#54 捧げる想い
お久しぶりです。私用で忙しく執筆が進みませんでしたが、ようやく投稿することができました。これから一年間はこのように不定期で更新できないことがありますが、何卒よろしくお願いします。
だからブックマークは取らないで……取らないで……(心が折れる音)
「――――ともかく、これでお嬢様の過去のおおよそは語ったわ」
一通りの出来事を語り終えたセレンさんは一度話を区切り、興奮した心を落ち着けるように息をつきました。怒りによって紅潮していた頬も段々と肌の色を取り戻しています。
記憶を掘り起こしているだけでして激昂していたほどのセレンさんです。私がいる手前表情は取り繕っているものの、内心は腸が煮えくり返りそうなほど鶏冠に来ていることでしょう。
私もそのお話を聞いて、怒らないよう言われていたのに頭に来てしまいました。
途中でセレンさんに咎められていなければ、激情に身を任せて壁を殴り付けていたかもしれません。
それと比べれば、むしろセレンさんはよく耐えたと言ってもいいぐらいではないでしょうか。何せ、彼女は実際の光景を目にしていたのですから。
「答えられる範囲のものなら答えるけれど、何か聞きたいことはある?」
「いえ、ありません。ありかとうこざいました」
私の中で再び黒い感情が鎌首をもたげてしまう前に、それを隠すようにして頭を下げました。
本当のことを言えば、もっと聞きたいことはあります。お嬢様の家族のお話や、脱走劇のこと。それから、セレンさんの子供の頃のお話だとか。
もっと知って、もっと理解して、その苦しみを少しでも分かち合いたい……辛い過去を一緒に受け止めて和らげたい。
嘘偽りのない私の本心です。
でも、この場でそれを聞くことはできませんでした。
それを聞いてしまえば、私は今度こそ堪えきれなくなってしまうかもしれない、そんな予感がしたから。
セレンさんも私の内心を見透かして話を切ったのでしょう。
「そう、ならいいわ」
セレンさんは薄く微笑み、続けて念を押すように釘を刺しました。
「くれぐれもこのことは、他の誰にも言わないようにね。頼んだわよ華炎」
「はい。承知しています」
勿論、言われるまでもなく他人に洩らすような真似はしません。
上弦さんや下弦さんにも頼まれたっていいふらすつもりはないです。お嬢様のことを裏切りたくはありませんから。
「……ねぇ、華炎。あなたはお嬢様のことをどう思ってる?」
「えっと……?」
セレンさんが、ふとこんなことを尋ねてきました。
「どうとは、その、どういうことでしょうか? いえ、意地悪でそんな質問をしてきたわけではないというのは分かってるんですけど……」
お嬢様への忠誠心テストとか、そういうものではないのは確かです。でも、それを何故このタイミングで……?
セレンさんの真意をはかりかねて、私は恐る恐るその意味をセレンさんに問いかけました。
「そのままの意味よ。好ましく思ってるとか、どんな人となりをしているかとか。まぁそうね……敢えて具体的に言うのなら、あなたがお嬢様に向けて抱いている感情といったところかしら」
「お嬢様への……?」
私が抱いている感情……
好きか嫌いかで言えば勿論好ましく思いますし、嫌いになんてなれません。でも、そんな二元論的な問いじゃないですよね。
そんなこと言ったらこの屋敷にいる人は全員お嬢様のことが好きですし、そもそも聞くまでもない。
……じゃあ、どう答えればいいんだろう。
「恩を感じてる……? いや、恩を返したい……?」
私にはお嬢様へ拾ってもらった上に助けてもらった恩があります。叶うことなら恩を返したいとは思いますが、なんだか違う気がします。この思いも正しいけれど、もっと相応しい言葉があるような気がして……
お嬢様は性格がちょっと畜生なことだけを除けば立派な人だと思うけど、そうじゃない。もっと違う言葉があるはず。だから尊敬じゃない。
容姿も能力も完璧で憧れる存在とか……違いますよね、私はお嬢様になりたいわけじゃない。見習いたいところはあっても私は私で、他人は他人です。だから憧れじゃない。
「…………」
あれでもないこれでもない。
刹那的に思い浮かんだ言葉が出てきても、次の瞬間にそれは否定されててしまう。堂々巡り、とはこのことを言うのでしょうか。
その浮かんで消える様はまるでシャボン玉のよう。
世の中には言語化できない感情があるというのは言われていますが、本当によくいったものです。今ならもろ手をあげて賛同できるなぁ。
そういうものは、その感情に適切な言葉が未だに編み出されていないからだと昔どこかの本で読んだことがある。何の本かは忘れましたが。
「……お嬢様に思うところが沢山ある、っていう顔ね」
