑な心境が重なり合いつつも、枷のはめられた手で反射的に彼女は華炎にぎゅっと掴まった。
半ば無意識下での行動であったが、ひとえに華炎への信頼が成せる業だったのだろう。
そこでようやく現状を理解できた千夜が、乱入してきた華炎に声を荒げた。よくもやってくれたな! と。
だが既にその行動は一歩どころか三、四歩遅い。彼女が警備を呼ぶよりも早く、華炎は踵を返して壊れた窓枠に足をかけていた。
「待ちなさい! 逃げ場なんてどこにも――――」
「飛びます! 舌噛まないで!」
「っっっ!!」
言うが早いが、追撃の手が伸びる前に華炎と十六夜の二人はその身を中空へと投げ出す。
華炎の足が窓枠から離れた瞬間、十六夜は落下の慣性で内臓が持ち上がる独特の感覚を覚えた。お腹の底が冷えるような感覚だ。
それとは別に頭の冷静な部分が、今は夜だったのかという見当違いな部分にも気が付いた。
このままでは地面に叩きつけられてしまう――――そんな恐怖が彼女の脳裏に過るが、激しい擦過音と流れていく景色が緩やかになっていることに気が付き、落下速度が落ちていると察知した。
その擦過音の出所は華炎の手のひら……正確には、十六夜の腰を抱えているのとは反対の手に付けられた厚手のグローブからだ。見るからに摩擦で熱そうである。
そこで十六夜は自分がどうやって地上へと落下しているのか気が付いた。
「ラぺリングしてるの!?」
「これならパラシュートよりは目立ちませんからね」
ラぺリングとは、日本語に訳して懸垂下降と呼ばれるロープを使った高所からの降下方法である。ヘリなんかでよく見るあれと同様だ。今回はビルの壁面を降下している。
華炎が窓を破ってきたのも、屋上から同様にラぺリングで突入してきたからだろう。やることが特殊部隊のそれだ。
よく見れば、華炎の腰にはラぺリングロープと繋がれているフックのようなものもある。
命綱と呼ぶにはいささか簡易的に過ぎる気もするが、それに動じることなく扱えている度胸と技量は流石と言うべきか。
地面までもう少しというところで、華炎は耳につけたカナル型通信機に呼び掛ける。
「目標確保! ケースC、逃走プランBでお願いします!」
『了解、回収車両がポイントに急行中。そのまま降りて』
「分かりました!」
通信機から聞こえてきたのは、これまた聞き慣れたセレンのものである。冷静な声音で華炎の脱出をオペレートしていた。
十六夜は今すぐにでも通信機の向こうの彼女に言葉をかけたい心境に駆られたが、それよりも地面に足が付いた方が先だった。
腰に付けた安全装置を外し、ロープ諸共その場に放棄する華炎。ついでとばかりに摩擦ですっかりすり切れたグローブも投げ捨てる。もし愚かにも素手でラペリングをしていたのなら……半ば溶けているグローブを見て、十六夜はその想像を打ちきった。それから先は考えたくもない。
ラぺリングで使った変なところの筋肉をほぐすような素振りをし、華炎はこれからの計画を十六夜と共有した。
「先輩たちが車ですぐ近くまで来ています。そこまで走って逃げましょう」
「え、ええ。そうね」
「腕を拘束している枷は……すいません、ここでは外せないっぽいです。また抱えて運ぶので、しっかり掴まってください」
「ごめんなさい……頼むわね」
相変わらず十六夜の腕には手錠のような枷がはめられていて、腕を自由に動かすことは難しそうだった。これでは走るのも一苦労だろう。元の身体能力も考慮すれば、華炎が運ぶ方がよっぽど速いのは自明の理である。
生まれて初めて、自分の身体能力の低さを呪う十六夜なのであった。
……抱っこされることで体重がバレてしまうという理由で。
「べ、別に私は重くないわ。普通よ普通。いいわね華炎!」
「え? あ、はい。そうなんですかね……?」
そんな女性特有の悩みを分かるはずもなく、華炎は必死に重くないと弁解する行為に首をかしげる。
女は辛いよ。
しかし、次の瞬間に華炎の目つきが変わった。
