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トラップ☆トラップ☆ガーリートラップ!  作者: 利中たたろー
第三章 豊葛十六夜と後継者たち
67/85

#55 欠けた月に華束を

こういう話って本当に書きにくい……



 『()()』に曰く。


 人を励ますには、第一にその人の気持ちに共感することからはじめなければいけません。

 同じ痛みを分かち、同じ苦しみを感じ、その人が抱える負の感情に寄り添うことで、初めて同じ立場から言葉をかけられる、と……

 存外何でもないように聞こえても、これはとても重要なことです。実際のカウンセリングでもよく用いられる手法で、共感という武器は昔から使い古されてきました。


 もちろん「わかる」とか「そうだよね」と機械のように相槌を打ってばいいだけの話でもなく、「自分がその人だったら」という前提のもとで共感しなければ意味はありません。

 むしろその行為は当人からしてみれば、厚かましい顔をしながら土足で踏み込んでくるようなものでしょう。わが物顔で人の心に上がり込む最低最悪の侮辱行為ともいえます。


 上辺(うわべ)だけの共感で得られるものは、反感の感情以外の何ものでもありません。


 少なくとも、私はそのように教わりました。



「……大丈夫、私はちゃんと分かってる。お嬢様の悲しみも、お嬢様の痛みも全部、もう痛いほど分かってるから。だから大丈夫、大丈夫……」



 早鐘を打つ心臓の上に手を当てて、胸中に沸いた不安を払底させようと自分に言い聞かせました。

 もしもとか、万が一失敗したらとか、そんなネガティブな感情を真っ向から否定します。


 ――――そうとも。私は村時雨華炎。お嬢様が認めたメイドで、セレンさんが唯一お嬢様の心を癒すことができると断言したパーフェクトメイドなのです。

 失敗はしない。敗北はあり得ない。



()()()()()()



 その一言で私は言いようのない全能感に包まれ、失敗を恐れる全ての感情を取り払われました。

 一ヶ月前のメイド試験の時と同じように、たったそれだけで体の奥底から力があふれてくるかのようです。



「……着きましたか」



 窓から落ちる斜陽に目を細めながら廊下を歩くこと数分。ついに私はお嬢様のお部屋の前に到着しました。


 毎朝お嬢様を起こすために訪れているこの場所も、夕方に来るとまた違った空気を感じます。

 暖かな朝日と暗い夕日の違いのせいでしょうか。

 あるいはこれからお嬢様と大事なお話をすることにプレッシャーを感じているからかもしれません。


 どちらにせよ、シックな雰囲気の木製のドアが、今は侵入者から国の宝を守る重厚な鉄扉のように思えます。


 ポケットの中のマスターキーを固く握り、もう一度覚悟を決めました。

 忘れては行けません。私はこの場にこれなかったセレンさんの分まで背負っているのですから、たじろぐ暇などないのです。



「……私は託されたんだ……怯える必要はない、行きましょう」



 泥のように重い重圧を押し退けて、マガボニー材の扉を叩きました。



『…………っ! 誰!?』



 ノックした瞬間、部屋の中から息を呑む音と険しい声音で誰何をする声が届いてきました。

 しかし、その声にはまったく覇気がありません。

 常ならカリスマ性のあるオーラとでも言うべきものを発しているところが、今のお嬢様にそんなものは微塵も感じられないのです。それどころか声を震わせて怯えている様子でした。

 普段の態度さえ取り持てていないあたり、相当憔悴していることが伺えます。



「お嬢様、私です。村時雨華炎です」

『華炎……!?』



 お嬢様にこれ以上の不安を与えないよう、努めて柔らかな声音で要件を告げました。


 

「お嬢様、『お話』をしに参りました」

『……嫌よ、帰って頂戴……』

「お嬢様……」



 しかし、扉の向こうから帰ってくるのは拒絶の言葉のみ。

 顔も見たくないと言われるほどではなくとも、会うことに強い抵抗を感じているのでしょうか。


 だが、はいそうですかと踵を返すわけにはいかない。

 私は今、セレンさんの想いも背負っているのだから。



「……それならば仕方ありません……」



 ポケットの中で握り続けていたマスターキーを取り出し、その先端を取っ手の上部にある鍵穴に差し込む。がちゃがちゃとくぐもった音がすると同時に、マスターキーは完全にその持ち手のみを残して鍵穴にはまりました。


