#63 落日の後の月明り
お待たせいたしました。ガリトラ一周年記念の短編作ろうとしたら重大な設定との無住が生じて紆余曲折の果てに頓挫したり、テストと重なって書けなくなったりしていました。
本当に申し訳ありません&お待ちいただきありがとうございました! 短編は……いずれそのうちに……
――――そこまで語り終えて、セレンさんは話を区切ります。
「……こんなことがあったの。思い出せた?」
「……はい。思い、出しました……」
欠けていた記憶の一部、お嬢様を奪われた一連の出来事を聞いて、私はようやく今日一日の記憶を取り戻しました。
思い出しました。セレンさんに代わってもらって買い物に行ったこと。朧さんに会ってお話をして、その狂気に触れたこと。屋敷の中でセレンさんたちと合流したこと。それから、情けない油断で敵に捕まってしまったこと。
スタンガンを連続で受けて失神するまでの記憶を、克明に思い出すことができます。
「私は……私は何をしてるんですか……!」
「……」
「お嬢様を守るとのたまっておきながら、私のミスでお嬢様を渡すなんて……!」
「華炎……」
「畜生……! 畜生! 私がもっと上手く立ち回れていたら! お嬢様はッ!!」
ことのあらましを思い出して、私は私自身の不甲斐なさに心底腹が立ちました。
お嬢様たちを守るために駆けつけた人物がそのまま敵に捕まってダシに使われるなど、使用人の名折れ以外の何物でもありません。付き人失格もいいところです。
情けない……ッ! 守ることすらできないなんて!
「あああああああ!!」
かえってお嬢様を害する結果を招いたことがとにかく許せない。自分のことだから尚更に。
私はセレンさんがいることも忘れ、私の不甲斐なさを呪いながら叫びました。
それから五分ほどしてから、私が落ち着いたのを見計らってセレンさんが声をかけてきます。
「気は済んだかしら?」
「…………」
「自分を責めたい気持ちも分かるわ。私もそうよ、他のみんなだって同じ。みんなお嬢様を奪われたことを悔しがってる。あなただけの責任じゃないわ」
「セレンさん……」
彼女は言外に落ち込むなと慰めてくれました。辛いのは自分だけじゃなく、みんな同じくらい辛いのだと。
私一人に罪の意識を背負わせないよう遠回しに伝えてくれたのです。
「ありがとうございます。セレンさん」
「……何のことかしら?」
ふふっ……。感謝されることにあまり慣れていないのも、やっぱりセレンさんらしいですね。
こんな非常事態下でも変わらない彼女の様子で、私は落ち着きを取り戻すことができました。
――――こういうときだからこそ、日常を思い起こさせるものに触れることが大切なんだと分かります。何よりも尊い日常を取り戻すために、いくらでも頑張れる気がしてくるのですから。
私は上半身を持ち上げ、手を握り閉じりを繰り返して体の調子を確かめました。
「――――! 華炎!?」
首に高出力な改造スタンガンを数発貰うという、大怪我一歩手前まで行ったにも関わらず起き上がったことに、セレンさんが驚きの声を漏らします。
動かすと首が痛みますが、許容範囲でしょう。肩凝りの近縁と思えばなんてこともありません。
…………手の感触がないことに目を瞑れば、私は健康そのものなのですから。
「ダメよ華炎! あなたはまだ寝ていなさい! そんな体じゃ歩くことも」
「体は動きます。傷もかすり傷です。心も折れていません」
傷を押してでも起き上がった私を叱りつけようとしたセレンさん。しかし、私はその言葉を遮って自分の意思を貫きました。
体のことは二の次。たとえ電撃を受けて神経がズタズタになっていようとも、動ける以上それは動くと言うのです。
感触がない? 物が持てるなら関係ありません。むしろ殴ったときの痛覚がないぶんメリットでしょう。
「でも、だからってあなたまで無理をしたら……!」
それでも、セレンさんは反対をするのでした。もしかすると神経の一部がやられていることに気が付いているのでしょうか。
……たとえそうだったとしても、私も譲ることはできません。
「何もできないままお嬢様を失うくらいなら、いっそ死んだ方がマシです!」
「……ッ!!」
押し留めるように置かれた手を払い除けながら、私は覚悟を示しました。