「いたぞ! 追え!」
「逃がすな! そういう指示だ!」
「とっ捕まえなきゃ俺たちゃ終わりだぞ! 死ぬ気で追いかけろ!」
ホテルのエントランスから、宿泊客や正規のスタッフたちを押し退けてガラの悪い男たちが出てきたからだ。
どう見ても脱走した十六夜を再び捕まえに来た追手である。つまりは鬼ごっこの鬼のエントリーというわけだ。事前の見立てよりも随分と展開が早いが、それを気にする余裕はない。
「逃げます! 死ぬ気で掴まれ!」
「――――っ!!」
追い詰められて本気モードに入ったらしい。逃走に集中するためか華炎が普段の余裕のある敬語口調を崩し、こなれた手つきで十六夜を抱きかかえた。彼女もまたそれに応え、しっかりとその服を掴む。
「セレンさんっ!」
『確認したわ! まっすぐ走って車道に出なさい! 目印は銀色の車よ!』
「了解っ! くそっ、もう距離が!」
「頑張って華炎! 追いつかれないで!」
お互いに全力で走り出したとはいえ、こちらは両手がふさがってなおかつお荷物を抱えている状態だ。
最初は離れていた距離も段々と縮められている。優秀すぎる華炎の身体能力でもって時間を稼げているものの、追いつかれるのは時間の問題だ。スタミナもどこまで持つか分からない。
とにかく華炎が不利な状況にあるのは違いなかった。
とはいえ……
「は、はえーよあいつ! 何喰ったらあんなに走れるんだチクショー!」
「お、追いつけねぇ! 距離は縮まってんのに思うように追いつけねぇよ!」
「ぼやくな! 口を閉じて腕と足を動かすんだ!」
「ああっ! また脱落しやがった! やべーぞこれ以上は!」
だが辛いのは向こうも同様らしい。状況が有利とはいえ、肉体のスペックの差から中々攻めあぐねている様子。既にばてて脱落した者もいるようだ。
華炎の走力は人ひとりを抱えてようやく成人男性程度といったところか。やはり根本的な造りが違ったりするのだろうか。
「……だからって私もきつくないわけじゃないんだって!」
しかしそんな男たちも華炎も所詮は人間。走り続ければ疲労するし限界もある。
全力疾走を続ける華炎の視界の隅は赤黒くなっていて、聞こえる音も遠のいていく感覚もした。それでも意識を保ったまま走っていられるのは天性の肉体の賜物だろう。
「もうすぐで車道に出るわ! しっかり!」
「わかって、るっ! やばいっ、捕まるっ!」
頭の中に酸素が行き渡らない苦しさに抗う華炎だったが、詰められていく距離はどうしようもない。
このままでは追いつかれてしまう――――!
二人がそう思った瞬間、一台の乗用車がドリフトで急減速しながら車道に現れた。丁度華炎たちの正面である。
その乗用車――――銀色の車のドアが勢いよく開け放たれると、中からよく通る明るい声をした茶髪の人物が出てくる。運転席のウィンドウも開いて、似たような人物も顔を出した。
もちろん、いずれも華炎と十六夜が知る人物だ。
「お待たせしました華炎さん! 乗ってください!」
「捕まって輪○される前に乗りやがれ! なの!」
「鬼灯姉妹!?」
「上弦さんっ! 下弦さんっ!」
お迎えが来たということだ。
最後の力を振り絞り、華炎は全力で男たちを引き離すべく走り抜ける。疲労で足が千切れそうになりながらも、そのまま転がり込むようにして車に乗り込んだ。
「何かに掴まってろ! なの!」
最後に上弦が乗り込み、ドアが閉められて銀色の車は勢いよく発進したのだった。追いすがろうとした男たちを置き去りにして、鮮やかに彼女らはその場を去る。
法廷速度を超えて揺れる車内の中、肩で息をする華炎を見て上弦が労いの言葉をかける。
「お疲れさまでした華炎さん。短い間ですがゆっくり休んでください」
「あ……ありがとうございます上弦さん……」
続けて彼女は清潔なタオルを渡して、汗を拭くよう勧めてくるのだった。流石は接客担当チーム期待の星といったところか。いい気配りをする。