 その音で私が毎朝何をするのかも理解したのか、悲鳴のような声が部屋から聞こえてきます。



『華炎!?』

「その気がないのなら、無理にでも押し通らさせて貰います」

『待って! お願いやめて、やめなさい!』

「できません!」



 お嬢様のすがるような叫びも無視して、マスターキーを横に回しました。

 シリンダーが持ち上がる独特の手応え。ごちゃこん! という小気味のいい音。お嬢様を守る唯一の護りがなくなった瞬間です。



「失礼します」



 そのまま部屋に踏み込んで、ついに私はお嬢様の姿を目にしました。



「か、華炎……」



 制服のままベッドの上で震えるお嬢様。着替えも引っ張りださず、屋敷に帰ってきてからずっと踞っていたのでしょうか。


 そんなお嬢様は今、とても怯えた目でこちらを見ています。

 頭では分かっているのに、目の前の彼女がほんの数時間前まで私の手を無理やり引っ張って振り回していた人と同じだと思えませんでした。



「申し訳ありませんお嬢様。勝手な真似をお許しください」



 私はまず、お嬢様の意思に反して部屋に侵入したことを謝罪しました。

 いくらお嬢様のためとはいえ、勝手に主人の部屋に入り込むものは使用人として褒められたことではありません。


 お嬢様の信用にかかわる関わる問題です。誠実さを欠いては心を開いてはくれないでしょう。頭を下げるべきことは謝らなくてはなりません。



「でも、出ていく気はないのね……?」

「はい、もちろんです」

「そう……」



 そう言って儚げに口角を上げるお嬢様。

 その笑みが愉しさによるものではなく、諦観によるものであることは言うまでもないでしょう。あるいは、自虐的な心理状態によるものなのかもしれません。



「大丈夫ですお嬢様、私はあなたを害しに来たわけではありません。嗤いに来たわけでもありません。ただ『お話』するために来たのです」



 私は会話をすることを恐れているお嬢様に、自身が来た目的をもう一度説明しました。

 今の彼女は錯乱状態にあるからです。そんな状態でお話をしたら、むしろ逆効果となることも十分にあり得ました。



「大丈夫、落ち着いてください。この屋敷にあなたを傷つけようとする人はいません。お嬢様がそんなに怖がる必要はないんです」

「わ、分かってるわよ……そんなことは私がよく知っているわよ……! でも、でも……! 怖くてしかたがないの……っ」



 この反応は…………もしや人間不信?