誇張でも脅しでもありません。無力に喘ぐくらいなら、お嬢様に報いることができないなら、苦しみ抜いて死にたいと心から思います。
「お嬢様は私を救ってくれました! お嬢様は私を疑っていると言いつつも、心の奥底で信頼してくれました! 私は何も、まだ何一つとしてその恩に報いられていません!」
「……それが、あなたの意思なのね……」
「はい。紛れもなく村時雨華炎の意思です。私にとっての曲げられぬ思いです」
しばらくの間、私たちはお互いをじっとみつめあうのでした。
私はお嬢様を助けに行きたい。セレンさんは私を安静にさせたい。
それぞれの想いを見えざる刃として、鍔迫り合いながら。
……そして、先に目を逸らして引き下がったのは彼女の方でした。
「……分かったわ。あなたの意思を、私は尊重する」
そう言ってセレンさんは引き下がりました。
前にもあった同じやり取りで、こうなった私が意地でも動かなくなるのを思い出したのでしょう。
「だけどその代わり、一つだけ約束をしなさい」
しかし、それで終わらないのがセレンさん。したたかに彼女は私へ楔を打ち込むのでした。
「何があろうとも、自分勝手な自己犠牲だけは認めないわよ」
「……」
「いいわね。自分を犠牲にしてでもなんて精神は今この場で捨てなさい」
「……はい。私は私を人柱にしないことを誓います」
まるでこちらの思惑を見透かしていたかのように、先んじて最後の手段を潰されてしまいました。
いざというときは私がお嬢様の身代わりになろうとも考えていたのですが……それを許してはくれなさそうです。
やっぱりかなわないなぁ、この人には。姉とかがいたらこんな感じだったのでしょうか。
肩を並べることはできても、心のどこかで追い越せそうにないと悟っているような、そんな感覚です。
そんな一抹の新鮮な想いを胸に抱きながら、私はセレンさんに「おつかい」を頼むのでした。
「セレンさん、早速ですがお願いがあります」
「本当に早速ね……言ってみなさい」
「屋敷の皆さんを集めてください。可及的速やかに」
「それで何をするの?」
「何をするって? 決まってるじゃないですか」
なんとなく目的を察してはいるものの、あえて気付かないふりをしているセレンさん。
私は一呼吸分の拍を置き、あくどい笑みを浮かべて言いました。
「――――逆襲のための、作戦会議ですよ」
やられっぱなしは、癪に障りますからね。
―――――――――――――――――――――――
トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!
―――――――――――――――――――――――
華炎さんが襲撃してきた人たちの攻撃で倒れたという話を聞いた時、私――――鬼灯上弦――――は一瞬だけ何のことか理解できずに首を傾げた。
屋敷で一、二を争う強さを誇る彼女が倒されるということが、信じられなかったのだ。
そして次の瞬間には、お腹の下がスウーッと冷える感覚を覚えた。もちろん物理的に冷えてはいない。お腹の弱い私だから、直接冷やされたらしばらくお手洗いからは出てこれないだろう。
『肝が冷える』――――私が経験したのは、たぶんこういうことなんだろうと思った。
深い地獄の底、氷に閉ざされる七つ目の大地に封印された悪魔の魔王が、まるで吐息を吐いたかのようだった。
続けてお嬢様が奪われたと聞き、私はさらに驚くことになった。メイド長さんや華炎さん、その他の戦える先輩たちが力を合わせても、防ぎきることができなかったという。
華炎さんは不意を突かれ、拘束されて首に何度も強力なスタンガンを受けたのだと先輩は言っていた。
その顔はとても悔しそうで、後輩とお嬢様を守ることができなかったことに激しい後悔の念を抱いているのだと感じた。
お嬢様が拐われたと聞いたときは驚いたけど、私はそれ以上に華炎さんのことが心配で心配でたまらなかった。だって普通じゃない。中枢神経の集まった首に何度も強力な電撃を受けたら、どうなるかなんて考えるまでもないから。
私と下弦ちゃんは戦うことができなかったから安全な場所に隠れるよう言われていたけれど、部屋の中から出してもらったときにはもう全部終わってた。
お嬢様は拐われて、華炎さんは倒れて、屋敷の中は滅茶苦茶で……
こんなときに何もできない無力さが、とても惨めに思える。