「はい? ああいえ! 決してお嬢様に不満があるとかそういったことではなくて! セレンさんの言うとおりで適切な言葉が見当たらないというか……」
「分かってるわよ。慌てないの」
いつまでたっても答えがないからか、セレンさんの方から口火を切ってきました。何から何まで見透かされているようで気恥ずかしいというか、みっともなくて恥ずかしいというか。
土壇場での想像力に欠けていると露見してしまいました。
ああごめなさいセレンさん……
そんなにっちもさっちもいかなくなった私を一瞥し、セレンさんは仕方がないとばかりに助け船を出してくれました。
「ねぇ華炎、あなたはお嬢様のことは女性として見てる?」
「女性として、ですか? えーっと……」
「見た目のせいでたまに私も忘れるけど、あなただって男でしょう? そういう目でお嬢様を見たことぐらいあるんじゃないかしら」
ああ、そういうことですか。
それなら悩むまでもないことです。
「はい、お嬢様は素敵な女性だと思いますよ。とてもお綺麗ですし」
「へぇ、男目線だとやっぱりそうなのねぇ……まぁ中身の黒さはともかく、お嬢様の見目はいいから当然と言えば当然かしら。で、それから?」
「それから……?」
「え? 他に意識して見てるところとかないの?」
「意識するも何も、お嬢様に万が一のことがないようしっかり見守っていますよ」
「え?」
「え?」
……セレンさんがどこか妹の成長を見ているような顔から、何言ってるんだこいつという顔になっていきます。目を細めて、ジト目っぽい顔。
多分私も同じようなことになっているのでしょう。私も内心困惑でいっぱいです。
何でしょうか。この、同じ話をしているはずなのに、どことなく噛み合わない感じは。
例えるならそう、同じ歌を歌っていたのに二人とも別々のパートを歌いだしてしまったようなズレ。私はソプラノ歌っているのに、セレンさんはアルトを歌っていて、聞こえていたユニゾンがいつの間に和音に変わっていたような違和感。
そんな感覚がします。
セレンさんが何か気がついたようで、怪訝な表情をしながら更に質問を重ねてきました。
「……ねぇ華炎、ちょっと確認させて?」
「……何でしょうか」
「あなたの言う女性として見るって、どういう意味?」
「そのままの意味で、女性として見てるってことですよ? お嬢様は私と違ってちゃんとした女性なんですから、女性として見るのは当たり前じゃないですか? むしろ男性として見る人なんていないとと思いますけど」
そう答えると、セレンは頭を抱えながら呻くように呟きました。
「あ、なるほど……この子恋愛とかとことん疎かったわね……」
「はい? 何のことですか?」
「そうよね。いくら女子力が高くっても、あの変態の鬼灯妹が認めるほどの純粋培養だものね……」
「?????」
防音室のためか、セレンさんの小さい呟きは聞こえません。ぼそぼそとした息遣いが聞こえるだけです。
簡単に悪口を言うような人ではないとは分かっているので嫌な気分にはなりませんが、何を言われているのかちょっと不安になるような……
……そこはかとなく落ち着かない。
そうやって一人冷や汗を流していると、セレンさんは予想だにしなかった言葉を放ってきました。
「……分かってないみたいだから言っておくけど、私はお嬢様を恋愛対象として見てる? って聞いてるのよ」
「え? 恋愛対象?」
「そうよ。男ならお嬢様の容姿に少なからず反応するところがあると思うのだけれど」
「ええっとぉ……」
れ、恋愛かぁ……どうなんだろう。正直よく分からないです……
そりゃあ人間的にお嬢様は好きですし、異性として嫌いなはずはないと思いますけど、だかといって好きかと言われると首をかしげるというか。
人間の感情は複雑で、好きか嫌いかの二元論では片付きません。それこそ機械のようなプロトコルを経由していないのですから、複雑で当然です。
勿論人間の中には白黒はっきりさせる人もいて、そういった事情がはっきりしている人もいるでしょう。
でも、少なくとも私にはっきりと答えることはできそうにありませんでした。
「で、どうなの? お嬢様が好きなの!?」
「そ、そう言われましても……」
セレンさんが詰め寄って早く答えるよう催促してきます。身長の差があるせいか、どことなく迫力がありました。
というかセレンさん、なんか鼻息が荒くありません?
女性はそういった色恋のお話が好きだと聞きますけど、セレンさんもご多分に漏れずお好きなのでしょうか。
……いや、これはそうじゃない。どっちかって言うと、これはセレンさんの恋愛への怨嗟だ!?
セレンさんが怨嗟の鬼と化している!!