 人間は心が弱ったとき、自らを守るために正常ではない反応を起こします。例えば天の邪鬼になったり、自分以外にあたったり、幼児退行をしたり……

 このような反応を防衛反応と言います。そしてお嬢様が引き起こした防衛反応は、恐らく『人間不信』。

 兄弟姉妹(きょうだい)をはじめとした家族からの裏切りにあったことから、他人を信じきれなくなったお嬢様の側面が表出したのでしょうか。


 ……なるほど。

 セレンさんの言う通り、このまま拗らせれば取り返しがつかなくなります。そうなったら、もうセレンさんでもお嬢様は二度と誰にも心を開かなくなる。



「……他人が信じられませんか?」

「――――ッッ!!」



 図星、ですね。



「……幻滅した?」

「……」

「あんなにあなたのことを信用していたつもりなのに、私は今、あなたをちっとも信じられないの……あなただけじゃないわ。鬼灯姉妹も、他のメイドも、セレンさえも」

「それは……お嬢様の過去を考えれば仕方のないことではないでしょうか」

「え……?」



 ……よし、話が過去に。説得はここからです。


 私はなぜ自分の過去を知っているのか、という顔をするお嬢様に向けて深く腰を折りました。



「申し訳ありませんお嬢様。ぶしつけながら、セレンさんからお話は聞かせて頂きました。詳しいことはまだわかりませんが……おおよそのことは掴めているつもりです」

「あな、たは……」



 お嬢様にとって、過去の出来事は永遠に葬り去りたいことであるはずでした。少なくとも、私だってあの傷を誰にも見られたくないと思います。

 知られたくないことを他人に知られてしまうストレスは、実際のところかなりの苦痛を伴うものです。

 秘密を秘密のまま抱えていたいという思いは、人間の誰もが思うことでしょう。


 でも、私はそれを暴いた。

 ガチョウ番の娘の秘密を、自ら知ろうとしたのです。



「……あなたはどう思った? 私の過去を聞いて、どう思ったのかしら」

「……とても、許せませんでした。お嬢様にあれほどの仕打ちをした人たちが、私には許せませんでした。セレンさんに宥められなければ、私は怒りに我を忘れていたかもしれません」



 これは私の本心でした。一応の怒りは収まったものの、私はお嬢様の兄弟姉妹を許せそうにありません。

 使用人としてお嬢様を傷つけられたことにも怒っていますが、それ以上に一人の妹を持つ兄として、彼らに心底腹が立ちました。



 ――――村時雨華炎としてだけでなく、()()()としても彼らのことが許しがたかったんだ。


 妹を泣かせる? 妹に手を上げる? それどころか妹に深い心の傷を負わせ、その地位を奪おうとする?

 

 ふざけるなよ!!

 僕は()を大切にしない()が世の中で一番嫌いだ!

 小さい()が頼れる存在は家族だけだというのに、あろうことか暴力を振るうなどと!

 そんな家族を家族とも思わない最低な奴、許せるわけがないだろ!


 際限なく湧き上がる村雨焔としての怒りが抑えられない。

 守るべき存在である妹を傷つけるという行いは、僕からしてみればタブーの中のタブーなのだ。それを平然とやってのけた十六夜さんの兄姉(きょうだい)を、僕はどうやっても許すことができなかった。



 ――――落ち着け、落ち着くんだ。たとえ許せないことだとしても、今は怒るときじゃない。怒りの感情なんかじゃ、十六夜さんには何も届かない。

 悲しみに沈む人を救い上げることができるのは、もっと別の感情だ。


 怒りじゃない。『やさしさ』だから――――ー



 …………


 だから今は、()()()()()でいましょう。



「許せないけど、彼らのことは許せないけど……それだけじゃないんです」

「え……?」



 私はうずくまるお嬢様の元に寄って、目線の高さを合わせながらその手を取りました。



「私はあなたを支えたい」

「……ッ!?」



 咄嗟のことで反射的に握った手を振り払おうとするお嬢様。私は絶対に離すまいと強く手を握りました。



「私はあなたに多くのものを頂きました。住むところ、私にできる仕事、学校も、心の居場所も。私にはもったいないほどのものを、あなたは下さいました」

「……そんなの、あなたの勝手な思い過ごしよ……」

「かもしれません。でも、それがただの思い過ごしだったとしても、確かに私はあなたに救ってもらったんです」

「……!!」



 振り払おうとする動きが、一瞬だけ止まった。



「ご存知ですか? 人間が誰かに救われる出来事というのは、当人にとってとても些細な事であることが多いんですよ?」



 抵抗する力が弱まった一瞬の隙をついて、お嬢様の手を両手で包み込みました。

 とても白くて、細くて、きれいな指。力を籠めれば、今にも折れてしまいそうな手です。



「沢山のものをくれたあなたを支えたい。私はそう思いました。たとえどんな過去があったのだとしても」



 今更言うまでもないことかもしれませんが、お嬢様は私にとって一生の恩人なのです。

 路頭に迷っていた私を拾い、似非(エセ)チンピラに捕まった私を助けて、仕事と居場所をくれました。

 もしもあの日、私が旧市街を彷徨っていたあの日、お嬢様と出会わなかったらと思うと背筋が凍る思いがします。お嬢様以外の人に運よく保護されたとしても、抜け殻のように生きた屍になっていたのかもしれません。