その好意に甘えてさっと汗を拭き取ると、華炎はタオルを綺麗に折り畳んで上弦に返した。
「あ……華炎さんの匂いがする……」
返されたタオルから緋色の少女特有の胸の暖かくなる匂いがして、一瞬上弦はタオルを嗅ぎ回りたいという衝動に襲われたが……
「……何してるのあなた」
「ひゃいっ!? な、何でもありません十六夜さん!」
やけに不審げな挙動を十六夜に見咎められ、その奇行は未遂に終わるのだった。
幸いなのは、華炎が息を整えるために目を瞑っていたことだろう。危うく華炎の中で彼女への印象が変わってしまっていたかもしれないのだから。
上弦はひたすら今の不審者行動を見られなくてよかったと安堵するのであった。
「……お姉ちゃんも私のことを言えないくらいには大概変態……なの」
「な、何もしてないから下弦ちゃん! 何もしてないよ!」
「……結果論は便利……なの」
と、そこで十六夜は不意に上弦の言葉に違和感を感じて彼女を問いただした。
「……待ちなさい、あなた今なんて言ったの?」
「え? いや、あの……何でありませんと……」
「違うわ、そのあと」
「い、十六夜さんと言いました……」
「……十六夜さん……?」
「あ、なんだそっちか……」
見逃されたと思った奇行を追及されるのではないかと冷や汗が吹き出る上弦だったが、それとこれとは違うと分かりもう一度安堵する。
だが、主人を名前呼びしたことを追及されるのだということに思い当たると、更に顔を青くした。こんな緊急事態で長い説教は来ないだろうが、無性に怖くなるのであった。
「あわっ、あわわわわわ」
「十六夜さん、それは私からお話します」
雇用主に対する不敬でクビにされるのではないかと思い段々とアガっていく上弦を見かねて、息を元に戻した華炎がその先を引き継いだ。
それに、元はと言えば華炎の提案によるものである。ならば自分が説明するのが筋――――という理由もある。
「十六夜さんは私たちに助けに来るなと命令しましたね」
「それは……ええ。私のためにこれ以上傷つかなくてもいいと思ったからよ。でも結局、あなたたちは来てしまったわね」
「はい、来てしまいました。しかしメイドとは主人の命令は遵守しなければならない生き物です。だから本来は助けに来ては行けなかったのですが……」
「…………まさか」
メイドとはすなわち、雇用する主人の第二、第三の新たな手足である。余程理不尽な命令でない限り従うし、それこれをするなと言われれば絶対にしない。少なくとも十六夜邸ではそういうものだ。
……どことなくブラックじみてるが、それはこの際捨て置こう。
しかしそれはあくまでもメイドとして守らなければならないものであり、メイドでなくなってしまえば守る義務も従う義務もなくなる。
同意のもとでの雇用に限り、十六夜は彼女たちをメイドとして命令することができたのだった。
つまり逆に言えば……
十六夜は助けに来ないで欲しい。華炎たちは助けに行きたい。
この相反する命令と意志が対立したとき、彼女たちは何をしたのだろうか。
少なくともまともな手段ではないし、その手段に十六夜が感づいたのは確かだった。
「まさか、あなたたち全員……!!」
信じられないものを見るような目で、十六夜は車内の人物たちを見た。上弦をはじめ、華炎以外は悪びれた顔をするかそっと目をそらす。
そして華炎だけが真顔のまま、とんでもないことを口走るのだった。
「セレンさんの権限でメイド全員の雇用契約を切りました」
「…………」
「…………」
「…………」
年齢に似合わず目の間を指でつまみながらどう言ってやろうかと悩み抜き、シンプルな罵倒が口を突いてでる。
「……馬鹿じゃないのあなたたち」
「ええ、みんな十六夜さんが大好きなお馬鹿さんです」
……そんな笑顔で言われたら何も言い返せないじゃない。
そんな複雑な思いを抱きながら、十六夜は大きなため息を吐き出した。
久々の週二投稿……まるでエタる直前の連載小説みたいだぁ(直喩)