「お、落ち着いてくださいセレンさん! あなたはまだ二十代とお若いんですから暗黒面に飲まれないで!!」
「あ゛あ゛? 私はまだ二十代前半よ゛ォ゛!? 馬鹿にすんじゃないわ゛よ゛ォ゛ォ゛ォ゛ォ゛!!」
そんなこと!? キレるとこそこなの!? いつもみたいな展開ならともかく、そんな理不尽なことがある!?
二十代は二十代でも『前半』であることが大切なんですか!? わからない、セレンさんの逆鱗のポイントが分からない……!
確かに屋敷の平均年齢から言えばセレンさんは上位層にいる人ですけど、それでもまだ危機感を覚えるほどではないように思えますけど……!?
……いや、むしろ自分より若い人が沢山いるから危機感を覚えたんですかね……
「……こっほん。いいかしら、私は二十代前半よ。いい? 前半よ!? 二十八とか九じゃないの三十路ギリギリじゃないの。分かったわね!」
「サーッ! しかと胸に刻んだでありますッ! サーッ!!」
意図せずして虎の尻尾を踏んでしまいました……これからはよかれと思っても決して年齢の話だけは口にしないようにしましょう、そうしましょう。
そんな固い決意を抱き、私は合コンに出るセレンさんの将来のビジョンをそっと閉じるのでした。
素敵なお相手、早いうちに見つかるといいですね……
セレンさんも落ち着いたところで、頃蒼を計っていた私はお嬢様への思いを打ち明かしました。
「その……実を言うと、私もよく分からないんです……」
「……分からない?」
私には『好き』という感情がよく分かりません。
性別を問わない親しい友人や家族、尊敬できる人に向ける好意の感情を理解することができても、異性に向ける『愛』は分からない。知らない、というほうが正しいかもしれません。
もちろん知識としての『好き』や『愛』は識っています。生き物とはそのように恋をして子孫を成していくことも識っています。
でも、それはどこまでいっても知識だけ。知識と実際に体験することとの相違は、今更言うまでもないことでしょう。
触れたことのないものは理解できません。理解できないものは分かりません。
いくら耳年増な知識があったとしても、肌で感じていない感情は決して本当の意味で知り得ることはないのです。
「私はお嬢様のことを好ましく思います。その悲惨な過去を知った今でもその想いは崩れていません。でも、異性として好きかどうかは私にも分からないです。誰かを好きになったことのない私には、恋愛という感情が分かりません」
「分からない……ね」
「だからきっと、私のこの感情は『好き』というものではないんだと思います。力になりたいとか、側で支えたいとか……そういうものではないでしょうか」
セレンさんは戸惑ったような顔をして、結論を求めました。
「――――つまり、あなたはお嬢様を恋愛対象として見ていないのね?」
「はい。そういうことになります」
偽らざる私の本音を打ち明けると、何やら一層小難しそうな顔になるセレンさん。
彼女を困らせるようなことを言ってしまったでしょうか。
「……男の子も男の子で複雑なのね……いや、この場合は男の娘かしら……?」
「セレンさん……?」
お嬢様の過去のことを話してから、セレンさんの様子がおかしい。年齢のことでの暴走はいつものことにしても、今日はやけに一線を踏み越えようとしてきています。
普段のセレンさんなら、こんなデリケートな問いをしてくることはないはずなのに。それがお嬢様に直接かかわることなら猶更です。
むしろセレンさんの心情や立場を考えると、公私混同した感情を持つ部下を諫めるのが普通のような気がするのですが……
「あの、その質問がどうしたのでしょうか。聞く限りだとお嬢様とそんなに関係がないように思えるんですけど……」
きっとちゃんとした理由があるんですよね? と、言葉を濁して言外に問うた。
その瞬間、セレンさんは肌で感じ取れるほど
「……華炎、私の言うことをよく聞きなさい」
「は、はい」
いつになく真剣なトーンで喋るセレンさん。一月前のメイド試験を想起させるような態度の変化にに、私は思わず居住まいを正してしまいました。
果たして、私の判断は正しかった。
セレンさんはその表情に焦りを滲ませながら、私の肩を掴んで必死に何かを伝えようとしたからです。
「必要最低限、お嬢様のことは話したわ。本当はもっと知らせておきたいこともあるけれど、もう時間がないの」
「時間がない?」
「そうよ。このままじゃ、お嬢様はあなたに心を閉ざしてしまう」
「――――っ!!」
そうか、時間がないとはそういう……
確かにセレンさんの言う通り、このままお嬢様とちゃんと話し合わなければ傷を見た存在として私を避けてしまうようになる。
そうなってしまえば関係の修復はもとより、このまま屋敷にいることすらできなくなるでしょう。お嬢様への恩とか、支えるも何もあったものじゃありません。
そのことを認識できたとき、私の肩を掴む力が一層強くなりました。
「お願い華炎、お嬢様のところに行って! 彼女はあなたに気を許しつつあるの。ここで心を閉ざしてしまえば、お嬢様は誰にも助けを求めなくなるわ!」
「え……!?」
お嬢様が私に気を許してる……?