 笑わず、泣かず、後ろ向きでネガティブな、それこそ死んでるみたいに生きていたのかも。


 そうならなかったのは、お嬢様とセレンさんたち……この屋敷のすべての人たちがいたからこそなのでしょう。


 だからせめてもの恩返しに、力になりたいと願うのは果たして独りよがりな考えでしょうか。



「……私は、それでもきっとあなたのことを信じきれないわ」

「構いません。あなたが私を信じてくれるその日まで、ずっとあなたのそばにいます」

「もし一生来なかったらどうするの。私はあなたの人生を背負うことなんてできないのよ」

「それでも離れません。いつまでもあなたに尽くします。たとえあなたが宇宙の果てまで行くのだとしても、私はあなたを追いかけます」

「~~~~っっっっっ!!」



 俯いたお嬢様の顔が一瞬で赤くなり、蒸気が噴出したかのような音がしました。

 その口からは言語にならない叫び声のような声が漏れています。



「何よそれ……何よそれ!! 馬鹿じゃないのあなた!?」



 そして次の瞬間、お嬢様はいきなり立ち上がってベッドの上から私を見下ろしてきました。

 耳まで真っ赤になった顔は、逆に赤くないところを探す方が大変かもしれません。郵便ポストも斯くや、といった具合です。



「あなた自分が何言ってるのか分かってる!? 宇宙の果てまでついていくって…………それってもう、遠回しな告白みたいなものなのよ!? あなたって可愛い顔をしてるけど、どうしてそういうときに限って男らしく――――」

「――――やっと、私の方を見ましたね」



 ずっと顔を逸らして目の合ってこなかったお嬢様が、ようやく私の目を見てくれました。



「え? あっ……」



 指摘されて気が付いたらしく、より一層顔を赤らめるお嬢様。

 私はお嬢様の目をしっかりと見て、最後の一押しに入りました。



「辛かったですよね」

「――――!」

「痛かったですよね」

「華炎……?」

「苦しかったですよね」

「な、何を言ってるの?」

「お嬢様と、兄姉(きょうだい)の過去です」

「それは――――!?」



 お嬢様が私の話を真剣に聞いてくれる土台は作りました。最後の仕上げは、私の想いをぶつけるだけ――――!



「私にはお嬢様の味わった苦しみが分かりません、そしてきっと永遠に分かる日も来ないでしょう。あなたの苦しみはあなただけのものなのですから」

「……それは、そうよ。きっと私とセレン以外には誰にも分らないわ」

「でも、分かち合うことならできるでしょう?」

「え?」



 虚を突かれたような表情をするお嬢様に、もう一度下から手を差し出しました。



「人は共有する生き物です。喜びも嬉しさも、悲しさも涙も」

「……でも、すべてのものを共有はできない」

「はい。同一のものを共有するのはとても難しいことです。だとしても、その辛さの一部は分け合えます」



 有史より、人間は常に他者と寄り添って生きてきました。毛皮を纏って獣を追った時代も、刀を手にした時代も、高度な社会システムを作り上げた時代も。

 他者に寄り添うために言葉を作り、文字を作り、その気持ちを他者に伝えてきたのです。


 そうして人間は誰かと同じ気持ちを分かち合って共に歩んできました。 

 まったく同じものを共有していなくても、その一端を分け合いながら。



「あなたの苦しみを……その過去を一緒に背負わせてください」

「ぁ……」



 私は靴を脱いでベッドの上にあがり、立ち尽くすお嬢様を抱きしめました。

 お嬢様は肩と声を震わせながら、鼻声で私を罵倒します。



「馬鹿よ……あなた絶対馬鹿よ……私はあなたを信用できないのに……」

「はい、私は馬鹿です。それでお嬢様を救えるのなら、私は大馬鹿で構いません」

「馬鹿……馬鹿馬鹿馬鹿っ、ばかぁ……!」



 それからしばらくの間、私はすすり泣くお嬢様を抱き締め続けたのでした。



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