「……もとはと言えば、私がドアを開けちゃったから……」
そもそもの話、この事件は私が来客だと思って玄関を開けてしまったことが原因なのだ。
あのとき覗き穴から外の状態を確認していれば、むざむざ屋敷の中にあの人たちを侵入させないようにもできただろうに。
後悔してもしきれない。
「……お姉ちゃん。その考えは無意味……なの」
「…………ッ」
「スパッツの上からパンツを履くくらいに無意味……なの」
誰にも聞こえないようこっそり呟いた泣き言は、隣で壊れた内装を片付けていた下弦ちゃんにしっかり聞かれてしまっていた。
「たとえお姉ちゃんがドアを開けなくても、あいつらはどのみち屋敷の中に上がってきた……なの。お姉ちゃん以外の誰かが開けていたかもしれないし、あるいはドアを破壊してきたかもしれない……なの」
「でも……でも私のせいで華炎さんは!」
「お姉ちゃんっ!!」
柄にもなく下弦ちゃんが大きな声を出した。小柄な体で、お腹に響くような声。
下弦ちゃんは私の目を真っ直ぐに見て、真剣に語り始める。
「お姉ちゃんはあのミニスカコスプレ赤髪メイドを神聖視しすぎなの! あいつだってただの人間なの! 神様じゃないの! お姉ちゃんが足を引っ張ったからなんて、そんなの関係ないの!」
「下弦ちゃん……」
「あのミニスカコスプレ赤髪メイドが失敗したのは誰の責任でもないの! 誰が悪いとか、そんな次元じゃないの! だからあいつのことでお姉ちゃんが負い目を感じるのは筋違いなの! むしろいい迷惑なの!」
「それは……!」
……その通りだ。下弦ちゃんが言っていることは何一つ間違ってはいない。なんでもできてしまう華炎さんのことを神聖視していなかったと言えば、それは嘘になってしまう。
華炎さんだってミスはする。そのことを忘れていたとはいかなくても、どこか彼女が失敗するわけないと思っていたのだ。
「……そうだよね。ごめん下弦ちゃん……」
「お姉ちゃんがミニスカコスプレ赤髪メイドを心配するのは分かる……なの。だから気にやまなくてもいい……なの」
遠巻きに励ましてくれた下弦ちゃんにお礼を言い、私は頬を叩いて落ち込んだ気分を切り替える。
華炎さんが屋敷きってのムードメーカーだと誉めてくれた私が暗くちゃどうしようもない。
「……屋敷中がこんなかんじだけど、だからこそ頑張らなきゃ! ね、下弦ちゃん!」
「その切り替えの早さはお姉ちゃんの美点……なの」
「あははー、まぁ私の数少ない取り柄だからね。先輩たちが暗い顔をしてる今、後輩の私が盛り上げなくっちゃ」
「……その手の仕事は向いてないからお姉ちゃんにパス……なの。がんばれー」
相変わらず人と関わるのが苦手な妹である。まぁ、こればかりは性格の向き不向きだろう。下弦ちゃんの分まで、私が頑張ろう。
私は気合いを入れ直し、声を張り上げて掃除を始めた。
「よーっし! 頑張っちゃうぞー! とにもかくにもまずはお掃除! 屋敷が汚かったらお嬢様に面目が立ちません! まずは箒がけだー!!」
無理に笑って、無理に声を出して。それでも私の作り笑いは、先輩たちに影響を与えられたはず。
「鬼灯姉……」
「上弦ちゃん……」
「上弦のやつ、笑ってやがるよ。引き吊った顔で笑ってる……」
無理に明るく振る舞っていることは、誰の目にも映ったことだろう。私は演技派じゃないし、それどころか大根もいいところである。
しかし、だからこそ私が今ここで頑張るのだ。私が頑張って、頑張って、頑張れば、屋敷のみんなが立ち直れるはずだから。
そう信じて、私はひたすらに箒を振るった。
「……そうだよね、ずっと下向いてちゃ何にもできないよね……」
廊下で膝を抱えながらうずくまっていた先輩の一人が、傍らに堕ちていた箒を手にして立ち上がる。
何かを決意したような瞳には、確固たる意志が秘められているように見えた。
「よっしゃー! 後輩が頑張ってるときたら先輩として負けてらんないね! あたしもお掃除だ! いっくぞー!!」
「お、おい!」
その先輩は華炎さんに勝るとも劣らぬ箒捌きを見せつけながら、呆気にとられている他の先輩たちに大きな声で呼び掛けていった。
「ほらほらみんな! お掃除だよお掃除! 箒を摂ってこないと! いつまでもクヨクヨしてたらメイド長とお嬢様に怒られちゃうよっ」
「……っ!」