「分からないの? お嬢様はあなたを付き人にして、学校に連れていっているのよ。どうしてたまたま拾っただけのあなたにそんなことをしたと思ってるの?」
「あ…………」
セレンさんに言われて、初めて気がついた。
そもそも私はただの男子高校生Aに過ぎなくて、特別な地位も能力もなかった。しかしそこにたまたま通りかかったお嬢様が私を拾い、今の私がいます。
でも、考えてみればおかしな話でした。
私はこの屋敷の中で誰よりもお嬢様と付き合いが短いのにもかかわらず、セレンさんの次にお嬢様と親しいのです。
その上で付き人見習いという立場を与えて自分の側に侍らせている現状は、何か特別な事情がなければ辻褄が合いません。
「あなたにはお嬢様を起こす役目があるでしょう? 考えてもごらんなさい、普通は自分の寝室に異性を入れたりしないのよ。どうしてお嬢様が許可したのかしら」
「…………」
「だからこそお嬢様はあなたを気に入って、同時に気を許しているのよ」
セレンさんのその言葉で、私は認めざるをえませんでした。
「そうなんですね……お嬢様が私を……」
嬉しくない、と言ったら大嘘になるでしょう。
反対に、むしろとても嬉しくてたまりませんでした。どんな形であれ、お嬢様が私のことを想っていてくれたのですから。
なら、私のやるべきことは一つだけ。
その信頼に報いるだけです。
「……セレンさん、お嬢様のお部屋の鍵はどちらに?」
お嬢様が孤独になってしまうことを悲劇と言うのなら、私はそれを見過ごすことはできません。
「これよ。マスターキーだから必ず入れるわ」
「はい、確かに」
「……頼んだわ華炎、私じゃだめなの。私はお嬢様の隣に長くいすぎたせいで、お嬢様の悲しみに共感して何もできなくなってしまうから」
「セレンさん……」
そう言うセレンさんの顔は本当に辛そうで、無力感や悔しさがひしひしと伝わってきます。その証拠に、マスターキーを握る反対の手が固く握りしめられていました。
親しい人が傷ついていても何もできないことが、彼女にとって一番の悲劇なのかもしれません。
それはきっと、自分の身に起きた出来事よりも苦しいことでしょう。
ならば、それを背負うのも私の役目です。
「お任せくださいセレンさん! あなたの想いも、私が一緒にお嬢様のもとへ届けます! だから自分を責めないでください! あなたがいなければ、今日のお嬢様はありませんでした、だからどうか、自分を責めないであげてください!」
過去のお嬢様にとって、セレンさんが唯一無二の味方であったことは語るまでもありません。そんな彼女が自責の念で潰れてしまうことは、お嬢様にも良くないことです。
何よりも、そんな悲劇を見て居られません。
気づいてくださいセレンさん。
あなたもまた、お嬢様に無くてはならない存在なんですから。
「……ありがとうね、華炎」
「セレンさんは休んでいてください……気持ちはわかりますけど、お嬢様はやつれたセレンさんを見たくはないでしょうから」
「そうね、その通りね……そうさせてもらうわ……」
セレンさんは呟くように頷くと、部屋のドアを開けて廊下に出ていきました。
「……あなたならできるわ、頼んだわよ。次の付き人さん」
「はい、必ずや。セレンさん」
「……言い忘れてたけど、月詠メイド長よ」
「知っていますよ。セレンさん」
そんなやり取りを最後に、薄い微笑みを浮かべたセレンさんは廊下の向こうへと歩き去っていったのでした。
私は空き部屋に残された私は見えなくなるまで彼女を見送り、その後姿をしかと目に焼き付けました。
一人の少女を守り抜こうと決めた大人の背中は、とても大きく見える。
「……行きましょう。お嬢様のところに」
固い決意を言葉にし、託されたマスターキーを握りしめました。
月色に輝く金属が励ましてくれるような気がして、なくさないようにしっかりとポケットの中にしまい込みます。
マスターキーにはまだ、ぬくもりが残っていました。
※セレンさんがヒロインムーブをしているようにも思えますが、本章のヒロインは十六夜です。そしてメインヒロインは華炎ちゃんです(鋼の意思)
……ふぅ、これで間違えて日曜日に投稿してしまったこともバレずに済みましたね!