「それともいいのかな~? このままあたしたちが仕事ほっぽって沈んでたら、起き上がった華炎ちゃんが尻拭いをする羽目になっちゃうぞ~? 病み上がりのあの子に無理させてもいいのかな~?」
華炎さんのことを引き合いに出しながら、彼女はなおもへこみ続ける先輩たちを煽って焚きつけていく。
そこまで言われて、他の先輩たちもはっと気が付いたように息をのんだ。
「……一番下の後輩に無理させるわけにいかねーよな。目ぇ覚めたぞ!」
「華炎ちゃんはうちの可愛い可愛い後輩なんやね! 先輩なら先輩らしく働く背中見せなあかん!」
「同感。私だってあの子の先輩よ、こんな格好悪い姿見せられないわ」
「ああもうっ、みんながこうじゃおちおち休んでもいられないわね! いいわ、やってやろうじゃない!」
「みんな箒持ってきたよ! 武器に使って折れたやつもあるだろうから、これ使って!」
効果はまさに覿面だった。あれだけ暗く、そして重い雰囲気が場を支配していたというのに、華炎さんが話に出てくるだけで先輩たちは一転してやる気を出したのだ。
先輩たちの間でも華炎さんの存在は大きい、ということの証左だろう。
……やっぱり、華炎さんは凄いなぁ。
心の底からつくづく思える。嫉妬心の欠片も湧いてこないほどに。
「……お姉ちゃんは、自分を過小評価しすぎ……なの」
「え……?」
そこへ、突然下弦ちゃんが声をかけてきた。まるで心を見透かしているかのような物言いに、ちょっとドキッとしてしまう。
「お姉ちゃんはお姉ちゃんにしかできないことがある……なの。丁度今みたいに……なの」
「私にしかできないこと……?」
うん、と頷く下弦ちゃん。
「先輩たちが立ち直ったのはお姉ちゃんが原因……なの。お姉ちゃんが頑張ったからこそ、あの種無し腑抜けどもは復活した……なの」
「女性だからなくて当然だけどね……じゃなくて。それだったら別に私じゃなくても」
「それは違う……なの。お姉ちゃんだったからこそ……なの」
私だったから……? それは一体どういうことなのだろう。
正直に言って、私は華炎さんに遠く及ばないほど能力は低い。やろうと思えば、彼女にだって同じことはできたはず。
「お姉ちゃんは自分では気づいていないだろうけど、先輩たちからは好意的な目で見られてる……なの」
「え?」
「敢えて誰もお姉ちゃんの前では言わないけど、お姉ちゃんは期待されてる新人……なの。増長してほしくないから誰も言わないだけで……なの」
「そうなのかな……?」
「赤髪メイドも言ってた……なの。お姉ちゃんは先輩たちから愛されてるって」
「……!」
「あいつの目は確か、先輩たちはお姉ちゃんのことをよく見てる……なの。だからみんなお姉ちゃんの人となりは知ってるし、どれだけ頑張ってるかも知ってる……なの」
華炎さんが、そう言っていたの……?
下弦ちゃんの気休めじゃ……ないよね。本当に言ってくれたんだ、華炎さんは。
「そんな一生懸命頑張る後輩の姿を見て、あいつらはまた立ち上がった……なの。だからこれはお姉ちゃんのお手柄……なの」
「……えへへ、そっかぁ」
「そういうことになる……なの」
なんだろうか……気持ちの問題だと思うけれど、ちょっとだけ自信がついた気がする。
下弦ちゃんは基本的に細かいことに頓着しなかったり、空気を読まなかったりするけれど、実は気が利いたりするのかもしれない。
私はいい妹を持った……のかな? まぁ、下ネタとお姉ちゃんいじりに目を瞑ればいい妹だ。
「……ありがとね、下弦ちゃん」
「ん。何のことかわからないけど、どういたしまして……なの」
何はともあれ、屋敷の中の空気は復活の兆しを見せている。
それを自分のお手柄だと胸を張って自慢することはできないけれど、きっかけの一助になれただろうか。
なれたとしたら、それほど嬉しいことはない。
「……ちょっとは近づけたかな、華炎さん」
私は弱い人間だ。一人じゃできることの少ない人間だ。
私は華炎さんみたいにはなれないけれど、いつまでも置いてかれるだけは嫌だから。追い越すことはできなくても、その隣にいられるようになりたい。
そんな思いを胸に宿して、私は箒を振るった。
――――意識を取り戻した華炎さんが私たちをメインエントランスに集合させたのは、それから数時間後のことである。
次はいつになるかは不明ですが、できるだけ早く仕上げられるよう頑張ります